この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#6 シュトルム「少女ローレ〈原題 大学にて)」Ⅱ

2005年01月19日 | ドイツ文学
添付した画像はシュトルムの晩年の写真のようだ。ただの田舎の頑固爺さんのように見えるこの作家の頭の中に、どのようにしてあのようなみずみずしい情感がたくわえられているのだろうか?不思議のような気もする。シュトルムの作品は私が50年以上も前に感激した、私の遠い思い出の中にのみ存在する作家であり作品だろうと思っていた。

昨日私はブログにシュトルムの本のことを書いたあとで、ブログを検索したところ、このgoo のブログの中の「もやもや日記 半透明記録」の12月3日にシュトルムの「みずうみ」(原題 インメン湖 もしくは インメンゼー)の記載があるのを発見した。プロフィールによると大阪にお住まいの女性の方とのことである。

この方のシュトルムの「みずうみ」への感想である。「兎にも角にも美しく胸が締め付けられてしまいました。」「同じく岩波文庫「大学時代、広場の「ほとり」所収の「おもかげ」もどうも堪りません。」と書いておられる。

「胸がしめつけられる。」「どうも堪りません。」という表現は全くその通りで、今でもこのように読まれており、それに感激している方がいるということを知って、私が単なる遠い昔の思い出と思っていたことが、現在でもいろいろな人の心をとらえていることを感じ嬉しくなってきた。

この方が読まれた「みずうみ」岩波文庫での訳者は有名なドイツ文学者の関泰祐先生であるが、この先生は私が大学に入学してはじめてドイツ語を教えて下さった二人の先生の一人である。

この有名なドイツ文学者であるこの先生はすでに大学を定年で退官されていたのだろう。講師として私たちを教えて下さった。語学の同じクラスの友人S君と二人で目白のご自宅にこの先生を訪ねて行ったことを思い出した。私は丁度二十歳になったばかりだった。ドイツ文学によく出てくる、若者を暖かく見つめてくれている経験豊かな優しい年配者というような先生だった。

 そのころのことを次から次へと思い出すが、まさにヘルマン・ヘッセの短編の題「青春はうるわし」(Shon ist die Jugend )の通りである。私も、胸がしめつけられるような、どうも堪らないような懐かしさを感ずるのだ。 

ドイツ文学にはこのような効用があるのかも知れない。

(2年ほど前にS君にクラス会の案内の電話をして久し振りに彼の声を聞いた。彼はその数年前に念願のエベレスト登山に行って来たと元気に話していた。みな思い思いに楽しんでいるようだ。)
                                     (おわり)
 *シュトルムの写真は創元文庫「少女ローレ」(昭和27年版より転写)

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