盤上の悪魔

囲碁、哲学(人間原理、相対主義、プラグマティズムとか)、ラノベなんかを中心にしてます。

囲碁NHK杯 本木克弥八段 VS 六浦雄太七段

2020年08月30日 18時16分43秒 | 囲碁
今日のNHK杯は本木克弥八段 VS 六浦雄太七段。

対局は、上辺で白の六浦七段が壁を作り、黒の本木八段が地をとっていく。

黒は下辺の模様を広げ、白は右辺の模様を広げるが黒はケイマから、断点を狙われてもどんどん右辺に踏み込んでいく。

お互い考慮時間の半分くらいを消費する戦いで、黒が右辺で2子を取ってつながり、利益を上げ、解説の潘善琪八段によると、黒悪くない結果とのこと。
しかし、白も右下の石が頑丈になり、さりげなく効かしてあった2子の白石を動き出していったのが厳しかったようだ。

黒も反発するが、石が切られて回りが白石ばかりの方向へ逃げ出すことになり、苦しい戦いに。

黒は開き直って、捨て石を使って左辺をすべて白に与えながらも、右辺の白大石と刺し違えに行く大胆な作戦に。

やや無理気味にみえたが、上辺の白石と右辺の白石を繋がらせながらも全体を切り離して眼形を奪い、白の六浦七段にもぼやきが出る。

しかし、白も黒石をでぎって切り離し、白の手数はかなり長い。

黒も必死の抵抗で、左上でコウに持ち込むが、コウ材は白が多く、白中押勝ち。

白が優勢ながらも、黒がギリギリの頑張りを見せ続けた面白い対局だった。

無責任な阿部政権の無責任な終わりだが・・・

2020年08月28日 21時07分14秒 | 投資
無責任な阿部政権が、新型コロナの危機下で唐突に首相辞任と、いかにもらしい無責任な終わり方をした。

日銀の国債引き受けによる、目先の円安と株高で企業の利益は大幅に増えたが、GDPの伸びや実質賃金は民主党時代と比べても見劣りする結果に終わった。

本来、将来に禍根を残す金融緩和で企業利益が増え、税収が増えているのだから、せめて借金のGDP比くらいは落としたいところだが、もちろんそんなことはこの政権にはできるはずもない。

後に残ったのは、悪化した財政の上に、日銀が引き受けた国債の対価として日銀当座預金に乗った膨大な借金だ。

もしこれを処理しようとしたら、金融緩和の逆の金融引き締めとなり、株価下落、円高、企業利益の悪化、税収の減少を生む。

また、歴代の自民政権の中でも群を抜いて無責任なこの政権のやり口が、目先の浅薄な支持を得たことは、将来にさらなる禍根を残したといえるかもしれない。

わずかな目先だけの、見かけ倒しに近い成果のために将来に大きな負の遺産をのこし、ほぼ日本の立て直しを不可能にしたと言っていい、この政権のなしたことは忘れるべきではないだろう。

今後の政権は、膨大な負の遺産により、格段に厳しいかじ取りを迫られるだろうし、安倍政権と同じように、無責任に目先の経済の見かけをよくしようという誘惑にかられるだろう。

正直、破綻を避けるのはもはや不可能だろうが、そのダメージを減らすためにできるだけのことはしてほしいところだ。

パーフェクトサークル 完璧性と完全性

2020年08月26日 21時27分06秒 | 哲学ネタ
数学的な円は半径だけで決定できるが、現実に描かれた円はそうはいかない。

細部を見れば、凸凹しており、線にも太さがあるため、どこを円周と考えるかによって、円周の長さも変わってくる。

例えば線の外側が円周だと考えるならば、線を大きく拡大すれば凸凹があるため、凸凹に沿って円周の長さを計測すれば、拡大すれば拡大するほど円周の長さは長くなる。

この現実の円を正確に記述しようとすれば、少なくとも膨大な情報量が必要になることは間違いない。

数学的な円は半径の情報さえわかれば、円のあらゆる情報を知ることができ、予想外の情報をそれ以上得ることはない。

それに対し、現実の円は細かく調べれば調べるほど、予想できない情報を無尽蔵に吐き出してくる。

完璧な円がごくわずかな情報しか持たないのに対し、現実の円が調べれば調べるほど、膨大な情報を生み出す、この性質を示す言葉はぱっと見当たらないが、とりあえず、完全性と呼んでおく。


