この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#25ロジェ・マルタン・デユ・ガール著「チボー家の人々」Ⅳ(若者達の残酷な死)

2005年02月17日 | フランス文学
著者ロジェ・マルタン・デユ・ガールは1881年に生まれ、1958年に死んでいる。私達がこの小説を夢中で読んでいた頃はまだ存命中だったのだ。訳者山内義雄氏のあとがきによれば、著者はこの小説を1920年に着手し、1939年に書き終わっているという。19年という歳月をかけて書かれた作品なのだそうだ。そして訳者も14年の歳月をかけて訳了したという。大作はそのようにしなければできないものなのだろう。

この作品の中の1914年の夏がノーベル賞を受賞している。

著者は文壇での文壇人としての交際を極度に嫌った人だということだ。
著者は自分を語ることが少なく、この作品が有名になったあとでも著者自身についてはほとんど知られていなかったという。

戦争(第一次大戦)がはじまりそれぞれの登場人物の人生を無残に傷つけ抹殺する。
主人公ジャックは飛行機で反戦ビラを撒いている途中に事故で墜落。この小説ではジャックを墜落死で死なせていない。戦場でフランス軍の中に墜落、身元不確認のままフランス兵により担架ではこばれる途中、フランス兵は運ぶのが面倒になりジャックを銃で殺してしまう。なんとも無残な最期だ。

ジャックの友人で「灰色のノート」を互いにつけあったダニエルは、戦場で負傷する。
ダニエルはジャックの兄アントワーヌへ次のような手紙を書く。

「ぼくのももをくだいてのけた砲弾の破片は、ぼくを、性を持たぬ人間にしてしまいました。ぼくは、このことを自分の口から打ち明けるだけの決心がつきませんでした。・・・・・・・・・
母が生きているうちは、ぜったいにやらないつもりです。だが、いつかそのうち、いなくなりたいと思ったとき、あなただけには、それがなぜだか、わかっていただけると思います。」

ジャックの兄アントワーヌは軍医として従軍し戦場で毒ガスにやられてしまいなおる見込みがない。

この小説の最後「エピローグ」の最後の場面は入院している病院でアントワーヌがジャックとその恋人ジェンニーとの間に出来た子供のジャン・ポールが成人したら読むようにと書いた自分の日記の最後の日のものだ。

「18日 やる気だったらいまならできる。
すべて準備ができている。
手をのばし、心を決めさえすればいいのだ。
 ひと晩じゅう、戦いとおした。
 いよいよその時。

1918年11月18日月曜
 37歳、4ヶ月と9日。
 思ったよりわけもなくやれる。

 ジャン・ポール     」

原文はこうだ。
「18
Grand temps,si je veux encore pouvoir. 
Tout est la,etendre la main,se decider.
Ai lutte toute cette nuit.
Grand temps.

Lundi,18 novembre 1918

37ans ,4 mois ,9 jours.
Plus simple qu’on ne crois.

Jean-Paul 」

 小説としてもなんとも悲しい。

 戦争は何と多くの人々を殺し運命を変えていくものか。
 
著者がこの小説の筆をおいた1939年の後すぐ世界は第2次世界大戦に突入し
多くの若者の命を奪うこととなる。

何と人類は愚かなことか。

著者はこの大作の最初に次のように献呈の辞を書いている。

「「チボー家の人々」を親愛なる
 ピエール・マルガリティス
の霊に献ず。1918年10月30日衛戍病院
において、死は、きみが至純にして悩める心
の中に熟しつつあった逞しい作品をこぼち
去った。
         R.M.G」

著者には小説の中のアントワーヌのように戦争で負傷して実際に衛戍病院
で死んで行った親友がいたのだ。
                                 (おわり)
画像は著者のRoger Martin du Gard 。白水社刊「チボー家の人々」第4巻より

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