
元気ですかーっ!!
もっきいです。ご無沙汰です。もうこのブログなくなちゃったと思われた方
いませんか?まだまだほそぼそと続けていきます。よろしく。
マルタから日本に帰ってもう7週間、いままでの生活に戻るにつれ
英語をどんどん忘れてゆく感じに、ちょっと焦ってます。それで映画は
英語のものを3本。でも、英語以外でどうしても見たくなるものもありまして、
さらに、ラジオで聞いたのですが大島渚監督は、いまも尿瓶をもって
奥様と映画館へ行かれているそうで、
初見参、大阪のシネ・ヌーボXへ行ってまいりました。
タイトル:チョンおばさんのクニ
ジャンル:ドキュメンタリー・2000年日本製作(監督は中国人)
場所:大阪・シネヌーボX(30席:カップル1組と、おばさん2人と私の計5人)
日時:2007年4月7日(日) 14:30~ 90分
満足度:65%
おすすめ度:おまりオススメする気になれる作品ではありません。
<序>
10年程前だろうか、まったくものにならなかったのだが、当時韓国語を
習っていて中国残留孤児のニュースをみて、韓国人の先生と話をしました。
私『韓国残留孤児ということばは、聞かないけどいるんでしょうね。』
『それは、いるはず。中国にいて、韓国に帰れない人もいる。』
思いもよらない言葉であった。日本人で、朝鮮半島から帰れなかった
人のことだけ考えていて、韓国人で中国から帰れない人のことは
はずかしながら考えたことがなかった。
『そういう人は、日本の中国残留孤児みたいに、両国間で
肉親捜しとかやってるんですか?』
『ない』
『なんで?』
『それは、そこまで国の力がないから』
会話は、ここでとぎれた。誰がやるべきかの議論は、置いておいて
どうなっているかの例として、この映画でわかるかなと思ったことも
この映画に興味をもったひとつの理由。
<冒頭>
黒地にしろ文字で「第一回班忠義監督作品」
※バン・チュンイ監督
白髪の老女。80歳ぐらいに見える。ホテルの一室と思われるが
ベッド枕元上の備え付けの電灯が逆光になり顔も暗い。
『毎日、夢をみます。夢の中で祖国の家に帰ります。
幼友達と遊んでいて、突然消えると、目が覚めます。』
監督と思われる、日本語のナレーションで、経緯が説明される。
自分は中国から日本に留学生として来日したこと。
日本で、元慰安婦の話を聞き衝撃をうけ、
中国戦争被害者を支える活動を行い、そこに手紙がきて
短くて長いチョンおばさんとのつきあいが始まる。
<ストーリー:gooから、解説と、あらすじ を引用>
解説
従軍慰安婦として中国へ連行されて以来、故国の韓国へ帰ることを
願い続けた女性の半世紀ぶりの帰国の模様に迫ったドキュメンタリー。
監督は、本作が初監督作となる班忠義。撮影も班監督自身があたっている。
あらすじ
17歳の時、織物工場へ働きに行かないかと騙されて韓国の江景村から
中国の武漢市に強制的に連行され、旧日本軍の従軍慰安婦となった
鄭順意(韓国名・順素才、日本名・小山なおみ)さん。
以来、中国人の王利超と結婚し...
<感想:ストーリーを追いながら前半60分>
関西版ぴあの紹介も、上述のあらずじと同様数行の簡単なものであった。
出身国と、大戦後の国が異なるところが、他の従軍慰安婦のものと
異なるところに注目した。紹介の文に「感動」という文字がないので
帰国時の困難な日々がしのばれたが、それでも少しでもいいことが
あって最後は再び故郷の中国にもどってゆったりと暮らしていてほしいと
願ったのだが...。
まずは、帰国まえの病院の診断で、末期ガンであることがわかる。
余命5ヶ月の宣告。ここで気が重くなった。先行して韓国での肉親さがしも、
親戚や友人はみつからず知ってるという人がいる程度。いまでは韓国語も
忘れてしまっているというチョンおばさん。はたして、帰るべきか?