真に完全性がある物は、どれほど細かく調べても、常に細部に予想外の情報が見つかる。

一方、完璧な円のように完全性のないものは、いくら細部を調べても何も追加の情報は得られない。


円形の輪は、上から圧力がかかると、真円からずれたゆがみのある所に力が集中し、潰れる。

輪を完全な円に近づければ近づけるほど、輪の圧力に対する強さは上がり、もし完璧な円にすることができれば、上からの圧力では潰れなくなる。

細部に傷のある、完全性のある円は、そこから壊れる、つまり変化する可能性をもつ。

一方完璧な円は、壊れることができず、変化の可能性を持たない。

完全性は多様な変化の可能性をもたらすといえる。


人間レベルのサイズから見た世界は、少なくともある程度の完全性を持つように見える。

しかし、量子力学が説明するミクロレベルの世界では、少なくとも通常の条件下では、物は限られた情報で完全に記述できるようだ。

この世界は原子レベルでは完全性を持たず、原子は、我々が経験する疑似的な完全性をもつ物よりも、完璧な円に近い存在だといえる。

人間のサイズから見た場合、疑似的にせよ完全性のあるものしか経験しないにもかかわらず、我々の思考が、原子レベルの完全性のないものの方が扱いやすいというのは興味深いといえる。

いずれにしても、この完全性という、世界の見方の一つは、新しい視点をもたらしてくれそうだ。

囲碁NHK杯 鈴木伸二七段 VS 洪爽義三段

2020年08月23日 22時00分36秒 | 囲碁
今日のNHK杯は鈴木伸二七段 VS 洪爽義三段。

対局が始まって早々、上辺で白の洪三段が黒の鈴木七段の隙をつき、黒の壁にへばりついた白石を利用して黒三子を分断し、取りに行く。

黒も切りをいれてどうにか白の薄みをつきしのごうともがくが、白がするどい読みをみせ、もがいて増えた黒石を全部取ってしまう。

これは黒投了か、と思ったが、黒もうまく白のダメをつめ、怪しい雰囲気になってくる。

白も受ければ手はないけれど、あえて受けずに左辺を打つと、黒が上辺抜きからダメ詰まりをとがめてコウにしてしまう。

コウは白が勝つが、右辺白地に黒に潜り込まれて分断され、上側に手入れが必要になり、右下の白石の攻めを狙われて、解説の首藤八段によると、形勢はわけがわからないが、黒を持ちたいと、逆転模様。

