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モンゴル 07/セルゲイ・ボドロフ監督

2008-04-21 21:21:24 | 映画
幼児を侮るなかれ。20年後にはとなるかもしれぬのだから」―モンゴルの諺
 モンゴルと聞いて、この国出身の横綱を連想する日本人も少なくないが、歴史に無関心でもチンギス・ハーンの名を知らぬ人はない。この映画は史上最大の征服者チンギス・ハーンが主人公。同じくチンギスを主人公にした邦画『蒼き狼/地果て海尽きるまで』は見られたものでなかったが、この作品も日本人俳優が演じたにせよ佳作だった。

 この映画ではモンゴル人という表現が何度も出てくるが、当時モンゴルという国はなく、モンゴル系遊牧品の一部族の名だった。諸部族を統一したのがモンゴル族なので、後に民族全体を指すのに使われる。日本で初の全国統一をした大和が、民族名になったように。
 後にチンギス・ハーンとなるテムジンはモンゴル族の長イェスゲイの長子として生まれている。テムジンが9歳の時、父と共に訪れた他部族の地で後に妻となるボルテと出会う。出会ったばかりなのにボルテはテムジンの名を訊ね(たとえ子供でも少年が先に聞くのが習慣)、自分と結婚しろと言うほど積極的だった。テムジンも嫁を決める気になる。

 イェスゲイがテムジンに教えた嫁選びの基準が興味深い。顔は塩湖のように平らなこと、悪霊が入らぬよう目は出来るだけ細い方がよい、何よりも大切なのは足で、足の丈夫な女は男を幸福にすると言う。纏足のような無理やり奇形にした弱い足を異様に愛でた漢族と、遊牧民では美の基準が違いすぎるのは当然だが、足が丈夫でなけれは草原では生きられない。ボルテは望ましい嫁の条件を全て満たしており、さらにテムジンより1歳年上だった。当時も現代もモンゴル人は金のわらじは履かないが、テムジンはよき妻を探しあてた。

 のちに世界を震撼させるテムジンも、父に早く死なれ少年時代は苦労の連続だった。父に服属していたタイチウトにより捕われ、その幕営に首かせをつけられ抑留されたこともある。成人してもまだ弱小部族の長ゆえ、またも敵に捕われ枷をかけられる有様。この枷がモンゴルでも使用されていたのは驚くが、中国から取り入れたのだろうか?ただ、首枷はイギリスでも19世紀前半まで使用されていたのをネット検索で知った。

 テムジンの勢力が弱かった若き日、結婚したばかりの妻ボルテを仇敵メルキト族に奪われたのは、チンギスものの映画や小説では有名。アンダ(盟友)ジャムカらの支援を受け、妻をようやく奪還したものの、ボルテは既に身ごもっていた。日本の映画や小説ではメルキトの子であるかも知れぬ長子ジョチとテムジンの葛藤や確執を描きたがるが、この映画ではその類の場面は一切なく、自分の息子として受け入れている。息子と仲良く遊ぶシーンなど、フツーのおとーさんのような印象だった。部族が互いに争い、女の掠奪が当り前だった当時のモンゴルで、出生は定住民ほど大問題にならないと思われる。

 目玉の戦闘シーンはやはり迫力があり、期待以上の映像だった。ただ、兵士たちが似たような服装と顔つきなので、早々モンゴル軍と敵軍の区別がつかなくなった。刀について私は全く無知だが、モンゴルの刀は見るからに頑丈そうだ。中国の青龍刀と中東の半月刀の中間の様な感じ。刀自体はさほど大きくないが、刃が湾曲しており、がっちりした構造。馬に跨りながら見事に両刀使いもやるから、世界を制覇できた訳だ。

 この映画で敗れたテムジンが西夏に奴隷として売られ、さらし者にされる場面がある。これは史実的にありえないが、ロシア人監督は脚本も兼ねている。彼を救い出すのが妻ボルテ。ボドロフ監督は夫婦間の愛情に重点を置いているようだ。ラストでテムジンが息子に「俺はよい妻を娶った」と語り、それを聞いた妻が選んだのは私だと言う。この描き方は面白いが、父子でウジウジ悩んでいる日本版よりも、こちらの方が私好みだ。

