MOONの似顔絵エッセイ

似顔絵師MOONです。
似顔絵よもやま話をぼちぼちと書いていきます。

ホリエモン問題

2006年01月30日 | トピックス
若い経営者のヒーローのように持ち上げてきたマスコミは
ホリエモン逮捕という事態になって、一転してケチョンケチョンに
こきおろしている。一体マスコミの節操はどうなっているんじゃ?
この問題をどう扱ったか、ホリエモンを鏡として、テレビ局
新聞・週刊誌などの各報道機関の姿勢があらわになっている。

ホリエモン逮捕の報道後、専門学校の教務スタッフら
5~6人と飲む機会があったので、一人一人に聞いたみた。
あなたはホリエモン問題をどう思いますか?
この問題をどうとらえているか、という視点で発言する人の
人間性が見えてくると思ったからだ。
しかし、明確に自分自身の思いを自分の言葉で
語ってくれた人はいなかったのは残念だった。

私の高校生の息子は、なんで逮捕されたのかが、未だに理解できない。
若者に夢と希望を与えてもらった人、という思いを未だ
もっているのだ。若者の希望の星だったという思いが
色濃く残っているのだろう。

私自身の考えはこうだ。
最初からうさんくさい若者だと思っていた。
「人の心は金で買える」
「女は金でついてくる」
「金があれば、なんでもできる」
その言動が多くの若者に間違った夢と希望を与えてしまった。
額に汗して働く意欲を失わせ、自宅のパソコンで株取引をする
個人投資家デイトレイダーをいっぱい作ってしまった。
ホリエモンが逮捕された翌日、東証が取引停止になり
一日で3億円を失った27歳の若者が、数日後株価が上がり
失った3億円を取り戻したことがテレビで報じていた。

3億円といえば一人の人間が、一生かかって稼げるか
どうかという金額である。それを一日で稼いだり、
失ったりすること事態、異常というしかない。
勝組といわれている若者は幸せそうな顔をしていない。
こんな若者が増えていった場合、間違いなく生産力・
国力が低下し、日本は間違った方向にいってしまうだろう。
マネーゲーム好きの若者に元気を与え、
若者に間違ったメッセージを与えてしまったホリエモンの
罪は非常に深いと思っている。

喜劇役者のチャップリンが残した言葉
「人生に必要なものは、愛と希望とサムマネー」
私が好きな言葉だ。

一人の人間として必要なものは愛と希望だ。
それに、いくらかのお金があればいい。 お金は必要なんだ。
“」いくらかの金”がポイントである。
大金を手に入れると、かえって人生を狂わしてしまう。
今回のホリエモン問題はまさにこのケースではないだろうか。
誰も将来に夢と希望があればこそ、人間は生きていけるとも言える。
愛と希望を失ったら人は犯罪を犯すか、自殺するしかないだろう。
人にとって、その夢と希望を持つ力の程度には
バラツキがあるにしても、、
人間生きていくには、愛と希望をもつことが必要であり、
これこそ生きる力になるのだと思う。

もう一度復唱。
「人生に必要なものは、愛と希望とサムマネー」

ビッグスワン

2006年01月29日 | トピックス
日本共済株式会社 プライム共済事業部のホームページです。

この会のことを調べ納得がいったので、
6000円の共済に入りました。
収入を得る手段として掌握する価値が十分にあります。
1月25日(水)(13時30分)にプライム共済のセミナーがあります。
参加されるようでしたら私も行きますので、ご案内いたします。
なお、ここのことを1月16日の「癒しの森」に書きました。

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前回ご紹介したが、石田さんは「日々の映像」というエッセイを
毎日書きつづけて足掛け10年になろうとしている。
上記の文面は、その石田さんから先週からいただいたメールである。
石田さんのお誘いにのって、昨日石田夫妻と共にあるセミナーに参加してきた。
セミナーの会場はビッグスワン。
私は初めてビッグスワンという建物に入ったことになる。
何しろ大きい建物だ。有り余る空間を小割りにして、
サッカーがオフの期間、市民に貸し会場として提供しているのだ。
セミナーの会場はビッグスワンの第7会議室だった。
第5会議室では、新潟デザイン専門学校の修了制作の審査会が
行われていた。

さて、セミナーに参加して感じたことを少々記す。
これは時代にマッチした事業だと思った。
1、社会貢献  2、福利厚生の充実  3、経済的安定
という3つの基本理念にも共鳴するものがある。

日本は今閉塞感に覆われている。
この閉塞感はどこからきているのだろう。
一言に言えば、未来に対して希望がもてないからだと思う。
年金もあてにならない。
私は年金受給者だが、もらえる額が年々下がっていく。
若い人は自分が年金をもらえるとは思えない。
だから保険料を払わない。
親が子供に対して「保険料は払うべきだ」といっても
悲しいかな説得力が伴わないのだ。

