キエフ・バレエ: チャイコフスキー「くるみ割り人形」

クララ: オレシア・シャイターニワ
王子: デニス・ニェダク
くるみ割り人形: ヴァレリア・チェルニャーク
ネズミの王様: ルスラン・アヴラメンコ、他

指揮: ミコラ・ジャジューラ
ウクライナ国立歌劇場管弦楽団
(2017年12月24日16時 東京国際フォーラム ホールA)

 日本でバレエを見るのは初めてで、東京フォーラムAホールというのも初めてだったでの、どのような人がバレエを見に来るのか、お客さんの入りはどうなのかとか、興味津々だった。
まず、東京フォーラムAホールというのが、客席数約5,000人(1階席だけでは約3,000人)という巨大なホールなのにびっくりしてしまった。ここは時々クラシック関係の公演があるが、音響も悪くはなく、マイクを使わなくても広い空間に音が無理なく広がる。
観客は子供連れ、家族連れがいることはいるが、そんなに多くはない。ただ高齢層が多いオペラに比べると、平均年齢は若いかなという印象は持った。
この日は2階を閉めた公演だったが、1日2公演にもかかわらず1階客席は満員。この劇場は定期的に来日しているので固定客もいるのだろうが、そもそもバレエのレベルが高いことがその要因だろう。実際、第2幕に限れば舞台もきれいで、音楽もバレエもかなり楽しめた。

「くるみ割り人形」は、チャイコフスキーの三大バレエの中の最後の作品で、晩年の作風を反映している。初期の「白鳥の湖」などと比べると、楽器法、和声など、近代に一段と近づいていることを感じさせる内容の充実した作品だ。有名な「花のワルツ」にしても、何か特別に尖ったことをしているわけではないのに、聴くたびにそのどこかしら不思議な響きに魅せられる。
この作品は、驚くことに交響曲第6番「悲愴」と同じ時期に前後して書かれている。この2つの音楽が、一人の作曲家の中に同居しているところに、チャイコフスキーという作曲家の一筋縄ではいかないところがある。
ではそのどちらが本当のチャイコフスキーなのかと言えば、答えはその両方だ。華やかなエンターテインメントの世界に生きている人が、その内面で哀しみに満ちているとしても、その両方があってこそ一人の人間なのだ。
明るい「くるみ割り人形」には、「悲愴」の暗さは微塵も見られない。それがプロというものなのだろう。「くるみ割り人形」は確実に、チャイコフスキーという人の一側面を表わしている。

演奏は、明らかに第2幕に重点を置いたもの。観客の多くは、2幕の様々な踊りが目当てだろうし、やむを得ないところもあるかもしれない。この曲は組曲版でより広く知られており、それは2幕を中心に組まれている。加えて、本来日公演のスケジュールが、特にオケに関して、相当にタイトであることもこういう行き方に関係しているかもしれない。1幕が終わっての感想は、「いやに上品な演奏だな」というものだった。観客の反応もそれなり。それが2幕になると、そもそもオケの音量がはっきりと違って、生き生きさが増してきた。
指揮者は、2幕に限れば良かった。私はキエフもこの指揮者も初めてではない。3年前に、「アイーダ」を観ている。その時に感じたのは、この指揮者はそもそも「アイーダ」というオペラのドラマトゥルギーを理解していないのではないか、ということだった。それは今回も同じで、この指揮者からは第1幕のドラマトゥルギーを感じることはなかった。「アイーダ」で感じたのは、この指揮者はバレエ・シーンだけは良かったというもので、この公演でも、単なる踊りの連続である第2幕は、水を得た魚のように良かった。特に「花のワルツ」は、流れるような音楽の運びがよかった。
ダンサーたちは、全体を通じて良かったと思う。この高いレベルがあってこその、観客に入りだろう。「みんな、よく分かっている」と思ってしまった。
舞台も照明も非常にきれいだった。

クリスマスに「くるみ割り人形」を上演するという、この公演の企画者に拍手を送りたい。マチネにはもっと多かったであろう子供たちにとっても、ダンサーたちの踊りは満足感の高いものだったと思う。

 

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