最近、Googleの自動翻訳を使ったところ、その能力の向上っぷりに驚いてしまった。
話には聞いていたが実際にやってみると衝撃的だ。
Lettuce is “over three times worse in greenhouse gas emissions than eating bacon”, according to researchers from the Carnegie Mellon University who analysed the impact per calorie of different foods in terms of energy cost, water use and emissions.
例えば、この文を翻訳させると、
レタスは、温室効果ガスの排出量がベーコンを食べるより3倍以上悪化していると、カーネギーメロン大学の研究者はエネルギーコスト、水使用量、排出量などの異なる食品のカロリーあたりの影響を分析した
この文になる。
普通に日本語として読めるし、意味もとれる。
不自然な所もほとんどない。
囲碁で言えば、プロには勝てないものの、ほとんどのアマが一生かけて到達できる強さを超えている、というところだろうか。
今はケチをつけるところがないわけではないだろうが、囲碁がそうだったように、10年後にはプロレベルになっていたとしても不思議はなさそうだ。
以前は難題とみられていた音声認識も今や実用に耐えるレベルになっており、本当に英語のいらない世界が到来しつつあるのかもしれない。
そうなると、気になるのが英語学習の行方である。
今や、もっとも実用的で、グローバルに活躍するためにはなくてはならない、と見なされている英語だが、少なくとも実務上の必要性がかなり低下するのは避けられないだろう。
我々は子供に、スマホを使えば、簡単にできるようなことを、なぜ10年以上かけて苦労して覚えなくてはいけないのか、と問われたときにどう答えるべきだろうか。
「学校では勉強することが要求され、勉強ができる人間が評価される。
自分が今いる場所で求められていることを、やりたくないから、必要性がよくわからないからといってやらない人間は、社会に出てからも使い物にならない。
必ずしも理由が明確でなくても、求められたことをやり抜く能力を磨き、その能力を証明するために勉強するのだ。」
みたいなプラグマティックな説明はできるだろうが、とても前向きになれるような答えとは言えないだろう。
ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」に、言語学習に多少は前向きになれる理由が載っている。
それによると、2つの言語を習得しているグループは、1つの言語しかしゃべれないグループよりも、複雑な状況でややこしい要求をクリアする、実行機能がすぐれているという。
また、アルツハイマー病を発症する年齢が4、5年遅れるという研究もあるという。
要するに言語学習は、知能を鍛え、認知症を予防する効果がある、というわけだ。(なんとなく囲碁の宣伝文句を思い出してしまうが)
どんな分野を勉強したところで、人工知能に追い越される恐れがある以上、割り切って実用性とは無関係に語学を重視し続けるというのも一つの方法かもしれない。