病気になって入院したら、事故で怪我をしたら
身内がなくなったら、自分が亡くなったら・・・
人が生きていくなかでいろいろな障害・不安はつきもの。
いざという時に、それを保障するのが保険会社であるが、
日本の保険会社は集まった保険料の75%を会社の経費として
使い、保障に使われるのは25%なのだそうだ。
そう聞かされると、保険料を払うのもばかばかしい。

プライムクラブの保障プランは生活密着型保障で
加入が簡単、保障が厚い、掛け金が安いという特徴があり、
従来型の保険の概念を凌駕し、未来に希望がもてると感じた。
発足して3年、現在会員40000人、毎月2000人が
加入している。急激に会員数が伸びていくことが予感できた。
その秘密は、宣伝しない。事務所を持たない。
つまり経費をかけない分を会員に還元する仕組みなのだ。
口コミだけで会員が増えているという。
「一人が万人のために、万人が一人のために」を
真面目に実行している会社であり、なにより会員が増えていけば
いくほど社会貢献に寄与できるお仕事だという認識をもてた。

閉塞感と不安に覆われている日本にあって、生まれて間もない
全く新しいビジネスモデルだが、未来に希望がもてる
ビジネスとして、これからどんどん伸びていく可能性があると
私は感じている。

なお、月2回セミナーを開いているので
興味のある方は参加してみてることをお勧めしたい。

生涯青春の会

2006年01月28日 | トピックス
石田さんは昨年6月にNPO法人「生涯青春の会」を立ち上げた。
これまで8回にわたって例会を開いてきた。
会場は新潟ユニゾンプラザ」を使ってきた。私は5回ほど
参加している。
参加費は1000円、軽い食事もでて、楽しい夕夜の集いである。

参加者は、大学の先生、アナウンサー、サラリーマン、主婦、
定年退職者などなど多彩。別名「スピーチの会」といって、
参加者の何名かが4分の時間内でスピーチをするのが特徴。
趣味の話題、人生体験、最近感じていることなどなど
話題は多岐にわたるが、参加して勉強になることが多かった。

11月の例会で、私はブライダルプロデュースの相馬さんを
お誘いした。初めての参加した相馬さんに、4分間スピーチを
お願いしたら、快く引き受けていただいた。
時間内で収まった見事なスピーチだった。
司会20年のキャリアは伊達じゃないと思った。
例会を重ねるごとに参加者が増えきたので、
今年はグループを分割して小グループで行っている。
石田さんは、人と人との交流の場、しゃべり場を
作ってきたことになる。

石田さんは毎日2本のエッセイを書いておられる。
時より自宅でお客を招き「うどんの会」を開いている。
なんとなんとご自分でうどんを作るのだ。
さらに、「生涯青春の会」を月1回開催してこられた。
石田さんのこうした精力的な活動には、
常に奥さんの影の力がある。夫婦付随を石田夫妻に見る。
「生涯青春の会」では、奥さんが司会役をやってこられた。
奥さんは感性豊かで好奇心旺盛、いつも優しい笑顔の人だ。
花を育てるのが好きな人だ。
昨年は顎ガンの手術のためを何回も入院された、にもかかわらず
園芸福祉士の資格試験に挑戦して見事に合格しているのだ。

日々の映像

2006年01月27日 | トピックス
私と同じ町内に住んでいる石田双三さんが書いている
エッセイ「日々の映像」が10年目に突入した。
社会の様々な出来事、高齢化社会・青少年・年金・北朝鮮・
イラク問題・耐震強度偽装問題・ホリエモン問題などなど
タイムリーな話題は多岐にわたっており、石田さんの
鋭い視点で分かり易く問題を切っているのだ。
ホリエモン問題が日本社会に大混乱を及ぼし、
政界にも波及している。このホリエモン問題についても
「日々の映像」でも過去8回にわたり取り上げている。

短文エッセイ「日々の映像」
2002年1月から約1200回分が公開されている。
インターネットに掲載する前は、手書きで書いていた。
その当時から数えると、実に10年継続して書き続けていることになる。
一言で10年とはいえ、これは驚異的なことだ。
石田さんの集中力と持続力には、いつも感心させられている。

さらに「日々の映像」に加え、2003年8月から同じく短文エッセイ
「癒しの森」を書きはじめ、これも継続している。
これは文章の最後に短歌で結ぶ形になっているのが特徴で、
「癒しの森」は心のビタミン剤となっている。
ほっと一息して、石田さんのエッセイをご覧あれ!

