シューベルト歌曲集(イアン・ボストリッジ:テノール、ジュリアス・ドレイク:ピアノ)



 ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ後のドイツ・リート界を担うべく期待のテノールによるシューベルトの名曲集。「鱒」に始まり、「野ばら」「音楽に寄す」「水の上にて歌える」「魔王」など22曲、歌曲集を除けば、シューベルトの男声のための主だった歌曲のほとんどがカバーされている(と思う)。ボストリッジはイギリス出身で、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で歴史と哲学を学び、後者からは博士号を得ているが、声楽は独学という。オックスブリッジ(イギリス人はこういう)出身の音楽家は古楽や宗教音楽に多いが、ボストリッジは専門家の同僚に遠慮してか、主にロマン派をレパートリーとしている。

私は英「Gramophone」誌を海外通信販売で定期購読している。この雑誌は毎月10枚程度の新譜CDをイチオシとして選定し、それらのサワリをサンプルCDにして付録に付けている。ある時、同誌はこのCDを推薦して第16曲「万霊節のための連祷」全体をサンプルCDに収めた。私はそれを聴き「なんてきれいな音楽なんだろう」と思ってこれを購入した。

「万霊節」(Feast of All Souls、11月2日)とはカトリックで全ての死者の安息を願うためのもので、日本でいえばお盆のようなものという。「連祷」とは司祭が唱えて会衆が唱和する形式だ。ヤコービの原詩は9節からなり、薄幸な少女らや殉教者たちなどさまざまな理由で心ならずもこの世界を去った名もない人々の安息を願っている。シューベルトが作曲したのはそのうち戦争や暴力を想わせる3つの節で、第1節は死者全般、第3節は戦場へ送られた兵士たちのことを歌ったものだ。ただ第2節が具体的にはよく分からない。「決して太陽に微笑みかけることがなく、背中への棘の痛みで眠れない月夜を過ごし、そのためにいつか天国の清い光の中で神に対面する人々」とあるので、いわれのない罪で迫害され殺されたような人々を歌っているようにも取れる。
この歌曲は、シューベルトの数ある歌曲の中でも屈指の名旋律を持っていると思うが、録音は極端に少ない。特に中心となるべき独墺系の歌手に少なく、また録音されていてもバイオリンやビオラやピアノ・ソロへの編曲だったりする。もともと「宗教的な4つの歌曲」のうちの第1曲といい、これを名作歌曲と並べると、バッハで例えれば世俗曲の中に宗教曲が紛れ込んだ感があるからかもしれない。しかし、この曲の第3節を聴くと、あたかもこの音楽と現代とが二重写しになるような錯覚を覚える。あるいはそのような性格のために政治利用された歴史があって、それが今日この曲が避けられる理由なのかもしれない。

このCDは全ての曲がボストリッジの類い希な美声によって素晴らしいが、私がこのCDを棚から取り出すときの目的は、ほとんどこの「連祷」の名唱を聴くためだ。ボストリッジの一語一語を噛みしめるような穏やかな歌い方と敬虔で澄み切った声質は、この歌手が宗教音楽のメッカの環境の中にいた人であることを示していると思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« エルガー「バ... のだめカンタ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。