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英雄ヨシュア

2009-09-19 20:26:16 | 読書/小説

 国民の殆どが非クリスチャン、そのためキリスト教に馴染みの薄い日本人でも、モーセの名はディズニーアニメ『プリンス・オブ・エジプト』の影響で子供でも知っているかもしれない。だが、そのモーセの後継者ヨシュアの名は一般の日本人には知られていない。それでもモーセに劣らぬ優れた指導者であり、カナンの地を征服、ユダヤの支配を確立した人物だった。

 ヨシュアはモーセの従者ヌンの息子であり、血の繋がりはない。モーセが死の前に後継者に立てた人物だが、単なる縁故人事などではなく、その有能さを見抜いていたのだ。聖書のヨシュア記は文字通りヨシュアの活躍を描いた章だが、聖絶の描写が際立つこの章は日本人の牧師並びにクリスチャンがもっとも触れたがらない箇所でもある。以下、ヨシュア記から一部抜粋する。

-(エリコの)石垣は崩れ落ちた。そこで(イスラエルの)民は皆、すぐに上って町に入り、町を攻め取った。そして町にあるものは男も女も若い者も老いた者も、また牛、羊、ロバをも尽く剣にかけて滅ぼした(6章20-21)。
 そして、「主はヨシュアに言われた。恐れてはならないおののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。エリコとその王にしたように、アイとその王にしなさい…」(8章1-2)。

 ヨシュアは神の命じるまま、アイの町を滅ぼしつくす。
追撃してきたアイの住民を尽く野で殺し、剣を持って1人も残さず打ち倒した後、皆アイに帰り、剣を持ってその町を撃ち滅ぼした。その日アイの人々は尽く倒れた。その数は男女合わせて1万2千人であった。ヨシュアはアイの住民を尽く滅ぼし尽くすまでは、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった(8章24-26)。
 ヨシュアはアイの町を焼き「永遠に荒塚(あらづか)と」(8章28)した上で、「ヨシュアはまた、アイの王を木にかけて夕方までさらし、太陽の沈むころ、命じてその死体を木から下ろさせ、町の門の入り口に投げ捨て、それを覆う大きな石塚を築かせた」(同29)。他にもイスエ ラル軍に抵抗した五つの町も滅ぼされ、その5人の王は叩き殺され、「5本の木にかけて、夕暮れまで木の上に曝」された(10章26)。

 以上の記述を見て、大半の日本人はついていけないと戦慄を覚えるだろう。しかし、非キリスト教徒日本人からすれば血も涙もない男で も、ユダヤ人の間では「ヨシュアの名声はあまねくその地に広がった」(6章27)のだった。異教徒を征服したという武勲もあるが、ヨシュアが絶対神の命を寸分違わず実行したからである。ただ、ヨシュア記の行間から、彼の軍人、為政者としての優れた素質が浮かび上がってく る。ルーマー・ポリテックス、つまり噂を撒き散らし、その力で大衆を操作する政略の巧手でもあり、神頼みをしていただけではない。エリ コの町を攻める前、予め2人のスパイを潜入させている。

 ヨシュアによって処刑されたアカンという人物の話は興味深い。エリコ殲滅の前、神は個人的な略奪を禁じ、全て神の宝物倉に戦利品を収めることを命じていたが、やはり不心得者はいた。次のアイの町を攻めると、イスエラル軍は逆襲にあい敗北する。ヨシュアが神に問いかけると、命に背きエリコの戦利品を隠し持つ者がいることを告げた。
 ヨシュアは犯人割り出しにかかり、その方法はトーナメント式のくじ引きだった。イスラエルは12部族に分かれており、まず部族の代表がくじを引き、ユダ族が当たった。ユダ族にはさらに細かい氏族があり、その代表がくじを引くとゼラの氏族に当たり、ゼラの氏族に属する家族がくじを引いてザブディ家となり、ザブディ家の男子が引いてアカンが当たった。

 作家・阿刀田高は『旧約聖書を知っていますか』(新潮社)で、このくじについて面白い例え話をしている。都道府県別にくじを引いて新潟県に当たり、新潟県の市町村別にくじを引き西山町が当たり、西山町の家族が引いて田中家が当たり、田中家の男子がくじを引いて角栄が 犯人と宣告されたようなもの、と。角栄裁判もいい加減だが、アカンの割り出しはもっと酷い、名前があかんのと違うか等とギャグを書い ていた。
 だが、命までは奪われない角栄裁判と異なり、アカンは家族や所有する家畜共々石打ちにされる。おそらくアカンの他にも戦利品を隠した者はいたはずだが、見せしめだったと思う。異教徒の解釈だが、始めに敗北したのもヨシュアの判断ミスであり、それを不心得者による神の罰と責任転嫁したのではないか。