「ひとめ故郷をみたい」「必ず帰ってくるから」という言葉から
私はせいぜい1週間以内の短期の旅がベストと思った。
中国の自宅を離れる日。みるからに貧しい農家の家という感じのまわりには
子や孫など三百人あまりで溢れかえる。部屋のなかの夫の位牌に、お祈りをして
爆竹がけたたましくなるなか車の助手席に入ったチョンおばさん。開いた窓に
かろうじて届くぐらいの女の子が「いかないで」と泣き叫ぶ。チョンおばさんが
お金をわたすと「こんなものいらないから、いかないで」とまた泣き叫ぶ。
「とっといて」「必ずかえってくるから」の言葉を残し、さながら、
お葬式のような雰囲気のなか車が出発する。
韓国行きの飛行機がでる街へと行く途中、発作で倒れるチョンおばさん。入院。
韓国側との連絡もうまくいっていないようで、容態にも影響しているというような
ことばが病室のベッドで横になるおばさんにかけられる。ここで終わりか?
と思ったが、どうにかなったようで、いよいよ空港から韓国へと飛び立つ日がやってくる。
涙涙の息子さんとの別れと対照的に、韓国から迎えに来たみなりのいい
男性の裕福そうな顔になんとも違和感を感じる。余命5ヶ月の
診断からすでに数ヶ月。生きてすぐに戻ってきてほしいなあ。
五十何年ぶりの韓国、大きな川のそばの田園地域、チョンおばさんのクニ。
幼馴染に出会ったものの、相手側は記憶がないという。知っているという人に
であってもチョンおばさんの顔に笑顔はない。大勢の人に囲まれ「祝福」を
受ける教会の儀式。クニを一望できる高台、いいながめ。ここでも、取材?
支援者?映画関係者?多くの人に囲まれてはいるのだが、逆にとびきりの
孤独を感じているであろうチョンおばさん。高台からの坂道を両脇を
抱えられるようにして降りてくるとき、「私はどうしたらいいの」と
泣き崩れてしまう。ここでストップモーション。(死んだかと思いました。)
離陸した飛行機のまどから遠ざかってゆくクニ。監督のナレーション。
『わたしは、おおきな仕事をなしとげたという・・・』
えーーーっ??そうだったの??
あとから、映画製作会社のHPなどを見ると映画ではその時点では
わからなかったことが書かれていました。
まず、最初の手紙は、郵便局職員からのもので引用すると、
「彼女は70才を過ぎた高齢で、しかもガンに罹っています。
どうしても死ぬ前に50数年離れていた生まれ故郷を一度見てみたい
と言う宿願があったのです。」 つまり監督は、チョンおばさんに会う
前に、ガンであることを知っていたのです。映画では、以前から病院に
いっていたことは語られるものの韓国行きの前の健康診断でガンが
発覚したのかと思いました。
そして次に、『彼女の韓国への“永住帰国”の入国許可が下りた。』と
あるのです。二重コーテーションには、国家の発行した「永住帰国」。
死んでしまうかも知れないという「永住」。映画の前半では中国の韓国
大使館は証拠がないと拒否していた国に帰るんだという「帰国」。
さらには「再入国」は認められませんという意味も含まれているかも
しれないのだが、映画をみていてチョンおばさんが韓国に着くまで、
病気が理由でもどれないことはあったとしても、すぐに帰ってくるつもりで
出かけたと思っていた私は虚をつかれたと感じました。
「永住帰国」だからこそ、迎えにきたのは裕福そうな人だったのか。
彼は神父さんで4階建て鉄筋コンクリートのがっしりした建物に住み、
そこにチョンおばさんも住むことがあらかじめ決まっていたというわけなのか。
うーん。それしかクニをひと目みるという夢を実現する方法はなかったのか?
それともそれがベストであるという判断が誰かによりなされたのか?
今回の帰国の実現には、とても多くのかたの様々な苦労の上に成り立って
いるということは想像に難くない。だが、5泊6日の韓国ツアーがベストと
考えていた私にとっては納得のいかない展開でした。
チョンおばさんは、本当に納得していたのだろうか?
映画としては、すくなくとも手紙の時点でガンとわかっていたことと、
永住帰国許可と受け入れ先を決めて韓国へ旅立つことを、
もっと早い段階で示すべきではないのか?!
