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ローマとユダヤ―古代ローマの宗教戦争

2006-04-25 21:54:41 | 読書/中東史
 古代ローマ時代にも激しい宗教戦争があった。戦の元になったのはパルティアやサーサーン朝ペルシアの国教ゾロアスター教や、末期にローマが国教化したキリスト教でもなくユダヤ教だった。紀元66年にユダヤは反乱を起こし、73年のマサダの玉砕で終結する「ユダヤ戦役」がそれに当たる。既に反乱前からユダヤの「シカリオイ(殺人者)」と呼ばれる集団のテロが相次いでいた。犠牲者数をタキトゥスは死者と捕虜合わせて60万としているが、ユダヤ側では捕虜は9万7千、エルサレム攻防戦での死者は百十万にものぼったという。その大半はユダヤ人だが、多数の人間が一箇所に集まったゆえに起きた疫病と飢餓による死の方が戦死よりも多かった。

 紀元一世紀に徹底して鎮圧されながらも、五賢帝の時代にまたしてもユダヤは反乱の烽火を上げる。それを苛烈に制圧しエルサレムからユダヤ人を追放したのがハドリアヌス。ギリシア贔屓ゆえかハドリアヌスはユダヤに好感は持たなかった。あえて割礼の禁止とエルサレムのすぐ前にローマ式の軍団都市を建設し、挑発的なユダヤの信仰心を踏みにじる行為に出る。

 131年秋に勃発したユダヤの反乱にはバール・コクバラビ・アクバという2人の指導者がいた。前者は自ら救世主(メシア)と名乗り反乱の実践面での指揮を取り、シナゴーグ(ユダヤ寺院)祭司の後者は聖戦であると説いて宗教面から支持する。バール・コクバとはヘブライ語で「星の子」を意味し、ラビ・アクバはこう説法した。「彼こそがユダヤの王であり、救世主である!
 ユダヤに限らないが、過激が勢いを強めると穏健は影を潜める。エルサレムにも少なくなかった穏健派は過激派に走るか、親族に頼り国外に去り、たちまち勢力を失う。こうしてエルサレムはコクバの支配するところとなった。

 反乱に厳格な計画、資金もなかったが、初めは成功した。海外のユダヤ居住地からも志願兵が集まり、武器も調達する。武器の調達は実に巧妙だった。ローマの軍団基地は現地の兵器製造業者と武器購入の契約を交わしている。その契約に従いユダヤ人製造業者は完成した武器を基地に搬入するが、製造段階でわざと欠陥品にした。ローマは不良品に厳しく、特にハドリアヌスの視察の後は僅かの欠陥でも見逃されず却下された。ローマに購入されなかった不良品を製造業者はコクバに横流ししたのだ。
 さらにユダヤ商人も協力する。購入契約どおり、しかし毒を混ぜたぶどう酒を軍団基地に売る。死者は出なかったが、多くの兵士が病に倒れた。

 この反乱中、教条主義者特有の異質を認めない傾向が激化し、内部粛清が起こる。コクバはいかにハドリアヌスの命が出ていたにせよ、割礼を止めた者を特に許さなかった。彼は割礼していない男子のエルサレムへの出入りを禁じ、違反した者は死刑と決めた。
 ユダヤ人穏健派の中には割礼を水を頭からかぶる洗礼に変えていた者が少なくなかったが、もちろんコクバもアキバも洗礼は認めなかった。この洗礼を行っていたユダヤ人の多くはキリスト教徒だった。こうして正統を自認するユダヤ教徒によるキリスト教徒への弾圧が始まる。キリスト教徒にとって唯一の救世主はキリストでありコクバは認められない背景もあり、コクバたちは弾圧を超え存在の消滅にまで激化した。紀元70年のエルサレム陥落当時から、既に同じユダヤ人でもユダヤ教徒とキリスト教徒の不仲があったが、この時期に敵対意識が決定的になる。

 紀元134年、エルサレムは落城し64年前と全く同じく炎上し破壊し尽くされた。ユダヤの篭った50の要塞は破壊され、985に上る村落は焼き払われ、50万ものユダヤ人が殺害された。捕虜となり家畜以下の安値で奴隷として売り払われた者もいる。こうしてユダヤ人のディアスポラ-離散-が始まったとされる。

 作家・塩野七生 氏は他民族に長く支配された歴史を持つ民族の精神構造をこう記している。
自衛本能が発達せざるを得なかった故と思うが、精神の柔軟性が失われて頑なになる。また、何事にも過敏に反応しやすい。そして過酷な現実を生き抜く必要からも夢に頼る。ユダヤ教では救世主待望がそれに当たった
 まるで、日本の隣国人の心理分析を見ているようだ。日本国内にも既にこの種の“ユダヤ人”を抱えているが。
 タキトゥスもこんな一文を残している。
ユダヤ人が我々にとって耐え難い存在であるのは、自分たちは帝国の他の住民とは違うという、彼らの執拗な主張にある

