そば切り百夜日記

そば切り百夜月の近況報告。蕎麦の情報から店長の独り言まで思いつくまま綴っていきます。

再び「凡愚」へ

2007年10月28日 14時03分25秒 | Weblog
結局、この年一杯で会社を後にした。30代後半、新しい事にチャレンジするにはギリギリと判断したためだ(勿論、野田さんの言葉に後押しされたのも大きい)。嫁さんは、当然のごとく反対。家で蕎麦打ちをしたこともないのに、「蕎麦屋になる」だから、かなり困惑したことだろう。嫁さんに理解してもらうための説得、互いの両親への報告など、この時期は精神的にかなり厳しかったが、人生の軌道修正なのだから、かなりのエネルギーを消耗して当然。なんとか了承を得、得たからには必ず「あの時転職してよかった」と自分自身も、周りの家族にも思ってもらえるよう、心に誓った。まず始めに真っ先に向かったのは、「凡愚」。まっさらな状態で真野さんの指導を受けたかった。
*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・音威子府産、手挽き=北海道・旭川産。奈良では、「正倉院展」が始まりました。会期中は、混雑が予想されご迷惑をおかけしますが、いいお蕎麦を食べていただけるよう頑張ります。

「40歳までは‥」

2007年10月25日 22時50分02秒 | Weblog
実際お会いした野田さんは、思ったより小柄だったが、がっしりしていた。カヌー犬ガクもまだ健在(マラリアによる咳をしていた)で、手をなめられたのが嬉しかった。夢見心地でインタビューに入り、あっという間に終わった気がするが、一番印象に残った言葉が「男は、40歳までは何をやってもいい」という言葉だ。昔、一つの会社に就職したら定年まで勤め上げるのが良しとされた時代、野田さんは、教師をやめ、日本を放浪した時期があった。「あの頃は、おろかだったよ。皆が、定職につかないものはだめという。大学を出て、自分が何者であるか、何がしたいかわかっているものなんかまれなのに。本当に自分のしたい仕事が見つかるまでは、色々やってみていいと思う」。インタビューではなく、まるで自分に向かって発してくれている言葉のように聞こえた。この時にご馳走になった、馬刺しは美味しかった。いつか、野田さんが自分の店に来てくれたら、蕎麦でお返ししたいと思っている。

*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・沼田産、手挽き=北海道・旭川産

野田知佑さんのこと

2007年10月24日 22時20分48秒 | Weblog
そんな刺激を受けた一人にカヌーイストの野田知佑さんがいた。若い頃から、椎名誠さんのエッセイ等で名前は知っていたが、著書は読んだことはなかった。20代前半、わけあって東京で一人暮らしをしていた時にたまたま書店で手に取った文庫に田舎の熊野川がのっていたので購入したら、それが「のんびりいこうぜ」(野田知佑著、小学館)。4畳半一間のアパートで、郷里の川のエッセイを読む時だけが日常の不安も何もかも忘れさせてくれた(今から考えると、あれは至福のときだったのかもしれない)。内容はというと全国の川をカヌーで下る様子をつづったエッセイなのだが、失われゆく自然に警鐘を鳴らす硬派な文章が小気味良かった。「いつか会ってみたい」ずっと思い続け十数年、雑誌のインタビュー候補に名前を挙げたら通り、熊本に会いに行くことになった。今から思えば、このときのインタビューが後の人生を決定づけたのかもしれない。
*明日の蕎麦=二八・十割=北海道・音威子府産、手挽き=北海道・沼田産

業界紙で10年

2007年10月19日 21時51分17秒 | Weblog
大阪の小さな業界紙に就職して、知らぬ間に10年(以上?)が経過していた。思えば、本や雑誌(特に雑誌)が好きで、自分からのぞんで飛び込んだものの、「何か違う」といつも感じていたような気がする。わかっていながら、気が付かないふりをして10年お世話になった。書くことが好きで(業界紙の記者には最後までなじめなかったが)、自分で企画し、希望した人物に会って話を聞いたりするのは楽しかった。思えば、取材の帰りにいい意味で刺激を受け、「俺も頑張らねば」と帰路につくことも一度や二度ではなかった。
*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・滝川産、手挽き=福島・会津産

