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生かして生かされて生きる

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SNSとメディア

2016年01月13日 | 宗教被害・虐待被害関連
社会のつながりがオンラインで出来る良さがここ数年のびてきたが、実際には会う事で得るものも多い。
どちらも、メリット・デメリットはある。慎重な使い分けが必要だ。

最近脱会支援の皆さん(特定のグループではなく、各ネットワークのプロや経験者)と話すと、やはり素人がうかつに踏みいれることなく、基礎知識と個々の対応に関して情報交換はとても重要になってくる。

教義に対する論破はそう簡単ではないこと。植えつけられた恐怖心は簡単にとけるものではないこと。少しずつでも教団部外者として信頼を持つことが大事だとつくづく思う。

ブラックメール

2006年12月20日 | 宗教被害・虐待被害関連
 
ひょっとして。

『ブラックメール』~人に心を操られない方法~

こちらはヤフーブックから同じ本


ブックレビューから。

● 「私の言う通りにしなければ、君は苦しむことになるだろう。」
という脅しで、人の屈服を勝ち取ろうとするメッセージを出したり受けたりしたことがある。
それは脅しだ
脅しは、受け手の「恐怖心」、「義務感」、「罪悪感」、に訴えてくる。
受け手は、脅してあることにすら気づかずに、
ただ不快感から逃れるために、相手に「屈服」し、
自分の行為を「正当化」してしまう。

それは、発信者の要求 受信者の抵抗 発信者の圧力 発信者の脅し 受信者の屈服 そして、その繰り返し、という形で行われる「心理操作」である。

そんな心理操作から逃れる方法を教えてくれます。
ついなんとなく断り切れずに「はい」と言ってしまって嫌な気分を感じてしまう、
そんな人に◎

●ある人からの、無理な申し出や勧誘に断れないのは
何が原因なんだろうか?と自問自答したいときに
読むと、自分では見えなかった自分の欠点などが
見えてきます。

 ブラックメールとは、親しい人が
「恐怖心」「義務感」「罪悪感」を利用して
あなたを思いどおりにあやつろうとする
方法です。


 この本には、数多くの実例をあげながら
健全な人間関係を築き直すための
実践的な方法が書かれています。


●あなたは身近な人を喜ばせるために、いつも自分に無理をしていませんか?
パターン化してしまったあなたの行動は、彼らの思うままになっています。
彼らは愛という名の脅迫状を使って、あなたをあやつっているのです。
数多くの事例をあげながら、健全な人間関係を築き直すための実践的な方法を紹介します。


ごく身近な人が、「あなたの為」を装って、「恐怖心」や「義務感」や「罪悪感」を植えつけて、人を操り、自分の支配下に置こうとする心理操作。
 
・「私のいう事がきけないなら、どうなってしまうか、わかるね?」
・「あなたはとんでもない過ちを犯している。私の言うとおり、こうするべきである。」
・「あの人は、本当は○○な悪い人だ。だから、私のいうとおりに任せなさい。」
・本人のいない場で、誰かが罪悪感で煽って人を自分の意見に従わせようとする。

一見親切な脅迫で、あなたをコントロールしようとしているかもしれません。



~目次~

第1部 ブラックメールの発信と受信(エモーショナル・ブラックメールとは
   ブラックメールの四つの顔
   「FOG」があなたの考える力をくもらせる
   ブラックメール発信者はこんな手を使う
   ブラックメール発信者の心のなかはどうなっているのか
   責任はあなたにも
   ブラックメールはあなたにどう影響するか)

第2部 理解から行動へ(行動に入る前に―心の準備
   相手の要求を分析し作戦を練る
   決断を実行に移すための戦術
   総仕上げ―あなたの「ホット・ボタン」を解除しよう)






そのよん

2006年11月24日 | 宗教被害・虐待被害関連

【カルトを問い直す】

カルト問題研究プロジェクトにも取り組まれていらっしゃる櫻井教授の本。
宗教社会学者であるこの先生のサイトのほうは、主に社会学の視点からが多いと感じるのだけど、
この本は、サイトの主旨とはちょっと趣向が違うように感じられた。
(と思うのは私の浅学のせいかもしれないけれども)

この本は、カルトのテロ、同居問題、勧誘などに関し、
カルトのリスクをいかに防いでゆくか、という視点である。
宗教被害と社会からのカルトのリスクとその対策について書かれている為、
社会学だけでなく、マインドコントロールや心理学、法律、脱会者の視点も含んでいる。

著書の現実問題例としては、主に統一教会とオウム真理教に関して。
けれども、ここに載っていない宗教団体でも、脱会、同居、結婚問題を体験された方はわかるように、
いろんなケースにおいて酷似している部分はあると思う。
程度によって判断の分かれる所などもあるかもしれないけれど、
考え方として参考に出来ることがたくさんあるように感じた。