 内容的に『蒼き狼/地果て海尽きるまで』は駄作だったが、モンゴルの大自然だけは素晴らしく撮れていた。この映画でも一面緑となったモンゴル平原はとても美しかった。平原は途轍もなく広いと感じさせられ、何故モンゴル人が天の神テングリを崇拝するのか、ようやく背景が分りかけた。雷は天の神の怒りと恐れるモンゴル系部族の中で、テムジンだけは違った。雷の下で彼は勝利する(雷帝か…)。
 邦画でチンギスに扮した反町隆史が二重のイケメンで完全なミスキャストだったが、浅野忠信は好演していた。やはりチンギス役なら最低でも切れ長の眼でなければ、違和感を感じる。

◆関連記事:「戈壁(ゴビ)の匈奴」「草原の記

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3 コメント

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明日はジンギス・カン?? (Mars)
2008-04-21 23:13:54
こんばんは、mugiさん。

mugiさんも、ご存知の事とは思いますが、(小説等で)メルキトの血を疑られたのは、テムジンもそうだったりするのです(父イェスゲイが、母をメルキトの者から奪った時、既に身籠っていた、というのです)。

テムジンの長子、ジョチがメルキトの血を疑られたというのは、父同様、可能性は低いのですが、この説そのものが日本での創作、という訳ではないようです。
(テムジンが家督を三男オゴデイに譲ったのも、長子ジョチと次男チャガタイが不仲であったようで、温和な三男オゴデイを選んだ、というのもありますし、モンゴルには、中国・日本のように、長男が家督を継ぐという風習もなかったようですね)

歴史とは残酷で、あれだけ、血の結束で、強大なモンゴル帝国を作ったのに、血で血を争う骨肉の争いの結果、滅んだのですから。
諸行無常、栄枯盛衰、盛者必衰は世の常ですが、人の世は、本当にはかないものですね。
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Unknown (ルイージ)
2008-04-22 12:32:38
嫁が戦争もの嫌いなのでめっきり映画を見なくなりました。
墨攻は見たんですが、これは多分見ないです(見たいけどw)

>出生は定住民ほど大問題にならないと思われる。
これは面白いですね。まあ、母親はともかく
実際の父親なんてあやしげなのが歴史ですからね。

>馬に跨りながら見事に両刀使いもやるから、世界を制覇できた訳だ。
騎馬突撃のシーンとかありました?
モンゴル兵が世界を席巻した理由は
軽騎兵による敵射程外からの馬上弓なんですけれど
映画的にはイマイチなんでしょうね(T_T
返信する
コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-04-22 21:52:39
>こんばんは、Marsさん。

仰るとおりテムジンも血筋の点で疑わしいのですが、作家・堺屋太一氏はむしろそれを利用していたのではないか、と推測していました。メルキトやモンゴルといった部族に縛られることのない、フリーハンドが得られますからね。他の遊牧民のような部族中心主義者なら、民族を統一できませんでした。

長男と次男の不仲は、彼らの部下にも原因はあります。追従者は遊牧民にもいるし、実力で後継者が決まる遊牧社会では、主人のライバルとなりそうな者を蹴落とそうと、誹謗中傷はしたはず。真に受けなくとも、影響は受けたでしょうね。父さえも、病気で参戦できなかったジョチを疑ったのですから。現代は不明ですが、当時のモンゴルは末子相続がしきたりだったとか。

モンゴル帝国の崩壊は本当にあっけないですね。国土が広大すぎて、統治がうまくいかなくなった。その点、オスマン朝やサファヴィー朝などのトルコ系遊牧民国家は長く続いた。モンゴルを反面教師にしていたと思います。


>ルイージさん

墨攻も見ています。原作が好きだったので、映画の格好よすぎる革離に最後まで戸惑いました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/a39fe630f1fc4721e4eddbdf74de0bcb

日本のチンギス作品は父子中心の物語になるのに対し、ロシア人の脚本が夫婦中心だったのが、面白かったですね。
男性は実の子供と確認する術はないし、貴方の子供だと女性が言うのを信じる他ありません。

仰るとおりモンゴル兵の強さは軽騎兵を中心とする速攻でしたが、映画ではチャンバラシーンが殆どでした。この方が絵になりますが、太刀にも長けていたでしょうね。
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