東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

血と砂の契約、日米安保

2015-03-04 07:00:49 | 戦後70年首相談話
日米安保は血と砂の交換契約である。アメリカが兵士の血を提供し、日本が基地を提供し、基地維持の様々なサービスを無償でアメリカに提供する。「思いやり」予算をアメリカに与える。70年間アメリカに日本が無償で提供した便宜供与は経済的に換算すると天文学的金額になっている。

日本は過去70年(占領期および安保条約締結後)契約を守り、莫大な便宜供与を与え契約を忠実に守って来た。アメリカは日本の為に過去70年間1ガロンはおろか一滴の血も流していない。そう言う意味では実態として片務条約であった。

なるほど、アメリカはベトナムへ直接日本の基地から出撃した。これは日本を守るためではない。20世紀の終わりから21世紀にかけてはクウェイト、イラク、アフガニスタンに出撃する不可欠の中継基地として日本の基地を利用した。これは日本の防衛のためではない。

私は日米安保に反対しない。それに取って代わるオプションが見当たらないからである。しかし、戦後70年の節目に日米安保、日米安保と念仏を称えてもはじまらない。冷静、客観的な総括が必要である。

日米安保は冷戦下では抑止効果があった。それは言えるであろう。しかし、現在そう言えるかどうかは広範な視野から綿密な検討評価が必要であろう。チャイナという金づる(アメリカはそう見ている)にいつ寝返るか分からない。尖閣問題に対するアメリカの曖昧な態度をみれば明らかである。また、チャイナ(と韓国)と日本の対立を、実態、経緯を考慮せずに『仲良くしろ』と日本に対して一方的に言募る馬鹿親のような言動を見てもあきらかである。

アメリカに取って日本はあるいは日本列島は基本的に邪魔な存在であった、二百年前にアメリカ捕鯨船やアザラシ虐殺船団(婦人のためにアザラシの毛皮をはぐためだけに虐殺した)が日本近海に出没して以来。アメリカのアジア政策は200年間に渡って「ドリームボート ツー チャイナ」なのである。日本重視は冷戦時の一時的な政策でしかない。

いまやチャイナは商売の最大の相手では有っても、安保上の敵対国ではない。

この状況でほかに有力なオプションを持たない日本があやまたずに立ち回るためには、明治維新期のような日本歴史上でも突出してステーツマンシップを持っていた政治家が要求されるのである。


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