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ボルジア家 愛と欲望の教皇一族 その一

2014-04-12 21:11:07 | 音楽、TV、観劇

 暫く前、海外ТVドラマ『ボルジア家 愛と欲望の教皇一族』を見終えた。このドラマは第3シーズンまで制作されているのだが、日本では第2シーズンまでしか放送されず、第3シーズンのDVDも未だに出ていない。原題:The Borgias 通り、ボルジア家を描いた史劇。『ルネサンスの女たち』『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』等の塩野七生ルネサンス作品のファンならば、堪らないドラマだろう。私自身も塩野氏の作品で、初めてボルジア家に関心を持った。TVドラマは第2シーズンまでしか見ていないが、久しぶりに見応えのある史劇だった。

 TVドラマゆえか、この史劇も史実そのままではなく脚色は多く、今風な解釈に仕上がっている。塩野ファン、殊に女性読者には『チェーザレ・ボルジア~』を読んで、チェーザレに魅せられた方が多かっただろう。チェーザレ役はフランソワ・アルノー。このドラマで初めて名を知った日本人が殆どだろうが、予想以上によかった。チェーザレに扮するなら単なる甘いイケメンでは役不足で、覇気と野心も感じさせる若者でなければならない。フランソワ・アルノーはこの大役を好演している。フランソワ・アルノーを検索したら、名前から想像した通りフランス系カナダ人の俳優らしい。やはりラテンの血が入っていたのか。

 ただ、チェーザレの忠臣ミケロットはイタリア人という設定になっていた。塩野氏の作品にはスペイン系とあったはずだし、チェーザレと一緒にいる場面で「若くともに美しい」と表現されている。しかし、このドラマではチェーザレより年上、美男ではなかったのはガッカリ。
 実は私的にチェーザレよりもミケロットの方が気に入っている。チェーザレ没落後、捕らわれどれほど拷問を受けても彼への忠節を貫き、釈放後は行方知れずというのもよい。このドラマではミケロットが同性愛者となっていたのは仰天した。夜に人気のない墓場で、かつての恋人と逢引きする場面は、男女のラブシーンよりも面白かったが。サガンも『ボルジア家の黄金の血』という歴史小説を書いており、ミケロットは何と去勢者という設定になっていた。

 史実と違っているといえば、マキャヴェッリも同じ。いつも苦虫を噛む潰した顔をした中年男で、陰険なフィレンツェの政治家となっているが、実際にはチェーザレより6歳年上に過ぎなかった。私のマキャヴェッリへのイメージも塩野本の影響なのだが、陽気で飲む・打つ・買うが大好きであると同時に善き父、善き夫という典型的イタリアン。だから、ドラマのマキアヴェッリは残念だった。

 ルクレツィアのキャラクターは、やはり今風になっている。父や兄の野心の犠牲になり、何度も政略結婚を強いられた哀れな美女…というのが一般的なイメージだし、塩野本でもそのような描き方になっている。もっともルクレツィアに限らず、当時は父や兄の決めた結婚に黙って従い嫁ぐのは当たり前だったし、良家の娘は恋愛結婚など殆ど不可能だった。
 ルクレツィアが政略結婚させられるのは史実通りだが、父や夫に従順なだけではく時に自ら主張し、意志を貫こうとする。そして教養があり、聡明な女性。どう見ても現代女性だが、視聴者受けする設定にしたのかもしれない。

 イタリアの女傑カテリーナ・スフォルツァが登場するシーンを、ワクワクして見ていた塩野ファンも多かったのではないか。ボルジア家と激しく対立するのは史実通りだが、はじめに交渉に来たチェーザレを誘惑、ベッドインする箇所は創作にせよ良かった。だが、カテリーナと直接戦闘するのはチェーザレではなく、彼の弟フアンに変更されている。カテリーナを“フォルリのあばずれ”と呼んでいたフアンだが、戦ではあばずれに敗れてしまう。これまたドラマのフィクションだが、戦闘シーンはTVで見ても迫力があった。
 カテリーナといえば、城塞の上に立ち、スカートをめくりあげて敵に啖呵をきったエピソードは有名であり、フアンとの戦闘シーンでこれが使われていた。その際チラッとヘアーも見え、男性には嬉しかっただろう。ただ、フアンにより息子を人質にとられたカテリーナは動揺、涙ぐんでいた。「子供などこの先何人でも、ここから生めるのを知らないのか!」と叫んだ女傑らしからぬが、これまた現代人受けするストーリーに変えたのやら。
その二に続く



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2 コメント

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○○○は誰のもの? (のらくろ)
2014-04-13 16:22:27
>スカートをめくりあげて敵に啖呵をきった
>「子供などこの先何人でも、ここから生めるのを知らないのか!」

あっぱれ、お見事!

さて、タイトルの○○○については、うすうすお気づきかと思うが、一個、十個、百個、千個、○○○……である。
カテリーナ・スフォルツァは見事に「私のもの」にしていたということが、冒頭の引用からもわかるが、さて現代の女たちは、その時代よりはるかに「自分のもの」にするための条件は有利なのに、果たしてオンナと切っても切り離せない○○○を、確実に自分のモノとしているのか、のらくろは男の立場からみて疑問視せざるを得ない。

というのも、某週刊紙ネタではあるが、最近は顔の整形だけでは飽き足らず、○○○にも整形のためメスを入れる女が(絶対数は少ないにせよ)増殖しているようであり、しかもその動機に「セックスの相手からの指摘」が一定程度含まれていた(と記憶する)からだ。

その方向性の行きつく先はこういうことになると、なぜ警戒しないのか↓http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/3e808146f2aeabb5dded276102845f41

仮に「オトコごときのためではないわ!」とツッパッてみたところで、無思慮で、行きすぎたダイエットと同じく、自らの肉体、健康をそこなってしまう場合も多々あるということを自覚すべきである。

「セックスの相手からの指摘」があった場合は、それまでどれだけいいムードにコトが進んでいたとしても、女の立場としては決然と「行為」を中断し、衣服を整え、その場(ホテルの部屋など)から出ていくべきだろう。こう啖呵を切るのも忘れずに。
「ふざけるな! あんただっておかーちゃんの○○○から此の世に生まれて来たんだろうが。おかーちゃんの○○○はあんた、わたし、すべての人にとって「ふ・る・さ・と」なんだよ。故郷をけなすような奴とエッチなんかしてられっか!」
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RE:○○○は誰のもの? (mugi)
2014-04-13 21:12:11
>のらくろ さん、

 私が若い頃に見た女性雑誌にも、○○○への整形手術の広告が載っていたことがあります。これは処女○再生手術だったし、「セックスの相手からの指摘」ではなく、処女に成り済ますためのものでした。その意味では自主的な整形手術と言えますが、このような広告があること自体、まだバージンが尊ばれていたのでしょう。

 同時に貴方の挙げた整形手術の広告も載っていました。もちろんこちらは、「セックスの相手からの指摘」の確率が高いと思います。○○○への整形手術により、相手を繋ぎとめたい気持ちは分からなくもありませんが、危険性と苦痛では行きすぎたダイエットとは比べものになりません。このようなことを要求するセックス相手の心理は、イスラム圏の割礼と基本的に同じですよね。

 もっとも、セックス相手の要求に従ったところで、この種の男は満足するとは思えず、さらに無茶を強いるか別な女を求めると思います。女傑カテリーナも、年下の美男の愛人には甘かったそうです。
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