さらに黒は左下の白棒石を攻めにかかる。

白も正面から動き出すが、取られても不思議はないかなり危険な状況に。

どうにか振り替わりで右の黒の大石をとるが、碁盤左下四分の一近くがぼっこりと黒地になり、さすがに黒の優勢がはっきりしたかに見えた。

しかしながら、白が下辺黒を攻めてから、黒地のなかで一間に飛んでみると、ダメ詰まりではっきり手が生じ、白の花見コウに。

100目を超える花見コウとあっては黒もどうしようもなく白中押勝ち。

今季NHK杯の中でも屈指の闇試合をするどい踏み込みを見せ続けた洪三段が制した。

冒険者という職業が成り立たない数学的な理由

2020年08月19日 23時27分57秒 | Weblog
ハンター確保でクマ被害防止を!猟銃の訓練施設が完成 秋田・由利本荘市 秋田テレビ


以前、年30頭をしとめるという熊撃ちの名人の記事をどこかで読んだことがあったが、これは2週間に1頭以上熊をしとめているということになる。

熊は60kmの速度で走り、木も登るので、ヘッドショットで撃ち殺さないと危険とのこと。

もし、熊を仕留めそこね、反撃で死傷する確率が1%でもあるなら、30回熊を撃とうとして死傷する確率は27%、四分の一を超える。

つまり、4年後までこの名人が生き残っている確率は15%にすぎないことになる。


実際は撃ち損ねてもほとんどのケースで熊は逃げるだろうが、この名人の対熊の勝率は、相当高くないと危険な橋を渡っていることになる。

仮に勝率が99.99%だと年間の死傷率が0.3%、10年熊撃ちを続けて3%程度の死傷率なら、どうにか許容範囲だろうか。

つまり、命の危険のある戦いを生業にするには、相当勝率が高いか、戦いの頻度がかなり低いかのどちらかでないと割に合わないといえる。


ゲームや小説のなかの冒険者は、ダンジョンにもぐり、未知の多様な環境下、敵を先に発見できるとも限らない状況で、1日に何度も戦闘を行ったりする。

そのような状況下で勝率99.99%など達成しようもないし、年1000回近い戦闘をこなすとなれば、仮に勝率が99%だとすると、1年後には2000人に一人の冒険者しか生き残っていないことになる。

いかに命が軽い世界だとしても、これでは職業としては成り立たないだろう。

命を賭けた戦いなど、いくら勝率が高くても、月に数回が限度というわけだ。

囲碁NHK杯 上野愛咲美女流本因坊 VS 志田達哉八段

2020年08月16日 21時08分11秒 | 囲碁
今日のNHK杯は上野愛咲美女流本因坊 VS 志田達哉八段。

志田八段は、NHK杯で決勝まで進出したこともあり、一見相手の言う事を聞いてばかりの無理をしない手ばかり打つが、よく見ると形勢は悪くないという不思議な棋風だ。

対局中は、常に苦しそうに見えるが、本当に失敗すると、むしろうれしそうに見えてくる不思議な人だ。

対する上野女流本因坊は言わずと知れた最も注目を集める女性棋士。

接近戦での破壊力は、ハンマーの異名がつくほどだ。

解説の大西竜平五段によると、AIを使いこなすのが得意で、AIがわけのわからない手を打ってくると、えーっ、と声を下げるのではなく、わあっと声を上げるのだという。

わからない、が楽しいのなら、努力も楽しいだろう、そこに才能を感じるとの事。


対局は、上辺白の勢力圏で黒の上野女流本因坊が、さっそく無理気味にも見える踏みこみを見せる。

白の勢力圏でのしのぎだが、黒は右辺で頑張った上で、少し手筋みたいな感じのツケで綺麗に脱出していい勝負になったみたいとのこと。

しかし、白も落ち着いた手で無理せずバランスよく打ち進め、黒に戦いに引きずり込む隙をあたえず、ほぼ互角の形勢に。

中央で白がケイマからコスんで右辺の黒地を消しに行ったところで、黒が中央オオゲイマから右辺を当て込んでダメをつめたのが、いかにもな狙いのある手だったようで、解説の大西五段もああっ、これはすっごい手ですね、これは・・・と驚きの声を上げる。

大西五段によると、中央の石を狙っており、受けたら突然ハンマーが出た可能性もあるとのことで、白も慎重に中央をまもり、黒の出に引いてかわし、大西五段も(ハンマーに)気をつけてるかもしれないですね、とのこと。

しかし、やや白の形が薄くなったところに黒の押しからハネのうまいヨセが決まり、黒先手で打たれそうだった1線のハネまで決めて、黒がわずかに優勢に。

大西五段によると、自分だったら黒が1目半勝っていると思って打つ、とのこと。

白も粘り強く寄せるが、黒が右上のコウを仕掛けてみると、なかなかコウに勝てない状況で、白がコウを譲ったうえに、黒から手を抜かれてもまだコウに勝てず、黒はっきり勝ちの形勢に。

最後は志田八段も動揺したのか、凡ミスで数目損をして黒中押勝ち。

上野女流本因坊は、三村九段、志田八段とNHK杯で実績のある手ごわい相手を続けて危なげなく下し、3回戦進出、期待以上の力をみせた。

神がサイコロを振らない世界は高くつく?

