月刊「致知」に千葉ロッテマリーンズ前社長の瀬戸山隆三氏と北海道日本ハムファイターズ前社長藤井純一氏の対談記事が掲載されていました。
私が気になったのが瀬戸山氏です。ロッテに入る前は福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)を作り上げた方でもあります。福岡出身の私にとっては何と言ってもホークスのことがとても気になり、記事を読みました。
福岡ダイエーホークスを福岡に誕生されるまでには多くの苦労があったようです。私の小さい頃は西鉄ライオンズが全盛の時で当然、私も西鉄の大ファンでした。ところが時代の経過とともに福岡から球団がなくなり、現在は西武ライオンズとして継承されています。
福岡に球団はなくなってしまいましたが、その当時はまだ西武を応援するファンが大勢いました。このような時にダイエーが南海ホークスを買い取りダイエーホークスとして福岡に拠点を持ってきたのです。しかし、当時はほとんどがライオンズファンばかりで本拠地の平和台球場で試合をしても八割がライオンズファン、残り二割をダイエーの社員などの関係者が入っているような状態だったそうです。
商店街を回ってホークスを応援して欲しいとお願いしても相手にされなかったのです。中内オーナーからは「何をやっているんだ」とお叱りを受けたそうですが、地元の反発は大変なもので、球団スタッフの思いを一つにし、同じ方向を向いて動く必要があると、明確なビジョンを共有しながらコツコツと進めていったそうです。
福岡ドーム(現ヤフードーム)が誕生し、本拠地となるに従い、追い風が吹き出してきました。徐々にホークスファンが増えてきて、ライオンズに未練はあっても、遠い地区の球団よりも地元で頑張っているホークスを応援するようになって来たのです。
次のステップは強いチーム作りです。そこで、根本監督を迎え戦える選手の基盤作りを行います。南海時代、勝つことを放棄し、要領よく稼げればいいという選手では勝てない、勝つことを目指す人間の集団に変えるために、スカウトもコーチも「思想」を入れ替えていきます。戦える集団が徐々に出来上がってきました。
その後、王監督に優勝できるチーム作りを託したのです。しかし、福岡のファンとして恥ずかしい事件が起きました。王監督への生卵事件です。世界の王さんに生卵をぶつけるなど、とんでもないことです。ホークスファンとして、とても恥ずかしい思いをしました。
しかし、チームはドンドン強くなり、王監督就任5年目には日本一をとるチームに成長したのです。球団の責任者として、ホークスをここまで支えてくれたのが瀬戸山氏なのです。
中内功氏が、ダイエーを退任するとともに瀬戸山氏もホークスから身をひかれます。その後、ロッテの社長からロッテ球団の立て直しをお願いされることになります。
ホークスの時と同様に千葉の人たちはほとんどがジャイアンツファンで、ロッテファンなどほとんどいない状況で、またここからがスタートです。コツコツと市や町を回り、商店街にはポスターを貼ってもらうようにお願いして回ったそうです。ロッテでも球団スタッフの意識改革からスタートしていったのです。
両氏はどのようにして万年Bクラスのチームを日本一になるチームに育てていったのでしょうか。お二人が共通して言われていることは「リーダーや幹部がどんな思想を持ち、どういう改革をしたいと思っているか、このチームや球団をどの方向に持っていこうとしているか。そのビジョンを明確に持ち、それに共鳴した人たちが目標へ向かってともに進んでいくことが大切だ」と言われています。
ダメなチームを蘇らせたお二人の話を要約すると、組織力を高めるには、志を一つにするという一点に尽きるようです。そのためにはコミュニケーションを図らなければいけません。改革を「一緒にやるんだ」という姿勢を基本にして、まずリーダーが汗を流さなくてはいけない。リーダーが一緒に動くことが結果的に人を育てることにつながるのです。
去年やったことと、同じことを今年もやれば陳腐化する。仕事の面白さは現状を打破するところにあり、現状をどう改革していくか、そのことにチームで取り組むところに本当の面白さがあるのです。
何をするにしても、「人のなす業でできないことは何もない」どんな困難があっても、勇気と柔軟性と行動力があれば、何とか乗り越えていけると信じています。
協会も「一家に一人のフットセラピスト」という大きな目標に向かって心を一つに邁進してまいります。これからもよろしくお願いいたします。
それでは、本日は、この辺で。
