ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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名前: 真田家→幸、井伊家→直

2009年10月03日 09時45分18秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「人脈記 お殿様はいま 9 「幸」村と「直」弼 代々の名」という記事がありました。

お殿様の名前には、代々受け継がれる漢字があって、それが血統の証明にもなっているのだそうです。

慶応大学教授の前島信さんは、新入生の名簿を見てはっとしました。
「真田幸俊」という名前の学生がいました。

前島教授のお家は、今でこそ東京住まいですが、真田家に代々仕えた武士の家でした。

授業の後に、「君、真田家と関係があるの?」と聞いてみると、
「14代当主です」と答えられました。

「もうハハーッて感じで。すぐに思ったのは、まさか悪い成績を「殿」につけるわけにはいかないんで、この子、本当にできてくれるといいな、と」考えたそうです。

幸い、「真田幸俊」さんの成績は優秀で、現在は同じ慶応大学理工学部で准教授になっていらっしゃいます。

その真田幸俊さん(40歳)は、14歳のときにお父さんが亡くなり、松代藩10万石の家督を継ぎました。

翌年に、善光寺の7年に1度のご開帳があり、裃姿で挨拶状を読み上げることになりました。

完璧にやらねばとの思いで、緊張で声が震えたら、後日、住職から「お殿様は失敗してもいいんです。その代わり、堂々としていてください」と言われました。

なるほど、と合点がいき、それ以来、気が楽になりました。

息子が生まれたとき、頭を悩ませたのは名前でした。
「「幸」の下の字が、もう大変。先祖の名前になく、姓名判断でいい画数の漢字となると、残りわずか。息子の代では付ける漢字がほとんどないはずです」

井伊家の当主、井伊岳生さん(40歳)も同じ年齢です。

井伊さんの場合は、婿養子で当主になりました。

三重県桑名市の出身で、井伊家とは全く関わりなく育ちました。
京都大学大学院を修了後、就職で市史編纂室に配属になったところ、井伊裕子さんと恋に落ちました。

井伊裕子さんに男の兄弟はなく、婿養子になって、2000年に家督を継ぎました。

仲人をつとめた京都大学で日本近世史を教える朝尾直弘さん(井伊岳生さんの恩師)は、
「驚きました。優しい男なので、勇猛な戦闘集団だった井伊家の伝統と少し違うかな、と多少は心配しましたが、今のところは想像以上です」

昨年6月に、彦根城博物館の館長になったのを機に、通称では「井伊直岳」を使うようになりました。

2人の息子にも、「直」の字のつく名前にしたということです。
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なんとなく同じ漢字の名前が多いと思っていましたが、家ごとに使う漢字まで決まっているとは知りませんでした。

有名なお家の婿養子を受け入れるのは、大きな決断だったであろうと思いました。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Charlie)
2009-10-03 18:11:06
こういうお話し…面白いですよね!!
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Charlieさんへ (モカ)
2009-10-04 07:26:08
お殿様を身近に感じますね。
15歳で声が震えた話等、人間味のあるエピソードだと思いました。
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