ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【訂正:荒木村重か冨永恭次か】難波先生より

2012-06-29 12:55:30 | 難波紘二先生
【訂正:荒木村重か冨永恭次か】前便の1.【移植学会、議連に完敗】という記事の、「超党派の議連」に対して移植学会の広報員会が請願を行った、という記載に誤りがありましたので、訂正してお詫びいたします。


 「5W!H」のうち、日時、場所は間違っていません。会合の性格及び名称が「全国会議員(衆参両院)を対象とした移植医療に関する勉強会」で、その呼びかけ人は日本移植学会の高原史理事長でした。
 勉強会の題目が①「移植医療と診療報酬」、②「診療報酬の不正請求と処分」でした。
 つまり、移植学会理事長が全国会議員に対して「勉強会」への出席を呼びかけていたのです。


 この会合はかなり前から日時と場所が設定されており、案内状は全国会議員に配布されていました。題目から明らかなように会の目的は移植医療の保険点数を上げさせることと、万波誠医師がいた市立宇和島病院に診療報酬を返還させ、宇和島徳洲会病院の処分を要請することにあったと見られます。
 「万波移植」が否定され、彼が保険医資格を取り消されたり、あるいは医道審議会にかけられ、医師免許停止や医師免許剥奪になれば、「患者裁判」は被告側有利に展開する可能性があるからです。


 現在移植学会は法廷闘争資金を確保するため、「特別委員会」を設置しています。
<日本移植学会特別委員会委員長 星長 清隆
日本泌尿器科学会 仲谷 達也、日本透析医学会 水口 潤、日本腎臓学会 両角 國男、日本臨床腎移植学会 西 慎一>
 このように2007年3月末の「共同声明」に名を連ねた学会は、一蓮托生で拠金を求められています。「病腎移植」騒ぎの時、「私も動脈瘤のある腎臓を第三者に移植した」と名乗り出た藤田保健衛生大学の星長教授が、この委員会の委員長にさせられているのは何ともお気の毒です。資金集めは難航するに違いありませんから。


 日本移植学会としては、この全国会議員を対象とした「勉強会」に乾坤一擲の大勝負を掛けたと思われます。当然、呼びかけ人である移植学会理事長はこの勉強会に出席して、自ら説明すべきです。予定ではそうなっていたはずです。
 ところが政局が動いて、勉強会当日の時間が、衆議院本会議の採決時間と重なってしまった。そこで衆議院480人、参議院242人、合計722人(定数)の議員のうち、「わずか20余人」しか集まらなかった、というのが実際です。


 この日の午後に採決が行われることは、直前に明らかになった。そこで急遽、高原理事長は欠席することにし、福嶌広報委員が①「移植医療と診療報酬」について、きわめて気の乗らない話をしたところ、参集したわずか20余人の議員から野次怒号が飛び出し、移植学会の存在理由をPRするところが、「逆効果」になりました。「負け戦」を察知した総大将は「敵前逃亡」していた、というわけです。


 歴史的には、信長に反逆し、包囲された伊丹の城から、妻子と家臣を見捨てて単身逃げ出した荒木村重 http://ja.wikipedia.org/wiki/荒木村重 と フィリピンでの戦いで第4航空軍を指揮し、陸軍初の特攻部隊を編成し、多くの若者を特攻隊として出撃させ、「最後の特攻機にはわしも乗り込む」といっておきながら、台湾に逃亡した冨永恭次中将が有名です。http://ja.wikipedia.org/wiki/富永恭次


 何ごとも「運」が作用する。ギリシアの賢人ソロンが言ったように「幸運な人はいるが、幸福な人はいない」。日本移植学会の計画は「運が悪かった」としか言いようがないが、逆な見方をすれば「運に見放された」ということもできよう。それにしても総大将の行動は見苦しい。これで学会員の志気が保てるだろうか?


 荒木村重と冨永恭次、どちらも[敵前逃亡者」の代名詞として、「日本人名事典」に載っている。高原氏は人名事典に載るほどの人物ではないが、この行為は「日本移植医療史」に残るだろう。
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