ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【静止状態】難波先生より

2012-11-30 12:26:27 | 難波紘二先生
【静止状態】英語で<Stationary state>という。「定常状態」と訳されることもある。
 1)物理的には、コップに入れた熱湯が冷めて室温と同温になった状態、あるいは氷水が溶けて室温と同温になった状態をいう。
 2)生理学的には、人間(動物)が横たわった安静状態で、外的な運動がなく、「基礎代謝」だけで生きている状態をいう。

コップの水と違い、生物は生きているから静止状態でも生き続けるの最低限のエネルギーを必要とする。「基礎代謝量」は日本人・成人の場合、1,400~1,600Kcal程度である。

 3)経済学の場合、GNPで測定される成長がゼロになった場合をいう。日本はこういう状態が20年以上続いている。
 もともと経済活動は、その生産の面でみると、1)太陽エネルギー(農業、漁業)、2)化石・鉱物エネルギー(工業、発電)を生産過程に投入することで成り立っているので、食物を基本エネルギーとしている人間の体のはたらきによく似ている。

 熱力学第二法則は、「熱は絶えず無秩序に放散し、外部から熱エネルギーを投入しない限り、ある熱秩序状態を維持できない」と述べている。この「無秩序」のことをエントロピーという。第二法則は「エントロピー増大の法則」とも呼ばれる。
 万物は(社会も)この法則から逃れられない。
 
 エントロピーと経済学の関係を論じた本は少ないがある。ルーマニア生まれの経済学者N.ジョージェスク=レーゲン「エントロピー法則と経済過程」(みすず書房)がそれだ。

 たまたま28日「産経」の「湯浅博の世界読解、<シャルマ論文>の衝撃」という記事を読んでいて、レーゲンの指摘を思い出した。湯浅論文では、モルガン・スタンレー証券の経済アナリストR.シャルマが、次の10年間、「BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)」が10%の高度成長を続けることはありえない、と論じたものだそうだ。

 レーゲンは「高度成長の秘密は、生産工程の量的拡大(工場の数を増やす)ことではなく、<工場を作る工場>、<工場を作る工場を作る工場>が、その経済の内部に自力で生まれたときに、その経済は<離陸できる>という。」。「発展の本質をなすものは、工場によって商品を生産する力ではなく、新しい過程を創造する組織的でしなやかな力である。」

 このレーゲン理論によれば、シャルマと同じ結論がえられる。基礎的な科学力がなく、「新しい過程を創造する組織的でしなやかな力」を持たないBRICsが、10%の成長を10年間にわたり維持するのは無理だろう。特に中国は「世界が滅んでも中国共産党だけは生き残る」といっている国だから、「しなやかな力」を持ち得ない。

 中国の今までの高度成長の理由は、プラント輸入と安い労働力を求めての外国資本の参入にあったので、工場の老朽化と賃金の上昇が起これば、成長の前提が崩れる。

 物理学的に「熱的平衡状態」つまり「静止状態」があるように、生物学的な「静止状態」がある。経済もその基本エネルギーを太陽エネルギーと化石・鉱物エネルギーに依存している以上、生産コストと生産された商品の価格にほとんど差がないような時点が来る。これが「静止状態」の経済である。身近な例では江戸時代の経済がそうである。
 江戸時代は、経済学的には「ゼロ成長の経済」だったが、文化的には松尾芭蕉、近松門左衛門、鶴屋南北、新井白石、本居宣長、北斎、写楽などを生み出し、決して沈滞した時代ではなかった。ただ精神労働は、今の経済学指標で評価されないだけである。

 恥ずかしい話だが、ジョン・スチュアート・ミルを私はこれまで、「自由論」や「代議制統治論」を書いた政治思想家だとばかり思っていたが、経済学者でもあり、すでに150年前に「静止状態の経済」について論じていたことを、つい最近知った。
 
 「熱的死」という概念は19世紀の終わりに「熱力学」が提起したものだが、「静止状態」という概念は英国のジョン・スチュワート・ミルがすでに提起していたことを初めて知った。この概念と説明は彼の「Political Economy(1848)」((経済学原理)で提出されているのだが、邦訳が岩波文庫「経済学原理(全5冊)」しかないことも、初めて知った。

 今は、新本もなく古書を求めると、1冊当たり1,500円位することも初めて知った次第。末長茂喜訳(1959)なので、訳文は今は時代遅れかと思う。古書があまりにも高すぎるので、Project Gutenbergで無料の英語原文をダウンロードした。

 再版ないし復刻版が出ると、古書市場は1/3にダウンするのが常識である。岩波のKさん、ぜひミル「経済学原論」を再版していただきたいです。というのも、他社にこの訳本がないからです。(厳密には戸田正雄訳、春秋社がある。)

 なぜ私が「経済学原論」に着目するかというと、この本は熱力学第二法則の発見の前に、「経済的静止状態」に着目しているからだ。
 ある「系」に熱が投入されない限り、その系の発展はありえない。系に外部からエネルギーが投入される限り、系は発展する。そのエネルギーとは経済学の場合、太陽エネルギー、もしくは「化石・鉱物エネルギー」である。
 
 ミルの時代には「エネルギー」という概念すらなかったが、彼は「進歩の終焉」という概念でこれを捉えている。「グーテンベルグ・プロジェクト」の原文によると彼は、ミルはこう論じている。

 「生産の増大が必要になるのは後進国においてであって、先進国においては経済学的に問題となるのは、よりよい分配である。…どのような労働者も、相続遺産や贈与によらずして、自己の人生において蓄積された富をもとにして、豊かな精神的、肉体的余暇を送ることができる。それが経済の静止的状況である。」

 彼にとって、経済的成長が無限ではなく、やがて「静止する」のは当然のことだった。

 残念ながら、いま入手できる「経済学原論」は岩波文庫版しかないことは、上述の通りである。

 「熱力学的な死」とは、ある系に注がれる外部エネルギーがストップされることを意味します。人間(食物)、自動車(ガソリン)、原発(ウラン燃料)とも外からのエネルギー供給がストップすると、死滅が始まります。
 外からのエネルギーと内部で消費されるエネルギーが平衡になった時点が、ミルのいう「経済学的静止状態」だろうと思う。

 ミルはこの静止状態は、先進国の経済が遅かれ早かれ到達せざるをえない状態だ、と主張しています。その上で、「社会は生産量の多さを基準とするのではなく、個人への配分と個人の満足度を基準とすべきだ。静止経済状態でも、個人は幸福になれる。」と主張している。
 
 この主張には、今日でも十分に耳を傾ける必要がある。

 熱力学的には、ミルの主張はまったく妥当である。化石燃料、原子力燃料ともに有限である以上、「無限の成長」などありえない。地球という生態系を温存しようとする限り、どこかで「成長の限界」は来る。
 この点で、ミルを見直す必要があるのは、「経済成長ゼロでも、人間の生活は質的に向上する」と断言した点にある。


 北海道での大規模停電は、「送電線=電柱」という古い送電システムに依存している社会の脆弱性を明らかにした。公共投資がすべて悪いのではない。社会システムの質の向上につながらず、実需を喚起しない、「鹿しか通らない」ような道路を作るのが間違いなのである。
 この社会がいずれ「静止状態」の経済におちいる以上、安全な送電ラインの確保(地下埋設)と東西の交流周波数の統一は、さけて通れない課題と思うが、政治家は「脱原発」だの「卒原発」だのと言葉遊びをしているように思えてならない。
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