トーキング・マイノリティ

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めがね 07/日/荻上直子監督

2008-05-21 21:25:00 | 映画
 この映画のテーマは、「たそがれる」。「たそがれる」とは聞きなれない言葉だが、黄昏に陥ったり、それを眺めている人々を指しているのではない。あくせくせず、ゆったりとマイペースで時間を過ごす状態を「たそがれる」と、この映画では表現している。何かと気ぜわしい日々を送る多くの人々に、「たそがれる」ことは叶わぬ夢である。

 季節は春、タエコはある南の海辺の空港に1人で降り立つ。そこから彼女は民宿「ハマダ」に向かう。この民宿の看板はまるで目立たぬほど小さく、その理由をハマダの主人ユージはあまり客が来ると大変だから、と言うほど鷹揚な人物。タエコがユージに観光スポットを聞いても、この小さな町は観光する所も何もないと言う。それでもハマダで出される食事は産地の食材を生かしたもので美味しく、この宿には不思議な人々が集まっていた。
 春先に何ヶ月間か滞在するサクラ、「可愛い男の子がクラスにいないなんて、死にたい」とボヤく、遅刻常習の女性高校教師ハルナも、ハマダ常連だった。

 常連客に言わせれば、ユージは「たそがれる」ことの達人だとのこと。これで経営が成り立つのか不思議なほど客は来ず、そのくせ手が空いた時はギターを奏でるなど、とかくゆとりのある暮しを満喫している様。ユージの作る朝食はハムエッグ、卵焼きに鮭…ごくありきたりのものだが、実に美味しそうに見える。客でもユージはさほどおもてなしの精神で迎えている訳でもなく、「たそがれる」のを優先している。彼らのマイペースに振り回されたタエコは、一旦ハマダを出て、もう1つある町の民宿「マリンパレス」に移る。

 しかしマリンパレスは、まるで合宿のように泊り客が時間に合わせ、一丸となって農作業を行い、それで安らぎを得るというシステムの宿だった。元から彼女自身マイペース型のタエコは、すぐにマリンパレスに閉口、結局もとのハマダに戻る。何も言わず彼女を迎えてくれたハマダの人々。ハマダに帰ったタエコは自分なりの「たそがれる」方法を身につけていく。ハマダにはタエコを「先生」と呼ぶ年下の仕事仲間ヨモギを訪れ、5人での共同生活が始まる。

 この映画で最も面白かったのは、「メルシー体操」の場面。毎朝、海辺で行われる体操で、サクラが先頭に立ってやっている。ちょっと間の抜けたようなゆっくりした体操で、流れるBGMもスローテンポ。このような体操は家でしてもつまらないが、皆でやるから続けられるものだろう。サクラのつくるかき氷はとても美味しく、彼女はそれを無料で振舞っていた。彼女は他の料理を作る時も、こう語っている。「重要なことは焦らないこと」。
 旅や休暇はいつまでも続くものではない。ある日突然サクラは去り、ヨモギも職場に戻り、タエコもハマダを出ることになった。「たそがれる」時は過ぎたのだ。

 荻上直子監督の前作『かもめ食堂』同様、この映画もスローテンポな展開で、画面に出る料理はどれも美味しそうだった。海辺の町の設定も同じだが、鹿児島県与論島で撮影されたためか、あくまで明るい南の町の風景は美しい。春の日、このような町でゆっくりと休暇を取り、たそがれてみたいものだが、これは普通の勤め人なら無理な望みだ。タエコの職業が何なのか明かされてなかったが、作家か学者、または芸術家なのか、サラリーマンでないのは確か。この作品は大人向けのおとぎ話であり、流行り言葉を使えば「癒し」の物語。
 サクラ役のもたいまさこ、それにしても存在感があった。この映画で実質的な主役のように感じてくる。「たそがれる」達人は、ユージよりサクラである。

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