あちこちでも耳にする「被害は自己責任」の声。
自由の名のもとに善悪の分別が曖昧になっている現代、
信教の自由はどこまで許され、勧誘を拒む自由はどこまで侵害され、どこまで許されるのか。
何が被害で、何が被勧誘者の責任なのか。
いかに対策をとってゆくか。
また、カルトに対して、排除ではなく、多様性、多元的な視座におくことも出来るのでは、と思う。
宗教被害者も宗教信者も一考の一冊。

こちらもシンポジウム参加記念にご本人にお名前をいただいた。

シンポジウム関連で他にも探していると、弁護士の方々のブログも発見。
T弁護士(すぐにわかるけど一応伏字なのかしら?)
宗教被害に詳しい弁護士さん。
今回のシンポジウムで討論会の話を聞いていると、思いのほかユーモアのある方だった。
けれど、オウム事件当時は、同じ立場でもあろう坂本弁護士一家が、信者によって殺害されたりもしている。
まさにこの方も、命がけの現場も体験されている方でいらっしゃる。


山口貴士弁護士
同じく宗教被害に関っていらっしゃる弁護士さん。
懇親会で、この方のずばぬけた記憶力には驚かされた。

それにしても、カルト問題に正面から取り組んでいらっしゃる皆さんも、
ある意味(というか実際)命がけだなぁとあらためて思うのだった。

そのさん さんぶんのさん

2006年11月20日 | 宗教被害・虐待被害関連
 ~~死生観~~

(これも有田さんの話と、思ったこと)

●「大人子供」の誕生
1999~2000年の17才の犯罪。
彼らはホラービデオ、インターネットなどで犯行の前例を調べていることもわかった。
前回にも話したが、具体的な分析はまだ出ていないが、テレビを観ている時間と家庭での教育なども影響があるだろうということ。

別のML(シンポジウムとは関係ない)でも、人格形成は家庭の育児、しつけなどが大きく影響するということが書かれていた。
(一応、家庭でどういった教育がなされたほうがいいかは、その時代の社会全体で同時に考えてゆくものでもあるわけだけど)
別に型やぶりで超個性的で風変わりでもいっこうにかまわないのだが、他人との衝突でたびたびトラブルを起こしたり、人間関係がことごとく上手くいかない場合などに一考してみるものである。

「家庭や職場などでストレスが大きい時には、現実対処能力が低下し、問題点が現れやすくなります。
もしも、家庭や職場でうまくいかない事が続くようなら、原因は相手だけではなく、自分にもあり得ることをお忘れなく 」(MLにて)


●死生観の発達、形成について

死に対してのイメージは、年齢とともに成長する。
実際に絵を描かせてみると次のようになるそうだ。
・4才~5才、眠っているような人間。
・7才~頭に輪(天使の輪)や、遺体のまわりに花、など。
・12才~もっとリアルな死生観の絵をかけるようになる。

現代の日本の精神状況は、
大人になっても4~5才のままである場合も珍しくないという。
日常の死生観が非常に薄いことの現れでもあるだろう。

関連【死の総合研究所】より、
悲嘆の歴史
悲嘆の心理
子供と死

現在、日本では、殺人事件の件数そのものは減っているそうだ。
けれど、おかしな事件は増えているそうだ。
いじめ、自殺も深刻な犯罪のケースともいえるだろうし、
飲酒運転でひき逃げ、なんてのもそうかも。
法律さえかいくぐれば、何してもいい、と思っている大人も子供もいる。

ちょっと思い出した歌。

「後の事も先の事も見失うほど
 俺の心を踏みにじる奴が 今 目の前で
 (中略)
 地獄の底へと突き落としてやるのさ
 腐った奴を正しい奴が引き裂いてやるのはいい事なんだろう
 神様だってそうするはずさ
 神様だってそうするはずさ」
【★★★★★★★(人殺しの気持ち)】

「静かな森の奥を突き抜ける朝の光
 不良は空を見ない ○薬をやり続ける
 想いは世界平和 静かな森の奥で
 いつかはみんなが好きになる
 神様はみんなの中にいて 嬉しさをくれる」
【不良の森】

「悪い人たちがやってきて
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱い人たちがいたから」
【悪い人たち】

いずれもBLANKEY JET CITY(の中からちょいと過激な部分を)。 
彼らの歌は全体を通じて、社会の狂気さと不良少年の透き通るような純粋さを歌う。
大人になっても、こうして通過してきたことは、心に響くものはあるだろう。私の好きなバンドでもある。
少年時代(特に不良真っ最中)って、自我が芽生え、社会的な関わりを意識し自己コントロールすることよりも、エゴイズムが炸裂するお年頃。
現代で問題になるのは、そういった狂気と純粋さとエゴイズムが、そのまま現実社会でも通用すると本気で思って大きくなった大人がいることかな、とも思ったりした。

「悪い人たち」ほど、自分のことを必死で「正当化」するもんかもしれない。

その「大人(つまりわたしたちのこと)」は、次世代に何を担うだろう?