 エリコから数え31もの国がヨシュアによって滅ぼされ、支配下に収めたカナンの地はイスラエルの各部族に与えられた。領土の配分だけで難事だが、それを抑え分配を断行したところに、この人物の凄さがある。モーセに劣らぬ英雄なのは明らかであろう。
 聖書における聖絶という残虐行為は現代と思想や道徳観が全く異なる古代の出来事にしても、その後の十字軍や新大陸での原住民大虐殺からも、その精神は受け継がれてきたと言っても過言ではない。日本人クリスチャンの中にも、ヨシュア記での神の偉業を讃える者もいる が、そのような“正直者”はむしろ喜ばしい。厄介なのは他宗教との友好を装うクリスチャンであり、彼らが何かと日本人及び社会を糾弾 したがるのは、己の宗教における異教徒へのジェノサイド教義や過去を隠蔽したい目的でもあるのかもしれない。

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
旧約聖書 (室長)
2009-09-20 16:55:00
 小生は聖書などを読んだり、研究したことは全くないので(お恥ずかしいですが)、ヨシュアについても、初めて知りました。
 その残虐行為の数々も、王たるものの政治行為として、またユダヤの歴史としては、神の名の下に行われた正しい行為として、記録されたのでしょう。ともかく紀元前の記録が、こうして残されていることは、凄いことに思える。
 異教徒の我々としては、昔栄えた地中海地域の歴史として読めばよいだけですが、色々考えると頭が痛くなりそうですね。
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なぜ? (スポンジ頭)
2009-09-20 17:42:30
ヨシュアがエリコを滅亡させた際は家畜まで虐殺対象になっていますが、当時のユダヤ人に物資が豊富にある筈もなく、褒美として生かしておいた方がよいと考えるのですが、どうでしょうか。もちろん徹底した破壊と殺害で恐怖を植え付け、周辺国家に対する抵抗力破壊を狙った物としてもおかしくないのですが、その後も戦闘が続いたようで、効果なし、と言う所でしょうか。民衆から出たであろう不満をヨシュアが抑えたのは見事です。
ユダヤ人であろうとなかろうと、当時の中東に生れなくてよかった。

そして、当時の処刑法の「石打ち」ですが、私は中東以外正規の処刑法としてこの種の方法を聞いたことがないので、やはり荒涼とした世界に生れた宗教だと思えます。大勢の人間に投げさせる事で、共同体としての結束も強める効果もあるのでしょう。
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Unknown (Mars)
2009-09-20 17:58:32
こんにちは、mugiさん。

ご紹介いただきました内容が、クリスチャンに言わせると、昔の話で、現在は違うと弁解するかもしれません。
しかし、クリスチャンの国:合衆国では、現在でもダーウィンの「進化論」は否定され、学校で教えることすら、許されていない所もあるとか。「進化論」を題材にした映画の公開が、直前で中止された合衆国で、現在は違うと弁解する事は、いかにも苦しいように思えます。
(非クリスチャンにとって、「神が人間を創った」されますが、「人間が神を創った」といえば、冒涜と声高に叫ぶのでしょうね(人間に限らず、多くの生物は、神ではなく、オスとメスの交尾・受精によって、生まれてくると思うのですが、、、))
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Re:旧約聖書 (mugi)
2009-09-20 22:18:25
>室長さん

 いかに紀元前の時代でも、旧約聖書にはかなり残酷でグロい話がありますよ。そして、誇張や粉飾があるにせよ、第一級の宗教文学を遺した所に、ユダヤの凄さがあります。困るのは、聖書に書いてあること全て真実と盲信している者も少なくないのです。だから現代のパレスチナ問題も、この土地は聖書に書かれている“約束の地”ゆえ、我々が住むのは神から命じられている…と解釈するユダヤ原理主義者もいますが、イスラム過激派といい勝負です。
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Re:なぜ? (mugi)
2009-09-20 22:19:18
>スポンジ頭さん

 私も家畜なら戦利品として略奪対象にしてもよかったと思いますが、個人の略奪をおおっぴらに認めてしまうと、戦闘意欲がなくなってしまうこともあるかもしれませんね。アカン以外にも結構多くのユダヤ人が戦利品をネコババしていたはずで、アイとの戦いではじめ敗北したのも、気の緩みもあった可能性もある。

