ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

知覧特別攻撃隊(平和記念館)

2007-02-06 07:01:30 | 戦跡を訪ねて
 鹿児島県薩摩半島南部知覧町ここは「特攻のまち」である。

 昭和20年3月、最悪の戦局を挽回しょうと陸軍は「特攻隊」を編成した。
全国各地で編成された特攻隊は知覧基地に集結した。短期の訓練の後、出撃命令を待ったのである。

 遡る19年10月、海軍では大西滝治郎中将が「神風特攻隊」を編成し、「皆は既に神である」と訓示し隊員一人一人に熱い握手を交わし、「俺も必ず後から行く」と送り出し、終戦の翌日、220年8月16日に割腹自殺した。私の思いは何故か、11年2・26事件に絡む三島由紀夫の「憂国」と重なってくる。

 開聞岳を正面に見て、零戦などに250キロ爆弾を抱き再び帰ることのない片道だけの燃料で沖縄方面に飛び立ち敵艦に突っ込んでいった若者の心境は如何ばかりであったか・・・・「国の為征く身なりとは知りながら 故郷にて祈る父母ぞかなしき」
・純粋な愛国心としか理解できないのではないか!!!!!

知覧特攻平和会館 特攻隊員の遺影、遺書など見る人皆涙して当時の若者の愛国心が悲しく息がつまるような出撃前の圧迫された空気が伝わってきます。
石灯篭 特攻観音堂までの道路両側に並んで特攻隊員の刻まれている。
  この碑に「アリランの歌声とほく 母の国に念ひ残して散し花花」とある。
 高倉健・田中裕子主演の映画「ほたる」が脳裏に浮かぶ。
 朝鮮人ながら特攻に散った中山中尉の遺族に、高倉健演ずる特攻生き残り男と田中裕子の妻(かって中山中尉の許婚であった)が遺品などを届けに朝鮮に行ったのである。
 中山中尉の父親に「日本人のお前が生き残って・・・なんで息子が・・」となじられる場面には息が詰まる思いがした。
 この碑文と関係があると思いますが詳しいことはわかりません。作者名がありますがよく読めませんでした。記念館で聞けば解かったと思いましたが、誰か教えてください。

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