375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●復活待望!河合奈保子特集(2) 『ゴールデン☆ベスト B面コレクション』を聴く

2013年09月02日 | 河合奈保子


河合奈保子 『ゴールデン☆ベスト B面コレクション
(2013年1月23日発売) COCP-37797~8

収録曲 [Disc. 1] 01.ハリケーン・キッド 02.青い視線 03.そしてシークレット 04.キャンディ・ラブ 05.セレネッラ 06.あなたはロミオ 07.No No Boy 08.春よ恋 09. ゆれて―あなただけ 10.黄昏ブルー 11.木枯らしの乙女たち 12.若草色のこころで 13.恋のハレーション 14.リメンバー 15.冷たいからヒーロー 16.プリズム・ムーン 17.夏の日の恋 18.メビウスの鏡 19.バラードを止めて 20.ファーストネームでもう一度
[Disc. 2] 01.MANHATTAN JOKE 02.I'm in Love 03.白い影 ~ONLY IN MY DREAMS~ 04.ジャスミンの夢飾り 05.プールサイドが切れるまで 06.SENTIMENTAL SUGAR RAIN 07.十六夜物語(ピアノ・トランスプリプション) 08.やさしさの贈りもの 09.GT天国 10.あなたへ急ぐ ~Reach out to you~ 11.Searchin' for tomorrow 12.霧情 ~Till the end of time~ 13.Alone again ~Starting over~ 14.言葉はいらない ~Beyond The Words~ 15.心の風景
[ボーナス・トラック] 16.星屑シネマ *NAO & NOBU 17.Southern Cruise *河合奈保子&ジャッキー・チェン 18.町田学園女子高等学校校歌


河合奈保子の現時点でのラスト・シングル「夢の跡から」が発売されたのは1994年3月なので、すでに20年になろうとしている。ということは、少なくとも20歳以下の若い世代の人たちにとって、河合奈保子は未知の歌手であり、30歳以下の世代を含めても彼女の全盛期を記憶する人はほとんどいない・・・という事実を意味することになる。

それでも2012年11月に復刻発売された7枚のライヴDVDが好調な売り上げを記録したところを見ると、河合奈保子をリアルタイムで知る人のみならず、彼女を知らないはずの若い世代の人たちにも意外に関心を持たれている様子がうかがえる。たとえ過去のアーティストだったとしても、ネット上での評判や映像などを通して、良いものはものは良い、ということに気づいているのだろう。

これから河合奈保子の楽曲を聴いていきたいという若い世代の人たちに最初のCDをお勧めするとすれば、やはり2013年1月に発売された『A面コレクション』と『B面コレクション』になるだろう。それ以外に1枚物の『ゴールデン☆ベスト』も出ているが、これは最低ラインの有名曲だけを集めた抜粋盤なので、抜けている名曲も多く、あとで買い直す手間を考えると効率が悪い。それよりも最初からシングル全曲を網羅したこちらの2点のCDを選ぶほうが賢明であろう。

もちろん河合奈保子の楽曲がすべて名曲と言うつもりはなく、同時期の松田聖子あたりに比べると世間一般的に知られている曲は多くないかもしれない。その代わりに・・・といっては何だが、一筋縄ではいかない難曲(?)、突っ込みどころ満載の問題曲(?)、意外に感動的な名曲(?)等々、コアな音楽ファンの話題には事欠かない楽曲がそろっており、そういう意味では面白さがあり、何度繰り返し聴いても飽きが来ない。歌唱力に関してはもちろん折り紙つきなので、曲が今一つでも芸術鑑賞の観点から見れば満足度が高い・・・というのも大きなポイントになっている。

『A面コレクション』のほうはTVの歌番組などで歌われたお馴染みの楽曲を発売順に網羅しており、いわば「表の歴史」をたどることができる。発表される楽曲を四季ごとに追っていくと、プロデューサー側の売り出し戦術がどのように展開されているか、といった駆け引きも見えてくるところが面白い。それに対して『B面コレクション』のほうは、戦術や駆け引きとはやや距離を置いた「裏の歴史」として、純粋にA面との聴き比べを楽しむことができる・・・という点で興味深い位置を占めている。

ここで、バラエティに富んだ河合奈保子のB面曲の中から9曲を選んで簡単に紹介してみることにしよう。
いわば現時点での暫定的な「自選B面曲ベストナイン」ということになる。

