旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

好きな髪形

2006年10月30日 23時13分35秒 | Weblog
慎太郎刈り


昭和31年ごろ、小説「太陽の季節」の作者、石原慎太郎氏がはじめたヘア・スタイルが一部の若者達に流行してできた髪型の名称である。スポーツ刈りの変形で、普通のスポーツ刈りやGIカットのように前髪を短く刈りそろえないで、額に垂らしておくというもの。


終戦の詔勅 (玉音放送)

2006年10月30日 22時36分15秒 | Weblog
 


朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

 抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措カサル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 
 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ

  御 名 御 璽

  昭和二十年八月十四日
                                各国務大臣副署


「禅学への道」 鈴木大拙

2006年10月28日 23時29分18秒 | Weblog



鈴木大拙によって英文で書かれた An Introduction to Zen Buddhism の和訳である。

”Buddhism in the course of development has completed a form which distinguishes itself from so-called primitive or original type ,so greatly ,indeed, that we are justified in emphasizing its histrical division into two schools,Hinayama and Mahayama,or the LesserVehicle and the Greater Vehicle of salvation.”という書き出しである。

「仏教はその発展につれて、いわゆる原始仏教或いは根本仏教と異なるひとつの形式を作りあげた。その相違はいかにも判然たるものであって、われわれが仏教の大乗・小乗二派への歴史的分裂を重視するのも当然といわなければならぬ。」 坂本弘 訳

この鈴木大拙は「教行信証」を英訳しているという。ぜひ英文で読んでみたいものである。

硫黄島の玉砕

2006年10月25日 22時24分44秒 | Weblog



昭和20年2月6日、台湾・沖縄方面の戦況悪化にともない、大本営は硫黄島の守備隊員を見殺しにすることを決定した。

2月16日、米軍が硫黄島に総攻撃を開始した。3日間で叩き込まれた爆弾120トン、ロケット弾2250発、海からの砲弾38500発。
2月26日、第28連隊の海兵が、早朝擂鉢山に大きな星条旗を押し立てた。

総司令官栗林中将は、水際に兵をはりつけて敵の撃退を図るとか、夜間切り込み、バンザイ突撃をさせなかった。地下陣地に立てこもって、ひたすら持久戦に持ち込んだ。気温40度以上、食料、水はないに等しい絶望的な地下壕内で将兵たちは抗戦した。

3月15日、硫黄島全土に星条旗が翻った。

3月16日、栗林中将、1兵の救援もよこさなかった大本営に決別の電文を送る。電文の最後に「終リ左記駄作御笑覧ニ供ス」とあり、三首の和歌が書き添えられていた。うち二首。

国のため重きつとめを果たし得で 
矢弾尽き果て散るぞ悲しき

仇討たで野辺には朽ちじ吾は又
七度生まれて矛を執らむぞ

米軍の兵力は6万人、対する日本の守備隊約2万人は壊滅状態。

3月17日、栗林中将を大将に親任。(親任を伝える方策なし。)
3月26日未明、残存兵が最後の突撃。栗林自身も白だすきを肩にかけ、軍刀をかざし「進め、進め・・・。」と先頭に立った。

日本軍の損害は戦死約19900名、負傷して動けなくなった戦傷捕虜約1000名。米軍は戦死6821名、戦傷21865名。太平洋戦争で反攻を開始した後、米軍の死傷者が日本軍を上回ったのはこの硫黄島の戦いのみである。

硫黄島は、北東の端から南東の端まで最長8.3キロメートル、面積約20平方キロメートル、周囲が22キロメートルの小島。

「栗林忠道 硫黄島からの手紙」の解説をした半藤一利による。


涙がとまらなかった。硫黄島だけではない、日本の将兵たちはこのような犬死を、ただ繰り返したのだ・・・。

小旅行

2006年10月23日 23時35分19秒 | Weblog
ヘルペスで全滅かと思われたお堀の鯉たちはよく肥えて元気そうだった。やはり丸々と太った錦鯉がいないと津和野はさびしい。みやげものやでは、竹で編まれたペン置きが目についた。和紙に防水処理をほどこした受け部分はあでやかだ。その中で紺と金をベースにしたものを選んだ。みやげものやの喫茶室から通りが見える。コーヒーをのみながら通りを眺めた。外国人の姿が目だった。

須佐町に抜けてから、フォルンフェルストを展望した。横縞の石の壁はさながら自然の造形だ。しかし訪れるたびにスケールが小さくなってゆくような気がする。慣れのなせる業か気のせいか?道の駅で葉大根と銀杏をたっぷりと買ってから島根県を後にした。女友達はピーマンを買っていた。まるで粉砕機のようなジューサーにいろんな野菜を混ぜてかける、そして飲むことに熱中しているのだそうだ。

そうそう旅の途中で、食事とは別に熟柿を4個に大判焼きを2個食べた。天高く、はやと肥える秋。

シャンソン

2006年10月22日 00時16分01秒 | Weblog
全日空ホテルのサパーコンサートでシャンソンを聴いた。ラウンジで開かれたコンサートなので音響が悪いことを知っている。さほど期待はしていなかった。ビアノの伴奏でシャンソン歌手がひとりで歌った。暗く沈んだ声は意外にこころに響く。すべて日本語で歌ってくれるので歌詞もわかりやすい。

ラウンジを見渡すと、わたしと同世代の女性が目立つ。5~60人のうちで男性は10人にも満たない。マイクを向けられた聴衆の女性が歌手から促されて、ピアノの伴奏にあわせてフランス語でうまくシャンソンを歌う。3人ほどがマイクを手にした。皆さん、玄人はだしの歌唱力である。