「石打ち」ですが、アレキサンダー大王の母もこの処刑で殺害されています。古代ギリシアに元々あったのか不明ですが、オリエントと交易していたギリシアなので、「石打ち」が取り入れられたのかも。現代もイスラム圏の一部で姦通した女に対し、これが未だに行われているとか。皆で投げれば怖くない、のでしょうけど、死に至るまで時間がかかるから惨い。そのような公開処刑を行う所からすれば、これが当り前と思っているのでしょうか。
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キリストの教えを忘れただけ? (mugi)
2009-09-20 22:20:43
>こんばんは、Marsさん。

 仰るとおり、クリスチャンは聖書の虐殺行為は紀元前だから等と弁明したがりますが、その後も同じ行為が繰り返されています。それに対し、「キリストの教えを忘れただけだ」と拙劣な言い訳をしたがりますが、ならば欧米人クリスチャンにその台詞を言ってみろ、と言いたくなりますね。所詮ネズミみたいビクビク、何も言えない屈舐め連中も少なくないようだし。

 クリスチャンの中には一般日本人が西欧史やキリスト教史を学ぶのを嫌がる者もいますが、不都合な事実がバレるので当然でしょう。知識があるとモノが見えなくなる、日本人はアメリカを批判する資格はないなど、世迷言を言う者もいるし、このような類が言論封殺をやるタイプだと私は思います。
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Unknown (toMo)
2009-09-24 02:06:52
こんばんはmugiさん。

有名な黒人霊歌にジェリコの戦いという曲があります。
無論このエリコのことですが虐殺を歌った曲がどうしてスタンダードになったのか、不思議です。

ところでwikipediaの記述(エリコ、エリコ大虐殺)では戦い自体があったものなのかまだよく分からないようですね。
たとえ実際にやっていなかったとしてもヨシュアの手柄にしてしまうのはずるいよなぁと思いますが。
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聖絶願望 (mugi)
2009-09-24 21:44:00
>こんばんは、toMoさん。

 一般の日本人異教徒にはエリコ虐殺は非寛容な宗教戦争の典型としか感じられませんが、クリスチャンからすれば聖戦であり、堕落した異教徒を破った勝利の証なのでスタンダードになったのかもしれませんね。
 永井俊哉氏はHPで、「ユダヤ人の聖絶願望」と題して聖絶の興味深い分析をされていますが、以下はそこからの一部抜粋です。

-もっとも、考古学的な調査によると、『旧約聖書』に書かれているエリコやアイでのホロコーストは史実ではないようだ。しかし、それならば、『旧約聖書』での記述はさらに異様である。ユダヤ人は、わざわざ歴史を捏造して「自分たちは、こんなにすごいホロコーストをやったのだぞ」と誇示しているのである。実際には、ホロコーストをするだけの軍事力はなかったが、できればホロコーストをしたいという願望だけはあったということである。それでいて、ユダヤ人は、ナチスのホロコーストに対しては、厳しくその罪を糾弾し、今日に至るまで謝罪と賠償を要求し続けている…
http://www.nagaitosiya.com/r/old_testament.html
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作品への侮蔑 (hyd)
2011-10-07 15:30:42
hydです。こんにちわ。
クリスチャンって映画とかどう思ってるんでしょう?
ディズニーに限りませんが記事のように聖書を題材にしたり神父が登場する映画は沢山あります。
それでも以下のようなクリスチャンも当然いるわけです。

http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/197681936.html

聖書的でない作品は必要ないらしいです。
toMoさんへの返信コメントにあるようにそんな危なっかしい願望を堂々と乗せる書物的な内容のある映画を老若男女に向けて放映しろと?
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RE:作品への侮蔑 (mugi)
2011-10-07 21:47:17
>こんばんは、hydさん。

 クリスチャンも十人十色だし、多くのクリスチャンはディズニーも含め映画を楽しんでいると思います。しかし、あなたの紹介されたようなクリスチャンもいるし、この手合いは少数派であってほしいものです。自己紹介が「種別:キリスト狂」、狂信者と自ら言っている。

 確かにハリウッドを牛耳っているのはユダヤ系なのは知られていますが、この伝道師自身、かなりイルミナティ陰謀論にとり憑かれていますね。宇野正美氏やジョン・コールマン博士の著書を熱心に見ているらしく、彼らはユダヤ陰謀論者として知られている。キリスト狂になれば、反ユダヤ主義者への道まっしぐら?

「ただイエス・キリストのみが私たちを安全に導きます」と、件の管理人は書いていますが、イエスの有名な言葉はスルーですか。

-地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、剣を投げるために来たのである。私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲違いさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。私よりも、父または母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも、息子や娘を愛する身なのは、私にふさわしくない…(マタイによる福音書10章34-37節)
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