在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

光明池副堤防下の本樋

2011年02月17日 19時23分13秒 | Weblog
この字の下がトンネルになっていて光明池の水がココから堺、高石、和泉、泉大津市に送られて行きます。「昭和拾年弐月竣工 光明池本樋」と刻まれていますが見るととてもいい字ですよね。 今は草が枯れてない為見ることができます。

韓国浦頂市九龍浦からで添付フアイルで送って頂いた写真

2011年02月08日 08時39分45秒 | Weblog
九龍浦の徐相浩さん(92歳)が自分の車を運転して案内して下さり、写真も撮って下さった。本当に嬉しいです。1907年に遭難した「日本水産講習所実習船・快鷹丸 遭難記念碑」、日の出が美しい虎尾岬は冬とは言えども暖かい。延鳥郎細鳥女(ヨノラン・セオニュ)像が立っている。この夫婦は岩に乗っているところを流され、着いたところは出雲の国、そして王に迎えられたという神話は本当に面白い
これは裏側の説明を見ているところである

3泊4日の沖縄でこんなに回りました(1月25日~28日)

2011年02月05日 21時59分33秒 | Weblog
1月25日: 金城町の石畳道(仲里正雄さんの案内)→玉陵→園比屋武御嶽石門→第32軍司令部壕→龍譚池→楚辺の国吉勇「戦争資料館」訪問とお話→「ふみや」で夕食那覇泊    26日: 屋我地島「沖縄愛楽園」→古宇利島→ワルミ大橋を渡って今帰仁城へ(ボランテイアガイドさんの案内依頼)→昼食「石くびりそば」(伊野波)→八重岳(桜祭り)→本部港へ(15:00のフエリー)→ 伊江島「わびあいの里」→アハシャガマ→城山→芳魂の塔→団結道場→旧日本軍飛行場跡→ニヤテイアガマ(千人壕)→アーニーパイルの碑→ヌチドウタカラの家「反戦平和資料館」→夕食後謝花悦子さんのお話(90分) 27日: 8:00のフエリーで本部へ→許田の道の駅→辺野古(安次冨さんのお話)→読谷村へ「座喜味城」→残波岬→伝統工芸館(花織)→虹工房(稲嶺盛吉)→やちむんの里(北窯:宮城工房)→喜名の道の駅→沖縄市へ「嘉陽荘」泊→夕食・交流「金城幸子さん」(ハンセン病問題語り部)→夜は嘉陽荘でカラオケ 28日: 早朝農連市場で買い物→嘉手納道の駅→読谷村役場(小橋川清弘さん訪問)→佐喜眞美術館(佐喜眞道夫さんの説明)→首里城へ(安国寺、首里観音・・・干支のお寺→糸満道の駅(野菜など買い物)→那覇空港へ(沖縄ぜんざいを食べて旅の終わり)
3つの写真のうち、最初のは愛楽園の基礎を築いた徳島出身「青木恵哉」像 2番目は福建省に向かって船出する「泰期」像 3番目は首里観音の合掌する犬(以前に好意で撮影させて頂いたもの)

沖縄の旅(1月27日)・・野良(?)犬が日米関係なく鉄線を潜って自由に散歩していた辺野古

2011年02月04日 23時35分25秒 | Weblog

日系人のお坊さんがニューヨークから来沖し、寒い北風(ミーニシ)の吹く砂浜で午前中お経をあげておられた。私達6人のために案内をして下さった安次冨さんに感謝です。鉄線をコンクリート壁に変える工事が始まるらしく工事材料が置かれていた。しかし、シースルーの構造とか。私は「海からはスルーと入れるからシースルーですか」と思わず口にしました。座り込み2475日目の訪問でした。本土の方に一度は現地に立って欲しいと願います。でないとマスコミ報道では分からないです。素足に優しい美しい砂浜に立って欲しい。1998年9月、私のクラスが「54年目のジュゴン」を文化祭で演じ、皆で作った2mのジュゴンを思い出す。沖縄の方の作品をシナリオ化して舞台でやってから13年である。早朝米軍の水陸両用車が上陸した生々しい跡が残る辺野古でした。

沖縄の旅(1月26日:今帰仁城~伊江島)・・様変わりしていた伊江島

2011年02月04日 23時28分41秒 | Weblog
那覇のホテルを早朝出発し、名護市に無料高速で到着、我屋地島の「沖縄愛楽園」へ向かう。園内を案内して古宇利大橋の見える「青木恵哉」顕彰碑と銅像前に立って知る限りのことを説明。徳島出身の先輩やクリスチャンの方に知って欲しかったからである。その後古宇利宇島に渡り、今度は最近開通したワルミ大橋を通ると直ぐ今帰仁城である。桜祭りだが2分咲きくらい。ボランテイアガイドの方の案内が有難かった。 ゆっくり見学後、「石くびりそば」で昼食、「伊野波節」の話をしながら「八重岳」の桜並木を走りぬけて15時発伊江島行きフエリーに乗る。6人なので車も載せる事にしたのが良かった。伊江港に着くとすぐに謝花悦子さんの待つ「わびあいの里」へ、翌日朝8時の船で本部港に帰るので本当に無理をお願いして山城さんが車に乗って下さり、フイールドワーク。初めて訪ねた「アハシャカマ」は自決の壕でかなり大きい。次に城山へ周辺に日本軍の壕が多かったので米軍の攻撃が激しかったところ。今は展望台も設置されて15年前に登った時の雰囲気も思い出せない
「芳魂の塔」も新しくなり亡くなった方も礎に刻まれている。 次に訪ねた「団結道場」は変わらず立っていた。阿波根昌鴻さんのすごさをあらためて噛みしめた。

千人の人が入れると言うニヤテイアガマ(千人壕)に入り、ァーニーパイルの碑を車窓から見学して薄暗くなって「わびあいの里」に戻った。反戦平和資料館を見学後夕食、その後謝花悦子さんの熱い熱い話は時間を経つのも忘れて聞きいりました。有難うございます。皆さんに熱意が伝わったことでしょう。

沖縄の旅(1月25日)・・金城町の石畳

2011年02月04日 23時03分54秒 | Weblog
首里城の駐車場に車を停めて石畳道を下る。識名園まで続いていたのである
このうちの裏に は綺麗な石庭・池があり水が湧いていて下の道の方に流れて行っているらしい。
                                                                                 右の写真が樹齢300年にもなる赤木で拝所である。
その後「 園比屋武御嶽石門」、首里城「守礼之門」の下にある「第32軍司令部壕」入り口を見て全体像を資料で想像し、「龍譚池」の周りを歩くと寒さで魚が死んで白くなっているのが沢山あった。異常気象のせいだろうか?