そして、この私の納得のいかなさは、この映画の後半でさらに
冗長されたのであった。
<後半のあらすじ>
監督がチョンおばさんにあったのが1996年10月、帰国が3月。
完全なネタバレながら、帰国後のあらすじをgooから引用。
『!ストーリーの結末が記載されていますのでご注意ください』
彼女が思い続けた故郷には昔の面影はなく、
肉親もいなかったのである。その後、マスコミが取り上げた
おかげで、鄭さんは幼なじみと再会を果たすも、中国に
残してきた家族の元に帰ることは叶わず、97年11月21日、
ソウルで息を引き取る。そして、99年12月29日、
ようやく鄭さんの遺骨は遺言通り、中国の家族の元に帰るのだった。
<後半の感想:ストーリーを追いながら30分>
チョンおばさんをソウルに残して数ヶ月。監督は、神父宅を訪ねるのだが
チョンおばさんは人が変わったかのようにげっそりとやせ、建て付けの
ベッドに横になっていた。よわよわしく涙を浮かべて「帰りたい」。
でも、とても動ける状態ではなさそうだ。
またくるからねと言って部屋をあとにする映画のスタッフ。
神父『帰りたいとはいままで、一度も言わなかったんですが。』
嘘つけ、と言いたくなったが、それは永住帰国をしらなかった私の
話で、そうなのかも?韓国語を離せなくなったチョンおばさんと
はたして日常会話はあったのだろうか?
別室での神父へのインタビューでは、中国側との接触を断っている
ことが述べられたものの、許可が得られなかったのか途切れてしまう。
結局これが、とびきりの美人だったと、中国の村の人が語っていた
チョンおばさんの最期の映像となってしまった。
それでも映画は終わらない。11月の死亡後の遺骨をめぐるやりとりが
2年つづく。中国側は、遺言をもとに返還を要求。チョンおばさんが
中国の家族の元を離れるときに書いたという遺言書を大写しで朗読。
神父からの直接情報はない。ホテルからの遺骨返還交渉の電話のあと
「遺骨がそんなに大事なんですか」と言っているとのこと。
また、チョンおばさんの息子さんは「民族の利益を考えろ」と
電話で言われたという。映画は断片的にその模様を伝え、
遺骨が返還されたところで終わる。
少しは、ほっとしたものの、後味は悪い。
よかれと思ったことが、かえって悪くしてしまったようで。
後半、神父は悪人として描かれているのだが、はたして
そうなのか?ドキュメンタリーがなければどんな展開になって
いただろうか?パンフレットを読めば少しはすっきりするかと
思ったのだが販売はしていなかった。
家に帰ってみた製作会社のHPには
「帰国の事がマスコミに大きく報道されたことも手伝って、
少女時代の親友、姉妹にも会えた。
しかし、皆が歓迎してくれたとは言えなかった。」とある。
※姉妹は、映画にはでてこなかった。
チョンおばさんは、誰かに出会うことを期待して短期ではなく
永住帰国を望んだのだろうか?それとも、自分の治療費などの
家族への負担(映画で「お金のことはわかりません」
「借金があります」との話があった)を気遣って永住帰国を
選んだのだろうか?いずれも違う気がする。韓国は一時、
あとはずーっと家族の元にいたかったことだろう。
遺骨がもどってこないとき、中国の村の人が
苦労ばかりしていたここでの生活を思うと、一緒に苦労をした
夫と同じこの村に遺骨をおさめたい、との涙ながらの訴えが
心に残った。子供にめぐまれ、村人からも愛された、
チョンおばさんの中国での生活が救いのように思えた。
gooの本映画のページ
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32090/index.html
映画製作・配給会社 ジグロのHP 本映画のページ
http://www.cine.co.jp/test_new/php/detail.php?siglo_info_seq=62
<シネヌーボX>
シネヌーボに増築されて?作られたたこじんまりとした映画館。
シネヌーボの映画館とトイレの間の通路を通って奥の階段を
上がったところにある。その名もシネヌーボX。30席弱ぐらいで、
スクリーンは2m×1.5mぐらい。椅子の足が前の方は切断されていて、
後ろの方はその分?継ぎ足されていて、床は平面だけど座ると