2020年08月13日 20時52分08秒 | ランダム性、偶然、因果関係
エヴェレットの多世界解釈 ウィキペディア

量子論の解釈の中に、多世界解釈というものがある。

これは、真にランダムな過程でAかBかどちらかがおきる場合、Aが起きる世界とBが起きる世界に分岐し、両方の世界が存在するという解釈だ。

これはあらゆる量子レベルの過程で起きるので、それこそ膨大な組み合わせ論的な分岐と膨大な世界が存在することになるが、そんな事は気にしないという態度だ。

この解釈の利点は、完全に静的、決定論的な構造として世界を記述できるという点にある。

あらゆる可能な世界はすべて存在し、確率が高い世界はそれだけたくさん存在することになるだけだ。

すべての分岐は数学的に完全に記述でき、真のランダム性を完全に排除できる。

つまり、神がサイコロを振らない世界というわけだ。


ただし、じゃあなんで我々はこの世界にいて別の可能な世界にいないの?別な世界じゃなくて、この世界なのはやはり偶然じゃないの?という疑問が湧いてくるかもしれない。

しかし、物理学者のなかには、今現在というものは存在しない、それはただの錯覚だ、と考える人もいるくらいなので、今まさにこの世界にいるというのも錯覚ということになるのだろう。

つまり本当に存在しているのは、分岐点でつながる無数の多世界という完全に静的な構造で、個々の世界にいる知的な生き物が存在するのは今ここの世界のみだと考えるのはすべて錯覚だというわけだ。

いずれにしてもこの解釈を採用するなら真のランダム性は存在しないということになる。

お互いに観測できない無数の世界という、まさに異常なほどの贅沢なコストを支払ってまで排除したくなるという点から見ても、真のランダム性はかなり問題をはらんだ概念だということがわかるだろう。

一から設計する新しい仕事の方が機械化しやすい?

2020年08月10日 21時14分08秒 | Weblog
過去において機械化により、多くの雇用が失われてきたが、それ以上に仕事は生み出され、雇用は維持されてきた。

その歴史を考えると、これからも人口知能の能力が上がり、多くの雇用が失われても、それ以上に仕事は生み出され、雇用は維持されるだろうという主張がある。

しかし、これは、新しく生み出された仕事の多くは最初からコンピュータに奪われているという点を見落としているのではないか。


グーグルにしろ、フェイスブックにしろ、新しいサービスを提供するための膨大な仕事を生み出したのは間違いないが、そのほとんどはコンピュータがになっており、生み出した人間の雇用は微々たるものだ。

新しいサービスや製品を生み出そうとする起業家は、それらのサービスや製品のために必要な作業を機械化できれば、大きな利益を得る。

非常に安いコストで大量に供給でき、高い競争力を期待できるため、可能な限り機械化を進める強いインセンティブがある。

また、仕事をコンピュータが導入しやすいように、一から設計できる新しいサービスや製品のほうが、すでに人間がやりやすいやり方で行われている既存の仕事よりもかなり機械化しやすいといえる。

恐らくすでに新しく生み出される仕事のうちコンピュータが行う仕事の比率は急上昇しているだろうが、これから人工知能の能力が上がるにつれその比率はさらに上がるだろう。

むしろ、既存の雇用がコンピュータに奪われるより、新しい仕事がコンピュータに奪われる比率のほうが高いだろうと予測できる。

新しい仕事に雇用維持への過大な期待を寄せるのは、あまり現実的とは言えそうにない。

囲碁NHK杯 鶴田淳志八段 VS 本木克弥八段

2020年08月09日 21時38分27秒 | 囲碁
今日のNHK杯は鶴山淳志八段 VS 本木克弥八段。

対局は黒の鶴山八段が、左辺と右辺の辺の星に構える大きな構えをみせ、白の本木八段が隅の地を取る展開。

なんとなくいつもよりテンション低めの解説の金秀俊九段によると、AIは地をとってしのぐ傾向が強く、本木八段も影響を受けているのか地を取ることが多くなってきたとのこと。