 それにしても、21世紀になってもパレスチナでの宗教対立は治まらない。古代ローマ時代に飛行機があれば、ローマもミサイル攻撃を加えたことだろう。

■参考:『ローマ人の物語Ⅷ、Ⅸ』塩野七生 著、新潮社

◆関連記事:「ディアスポラ-離散-

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6 コメント

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難しいよ^^ (バーラタ)
2006-04-26 12:26:51
昨日に引き続きどもです^^

mugiさんかなりいろんなことにお詳しいですね。

もう付いていけないレベルです。

ところで昨日のネシカというのは、どうも成りすましの可能性大ですね、プロフィールをみたら特技に英語と韓国語とありました。ガチでしょう。

あそこによったらPCに不具合が起きたのでなにかやっているかもしれません。勘違いかもしれませんが一応気を付けてください。

常識の通じない民族ですんで。

それではたまにコメントさせていたたきます。

エントリーに関係なくてすみませんでした。





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僕の場合 (セリ摘み王キモト)
2006-04-26 18:27:13
子供の頃に観た米のTVドラマ『炎の砦マサダ』のイメージが大きかったんです。



その後、僕も『ローマ人の物語』を読んでようやくその時代背景がわかったのを思い出しました(^_^;)。
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詐称? (mugi)
2006-04-26 21:48:22
こんばんは、バーラタさん。



>mugiさんかなりいろんなことにお詳しいですね。

そんな事はないですよ(汗)。ただ、本好きで、しかもマイナーな本を読んでいるだけなのです。



私もネシカなる者のブログは見ましたが、英語と韓国語が特技であの程度の文章か、と苦笑しました。いかに話す事と書く事は違っても、論文構成力に欠けているので説得力ゼロ。ネットでは外国語が出来る、外国人の彼氏(彼女)がいる、と自慢げに書く類はいますね。



私があのブログを見た際はPCに不具合は起きませんでしたが(ノートンのお陰?)、ウイルスを貼り付けてる者もいるので注意が必要です。

もっともあのサイトはもう見る気も起きません。中東について見事な記事を書くブロガーは他にも大勢いますから。



こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
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ベンハー (mugi)
2006-04-26 21:50:55
>キモトさん

TVドラマ『炎の砦マサダ』は初耳ですが、私の場合はやはり映画『ベンハー』でした。

あれもまた、ローマイコール悪の帝国、の古典映画です。最近の『グラディエーター』も同じですが。
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不自由人 (Mars)
2006-04-27 20:45:50
こんばんは、mugiさん。



世界に広がるユダヤの歴史には、そんな過去があったのですね。そして、世界で(特に米国で)、経済的に成功すれども、各地で嫌われる原因は、過去からの被害者意識と、他者を受け入れない非寛容さからからくるのかもしれません。こういう言い方は甚だ失礼でしょうけど、離散した原因の半分は、ユダヤ自ら招いたことであるように思えます。



日本の自称有識者は、日本人の島国根性を批判しますが、大陸から海を隔てることにより、独特の文化や価値観を暖めつつ、発展出来たことに、大きく寄与したものと思います。また、近隣友好国のように、いつまでも”恨”に捕らわれている民族のようにならなかったのは幸いですね。



某国のように、歴史は作るものではないですが(あたらしい歴史教科書は作ってもいいと思いますが)、今を生きる私たちにも影響をさせている事を思えば、恐ろしいものですね。

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選民思想 (mugi)
2006-04-27 21:58:24
こんばんは、Marsさん。



覇権帝国らしくローマ人にも傲慢な振る舞いがあったのは確かですが、宗教を掲げて執拗に抵抗したのはユダヤ民族だけでした。

ユダヤ人の被害者意識は凄まじい。ホロコーストだけでなく紀元前6世紀のバビロン捕囚まで記念日にしてますから。そのくせ旧約聖書にもありますが、建国時には先住民族を皆殺しやりまくりです。神が命じたからお構いなしという、オウムも真っ青の教義で。



ユダヤ人が各地で嫌われるのは経済的に成功しても還元もせず、周囲の異民族を見下す選民思想が大きいのは明らかでしょう。これも華僑に似てますね。ナチから匿ってくれた勇気ある人々もいたのに、やれ待遇がよくなかった、など文句を言うイスラエル人もいるそうです。



人間は環境の生き物なので、日本も島国でなければ民族性も大いに違ってきたでしょうね。
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