そば切り百夜日記

そば切り百夜月の近況報告。蕎麦の情報から店長の独り言まで思いつくまま綴っていきます。

雪化粧

2008年02月09日 21時32分25秒 | Weblog
珍しく奈良に雪が積もった。山間部では珍しくないのだが、市内の平地では、何年ぶりだろう。お客さんはさすがに少なかったが、窓から見える雪景色はなかなかのもの。お酒を召し上がるお客さんも多く、「雪見酒で気分がいい」と上機嫌だった。毎日はきついけど、たまにはいいもんです。
月曜のお蕎麦=二八・十割=福井・丸岡産、手挽き=広島・比和産。話題の「鹿男あをによし」。エンディング曲にあわせた鹿の疾走が笑えます。

春は、別れの‥

2008年01月31日 22時04分19秒 | Weblog
‥季節である。「1年間奈良に赴任していましたが、戻ることになりました。また機会があったら食べにきます」。いつのころからか、来てくれるようになった手挽きの常連さん。サラリーマンに異動はつきものだが、この時期、挨拶してくれる方が多い。いつのまにか、顔を見なくなった人もどこか新しい地でお蕎麦を召し上がっておられることだろう。時々、百夜月の蕎麦も思い出して、また、奈良に来たら寄ってください。
明日のお蕎麦=二八・十割=福井・丸岡産、手挽き=広島・比和産。2月のお酒は、風の森(純米大吟醸・奈良)です。

長い1週間

2008年01月12日 19時12分07秒 | Weblog
年明けの1週間は、長く感じる。比較的1月、2月はお客さんも少なめで、その分、時間の流れがゆるやかだ。ゆったり食べてもらうには、今の時期がおすすめ。これで、売り上げも繁忙期と同じくらい上がってくれると、言うこと無いのだが‥。そんな訳、アリマセン。今週は、常連さんに多く来ていただきました。開店当初からの方、1年、2年ほど前からのお客様、「また今年も来てくれた」とホッとします。本年もよろしくです。
月曜のお蕎麦=二八・十割=茨城・三和産、手挽き=茨城・水府産。若干、プレミアム大地残っているので、出せそうです。

新年あけましておめでとうございます。

2008年01月06日 19時55分45秒 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。1月5日の仕事始めには、予想を上回るお客様にご来店いただき本当に有難い限りです。新年一発目は、「果たして上手く打てるのか」「お客様、常連さんは来てくれるだろうか」といまだに不安がよぎります。おかげさまで本年は天候にも恵まれ、完売好スタートとなりました。本年も更に一歩前進した蕎麦を追求していきたいと思っておりますので、変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いします。
明日の蕎麦=二八・十割=茨城・三和産、手挽き=福井・大野産。値段もワンランク上だけあってなかなかの蕎麦(茨城)です(5日の仕事始めは、配送の関係でだせませんでした。土曜日のお客様、スミマセン。12日に出せるよう残しておきます)。*凡愚でのその後は、また機会を見て‥。今年は、毎日更新!目指しがんばりますです。

年末年始の営業案内

2007年12月29日 22時30分54秒 | Weblog
えーすっかりご無沙汰になってしまい、もうしわけない。(怪我などではなく、単に更新する気力が無かっただけで‥本当、申し訳ない。)来年は、できるだけ更新することを誓います。年末年始の営業ですが、大晦日は、通常通り昼、夜営業。両方ともお蕎麦なくなりしだい終了させていただきます。新年は、5日から通常通り営業開始しますので、よろしくお願いします。
大晦日の蕎麦=二八・十割=茨城・三和産、手挽き=広島・比和産。いつもよりワンランク上の蕎麦が入荷しました。少量ですので、大晦日、新年限りとなる予定です。どんな蕎麦か楽しみです。

再訪

2007年11月22日 22時13分03秒 | Weblog
結局、その日は仕込みがあるということで話を聞くことが出来なかった。が、後日、時間を取ってもらえることになり、約束の時間に再び、差し入れを持って訪れた(何故か覚えているがドンクのクリームケーキだった気がする)。ちょうど、昼の営業を終えた所で、真野さんと奥さんが大テーブルに。あまり、時間が無いようだったので、蕎麦屋になりたいこと、できればこちらで修行させていただきたいこと、蕎麦打ち経験はゼロ云々を手短に伝えた。その結果、現在、修行中の女性がおり、これ以上は無理なことを最初に告げられた。蕎麦屋を始めてわかったことだが、いくらこちらに熱意があっても、タイミングが大事で、誰もが希望の店で必ずしも修行できるわけではない。ましてや、「凡愚」などの有名店ともなれば弟子希望者は数知れず。基本的に弟子は断っており、「知人の紹介や誰かに頼まれて世話している例がほとんど」という話だった。
*明日のお蕎麦=二八・十割=茨城・三和産、手挽き=長野・八ヶ岳産