ひな壇。手作り感がたまりません。ここだからこそ上映できるという
映画をこれからもどんどん上映してほしいものです。
PS
この日は、市会議員選挙前日。帰りに商店街をぬけたところで、
雨にぬれた背広の男性が握手をもとめてきた。こういうとき私は
節操なく「がんばってください」と声をかける。あとからHPで
確認すると、自民党の議員で当選していた。
・チョンおばさんのクニ@映画生活
・王母鄭氏 チョンおばさんのクニ - goo 映画
もっきいです。ご無沙汰です。もうこのブログなくなちゃったと思われた方
いませんか?まだまだほそぼそと続けていきます。よろしく。
マルタから日本に帰ってもう7週間、いままでの生活に戻るにつれ
英語をどんどん忘れてゆく感じに、ちょっと焦ってます。それで映画は
英語のものを3本。でも、英語以外でどうしても見たくなるものもありまして、
さらに、ラジオで聞いたのですが大島渚監督は、いまも尿瓶をもって
奥様と映画館へ行かれているそうで、
初見参、大阪のシネ・ヌーボXへ行ってまいりました。
タイトル:チョンおばさんのクニ
ジャンル:ドキュメンタリー・2000年日本製作(監督は中国人)
場所:大阪・シネヌーボX(30席:カップル1組と、おばさん2人と私の計5人)
日時:2007年4月7日(日) 14:30~ 90分
満足度:65%
おすすめ度:おまりオススメする気になれる作品ではありません。
<序>
10年程前だろうか、まったくものにならなかったのだが、当時韓国語を
習っていて中国残留孤児のニュースをみて、韓国人の先生と話をしました。
私『韓国残留孤児ということばは、聞かないけどいるんでしょうね。』
『それは、いるはず。中国にいて、韓国に帰れない人もいる。』
思いもよらない言葉であった。日本人で、朝鮮半島から帰れなかった
人のことだけ考えていて、韓国人で中国から帰れない人のことは
はずかしながら考えたことがなかった。
『そういう人は、日本の中国残留孤児みたいに、両国間で
肉親捜しとかやってるんですか?』
『ない』
『なんで?』
『それは、そこまで国の力がないから』
会話は、ここでとぎれた。誰がやるべきかの議論は、置いておいて
どうなっているかの例として、この映画でわかるかなと思ったことも
この映画に興味をもったひとつの理由。
<冒頭>
黒地にしろ文字で「第一回班忠義監督作品」
※バン・チュンイ監督
白髪の老女。80歳ぐらいに見える。ホテルの一室と思われるが
ベッド枕元上の備え付けの電灯が逆光になり顔も暗い。
『毎日、夢をみます。夢の中で祖国の家に帰ります。
幼友達と遊んでいて、突然消えると、目が覚めます。』
監督と思われる、日本語のナレーションで、経緯が説明される。
自分は中国から日本に留学生として来日したこと。
日本で、元慰安婦の話を聞き衝撃をうけ、
中国戦争被害者を支える活動を行い、そこに手紙がきて
短くて長いチョンおばさんとのつきあいが始まる。
<ストーリー:gooから、解説と、あらすじ を引用>
解説
従軍慰安婦として中国へ連行されて以来、故国の韓国へ帰ることを
願い続けた女性の半世紀ぶりの帰国の模様に迫ったドキュメンタリー。
監督は、本作が初監督作となる班忠義。撮影も班監督自身があたっている。
あらすじ
17歳の時、織物工場へ働きに行かないかと騙されて韓国の江景村から
中国の武漢市に強制的に連行され、旧日本軍の従軍慰安婦となった
鄭順意(韓国名・順素才、日本名・小山なおみ)さん。
以来、中国人の王利超と結婚し...
<感想:ストーリーを追いながら前半60分>
関西版ぴあの紹介も、上述のあらずじと同様数行の簡単なものであった。
出身国と、大戦後の国が異なるところが、他の従軍慰安婦のものと
異なるところに注目した。紹介の文に「感動」という文字がないので
帰国時の困難な日々がしのばれたが、それでも少しでもいいことが
あって最後は再び故郷の中国にもどってゆったりと暮らしていてほしいと
願ったのだが...。
まずは、帰国まえの病院の診断で、末期ガンであることがわかる。
余命5ヶ月の宣告。ここで気が重くなった。先行して韓国での肉親さがしも、
親戚や友人はみつからず知ってるという人がいる程度。いまでは韓国語も
忘れてしまっているというチョンおばさん。はたして、帰るべきか?