それから3年‥

2007年10月18日 22時44分14秒 | Weblog
その時は、「手挽き蕎麦」と今まで食べてきた普通の蕎麦は別物くらいにしか認識していなかった(まして、自分が蕎麦屋になるなどと‥)。蕎麦屋という職業はおもしろそうだ。新しいタイプの蕎麦職人は、魅力的な人が多い。蕎麦特集の雑誌に目を通しながら、ただ漠然とそう考えていただけで、自分で蕎麦を打ってみたいとも思わなかった。気が付くと「凡愚」を訪れてから、3年の月日が経過していたように思う。
*明日の蕎麦=二八・十割=北海道・滝川産、手挽き=福島・会津産

あとから‥

2007年10月16日 21時49分50秒 | Weblog
「ありがとう~ございました~」。独特の奥さんの抑揚のある声に見送られ店を後に。真野さんは、打ち場で、石臼をまわしていた(しばらく見ていたかったが、閉店時間だったので退散)。念願の手挽き。「むちゃくちゃうまかった~」となるかと思いきや、さにあらず。じわじわ、じわじわ~と日を追うごとにあとからきましたね。まず、他の蕎麦がおいしく感じなくなった(舌が肥えるという現象?)。もう一度食べてみたいという欲求。あの蕎麦は、何だったんだろうという思い。うーん、手挽き恐るべし、否、本物の蕎麦恐るべし。
*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・滝川産、手挽き=福島・会津産

透明感のある蕎麦

2007年10月15日 21時45分19秒 | Weblog
店内に置かれている石臼や、打ち場をながめていると、手挽きが運ばれてきた。雑誌の写真より数段きれいだ。想像以上に細く、かつつながって透明感があったように記憶している(以降、これが自分の目指す蕎麦になるのです)。一口まず、つゆの味を確かめる。甘すぎず、とびきり辛口でもない。すっきりとしたつゆ。その頃は、塩で食べることも知らず、蕎麦だけ食べることもせず、はやる気持ちを抑えることもできず。一口目、つゆにつけズズッツ。2口目ズズッツ。3口、4口目ズッズズ。最後、ざるに残ったそばを集めズッ。量はそんなに多くなく、いつも食べている蕎麦に比べ少なく感じた。余韻にひたっている所に、鴨汁。こちらもツユを先にいただく。辛い。つゆだけだと辛く感じたが、蕎麦をつけて食べると絶妙。正直、このときは、手挽きよりも鴨汁のほうが美味しく感じたかもしれない。というか、手挽きは、どこがどう美味しいのかはっきり解らなかった‥この時点では。

*明日の蕎麦=二八・十割=北海道・旭川産、手挽き=福島・会津産

待ち合いに「銀花」

2007年10月06日 20時18分14秒 | Weblog
2、3度車で店の前を行ったり来たり。雰囲気のある外観だが、通りすがりの人は、よもや蕎麦の名店とは思わないだろう。結局、車を止めるスペースが無く、大通りに停めなおしていざ、出陣。閉店間際だったため、お客は、一人か二人だったように記憶している。メニューは、あらかじめ知っていたので、手挽きのざると、鴨汁を注文。お茶を持ってきてくれたのは、奥さんか。雑誌で見知ったお顔だ(後から知ったが、その暖かい接客ぶりは、ご主人と並んで評されている)。店内は、それほど広くなく、どちらかというと、狭い。大きな1枚板のテーブル(10席くらいだったか?)と、待ち合い。多分これまでに掲載された雑誌や、「銀花」がズラッと置いてあったのが印象的だった(これで、「只者でない」と思いましたね)。
*月曜のお蕎麦=二八・十割=北海道・滝川産、手挽き=福島・会津産。誠に申しわけありませんが、当店専用の駐車場は、ございません。一番近いモータープールは、金子モータープールさんで、出口を左に出られたらすぐです。

いざ「凡愚」へ

2007年10月04日 22時19分49秒 | Weblog
結局、なんやかんやで、「凡愚」を実際に訪れたのは、1年以上後だったと思う。昼食は、基本的に外食だったのだが、いかんせん「凡愚」のある大正区に縁がなかった。仕事で近くまでいった時に‥と、ほっといたが、その機会に全く恵まれなかったのですね。それと、営業日が確か木、金、土、日だったか、その関係でチャンスは木と金しかなかったんだ、そうそう。で、大阪ドームだったか、なんだったか忘れたが、やっとチャンスがめぐってきたので、コピーした地図を頼りに探しました。大きな幹線道路から少し中へ入ったところに、星印があり、それを目印に行ったりきたり。初めての人には、多分(というかかなり)わかりにくい場所に、目指す「凡愚」は、ありました。
*明日のお蕎麦=二八・十割=北海道・滝川産、手挽き=福島・会津産。えーうちの温かい蕎麦は、11月からです。あしからず。