ミロク式

ミロクレコーズの雑記。

恥ずかしいポイント

2013-07-01 23:50:36 | 日記
みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は元気にやっております。普段からぼーっと過ごしているのであまり書くネタがなく筆が滞っていました。

今日もいつものようにコーヒーを飲みながらぼーっとしていると、近くに座っていた大学生集団が聞いていてとても恥ずかしいことを話していました。内容はたぶん色恋沙汰のことだったような気がします。ないようはあまり覚えていなのですが、なんだか文化圏の差異すら覚える会話でした。僕は恥ずかしくてよくそんなこと言えるなーと感心してました。きっと恥ずかしいポイントの違いです。


 そこで今回は「恥ずかしいポイント」について書こうと思います。

 これも今日あったことです。僕が道をてくてく歩いていると学校から男の人が颯爽とスケボーに乗って出てきました。髪長くして、黒縁メガネにリュックといった少しいかした人でした。その人は学校の門を出ると華麗に降りてスケボーを跳ね上げキャッチしてすたすた歩いていきました。彼の顔を見ると少し得意気な顔をしていました。
僕は何でか直感的に「あ、だっせーこいつ。」と思いました。個人的な恨みは全くありません。なぜだろう。何でだせーと思ったのか考えてみました。

僕は小学校の時かっこつけマンでした。でも友達に「うわーこいつかっこつけてるー」とか言われるのがとてつもなく恥ずかしく、穴があれば入りたく思っていました。そのためか、鏡を見ているのを人に見られるのも恥ずかしくて嫌です。

中学高校でみんな色気づいてきて格好つけるのはみんなある程度当たり前の年頃になっても、僕は小学校の頃の感覚が抜けなくて格好つける=恥ずかしいこと。だとおもっていました。
だから今でも格好つけてる人を見ると「うわー恥ずかしいなこいつ」と感じてしまうのです。だから僕にとっては原宿渋谷などは恥ずかしい人の集まりです。変なところに恥ずかしいポイントができてしまいました。おかげで読モにモテるような格好のつけ方ができません。

しかし先ほどかいたスケボーマンはなんで恥ずかしいにとどまらずダセーとなったのでしょうか。

格好つける=恥ずかしい=ダセーという構図に気が付いた事件が高校三年のときにありました。
高校三年の文化祭の時、文化祭の実行委員の男の子に日頃から格好つける人がいました。

みんな夏休みも学校に通い文化祭の準備に精を出し、本番も少々のトラブルもありながらも何とかのりきりました。本番終了後最後のミーティングが行われました。

そこで僕にとっての事件は起きました。

その実行委員会の男の子が目頭を押さえスピーチを開始したのです。スピーチの内容も学園ドラマさながら、とてもバカみたいなことを言っていました。「ありがとう・・・なんか少しケンカとかもしたけどおれはみんなでこの劇を成功させられてめっちゃうれしい・・高校最後のクラスみんなと同じでよかったよ。」など虚飾なしでこのようなことを言っていました。本人は格好つけて喋っています。目頭を押さえながら。
少し感傷的になって泣いていた女の子もあまりの恥ずかしさに少し興醒めしてます。僕は本当にこんなことがあるのかと思わず失笑。格好つけるのってダッセー。くそダセー。と思いました。

 彼の恥ずかしいポイントは全く読めません。彼の恥ずかしいポイントはあまりにみんなとかけ離れていてダサいの域に行ってしまったのです。

少し極端なものですが、僕はこれ以来格好つけに付随する恥ずかしさ、ダサさにかなり敏感になっています。
僕は恥の文化に生きていますね。この事実もまた恥ずかしい。


もう一つ恥ずかしいポイントの違いについて。
大学一年生はひとりで学食で飯を食べるのを嫌がる人が多いようです。「ぼっち飯」というらしいです。
同じクラスの人に一人で飯を食べているところを見られるのが恥ずかしいそうです。
僕にはその恥ずかしいポイントが無く、なにが恥ずかしいことなのかつかめません。もっとも、学年が上がるにつれて恥ずかしいと思っていた人も慣れてくるようですが。

なんか他にもいろいろあるのですが、書くの少し疲れたのでこのへんで終わり。

また今度。