ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ブルネイにイスラム法施行】難波先生より

2019-04-10 00:14:10 | 難波紘二先生
【ブルネイにイスラム法施行】
 ネットで「NEWSWEEK」4月9日号の記事を読んでいたら、インドネシアの北にある旧ボルネオ島(現カリマンタン島)北部にある小さな国ブルネイ(面積は三重県並、人口はたった40万人)に、4月3日から「イスラム法」が導入される、と報じてあり驚いた。
 施行されると、窃盗犯には初犯なら片手切断の刑が、累犯なら片足切断の刑が科される。
男女とも同性愛は死刑で、処罰は公開の場で、「石なげ」により行われる。伝統的なイスラムの処刑法だ。
 しかもこれはブルネイ国籍のない在留者や観光客にも適用されるという。

 ブルネイの政体は王制で、1984年の独立以来、豊富な石油・天然ガスに支えられて安定している。国民の約8割がイスラム教徒である。
 この国の正式名称を「ブルネイ・ダルサラーム」という。アルファベットで<Negara Brunei Darussalam>と書き、<ネガラ>が国を、<ダルサッラーム>が<平和の家>意味していると、WIKIで知った。
 しかしこの説明には疑問が残る。Nagaraがマレー語だということに異存はない。それは畢竟すると、子音と母音が組合わさった「オーストラロネシア語」に帰着するということだ。
 問題はアラビア語由来だという、Darussalamの方だ。

 アフリカ・タンザニア(Tanzania)の首都を「ダル・エス・サラーム(Dar es Salaam)」という。ブルネイの首都名とよく似ているのに驚いた。

 1989年9月に、エイズの実態調査のためケニア、タンザニア、ガボン、ガーナ、コートジボワールの5ヶ国を1ヶ月かけて廻ったが、現地語であるスワヒリ語を、少々覚えておく必要があった。タンザニアから広大原医硏内科に留学していたムタシワ君から、一夜漬けでスワヒリ語を習った。まず「今日は!」、「サンキュー」に相当する言葉を教わった。

 驚いたのはあいさつ語が「サラーム」で、これは1994年秋に米国留学する前に、当時のABCC(現放影硏)の病理部長の奥さん、エセルさんに習ったヘブライ語(イスラエル語)と同じだった。「平和(ピース)」という意味だと教わった。スワヒリ語ではこれを「Salams」といい、「平和、安全」の意味もある。(西江雅之・編「スワヒリ語辞典」, 1971)
スワヒリ語のダル(dar)には「屋根、家」という意味があり、やはり「平和の宿るところ」を意味していた。

 ムタシワ君からは「ありがとう」に相当するスワヒリ語「アサンテ サーナ」も教わった。Asanteが感謝をあらわし、sanaは「とても、非常に」の意味だ。スワヒリ語は形容詞や副詞が名詞の後につくタイプの言語だが、語尾変化のある屈折語ではない。

 前後2回にわたる赤道以南のアフリカ諸国の調査で、エイズ流行の実態とその背景にある輸血制度の不備(まだ売血制度があった)や衛生状態の貧しさが明らかになり、これは当時の文部省や外務省の外郭団体「ジャイカ(JAICA)」に詳しい報告書を提出した。(ガーナではジャイカ派遣の日本人会の所長さんにあい、アフリカにおける支配的な「人種」の話を聞いた。
 それによると、インド人とレバノン人が経済の実権を握っているが、最近はインド人が迫害されてレバノン人の力が増している、ということであった。)

 何が言いたいかというと、ブルネイの首都名にあるDarussalamとアフリカ・タンザニアの首都名Dar es Salaamは同じ意味、「平和の家」を表しているということだ。オーストロネシア語は、元は台湾の原住民が話していた言葉で、そこから南に拡散し、マレー語やポリネシア語の祖語になったとされている。東端がハワイ語である。
 西の端はマダガスカル島まで広がったという。

 「平和」という言葉が、マレー語とスワヒリ語で共通し、しかもヘブライ語とも共通していることは、私の今の知識では説明がつかない。「アラビア語・英語辞書」も持っているが、アラビア文字が読めないのが残念だ。

 それにしても「イスラム法の復活」などという恐ろしいことを、よくもやるものだ。
 4/8(月)追記:今日の「日経」が一面コラム「春秋」で、この話題をハリウッドのゲイであることを公表している俳優ジョージ・クルーニーの、「ブルネイ国王が所有するホテル・ボイコット」の表明とからんで、取り上げていた。そのホテル名が「ビバリーヒルズ・ホテル」。ロサンゼルス・ハリウッド地区にあり、高級ホテルらしい。

 死刑を「石投げ」で行うなど、ずいぶん野蛮に思え、マルタン・モネスティエ「図説・死刑全書」(原書房、1996/1)を開いてみた。この本には人類が有史以来利用してきた処刑法、36種が載っている。
 この処刑法は、イスラム教発祥以前からひろくオリエント世界で実行されていたことを知った。新訳聖書「ヨハネ福音書」には、姦通の現場を取り押さえられた女が民衆により引き立てたれてイエスの元に連れてこられる、という有名な話がある。民衆がモーゼの律法が定める「石打ち刑」をイエスに要求するのに対して、彼はこう答える。
 「汝らのうち、罪なき者が最初の石を投げよ」
 自分自身を恥じた民衆は一人また一人と立ち去り、最後には女とイエスだけが残った。

 この「死刑全書」によれば、1996年時点で「石投げ刑」による死刑を維持しているのは、①アフガニスタン、②サウジアラビア、③アラブ首長国連邦、④イラン・イスラム共和国、⑤モーリタニア・イスラム共和国、⑥パキスタン・イスラム共和国、⑦スーダン共和国、⑧イエメンの8ヶ国である。
 すべてイスラム教が支配的宗教である国家だ。それにしてもブルネイ国王が今になって「イスラム法」を導入し、石打刑を復活させるというのは納得がゆかない。

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