どうせ、生きるなら

2006年01月13日 | 似顔絵
新潟でブライダルプロデュースHIROを主宰し活躍している
相馬弘子さんは、4年連続毎年ホノルル・マラソンに参加している。
4年前、ホノルルで車いすレースの実力者 廣道 純さんと始めて会った。
その日から廣道さんの人柄とオーラに魅せられ熱烈なフアンになった。
廣道さんは身体障害者であるが、「夢おい人」である。
北京で行われるパラリンピックで金メダルを目指しているアスリートだ。
車イスレースでの実績は活目すべきものがある。
32歳という若さであるが、大分県の名誉県民でもあるのだ。

廣道さんに新潟にきてもらうことを夢見てきた相馬さんも「夢おい人」である。
夢を夢のままに終わらせない。夢を実現しようとする情熱をもっている。
その夢が実現することになった。下記の情報が相馬さんからメールで届いた。
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2月10日(金)午後17時半~受付 18時講演会
場所 万代シルバーホテル 3階柳江苑(中華)
参加費 ¥5000(食事付)講演後親睦会です。
演題 「どうせ、生きるなら」出版の本のタイトルと同じです。
先着50名です。もうすでに申し込みが沢山きています。

1月25日の「新潟KOMACHI」・「くるまる」等に記事がでます。
1月25日・2月1日には「新潟情報」にもでます。
車椅子可・手話通訳相談応です。気兼ねなく起こしください。
お問い合わせは・・・・・・ブライダルプロデュースHIRO
             代表 相馬弘子
             TEL 025-248-1045
________________________

新潟は車いすレースにはなじみがない。
64年生きてきたが、私も車いすレースを見たことがない。
たぶん新潟は身体障害者には優しくないのかも知れない。
車いすレースはかなりのスピードが出るレースだが
新潟市内では、車レースに使える道路に問題があるようだ。

新潟は地震や水害に打ちのめされ、さらに大雪災害で痛めつけられている。
だからこそ、廣道さんから新潟にきてもらって
「新潟に勇気と元気を与えたいと」いう相馬さんの熱い想いが通じて、
廣道さんを動かし、今回講演会という形で実現することになったのだろう。

「ともかく身体障害者という暗いイメージが廣道さんにはないんです。
廣道さんには、オーラがでているんですよ」と相馬さんは熱く語る。
新潟に廣道さんを呼ぶことができれば、身体障害者だけではなく
健常者も廣道さんに勇気をもらえるだろうなと私も思う。

昨年6月1日に当ブログに「廣道純さんの結婚」を書いた。
廣道さんはハワイで昨年結婚式を挙げ、5月28日に福岡で結婚披露宴を開催した。
この結婚披露宴をプロデュースしたのは相馬さんだった。
5月1日に、相馬さんから廣道さんご夫婦へ「ウエルカム色紙」を、
廣道さんのご家族に「サンクス色紙」を贈りたいということで
私が依頼を受けて、2枚の色紙に似顔絵を描かせていただいた。
廣道さんとご家族からは、喜んでいただいたようである。
掲載したイラストはその時の「ウエルカム色紙」である。

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「似顔絵工房MOON」には複数の似顔絵スタッフがいます。
個性が違う絵柄を見たうえで、お好きな絵柄の作家を指名することができます。



路上書家 大西高広

2006年01月11日 | 映画
1998年 神戸デザイナー学院
       グラフィックデザイン科 卒業。
1999年 コピーライター養成講座
       基礎コース 卒業。
2001年 独学で書道を始める。
2002年 路上で作品を書き始める。

大西高広さんは今年28歳になる若き路上書家だ。
大西さんと始めて会ったのは昨年11月だ。
私はジョイフル2新潟店で毎週土日に似顔絵パフォーマンスで
似顔絵を描いている。その似顔絵コーナーの隣で
大西さんが書家として出店した時に、名刺交換して知り合いになった。
私は3月になると65歳になる。
大西さんは私の息子と同じ年齢だが、今の若者には珍しい
非常にピュアな目をもっている、愛すべき青年だ。

大西さんとの出会いには、不思議な縁を感じている。
最初にお会いした頃、私のブログに「ALWAYS三丁目の夕日」を書いた。
前日に家族と見た映画に感激して書いたものだ。
いただいた名刺を見たらホームページのURLがあったので
家のパソコンで大西さんのホームページに行ってみた。
「路上書家 大西高広」というブログだった。
驚いたことに、最近の記事が私と同じタイトルで
「ALWAYS三丁目の夕日」だった。こんな偶然があるのだろうか。
この映画は西岸良平という漫画家の作品が原作になっているのだが
大西さんは西岸良平の作品が好きで、全巻持っている、と後日彼から聞いた。

大西さんが書く書はほのぼの感がある独特な丸っぽい書で
左手で書を書く。師匠はいない。
大西さんの地元は兵庫県明石だが、縁あって新潟にたびたびきている。
大西さんと最初に隣同士で仕事をした時は、お客がさっぱりだった。
はるばる明石から新潟まできて・・・と少々同情心が起こる。
この時は、テーブルで書を書くというスタイルで行った。