迷惑な話

2007年11月21日 21時44分11秒 | Weblog
今思うに、かなり蕎麦屋にとっては、迷惑な行動を取ってしまった。「お昼の営業終了後なら大丈夫だろう」と安易に考え、さしいれのケーキ持参で押しかけたのだ。お昼終了後は、釜の掃除、夜の蕎麦の準備、仕込みナドナド結構忙しかったりする。「少しお話をお聞かせ願えませんか」。どきどきしながら切り出したのを覚えている。
*明日のお蕎麦=二八・十割=茨城・三和産、手挽き=長野・八ヶ岳産。えー少し宣伝というか、なんと言うか。23日の関西テレビ系の朝の情報番組「痛快エブリデイ」に映るかもしれません。うちがメインではないんですけど、使わせてもらってる西口鰹さんの取材で、その鰹ぶしを使ってる蕎麦屋さんとしてチラッと登場させてもらいます。タージンさんがレポーターとして来てくれました。テレビそのまんまで、笑いそうになりましたが、さすがプロ、一発で決めてくれました(10時20分ころだそうです)。

再び「凡愚」へ

2007年10月28日 14時03分25秒 | Weblog
結局、この年一杯で会社を後にした。30代後半、新しい事にチャレンジするにはギリギリと判断したためだ(勿論、野田さんの言葉に後押しされたのも大きい)。嫁さんは、当然のごとく反対。家で蕎麦打ちをしたこともないのに、「蕎麦屋になる」だから、かなり困惑したことだろう。嫁さんに理解してもらうための説得、互いの両親への報告など、この時期は精神的にかなり厳しかったが、人生の軌道修正なのだから、かなりのエネルギーを消耗して当然。なんとか了承を得、得たからには必ず「あの時転職してよかった」と自分自身も、周りの家族にも思ってもらえるよう、心に誓った。まず始めに真っ先に向かったのは、「凡愚」。まっさらな状態で真野さんの指導を受けたかった。
*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・音威子府産、手挽き=北海道・旭川産。奈良では、「正倉院展」が始まりました。会期中は、混雑が予想されご迷惑をおかけしますが、いいお蕎麦を食べていただけるよう頑張ります。

「40歳までは‥」

2007年10月25日 22時50分02秒 | Weblog
実際お会いした野田さんは、思ったより小柄だったが、がっしりしていた。カヌー犬ガクもまだ健在(マラリアによる咳をしていた)で、手をなめられたのが嬉しかった。夢見心地でインタビューに入り、あっという間に終わった気がするが、一番印象に残った言葉が「男は、40歳までは何をやってもいい」という言葉だ。昔、一つの会社に就職したら定年まで勤め上げるのが良しとされた時代、野田さんは、教師をやめ、日本を放浪した時期があった。「あの頃は、おろかだったよ。皆が、定職につかないものはだめという。大学を出て、自分が何者であるか、何がしたいかわかっているものなんかまれなのに。本当に自分のしたい仕事が見つかるまでは、色々やってみていいと思う」。インタビューではなく、まるで自分に向かって発してくれている言葉のように聞こえた。この時にご馳走になった、馬刺しは美味しかった。いつか、野田さんが自分の店に来てくれたら、蕎麦でお返ししたいと思っている。

*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・沼田産、手挽き=北海道・旭川産

野田知佑さんのこと

2007年10月24日 22時20分48秒 | Weblog
そんな刺激を受けた一人にカヌーイストの野田知佑さんがいた。若い頃から、椎名誠さんのエッセイ等で名前は知っていたが、著書は読んだことはなかった。20代前半、わけあって東京で一人暮らしをしていた時にたまたま書店で手に取った文庫に田舎の熊野川がのっていたので購入したら、それが「のんびりいこうぜ」(野田知佑著、小学館)。4畳半一間のアパートで、郷里の川のエッセイを読む時だけが日常の不安も何もかも忘れさせてくれた(今から考えると、あれは至福のときだったのかもしれない)。内容はというと全国の川をカヌーで下る様子をつづったエッセイなのだが、失われゆく自然に警鐘を鳴らす硬派な文章が小気味良かった。「いつか会ってみたい」ずっと思い続け十数年、雑誌のインタビュー候補に名前を挙げたら通り、熊本に会いに行くことになった。今から思えば、このときのインタビューが後の人生を決定づけたのかもしれない。
*明日の蕎麦=二八・十割=北海道・音威子府産、手挽き=北海道・沼田産