白左辺への打ち込みに、黒も上辺へ掛けた石を犠牲にして壁をつくり、白の打ち込んだ石を取り込む。

しかし、その後白は下辺下への打ち込みからの攻防で、取られた石をうまく利用し、復活させたうえで左辺黒へ後手生きを強いる。

中央に白が先着し、中央2つに切られた黒石が両方危険で、はっきり白優勢に。

黒は取られそうな下の方の黒石も引っ張りだそうとするが、白も外から包囲しに行き苦しい展開。

しかし、白強引に切りに行った手がうまくいかず、右辺の攻め合いで黒が勝ち、黒の大石は右辺で地を作りながら生還する。

黒はポイントを挙げたが、今度は中央の石が動けなくなり、金九段によると白地が多く白優勢とのこと。

黒も上辺の白石を攻めて逆転の機会をうかがうが、むしろ白石のほうがのさばってきてあちこち黒は切れまくり、最後は中央にぽっかり白地が出来た上に上辺の黒石の生きすら怪しくなり、地も足りなくて白中押勝ち。

本木八段が的確に優勢を広げ、完勝に近い対局だった。

一般的には不可逆な真のランダム過程

2020年08月06日 21時48分18秒 | ランダム性、偶然、因果関係
数学はサイコロをふらない 真のランダム性とはなにか 続き


真のランダム過程では、入力が全く同じであらゆる条件が同じでも、出力が全く因果関係がなく、AだったりBだったりする。

これは逆にいえば、一般的には、出力情報から、入力情報を再現することもできないことを意味する。

例えば入力がAなら、出力がAかB、入力がBでも出力AかBの過程なら、出力がAでもBでも入力がAであることもBであることもありえ、また、因果関係がないため、出力から入力を一意的にたどることもできない。

つまり、真のランダム過程は不可逆的な過程といえ、可逆的な過程は真のランダム過程ではないともいえる。

ただし、入力から出力はランダムに決まっても、出力から入力は一つに決まるというケースも想定できないわけではない。

サイコロを振るたびに枝分かれする系統樹のようなケースで、これは一般的な真のランダム過程のなかの非常に特殊なケースといえる。

2分の1の賭けに負け、電子と電流が逆向きに流れる世界に生きることになった人類

2020年08月05日 22時27分27秒 | Weblog
遺伝の法則「優性・劣性」変更を 誤解招くと学術会議 朝日新聞デジタル

優性遺伝子、劣性遺伝子は、同時に両方の遺伝子を持った際に、どちらの遺伝子の性質が現れるかというだけのことだ。

しかし、この優劣という言葉に引っ張られ、優れている遺伝子、劣っている遺伝子と勘違いして使用する例がかなり多い。

そもそも進化論を理解する上では、優れている、劣っているという概念は不要といえ、むしろ理解を阻害しかねない。

その意味でも、日本学術会議の「優性・劣性」をより分かりやすい「顕性・潜性」に変えようという努力は称賛するべきだろう。


この手の、最初につけられた名前や定義が不適切で、話がややこしくなり、理解を困難にする例というのは、あちこちにみられるが、一番ひどいのが電流の流れと電子の流れが逆、というのだろう。

昔の科学者が、たいして考えもせず、電流を正電荷の流れと定義してしまったために、電子が発見されて以降電磁気学を学ぶ学生はすべてこのややこしい切り替えを強いられている。