ところが、先週の土日には信じられないほどのお客を集めていた。
今回はスタイルを変えたのが功を奏したようだ。
お店にござを用意してもらって、路上で書いているスタイルで
大西さんは色紙に文字を書き始めた。
すると、お客が周りを取り囲むように集まったのだ。
休憩する暇もなく、延々と一日中この光景が続いていた。
路上スタイルが彼に一番あったスタイルなんだろう。

地面に這いつくばってなにやら左手で筆をもって書いている人がいる。
「何しているんだろう?」とまずお客がよってくる。
大西さんが書いている、ほのぼのとした書にひきつけられて立ち去らない。
「なんだろう?」と思って、またまたお客が取り巻くように集まる。
大西さんが書いている周囲には不思議な空気が生まれている。
そこに対話が生まれ、注文が生まれ、作品が売れていく。

人に潤いと安らぎを与える大西さんの書である。
真摯に自分と向き合い、独自の道を突き進む
和んだふるな大西ワールドにエールを贈りたい。

映画の時代

2006年01月04日 | 映画
街を歩いていると、目に飛び込んでくる映画の大看板。
大きいものになると畳何十枚にもなるものが、かっては少なくなかった。
これには、特別な思いが私の中にある・・・。

 私は、今年還暦を迎え定年退職をする。これを期に、
過去を振り向いてみても許されるのではないかと思い、
ささやかな体験を披露することにした。 
まず、最初の煌めく時間を共有してくれた
当時の上司、先輩、同僚に感謝したい。それと”時代”に。

 その頃、そう1960年私は高校を卒業し、上京した。 
人生の新舞台を首都東京で迎えることになった。舞台は大きい。
そこでの第一歩。期待に胸をふるわせたものだ。当時の若者は、
今よりももっと東京に期待を寄せていたものだ。 
「若い根っこの会」など中卒の集団就職の人達が金の卵ともてはやされ、
TVにも盛んに出演していた。 ちょうど、坂本 九のジェンカの節で
おもちゃの竹製のヘビのように連なって踊っている画面が鮮やかに甦る。

20歳から23歳までの足掛け3年、私は新宿歌舞伎町にある映画の
看板屋で修行をしていた。この時代は映画界が最も華やかで、
元気があった時代で、日本の映画界の黄金期が形成されていった時代である。
また、東京が今のように世界都市になる基礎を造った
東京オリンピック開催までの時代である。私にとっては、
まさに”大学”だった。
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以上の文章は、6年前に私が始めて作ったホームページ「20世紀の館」
に掲載していったエッセイ「映画の時代」の冒頭のあいさつ文である。
その頃は、どこの町にも、映画館とお風呂屋さんがあった。
地元の商店街にも活気があった。人々にもやる気が満ちていた。

21世紀になって今の日本を見てみると
あらゆる分野で系列化が進み、勝ち組、負け組みなどという言葉が生まれた。
日本の各地に郊外型の大型ショッピングセンターが幅を利かせている。
映画館も時代の流れに逆らえなかった。
町の映画館は姿を変えた。今はシネコンが主流となり、
癒しとコミュニケーションの場だったお風呂屋さんも姿を変えてしまった。
町に映画館とお風呂屋さんが消えていくと共に
地元商店街も灯が消えたように元気を失っている。
効率が錦の御旗となった感があるが、そのほころびがあちこちに出てきた。
日本は効率化・利益追求を追いかけてきた日本である。
その結果、庶民の文化、巷の文化が極度に貧しくなった。
モノ作りの職人の仕事を奪ってきた。
日本人としての誇りやプライドさえ失おうとしている。

年が明けて2006年である。
藤沢周平原作、山田洋二監督、真田真之・宮沢リエ主演の時代劇
「たそがれ清兵衛」を我が家のテレビでDVDで見た。
レンタルで借りてきたものだ。便利になったものだ。
映画は非常に丁寧に作られていて好感がもてたが、
やはり映画館で見たかった作品である。
元気のなくなった日本の映画界ではあるが、昨年は時代劇が健闘した。
昨年、藤沢周平原作の時代劇、「蝉しぐれ」「隠し剣鬼の爪」「どら平太」
を見たが、今日見た「たそがれ清兵衛」で藤沢作品四本目となる。

今はその勢いは韓国に追い越されてしまった感があるが
かつて、日本には「映画の時代」というべき時代があった。
黒澤明監督の「椿三十郎」は日本の映画がまだ勢いがあった時代
1962年に作られた映画だ。
冒頭のイラストは神戸の映画看板絵師 山中一夫さんが描いた
映画「椿三十郎」の三船敏郎の絵を使わせてもらって、
映画看板の製作現場のシーンを私が描き、
エッセイ「映画の時代」の挿絵として使ったものだ。