旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

辞典

2015年12月31日 23時22分41秒 | Weblog

4、5日前に注文していたカウンセリングの辞典と大事典が昨日、今日と相次いで自宅に届いた。これで今年は買い納めだ。買い揃えたカウンセリング辞典3冊でじっくりと基本ターム(語)の定義を確認する(わたしは心理学関係には門外漢なのだ。)。学ぼうとする姿勢があれば専門用語の辞典は重宝だ。辞書代わりから習熟度の確認まで様々な形で利用できる。なにしろ辞典に当たるのが楽しくて仕方ない。今日届いた氏原寛他監修の「カウンセリング辞典」を読んでいるうちに新年が明けた。『みなさま、明けましておめでとうございます。』


ナラティブ・セラピー 論理療法

2015年12月27日 21時22分02秒 | Weblog

明日は「仕事納め」だ。「仕事納め」に向けて準備を進めなければならない仕事を残していないので、この数週間は仕事が引けたら就職支援のためのスキルを磨くことに努力を傾けてきた。特に論理療法とナラティブ・セラピーについて気にかかることがある。サビカスの「キャリア理論」と小森・野口・野村編「ナラティブ・セラピーの世界」、エリスの弟子筋に当たるドライデンの「論理療法入門」を注意深く読み込んだ。さらに、この春に買った國分康孝編「カウンセリング辞典」に加えて、一昨日、新たに氏原邦夫編「カウンセリング辞典」と小林司編「カウンセリング大事典」の2冊をamazonに注文した。門外漢が専門領域に入る際には入門書よりもむしろ辞典が強力な助っ人になる。


大陸と海洋の起源

2015年12月26日 20時07分43秒 | Weblog

昼下がりのブックオフに行った。正月に読む本の品定めが目的だ。2、3年前から気にかかっていた岩波文庫がある。ヴェーゲナー著「大陸と海洋の起源」上・下とヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」の2著3冊だ。たまたま3冊とも揃っていたので、岩波現代文庫コーナーで見つけた「芭蕉・蕪村」と併せて買い求めた。世界地図を眺めたら誰でも気がつきそうなものだが、ほとんどの人は気がつかなかった。ごく少数の者は気がついても、地球物理学・古生物学・古気候学・地質学等の広い分野の夥しい資料を駆使して検証するまでには至らなかった。「はじめ地球には一つの大陸しかなかった。その後この大陸が次第に分裂し、移動して、現在の各大陸がつくられた。」という大陸移動説は、それまでの地球観を覆すひとつの革命だった。「大陸と海洋の起源」は1929年に刊行された第4版(初版は1915年)の完訳だ。「論理哲学論考」は、ヴィトゲンシシュタインが生前に刊行した唯一の哲学書だ。かれは「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない。」と序論で述べている。数年前から蕪村の句を読み、かれの人物を味あうことが私のささやかな趣味になっている。蕪村に関わる著作で安価なら目を通したうえでとにかく買い進む。「芭蕉・蕪村」を買ったのはその一貫だ。


LEDとテーブル

2015年12月24日 07時32分19秒 | Weblog

わが書斎・ダイニング・床の間がある和室・納戸にLEDの照明を取り付けた。明るさの調整ができるし、オレンジ系から青系まで照明色の色調を変えることもできる。懐具合で購入が伸びていた新しい照明の登場に小躍りしている。愛車プリウスもLED使用だから久しぶりに文明の恩恵にどっぷりとつかったような心地すらする。この日曜には注文したテーブルが届く。年末に壁と床を磨き上げ、庭の雑草をむしり終えると新年を迎える準備が整う


冬至の食べ物

2015年12月21日 20時04分41秒 | Weblog

運盛りと冬至の七種(ななくさ)
冬至は陽の気が強くなりはじめる日ということから運気も上昇しはじめる日とされ、その日にもっと「運」をつけるため名前に「ん」のつくものを食べる「運盛り」という風習があります。とくに、南瓜(な)=カボチャ・蓮根(れ)・人参(に)・銀杏(ぎ)・金柑(き)・寒天(か)・饂飩(う)=うどんの7種類は、名前に「ん」が2つづつ含まれていることから「冬至の七種(ななくさ)」といいます。談ですがカボチャは英語でもパプキで「ん」が2つつきますね。(以上、ネット検索してコピペ)

「冬至の七種」は好物揃いだ。鶏肉や昆布を出汁にして南瓜・蓮根・人参・銀杏を醤油か味噌味で煮つけて4種の運盛りを食べ、煮汁に狐饂飩(きつねうどん)をいれ腹を満たす。寒天と金柑の甘露煮をデザートに持って来れば、一挙に7種の随分贅沢な運盛りになる。こうして、明日の晩餐の献立はあっけなく決まった。

 


照明

2015年12月21日 19時42分10秒 | Weblog

15、6年ぶりになる。床の間がある和室・書斎と居間・玄関の照明を取り替えることにした。いずれもLEDなので照明の色あいを数通りに変化させることができるし、明るさも調整できる。昼間はよく日が射すのでどーってことないのだが、夜の照明は暗めだ。快気祝いを兼ねて奮発して長い夜を明るく過ごすことにした。


リセット

2015年12月19日 17時57分40秒 | Weblog

今年は私の体に3つの災いが降って湧いた。年初に脳卒中、晩秋に肺炎、年末に下血を体験して慄いた。下血については昨日、胃カメラ・大腸内視鏡検査の結果、直腸より先からの出血という診断をもらって安堵した。肺炎は、年明けの血液検査で完治が確認できる見通しだ。脳内出血は、後遺症がないままで現在に至っている。最近の血圧は発症時の3分の2あたりで安定している。卒中が再発する可能性は、病院によると4%(意味・定義は不明)以下にとどまる。今年は脳卒中で2か月、肺炎で2週間、下血で2日学校を休んだ。修業が足りないと思う。もっと体を労わらなければならない。年内に体のリセットを済ませて、来年は健康な心と体で仕事に励む。


