この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 372★

2007-10-09 11:09:18 | Weblog


◇ 風の様に在る道7 ◇




風は
時にはピッタリと
静止したままだ。

そして
時には優しく時には強く
時には嵐の様に荒々しく

そう言った
風を見て
人は 風を様々な印象で捉える。

だが
どれも間違いだ
風は 一時として
再び同じ吹き方など繰り返さない。

似た感じは有っても
それは微妙に異なっている
風を定義する事など不可能だ。

風は
誰の希望にそっている訳じゃない
誰に気をつかっている訳じゃない
誰の 命令を受けている訳でもない。

そして 
不思議なことに
風の意志でもない。

ただ
全面的に 任せていたら
そうなってしまった。

それは
風の所為じゃない

風の所為じゃないのに
風が それを自分の
所為だと考え始めたりしたら

そこには 過って有った
自由自在さが 消え失せてしまう
これこそ極悪だ!

あなたは 
ぎこちなくなってしまう
折角有った 自由自在さを
ぶち壊しにしてしまう。

これは
何ひとつとして
益を与えてはくれない。

むしろ
全てを破壊に導く。

決定的な違いは
良いも 悪いも
自らに 強要しないし

良い 悪いで
自らを 計らない事だ。

そしたら だんだん
人にも 良い悪いで 
物事を言わなくなってゆく。

もしも
どうしても言いたい場合は
それを言う時に それは世間の中では間違って
いるなどと理屈をつけずに

「 それは 私にとっては 間違っています 」

と 正確に伝えることだ。

あなたにとって
都合が
悪くなるだけなのに

それをさも
世界の皆が都合悪くなる様な
言い方をして 人を捻じ曲げない事。

それは ひょっとしたら
あなたが 捻じ曲がっている証拠かも
知れないのだから。

良かろうが 
悪かろうが
人に自由を与えられる事だ。

それは
その人に成長を与えている事に
繋がるのだから

放っておくと言う感覚から
スタートしていい。

それは
やがて 放っておくと言う事すらも
傲慢だったことに
あなたが 気づける時がくる。

だって 
風の様になったら
放っておくと言う人さえも
そこには 居なくなると言う事だからだ。

何も無い 中身なし
以前は 内側に
思考やら感情が
有ったままの行動

それは
発散でしかないだろう
ところが 中身なしの空状態の運動

内側は
真空状態
そして 外側には運動がある。

その運動は
様々に変化する
そして その運動は
内側の真空さを成長させる運動だ。

その空は
より大きな空へと 成長する。

死なせない
より深みを与え
よりその真空を活き活きとさせる。

もしも 空状態で
運動まで止めてしまったら
そこに 活き活きさが無くなり

やがて
その空は
コップの水の様に腐ってくる。

それは
死んでしまう

それは
正という方向に
居っぱなしでは起こらない。

時には
悪と言われている方向にも
動いて行く事によってそれは起こる。

それは
悪だからなどと
理由をくっつけて
その道を歩いて行けないのは

あなたが
それは悪い事だと
解かっているからじゃない

あなたは
きっと 自分を
守っていたいだけで
その道を歩いていない。

あなたは
自分を理想的な人間として
置いておきたいだけなのかも知れない。

プラスと 
マイナスの
両極を動く事

正と 不正
良いと 悪い
道徳と 不道徳

世の中の
あらゆるものは
真二つに 分ける事で 区別しやすい様に

人々に 
受け入れられている
本来 そんなものは無いのに

互いの利益を
損ね合ってしまわない為に
互いの対立を少なくする為に

人間が
産み出した
作り出したトリックだ。

それは 
西洋の文化が生み出した
物事を単純化させる為に
二つに区分する二元論から発生している。

二元論とは
物事の本質を解釈したり
説明したりする為に 持ち入られて来た方法だ。

だが
人々はこの方法の中に
どっぷりと埋没してしまっている。

この
二元論に照らし合わせて
より 間違いのない生を 歩いて行こうとする。

だが 
この二元論は
あくまでも 物事を解釈する
ところまでしかいかない。

解釈というのは
知識となる
理解じゃない
解釈は 頭で知る。

理解と言うのは
身を 持って知る。
その 本質を味わう
その本質 そのものになる。

その中に入っていって
本質そのものとなった時
そこに理解が生じる。

解釈は
ブレーキにしかならない
それは 頭という介在がある為

間接的だ
あなたに成長はなく
どんどん痩せ細る・・・。

理解は 直接的だ
あなたに成長を与え 
どんどん 太らせる。

私は
理解を進めたいんであって
解釈じゃない。

解釈をすると
人はそれを 
知識として持ち歩く

頭で知っていて
知識が有効となっているのは
あなたが 理性を張り巡らしている時だけだ

だが
あなたに
問題が直面して来た時

張り巡らされていた理性は
どこかに消え去る ぶっ飛んでしまう。

勿論
知識なんて
その時には 出て来てくれない。

だから
あなたは 葛藤したり
苦しんだりしてしまう。

その問題が
アクシデントが起った時に
有効となるのは あくまでも理解の方だ。

あなたに どこまで
あらゆる物事に対して
解釈が 出来ているかじゃない

どこまで生を 
解釈しているかじゃない
どこまで 生に対する
知識を持っているかじゃない。

そんなものは
ガラクタ同然だ
どこまで 理解があるかだ

どこまで 
生そのものであるかだ
だから 二元論と言うのは

あなたに
抑圧と 知識を
与えるだけだと言うことを
知っておくことが必要だ。

解釈は 
何の役にも立たず
あなたを 振り回し
毒してしまう事になりかねない。

あなたに
より生とは縁遠い
まがい物の生を 与えてしまう。

生とは
そんなに単純じゃない
二つに区分する事など不可能だ。

世の中を
善と悪とで区分し
それに合わせて生きる

そんなのは 極悪だ・・・。
そんな事をしたら 生が怒るよ。
生は そんなに貧弱で 単調なんかじゃない。