●「ハリケーン・キッド」(作詞:三浦徳子、作曲:馬飼野康二)
河合奈保子自身が「こちらがA面になるんじゃないかと思ってました」と語っていたデビュー盤のB面曲。その言葉通り、A面の「大きな森の小さなお家」よりずっと出来がいいのではないかと思う。「大きな森の・・・」のほうは、あまりにも歌詞が幼いので、いい大人がカラオケで歌うには気恥ずかしいところがある。メルヘン仕立てを装いながら実は意味深長なアダルト・ソングという構造になっているのはわかるのだが、デビュー直後の奈保子のキャラにふさわしいとは思えない。それだったら、クールな主人公に翻弄される勝気な女の子という役回りの「ハリケーン・キッド」のほうがずっとイメージに合っている。こちらがA面であれば最初からベストテン入りのヒットになったのではないだろうか。

●「あなたはロミオ」(作詞:松本礼児、作曲:江戸光一・松本礼児)
1981年に発売された通算6枚目のシングル「ムーンライト・キッス」のB面曲で、例のNHKホールでの転落事故が起きた時期に当たる。「ムーンライト・キッス」はカスタネットという今では誰も見向きもしないようなレトロな楽器を、いかにも上品にたたく振り付けが印象的なのだが、曲の完成度としては今一つ中途半端なところがある。それよりもB面の「あなたはロミオ」のほうが単刀直入かつストレートな名曲で、こちらがA面だったらもっとヒットしたのではなかろうか、と思わせる。ひょっとしたらNHKホールでの事故もなかったかもしれない(?)

●「冷たいからヒーロー」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)
1983年に発売された通算15枚目のシングル「疑問符」のB面曲。当たり前のように会話していた幼馴染みの男の子が、年頃になると急に神秘的で遠い存在になってしまう・・・という乙女心を描いた名曲。シンプルなメロディ・ラインがさわやかで、マーチ風に余韻を残して消えていくところもなかなか効果的だ。同じ来生姉弟によるA面の「疑問符」も決して悪い曲というわけではないし、来生先生自身はお気に入りのようなのだが・・・。個人的にはちょっと哲学的すぎるというか、主人公が何を悩んでいるのか判然としないところがあり、聴くたびに大きな疑問符が浮かび上がってしまうのである。

●「プリズム・ムーン」(作詞・作曲:尾崎亜美)
1984年に発売された通算16枚目のシングル「微風のメロディー」のB面曲で、奈保子ファンの間では数あるB面曲の中でも屈指の人気を誇る。それというのも同じ尾崎亜美によるA面の「微風のメロディー」が今一つ評判がよろしくないという事情があり・・・
もちろん悪い曲ではないし、それなりの雰囲気があるので奈保子の歌唱力であれば抵抗なく聴けてしまうのも事実であるが、せっかく「for me~」と盛り上げた後で、「Happy Happy Lady」の単調なフレーズが続くのはいただけない、というわけであろう。そこへ行くと「プリズム・ムーン」は曲全体のバランスが取れている上、随所に隠し味のある名作だと思う。

●「メビウスの鏡」(作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平)
1984年に発売された通算18枚目のシングル「唇のプライバシー」のB面曲。前年の「エスカレーション」に始まった売・筒コンビの活躍は翌年もとどまるところを知らず、この年の秋頃には最高潮に達する。特に、この「メビウスの鏡」は数あるB面曲の中でも出色の出来栄え。作詞の面では「メビウス」に象徴される異次元空間のイマジネーションが冴えまくっており、一部の隙も見せない完璧なメロディ・ラインともども究極の職人芸を味わえる。A面の「唇のプライバシー」も完成度が高い傑作なので、A・B面のカップリングとしては最強の組み合わせの一つということになるだろう。

●「I'm in Love」(作詞:売野雅勇、作曲:林哲司)
1985年に発売された通算22枚目のシングル「ラヴェンダー・リップス」のB面曲。前作「デビュー ~Fly Me To Love~」で起死回生のオリコン1位獲りを達成した勢いで、同じ売・林コンビが同年秋のシングルを任せられることになる。が、連続1位を狙うにはA面が「ラヴェンダー・リップス」ではややインパクトが弱かったようだ。むしろB面の「I'm in Love」のほうが歌詞のオリジナリティが冴えており、メロディ・ラインもスピーディーな魅力がある。秋だからといって必ずしも叙情的な曲がいいとは限らず、むしろ勢いを大切にしたほうがよかったんじゃないかな・・・と思わせる一例。