NPO法人 日本フットセラピスト協会
理事長 本山 硯士
私が気になったのが瀬戸山氏です。ロッテに入る前は福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)を作り上げた方でもあります。福岡出身の私にとっては何と言ってもホークスのことがとても気になり、記事を読みました。
福岡ダイエーホークスを福岡に誕生されるまでには多くの苦労があったようです。私の小さい頃は西鉄ライオンズが全盛の時で当然、私も西鉄の大ファンでした。ところが時代の経過とともに福岡から球団がなくなり、現在は西武ライオンズとして継承されています。
福岡に球団はなくなってしまいましたが、その当時はまだ西武を応援するファンが大勢いました。このような時にダイエーが南海ホークスを買い取りダイエーホークスとして福岡に拠点を持ってきたのです。しかし、当時はほとんどがライオンズファンばかりで本拠地の平和台球場で試合をしても八割がライオンズファン、残り二割をダイエーの社員などの関係者が入っているような状態だったそうです。
商店街を回ってホークスを応援して欲しいとお願いしても相手にされなかったのです。中内オーナーからは「何をやっているんだ」とお叱りを受けたそうですが、地元の反発は大変なもので、球団スタッフの思いを一つにし、同じ方向を向いて動く必要があると、明確なビジョンを共有しながらコツコツと進めていったそうです。
福岡ドーム(現ヤフードーム)が誕生し、本拠地となるに従い、追い風が吹き出してきました。徐々にホークスファンが増えてきて、ライオンズに未練はあっても、遠い地区の球団よりも地元で頑張っているホークスを応援するようになって来たのです。
次のステップは強いチーム作りです。そこで、根本監督を迎え戦える選手の基盤作りを行います。南海時代、勝つことを放棄し、要領よく稼げればいいという選手では勝てない、勝つことを目指す人間の集団に変えるために、スカウトもコーチも「思想」を入れ替えていきます。戦える集団が徐々に出来上がってきました。
その後、王監督に優勝できるチーム作りを託したのです。しかし、福岡のファンとして恥ずかしい事件が起きました。王監督への生卵事件です。世界の王さんに生卵をぶつけるなど、とんでもないことです。ホークスファンとして、とても恥ずかしい思いをしました。
しかし、チームはドンドン強くなり、王監督就任5年目には日本一をとるチームに成長したのです。球団の責任者として、ホークスをここまで支えてくれたのが瀬戸山氏なのです。
中内功氏が、ダイエーを退任するとともに瀬戸山氏もホークスから身をひかれます。その後、ロッテの社長からロッテ球団の立て直しをお願いされることになります。
ホークスの時と同様に千葉の人たちはほとんどがジャイアンツファンで、ロッテファンなどほとんどいない状況で、またここからがスタートです。コツコツと市や町を回り、商店街にはポスターを貼ってもらうようにお願いして回ったそうです。ロッテでも球団スタッフの意識改革からスタートしていったのです。
両氏はどのようにして万年Bクラスのチームを日本一になるチームに育てていったのでしょうか。お二人が共通して言われていることは「リーダーや幹部がどんな思想を持ち、どういう改革をしたいと思っているか、このチームや球団をどの方向に持っていこうとしているか。そのビジョンを明確に持ち、それに共鳴した人たちが目標へ向かってともに進んでいくことが大切だ」と言われています。
ダメなチームを蘇らせたお二人の話を要約すると、組織力を高めるには、志を一つにするという一点に尽きるようです。そのためにはコミュニケーションを図らなければいけません。改革を「一緒にやるんだ」という姿勢を基本にして、まずリーダーが汗を流さなくてはいけない。リーダーが一緒に動くことが結果的に人を育てることにつながるのです。
去年やったことと、同じことを今年もやれば陳腐化する。仕事の面白さは現状を打破するところにあり、現状をどう改革していくか、そのことにチームで取り組むところに本当の面白さがあるのです。
何をするにしても、「人のなす業でできないことは何もない」どんな困難があっても、勇気と柔軟性と行動力があれば、何とか乗り越えていけると信じています。
協会も「一家に一人のフットセラピスト」という大きな目標に向かって心を一つに邁進してまいります。これからもよろしくお願いいたします。
それでは、本日は、この辺で。
NPO法人 日本フットセラピスト協会
理事長 本山 硯士