また、恐らくこれに関して、多くの分野で、不必要な思考時間と、電流と電子の流れが同じなら起きなかっただろう無数のミスが起きてきたし、今後も起き続けるだろう。

目立ちはしないが不快なコストが延々とかかっており、今後もかかり続けていく。

しかし、これを切り変えようとした場合にかかるコストと混乱は大きなものになるため、結局放置され続けることになる。

ほとんどの人は、この手の些細だが不快な不合理についてはあきらめをもって受け入れているだろう。

しかし、だからこそ今回の日本学術会議の英断が輝いて見えるといえるかもしれない。

輪郭線は脳の仮想映像 強調表現が絵の本質であるわけ

2020年08月03日 21時46分53秒 | Weblog
脳は簡単にだまされる! あり得ないことが起きる「錯視」の不思議な世界 / 『トリック・クラフトBOOK』 Rocket NEWS


我々が見る映像は、我々の脳が重要な情報を強調し、調節した、処理済みの映像だ。

錯視は、その人間の脳の視覚処理を自覚させてくれる。

20世紀、コンピュータに映像を認識させようとしたときに、映像のなかの物体を識別することが意外にも困難であることが分かった。

我々がものを見るときは輪郭線がはっきり見え、輪郭線で囲まれたものを識別することはごく容易だ。

しかし、この輪郭線、実は素の視覚データには存在しないのだ。

はっきり見える輪郭線は、脳が作り出した追加的な仮想データというわけだ。

従って、輪郭線を使って線描する、絵画、マンガなどは脳の特徴に合わせた極端な誇張表現であるともいえる。

これら、脳が自動的に行う画像処理、強調表現は無数に存在し、絵画や漫画を現実の画像データからそのままトレースすると、その印象は現実の画像データからかけ離れたものになってしまう。

従って、画家や漫画家は意識的にしろ、無意識的にしろ、脳の自動的な強調表現に合わせて描かれる絵を調整、強調し、自然な印象を与えるように調節することになる。

つまり、これらの強調表現は人間が絵を描くということの本質であり、強調表現であるから、という理由でこれらの表現を排除するのは、絵自体を排除するのに等しい。

これを平然と行ったのが「宇崎ちゃん献血ポスター」批判である。

無論、一部の表現が、深刻な女性差別だったり、女性の「生き方すらゆがめてしまう」ならば、批判、排除されても仕方ないだろう。

しかし、ある特定の表現を公共の場から排除しようとする以上、なぜそれが女性差別なのか、「生き方すらゆがめてしまう」と主張する根拠はどこにあるのか、批判する側が説明する必要があるのは当然だろう。

これらの説明を全くおこなわず、説明など必要なく、問題ある表現であることは明らか、主催者にクレームをつければいい、と「宇崎ちゃん献血ポスター」を批判する人達は、まさに悪質クレーマーっぷりを見せつけたといえる。

こういったやり口がまかりとおるようでは、自由な表現そのものができなくなるのではないか、と危機感すら覚える。

囲碁NHK杯 黄翊祖九段 VS 原正和三段

2020年08月02日 20時43分03秒 | 囲碁
今日のNHK杯は黄翊祖九段 VS 原正和三段。

黄翊祖九段は、かつて最年少でリーグ入りした、童顔の才気あふれる少年だったころを覚えているが、いつのまにかすっかり髪も薄くなり、ベテランの域に入りつつある。

対局は、左上で、黒の黄九段が断点を守らずに手を抜いた所を白の原三段が直接除いて仕掛けていく。

黒も隅へのハネからしのぎにいくが、白が通常の隅からではなく、辺に切り込んだのがするどい手で、黒もギリギリのしのぎを見せるが先手が白に回って、解説の三村九段によると、白満足とのこと。

右下隅でも、白が黒をバラバラにして小さく生かし、はっきり白優勢に。

その後も黄九段が、どうにか逆転のチャンスを作ろうと薄くなりながらも頑張ろうとするが、白も固く打ちつつも反撃し、黒が一方的にボロボロになる展開に。

最後は左辺の黒大石がコウになってしまい、白中押勝ち。

黄九段にしては、失敗の多い不本意な一局になってしまった。