●「SENTIMENTAL SUGAR RAIN」(作詞:吉元由美、作曲:河合奈保子)
1986年に発売された通算26枚目のシングル「ハーフムーン・セレナーデ」 のB面曲で、A面と同じく河合奈保子自身の作曲。このシングルで奈保子はアイドル路線から決別し、シンガーソング・ライターとしての道を歩むことになる。A面でのシリアスな絶唱ぶりとは対照的に、B面のほうはソフトタッチでさわやかにまとめており、ちょうど陰と陽の関係になっているところが興味深い。ここから以後、奈保子の活動は「さまざまな性格を持つ子供たち」を手塩にかけて養育していくプロセスがメインになっていく。

●「あなたへ急ぐReach out to you~」(作詞:さがらよしあき、作曲:河合奈保子)
1989年に発売された通算30枚目のシングル「悲しみのアニバァサリー」のB面曲だが、当初はこちらがA面になる予定だっただけに完成度が高く、曲想も魅力的だ。一度は別れを告げた恋人の大切さに気がつき、取り戻しに追いかけていくというテーマはスリルがあり、「逢えなくなるなんて・・・逢えなくなるなんて・・・」と畳みかけていくサビの疾走感はマラソンの応援歌にも使えるのではないか、と思うほどの迫力がある。こういう名曲を埋もれたままにしておくのは惜しい。自分が歌手だったらぜひカバーしたいところだが・・・。

●「言葉はいらないBeyond The Words~」(作詞・作曲:河合奈保子)
1993年に発売された通算34枚目のシングル「エンゲージ」のB面曲。河合奈保子は基本的にメロディ・メーカーで作曲のみを担当し歌詞は専門の作詞家に任せる場合が多いのだが、この作品は例外的に作詞・作曲の両方を手がけている。ちょっと聴くと岡村孝子風の「愛の応援歌」という雰囲気で、恋人を想うピュアな気持ちを日常的な言葉でストレートに表現している。このような歌詞はプロの作詞家には気恥ずかしくて書けないだろうが、どこにでもいる普通の女の子が書けば歌になってしまうところに、等身大的な日常を歌う現代J-POPとの接点があるかもしれない。

これら9曲以外にも、奈保子自身が特に気に入っているという「若草色のこころで」や「ジャスミンの夢飾り」、両A面として発表された劇場用ルパン3世の主題歌「MANHATTAN JOKE」、作詞を担当した秋元康が自身のベストの1曲に数える「恋のハレーション」など注目すべき楽曲が多い。隠れ名曲の宝庫ともいえる『B面コレクション』の中で「自分だけの奈保子の名曲」を発掘してみるのも、このCDならではの楽しみといえよう。

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●復活待望!河合奈保子特集(1) 『ゴールデン☆ベスト A面コレクション』を聴く

2013年08月19日 | 河合奈保子


河合奈保子 『ゴールデン☆ベスト A面コレクション
(2013年1月23日発売) COCP-37795~6

収録曲 [Disc. 1] 01.大きな森の小さなお家 02.ヤング・ボーイ 03.愛してます 04.17才 05.スマイル・フォー・ミー 06.ムーンライト・キッス 07.ラブレター 08.愛をください 09. 夏のヒロイン 10.けんかをやめて 11.Invitation 12.ストロー・タッチの恋 13.エスカレーション 14.UNバランス 15.疑問符 16.微風のメロディー 17.コントロール 18.唇のプライバシー 19.北駅のソリチュード 20.ジェラス・トレイン
[Disc. 2] 01.デビュー ~Fly Me To Love 02.ラヴェンダー・リップス 03.THROUGH THE WINDOW ~月に降る雪~ 04.涙のハリウッド 05.刹那の夏 06.ハーフムーン・セレナーデ 07.十六夜物語 08.悲しい人 09.Harbour Light Memories 10.悲しみのアニヴァーサリー ~Come again~ 11.美・来 12.眠る、眠る、眠る 13.Golden sunshine day 14.エンゲージ 15.夢の跡から
[ボーナス・トラック] 16.君は綺麗なままで *NAO & NOBU 17.愛のセレナーデ *河合奈保子&ジャッキー・チェン 18.ちょっとだけ秘密 *奈保子&小金沢くん