さすらい

2015年12月18日 22時34分08秒 | Weblog

わたしは自由を夢みる者
海のない帆船の船長
ある場所を探し求めて生きている者
年齢のないひとつの時代のドン・キホーテ
わたしは本物の人たちが好き
ボヘミアン 詩人 宿無し みんなわたし
わたしは平穏な人生が送れない沈黙の歌い手
どこへ行ってもスペイン人であろうとする

わたしの想い姫ドゥルシネア きみはどこに
きみの愛はたやすくは見つからない
どの女にもわたしはきみの顔を見ようとした
いくども夢をみたけれど
いつでもきみの愛を夢みていた

わたしはワインとパンのひとかけらで幸福
それはもちろんキャビアとシャンペンでもよい
わたしは平安に生きられないあの放浪者
無に満足する 全部にも それ以上にも満足
わたしはすぐ逃げてしまう時がこわい
おしゃべりなひと ひとこと多い人がこわい
わたしは更にかなたの世界から来たのだ
年齢のない ひとつの時代のドン・キホーテ

                                 フリオ・イグレシアス 作詞


Quijote

2015年12月17日 19時53分45秒 | Weblog

Soy de aquellos que suean con la libertad,
capitn de un velero que no tiene mar.
Soy de aquellos que viven buscando un lugar.
Soy Quijote de un tiempo que no tiene edad.
Y me gustan las gentes que son de verdad.
Ser bohemio, poeta y ser golfo me va.
Soy cantor de silencios que no vive en paz,
que presume de ser espaol por donde va.
Estribillo:
Y mi Dulcinea, dnde estars?,
que tu amor no es fcil de encontrar.
Y se ve tu cara en cada mujer,
tantas veces yo so que soaba tu querer.
Soy feliz con un vino y un trozo de pan,
y, tambin, como no, con caviar y champn.
Soy aquel vagabundo que no vive en paz,
me conformo con nada, con todo y con ms.
Tengo miedo del tiempo que fcil se va,
de las gentes que hablan, que opinan de ms,
y es que vengo de un mundo que es ms alla,
soy Quijote de un tiempo que no tiene edad.
Estribillo x 2
  


帝国ホテル 土光敏夫

2015年12月14日 07時16分21秒 | Weblog

1ヵ月後には実技面接があるにしても、技能検定の受検勉強からひとまず解放されたので今日は、受検の帰りにフタバ図書「メガ」に寄って本を物色した。ずらりと並んだ書棚から、村松友視著「帝国ホテルの不思議」、出町譲著「清貧と復興 土光敏夫 100の言葉」、金子哲雄著「僕の死に方」の3冊を買った。大阪・東京の帝国ホテルには共に数度宿泊したことがある。さらに泊まってみたいホテルだ。土光敏夫の言葉は骨太だ。


技能検定

2015年12月13日 19時31分09秒 | Weblog

技能検定の論述実技が今日終わった。1時間の論述試験だ。前回の学科試験は正解の公表があるので数日して合格を確認することができた。控えた回答をもとに計算した点数は発表時に送られてきた点数と見事に一致していた。今回の論述には正解の模範答案がない。そもそも正解がない性質の論述だ。それでも確かな手応えを感じた。合格線をかなり上回ったのじゃないかという自負がある。(悲しいことに採点は私がやるのではなくて検定委員がするのだというオチがつくのだが・・・。)2か月前に体調を崩して受検を諦めかかった。検定に挑むことがクライエントに対するサービスの質の向上につながる。1週前に風邪をひいた。それでもここ数日は気力で体調の回復を図り今日はベストの状態で検定に臨むことができた。合否はともかく論述の出来栄えに満足している。


ゆく秋

2015年12月10日 07時25分54秒 | Weblog

先週、皮をむいてベランダに吊るした渋柿が黒ずんで賞味時期を迎えた。逸(はや)る心を抑えながら、うち一つを縄からとって包丁で4分してから皿に移し、庭の秋を眺めながら味わった。欲を言えば、庭に祇園坊の木があって、毎秋、熟し具合を眺めながら、ここぞという頃合いを見計らって柿をもいで(とって)干し柿の準備をしたいところだが、あいにく洋風のわが家の庭に祇園坊では、景観を損ねる。干し柿の一部で柿羊羹をつくり、残りはもっともっと干して正月にゆっくりと味わう。


修業 プログラミング

2015年12月07日 19時50分48秒 | Weblog

修業完成者は告げた、 『 もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。 』 と。恐れていた症状が現れたと思い落ち込んだ1週間が過ぎて、2・3日前に原因が明らかになった。病ではなくて傷が原因だった。病気の症状ではなくて単なる外傷だったというわけだ。実際に起こってもいないことについてあれこれ妄想を逞しくして悩むようでは、まだまだ修行が足りないと思う。体力・気力が落ちて、しばらく読書から遠ざかっていた。久しぶりに訪れたフタバ図書 『 ギガ 』 で「教養としてのプログラミング講座」(中公新書ラクレ)を買った。『 物言わぬ機械とコミュニケーションする手段、「プログラミング」。コンピュータが隆盛を極めた今、もはやそれは必須の「教養」だ。ジュブズやゲイツ、現在の成功者はどんな世界を見ているのか? 』 (表裏表紙から抜粋)