50分ほどで、ささやかなコンサートは終わった。ツーフィンガーのロックを2杯飲んでいた。同伴の女性は声に変化がなくてつまらないといい、わたしは声の暗さがなかなかいいと評した。歌手は、きっとシャンソンの歌唱を教える教室かなにかの先生で、少なくとも聴衆の半数は、そこの生徒さんじゃないのか。この点でふたりの意見は一致した。ほろ酔い気分でラウンジを後にした。

悪人正機説

2006年10月20日 18時16分55秒 | Weblog
善人には、自力の限界を知らない限り他力本願に帰依することがないという回りくどさがある。しかし悪行を離れることができない悪人には、他力本願を素直に受け入れたいというこころがある。

悪人正機説が理解できる年齢になった・・・。

庭先

2006年10月17日 13時09分51秒 | Weblog
いい気候になったものだ。朝は肌寒く、昼はやや暑い。木々は色づき始め、鳥は鳴く。頭の働きが静かだから、仕事を離れて物思いにふける。仕事に戻って思案する。やはり季節の変わり目はいい。

庭の柿が熟している。朝顔の種が取り入れ時だ。季節はずれの白ユリが咲いている。プチトマトがようやく色づいた。広島市の郊外の秋は日を追うように濃くなって行くようだ。

活字中毒

2006年10月12日 21時45分14秒 | Weblog
活字中毒患者が1週間も本を読まないでいると、どのような禁断症状が現れるのか興味があった。珍しく仕事に忙殺されて、この1週間というもの幸運にも好きな本を読む機会がなかった。さて、ぼつぼつ禁断症状が・・・と期待したが、いまだに現れない。

それもそうだ。そもそもわたしの活字中毒は好奇心のなせる業。本を読まないでも好奇心をそそられる事象はこの世に溢れている。今回のビジネスは相続が絡むので相続関係の書籍を3冊買って読みふけっていた。また、新会社法の施行に関連して会社法や税法の変更点をチェックしている。

北朝鮮が地下核実験を行ったと宣言するものだから、そのニュースをネットで追った。まったく読んでいないと思っていたが愛読書「ブッダ 最期の旅」を数回紐解いてもいる。また、新聞だって、朝日に日経、中国と隅から隅まで読んでいる。加えて、本屋でかなりの立ち読みもした。こんな環境で、活字中毒の禁断症状もへったくれもあったものじゃない。

忙中閑あり

2006年10月11日 18時50分07秒 | Weblog
森を抜けて湖上の吊橋を渡る 備北丘陵公園はコスモスが満開だ
松茸ご飯を食べてから神楽を見る 竹馬を譲って柏餅を食べる
秋の日差しの中で珈琲を飲んだ 透明な水の中を鯉が泳いでいる
公園の緑が色づきはじめ 見上げると空は青く高かった


恥ずかしい思い

2006年10月07日 06時56分52秒 | Weblog
外国人とみれば日本語で話しかけるという妙な癖がある。以前は青い目に白い肌の白人が多かった。最近ではみさかいがない。アジア系・アフリカ系・欧米系と幅広い。ところが、彼らのうちの殆どが日本語で返してくる。面白くもなんともない。だからたとえば、アメリカに行って英語で話しかけられても英語で答えないとこころに決めている。

羞恥心が欠落したわたしの場合、外国人を相手にしても怖じるところがない。ある外国人が言った。「はやとはシャイじゃないから多分英会話の上達が早いだろう。」と。この期待は裏切られた。「シャイじゃない」というのは誤りで、単にわたしが傲慢不遜・単細胞なだけなのだ。自分のことは自分がいちばんよく知っている。

もともと羞恥心というものが希薄だから恥ずかしい思いをしたという記憶は殆どない。ところが「おまえあんなことやってよく恥ずかしくないなあ。」とか、「はやとさん、あんなこと言っておいてよく平気でいることができるわね。恥ずかしゅうないん?」とかよく言われる。困ったものだ。もって生まれた性分はなかなか直らない。この歳になるとなおさら直らない。そもそも直そうとは思わない。


光る海

2006年10月06日 22時19分10秒 | Weblog
顧客がわたしの説明を十分に理解してくれていたことが何よりもうれしかった。お昼過ぎにはすべての手続きが完了した。昨夜よく眠れなかったせいか頭が重い。しかし、ハンドルを握るわたしの心は軽い。瀬戸内海は輝いていた。

商業登記簿の謄本が必要なので上八丁掘の法務局まで歩いた。色づきかけた街路樹が強風に激しく揺れる。向かい風の中を胸を張って歩く。全知全能を傾けた闘いはようやく終盤を迎える。ここからはすべてを会社に委ねるのだ。本当の達成感を味あうことができるのはこの月末ごろになることだろう。

成就

2006年10月05日 21時11分47秒 | Weblog
クライアントがこちらの紳士的な対応を理解してくれたようだ。明日、契約してくれることになった。ようやく噛みしめていた奥歯の力が抜ける。思考の迷路に陥って硬直してしまった脳が遊びを求めている。やれやれだ。「ブッダ最後の旅」でも読んで心をくつろがせてやろう。軽い散歩でもして体に秋の風を味あわせてやろう。

この連休で緊張をほぐす。よくやった自分に対するご褒美だ。そして週明けには欲しくてたまらなかったあのビジネス鞄を買おう。いろいろと相談に乗ってもらったKさんと食事をしよう。フランス料理のコースにワイン・・・。

商談

2006年10月02日 23時48分24秒 | Weblog
久々の大口案件と取り組んでいる。他人様の1年分の仕事を一気にやり遂げようするものだから神経をやられるし胃も痛む。既に打つべき手はすべて打った。結果を待つより手立てがない。

クライアントの心情が読める。だから、成約の可能性が高い・・・と思う。