「ひとめ故郷をみたい」「必ず帰ってくるから」という言葉から
私はせいぜい1週間以内の短期の旅がベストと思った。
中国の自宅を離れる日。みるからに貧しい農家の家という感じのまわりには
子や孫など三百人あまりで溢れかえる。部屋のなかの夫の位牌に、お祈りをして
爆竹がけたたましくなるなか車の助手席に入ったチョンおばさん。開いた窓に
かろうじて届くぐらいの女の子が「いかないで」と泣き叫ぶ。チョンおばさんが
お金をわたすと「こんなものいらないから、いかないで」とまた泣き叫ぶ。
「とっといて」「必ずかえってくるから」の言葉を残し、さながら、
お葬式のような雰囲気のなか車が出発する。
韓国行きの飛行機がでる街へと行く途中、発作で倒れるチョンおばさん。入院。
韓国側との連絡もうまくいっていないようで、容態にも影響しているというような
ことばが病室のベッドで横になるおばさんにかけられる。ここで終わりか?
と思ったが、どうにかなったようで、いよいよ空港から韓国へと飛び立つ日がやってくる。
涙涙の息子さんとの別れと対照的に、韓国から迎えに来たみなりのいい
男性の裕福そうな顔になんとも違和感を感じる。余命5ヶ月の
診断からすでに数ヶ月。生きてすぐに戻ってきてほしいなあ。
五十何年ぶりの韓国、大きな川のそばの田園地域、チョンおばさんのクニ。
幼馴染に出会ったものの、相手側は記憶がないという。知っているという人に
であってもチョンおばさんの顔に笑顔はない。大勢の人に囲まれ「祝福」を
受ける教会の儀式。クニを一望できる高台、いいながめ。ここでも、取材?
支援者?映画関係者?多くの人に囲まれてはいるのだが、逆にとびきりの
孤独を感じているであろうチョンおばさん。高台からの坂道を両脇を
抱えられるようにして降りてくるとき、「私はどうしたらいいの」と
泣き崩れてしまう。ここでストップモーション。(死んだかと思いました。)
離陸した飛行機のまどから遠ざかってゆくクニ。監督のナレーション。
『わたしは、おおきな仕事をなしとげたという・・・』
えーーーっ??そうだったの??
あとから、映画製作会社のHPなどを見ると映画ではその時点では
わからなかったことが書かれていました。
まず、最初の手紙は、郵便局職員からのもので引用すると、
「彼女は70才を過ぎた高齢で、しかもガンに罹っています。
どうしても死ぬ前に50数年離れていた生まれ故郷を一度見てみたい
と言う宿願があったのです。」 つまり監督は、チョンおばさんに会う
前に、ガンであることを知っていたのです。映画では、以前から病院に
いっていたことは語られるものの韓国行きの前の健康診断でガンが
発覚したのかと思いました。
そして次に、『彼女の韓国への“永住帰国”の入国許可が下りた。』と
あるのです。二重コーテーションには、国家の発行した「永住帰国」。
死んでしまうかも知れないという「永住」。映画の前半では中国の韓国
大使館は証拠がないと拒否していた国に帰るんだという「帰国」。
さらには「再入国」は認められませんという意味も含まれているかも
しれないのだが、映画をみていてチョンおばさんが韓国に着くまで、
病気が理由でもどれないことはあったとしても、すぐに帰ってくるつもりで
出かけたと思っていた私は虚をつかれたと感じました。
「永住帰国」だからこそ、迎えにきたのは裕福そうな人だったのか。
彼は神父さんで4階建て鉄筋コンクリートのがっしりした建物に住み、
そこにチョンおばさんも住むことがあらかじめ決まっていたというわけなのか。
うーん。それしかクニをひと目みるという夢を実現する方法はなかったのか?
それともそれがベストであるという判断が誰かによりなされたのか?
今回の帰国の実現には、とても多くのかたの様々な苦労の上に成り立って
いるということは想像に難くない。だが、5泊6日の韓国ツアーがベストと
考えていた私にとっては納得のいかない展開でした。
チョンおばさんは、本当に納得していたのだろうか?
映画としては、すくなくとも手紙の時点でガンとわかっていたことと、
永住帰国許可と受け入れ先を決めて韓国へ旅立つことを、
もっと早い段階で示すべきではないのか?!
