トーキング・マイノリティ

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ローマ法王のトルコ非難に想うこと その一

2015-04-20 21:10:52 | 世相(外国)

 今月12日、現ローマ法王フランシスコが百年前のアルメニア人虐殺を取り上げ、トルコを非難する出来事があった。これを紹介したニュースサイトは、次の書き出しで始まっている。
ローマ法王フランシスコは12日、バチカンサンピエトロ大聖堂で行ったミサで、第一次世界大戦中のオスマン・トルコ帝国で起きたとされるアルメニア人虐殺について「ジェノサイド(民族・集団の計画的な抹殺)」だと非難した。ジェノサイドを否定するトルコ側は強く反発しており、双方の関係がぎくしゃくしそうだ…

 これに対するトルコの動きを紹介したニュースサイトもあり、そちらからも引用したい。
トルコのエルドアン大統領は14日、フランシスコ・ローマ法王が、第1次大戦中にオスマン帝国で多数のアルメニア人が殺害された事件を「ジェノサイド(集団虐殺)」と表現したことを受け、「法王を非難し、同じような過ちを繰り返さないよう警告する」と述べた。地元メディアが伝えた。
 大統領は、法王について「宗教指導者でなく政治家と呼ぶ」と述べ、昨年11月に法王がトルコを訪問した際とは態度が異なっていると指摘した。「歴史的事実を文脈から切り離し、トルコに対するプロパガンダに使わせない」と強調した。1915年ごろに起きた「アルメニア人虐殺」問題について、トルコは「ジェノサイドには当たらない」と主張している。法王の12日の発言を受け、トルコは駐バチカン大使を本国に召還した。

 第一次世界大戦時のアルメニア人虐殺から今年はちょうど百年目になるが、この出来事をなぜ今頃になって持ち出したのか?と不可解に感じた日本人も多いだろう。唐突にこの事件を取り上げたような印象を受けるが、河北新報の国際面には法王は2013年にもこの件への発言をしていたことが載っていた。先のニュースサイトによれば、法王はブエノスアイレス大司教時代から、この問題をジェノサイドと位置づけていたとある。
 そして法王は人類が前世紀に経験した「前例のない3つの悲劇」として、アルメニア人虐殺とナチス・ドイツ、旧ソ連のスターリン下での残虐行為に言及したそうだ。ローマ法王の発言はトルコに関心を持つ私にとって、色々考えさせられた。

 トルコ贔屓の私だが、オスマン帝国時代のアルメニア人虐殺事件は確実にあったと見ている。トルコ政府の公式見解は未だに「無かった」であり、ましてジェノサイドなど認められない。果たしてアルメニア民族の計画的な抹殺だったのか、戦時の突発的出来事だったのかは未だに解明されていない。心なしか欧米人研究者はナチスと同じく、組織的な計画による抹殺と結論付けたい傾向があるようだ。
 オスマン帝国による虐殺といえ加害者はトルコ人だけでなく、帝国内の非トルコ人ムスリムも多く加担していた。殊にクルド人が最も多くらしく、ムハージルーン(移住者の意。当時はロシア帝国の圧迫で国を追われ、トルコに多数亡命してきたコーカサス出身のムスリムを指した)に加え、アラブ人も襲撃に加わっている。つまり、トルコ帝国のムスリム臣民がこぞって迫害に加わったということ。

 ただ、具体的な犠牲者数は20世紀までは約百万人と言われていたが、今世紀になってからは150万人説が流布するようになり、時代を経る毎に増加しているのは実に奇妙だ。何やら年毎に犠牲者数が増えていく旧日本軍の“虐殺事件”を思わせる。犠牲者数ではwikiにも興味深いことが記載されている。

この一連の迫害において死亡したアルメニア人の人数は、もっとも少なく見積もるトルコ人の推計で20万人から、もっとも多く見積もるアルメニア人の算出で200万人とされる。ただし、19世紀末にオスマン帝国領のアナトリア東部に住むアルメニア人人口はおよそ150万人という統計があり、その20年後に第一次世界大戦が始まったときの人口も、自然増と流出による減少によりほぼ同数であろうと考えられる。
 それらのうち、既にロシア領へと逃亡していた者や、カトリック、プロテスタント、イスラム教へと改宗して強制移住の対象から外された者を除く何割かが強制移住に駆り立てられたことになる。その人数はおよそ80万人から100万人ほどとする推定もあり、欧米や日本の研究者の幾人かは、60万人から80万人という犠牲者数の推定が妥当ではないかという見解を述べている
その二に続く

◆関連記事:「アルメニア人虐殺事件

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