オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 五節の命婦

2017-07-05 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『五節の命婦』

(ごせちのみょうぶ)

明治二十年届

 

 

五節の命婦は麗慶殿女御(れいけいでんのにょうご)

【後朱雀天皇女御・藤原延子】に仕えた女房で

またとない風流人で 朝夕琴を

手から離し置かなかったと云われた人である。

(平安時代中期~後期)

 

 

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 047

 

十訓抄 第十

【六十一】 十月ばかり月明かりける夜経信卿をむねとして・・・

 

或る年の十月、月の明るい夜に

経信が中心となって風雅を愛する数寄者達が

五節の命婦の嵯峨の隠れ家を訪れた。

柴の戸を入って見ると屋根を板で葺いた隠れ家は

所々荒れて壊れていたが月の光が明るくさし込んで

御簾の中まで暗い所がなかった。

誰もが心を澄まして 「秋風楽」 「蘇合」 「万秋楽」 などの

曲を聴き、あるいは立って舞い、涙をこぼした。

いかなる時にも泣くことがなく「犬目の少将」と云われた

俊明まで今宵は袖をしぼるばかりに涙を流したという。

 

やがて主の尼君(五節の命婦)が琴を弾き、

経信が琵琶を合せ弾いた時は人々皆涙にむせび、

やがて夜が明け日が出る迄帰ることがなかった。

 

注:経信→源経信、 俊明→ 源俊明

 

web記事 風流の集り より転載

 



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2 コメント

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音楽は人を変える! (流生)
2017-07-05 08:30:04
妄想狐さま
おはようございます。

『五節の命婦』

全く資料が無いね!妖怪さんも書かなきゃ良かった!だって。
琴を演奏するのは落ちぶれた尼
身なりや身分が低くても彼女が演奏する琴に心を奪われ涙しない者はない。
これは十訓抄という鎌倉時代の説話集に書かれているエピソードで
決して人前で涙を流さない源俊明も最大に涙を流した。
歌詞も歌もない音に心を奪われ涙する。そういう意味では妖怪と言えなくもない。
だって。あーー疲れた!ね~「犬目の少将」って?教えて。

狐さまは音楽を聴いて泣きますか?私は泣きます!止めどなく泣きます!
あのね。今流行りだよ!って習ったC&K Yって曲。泣けるよ!
でね。聴いてみた!でね。横に福山雅治の「蛍」があってさ。もう駄目だーー
今日UPしたから聴いてね!歌詞にも泣けるよ!でね。画像も「蛍」にしたの。
頑張った!誰にも言えないけど頑張った!歌に出てくる彼女が両えくぼ。
若い頃はあんな感じだったなぁ~笑。。。なんと図々しい!タハハ

何だか話しがズレちょる!ごめんなさい。文系だったのに退化しちょる!
月岡芳年の満月は見事なりなり~~ちうことで私は失礼致します。。。さささ

じゃ またね。ありがと。うふふ。ラロロラロレ
じゃ またね。ありがと。うふふ。ラロロラロレ
台風一過で気圧の関係だよね。いつもの偏頭痛が辛い!あかん。薬効かない
行ってらっしゃい^^行ってきます♪
返信する
狼目は。。。 (妄想狐)
2017-07-05 15:55:59
流姫殿
こんにちは

犬目の少将、ここでは単純にどんなことがあっても泣かない漢が
心打たれしまう程の演奏だったって話だけど、
外国には邪眼と犬目があるんだって。
邪眼は相手を傷つけるほどのものを「被視体」に与えることで
犬目は「被視体」から何かを受け取る、あるいは奪い取ることの
意味があったりするらしいよ。
よく犬の目をみて わぁーカワイイって言ったりするあれのことだよね。
猫派か犬派か。 羽チャンはたぶん犬派。

「蛍」聴いたよ。これはまず福山の声の勝ちでしょう。
視覚ではすぐに泣けてしまうけど、聴覚ではメロディーと歌詞の意味を
脳内でまぜないといけないから、これがかなり難しい。
メロディーだけならすぐに感情移入してしまうんだけどね。
洋楽は歌詞があっても意味がわからないから、狐にとってはメロディーの一部になってしまっている。
両えくぼさんスゲー美人さんだった。ということは吉高由里子にも似ているってことか?
似ているのは酒好きのところ って誰も言ってませんからね!

偏頭痛はスッキリしない天気の関係があると思うけど、
羽チャンの頑張りすぎもあるかもね。もっと肩の力を抜いて。
はい 深呼吸。ラロロラロレ モアラロロラロレ
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