そして、この私の納得のいかなさは、この映画の後半でさらに
冗長されたのであった。
<後半のあらすじ>
監督がチョンおばさんにあったのが1996年10月、帰国が3月。
完全なネタバレながら、帰国後のあらすじをgooから引用。
『!ストーリーの結末が記載されていますのでご注意ください』
彼女が思い続けた故郷には昔の面影はなく、
肉親もいなかったのである。その後、マスコミが取り上げた
おかげで、鄭さんは幼なじみと再会を果たすも、中国に
残してきた家族の元に帰ることは叶わず、97年11月21日、
ソウルで息を引き取る。そして、99年12月29日、
ようやく鄭さんの遺骨は遺言通り、中国の家族の元に帰るのだった。
<後半の感想:ストーリーを追いながら30分>
チョンおばさんをソウルに残して数ヶ月。監督は、神父宅を訪ねるのだが
チョンおばさんは人が変わったかのようにげっそりとやせ、建て付けの
ベッドに横になっていた。よわよわしく涙を浮かべて「帰りたい」。
でも、とても動ける状態ではなさそうだ。
またくるからねと言って部屋をあとにする映画のスタッフ。
神父『帰りたいとはいままで、一度も言わなかったんですが。』
嘘つけ、と言いたくなったが、それは永住帰国をしらなかった私の
話で、そうなのかも?韓国語を離せなくなったチョンおばさんと
はたして日常会話はあったのだろうか?
別室での神父へのインタビューでは、中国側との接触を断っている
ことが述べられたものの、許可が得られなかったのか途切れてしまう。
結局これが、とびきりの美人だったと、中国の村の人が語っていた
チョンおばさんの最期の映像となってしまった。
それでも映画は終わらない。11月の死亡後の遺骨をめぐるやりとりが
2年つづく。中国側は、遺言をもとに返還を要求。チョンおばさんが
中国の家族の元を離れるときに書いたという遺言書を大写しで朗読。
神父からの直接情報はない。ホテルからの遺骨返還交渉の電話のあと
「遺骨がそんなに大事なんですか」と言っているとのこと。
また、チョンおばさんの息子さんは「民族の利益を考えろ」と
電話で言われたという。映画は断片的にその模様を伝え、
遺骨が返還されたところで終わる。
少しは、ほっとしたものの、後味は悪い。
よかれと思ったことが、かえって悪くしてしまったようで。
後半、神父は悪人として描かれているのだが、はたして
そうなのか?ドキュメンタリーがなければどんな展開になって
いただろうか?パンフレットを読めば少しはすっきりするかと
思ったのだが販売はしていなかった。
家に帰ってみた製作会社のHPには
「帰国の事がマスコミに大きく報道されたことも手伝って、
少女時代の親友、姉妹にも会えた。
しかし、皆が歓迎してくれたとは言えなかった。」とある。
※姉妹は、映画にはでてこなかった。
チョンおばさんは、誰かに出会うことを期待して短期ではなく
永住帰国を望んだのだろうか?それとも、自分の治療費などの
家族への負担(映画で「お金のことはわかりません」
「借金があります」との話があった)を気遣って永住帰国を
選んだのだろうか?いずれも違う気がする。韓国は一時、
あとはずーっと家族の元にいたかったことだろう。
遺骨がもどってこないとき、中国の村の人が
苦労ばかりしていたここでの生活を思うと、一緒に苦労をした
夫と同じこの村に遺骨をおさめたい、との涙ながらの訴えが
心に残った。子供にめぐまれ、村人からも愛された、
チョンおばさんの中国での生活が救いのように思えた。
gooの本映画のページ
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32090/index.html
映画製作・配給会社 ジグロのHP 本映画のページ
http://www.cine.co.jp/test_new/php/detail.php?siglo_info_seq=62
<シネヌーボX>
シネヌーボに増築されて?作られたたこじんまりとした映画館。
シネヌーボの映画館とトイレの間の通路を通って奥の階段を
上がったところにある。その名もシネヌーボX。30席弱ぐらいで、
スクリーンは2m×1.5mぐらい。椅子の足が前の方は切断されていて、
後ろの方はその分?継ぎ足されていて、床は平面だけど座ると
ひな壇。手作り感がたまりません。ここだからこそ上映できるという
映画をこれからもどんどん上映してほしいものです。
PS
この日は、市会議員選挙前日。帰りに商店街をぬけたところで、
雨にぬれた背広の男性が握手をもとめてきた。こういうとき私は
節操なく「がんばってください」と声をかける。あとからHPで
確認すると、自民党の議員で当選していた。
・チョンおばさんのクニ@映画生活
・王母鄭氏 チョンおばさんのクニ - goo 映画