3日の夜のフエリーで新門司に渡り、「第34回『筑豊』から日本人と在日韓国・朝鮮人の歴史を訪ねる会」に参加して、田川地方をまわりました。
三井田川炭鉱の墓地で、日本人の墓の中にあるボタ石の墓標をひとつひとつ調査し、黄色い杭を打っている案内の光武均さんには頭が下がりました。
12回からほぼ毎年参加しているのです。戦後50年の時に長崎・筑豊の修学旅行を計画してからのことです。私は筑豊を提案した立場でした。
その時、お話を高校生にしてくれた強制連行された在日の方が96歳、筑豊の強制連行を考える会代表を長くされた大野節子さんは91歳、お世話になった先生方も亡くなって少なくなりました。
皆さんと生涯のお付き合いをしています。フイールドワークは、4日で5日にお世話になった方々を訪ねました。故郷を訪ねる気分!
それから、大分道で宮崎にまわり、鹿児島に走り、妙見温泉という古い湯治場の旅館に泊まりました。よかったです。
その後、木城町を訪ねました。
岡山で孤児院を開き3000人の子どもを預かった石井十次記念館を訪問しました。
武者小路実篤たちが開いた日向新しき村も近いです。
石井十次が高鍋町の生まれで、その隣村に人も建物も岡山からへ移し子どもたちが自活する村を作ろうとした歴史に初めてふれました。
三井田川炭鉱の墓地で、日本人の墓の中にあるボタ石の墓標をひとつひとつ調査し、黄色い杭を打っている案内の光武均さんには頭が下がりました。
12回からほぼ毎年参加しているのです。戦後50年の時に長崎・筑豊の修学旅行を計画してからのことです。私は筑豊を提案した立場でした。
その時、お話を高校生にしてくれた強制連行された在日の方が96歳、筑豊の強制連行を考える会代表を長くされた大野節子さんは91歳、お世話になった先生方も亡くなって少なくなりました。
皆さんと生涯のお付き合いをしています。フイールドワークは、4日で5日にお世話になった方々を訪ねました。故郷を訪ねる気分!
それから、大分道で宮崎にまわり、鹿児島に走り、妙見温泉という古い湯治場の旅館に泊まりました。よかったです。
その後、木城町を訪ねました。
岡山で孤児院を開き3000人の子どもを預かった石井十次記念館を訪問しました。
武者小路実篤たちが開いた日向新しき村も近いです。
石井十次が高鍋町の生まれで、その隣村に人も建物も岡山からへ移し子どもたちが自活する村を作ろうとした歴史に初めてふれました。