昭和歌謡曲史に彩りを添えた歌姫たちを振り返る時、まずは年代ごとのグループに区分するのがわかりやすいであろう。
①1960年代デビュー(弘田三枝子、森山加代子、奥村チヨ、黛ジュン、ちあきなおみ...etc)
②1970年代デビュー(天地真理、南沙織、山口百恵、桜田淳子、岩崎宏美...etc) 
③1980年代デビュー(松田聖子、河合奈保子、中森明菜、小泉今日子、本田美奈子...etc)

こうして見ると、なるほどバランス良く区分できるのがわかる。世代的にも、①自分より年長のお姉さん歌手、②自分とほぼ同世代のお友だち歌手、③自分より年下の妹歌手・・・ときれいに分けることができてしまう。

各年代で5人づつ上げてみたのだが、実はこの人選と名前を挙げた順番には意味がある(縦列の3世代グループごとに見ると共通項があるのがわかってもらえると思う)。一番左に位置する人たち(弘田三枝子、天地真理、松田聖子)はそれぞれの年代で一番最初にブレイクした大物、いわばその年代を牽引する先頭バッターの役割りを担った歌姫たちである。左から2番目に位置する人たちは文字通り2番バッターで、先頭で牽引するほどの強烈な影響力は持たないものの、それぞれの時代に不可欠なライバル的存在として、安定した実績を上げ続けていたところに特徴がある。

松田聖子と河合奈保子はブレイクしたのがほぼ同時期だったが、やがてヒットチャートにおいては圧倒的な差がつくようになった。それは松田聖子のほうに覚えやすいシングル曲が連続したという巡り合わせもあったのだが、そうでなくとも、一般大衆を牽引するカリスマ性においては明らかに聖子のほうに分があっただろう。ただ、当時大学生だった筆者の周囲に限れば、決して両者の人気に大きな差はなかった。筆者はコーラス関係のクラブに所属していたが、先輩たちの間では、むしろ河合奈保子のほうを高く評価していた人が多かったように思える。見る人が見れば、歌唱力と音楽性の確かさにおいて卓越したものを持っていたことは明らかなのだ。

それでも、やはり彼女を芸能人として見た場合、何かと不器用なところがあったことは否定できない。最も端的な例が、1981年10月5日にNHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中に起きた踏み外し事故で、4メートルもの高さから転落した結果、腰椎圧迫骨折という重症を負ってしまった。2ヶ月の療養の末どうにか復帰を果たし、初出場の紅白歌合戦には間に合ったものの、一歩間違えば生涯半身不随になるところだった。そんなこともあって、性格的にどこか抜けている印象を与えてしまうのだが、それが逆に魅力になってしまうのだからわからないものである。

やはり兄貴分の立場から見れば、不器用な妹ほど可愛いものである。素直すぎて世渡りも下手そうだし「こんなんで芸能界やっていけるのか? しっかりやれよ」と叱咤激励する感じで、いつのまにか肩入れをするようになった。少しでも売り上げに貢献できるように、写真集なども買ったのだが、正直言うと、初期の楽曲にはなかなか興味を持てなかった。当時はニューミュージックが台頭しつつあった時代だったので、アイドル系歌謡曲はどうしても軽く見ていたところがあったのである。それでも1982年の秋に竹内まりやの曲を歌うようになってから、ちょっと大人の傾向になってきたなと思ったのだが、新しい路線の第1弾「けんかをやめて」は歌詞がどうかなと思えるところがあり、売れているほどには好きになれなかった。むしろ自分の心にヒットしたのは次の「Invitation」で、歌詞・メロディとも文句なく名作と呼ぶにふさわしい。この頃からようやく歌手・河合奈保子としての認識を新たにしたのである。

年が明けて1983年もニューミュージック路線が続き、来生えつこ・たかお姉弟による楽曲「ストロー・タッチの恋」を発表。最初の印象ではちょっと地味かなと思いつつ、繰り返し聴いてみるとなかなかノスタルジックな味のある作品だな、と納得するようになった。ただ、奈保子陣営もこの路線で大ヒットを狙うにはちょっと弱いと気づいたのだろう。次のシングルでは、なんと当時流行のセクシー・ディスコ歌謡路線に大転換。もともと運動音痴の奈保子としては激しい動きをともなう振り付けは得意そうではないし、本人のキャラに合いそうな分野ではなかったが、血のにじむような猛特訓(?)の成果もあってか、新路線の第1弾「エスカレーション」は見事自己最高の売り上げを記録することになった。イメチェンひとまず成功といったところである。

その後、この成功をさらに発展させるべく、売筒コンビ(作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平)による第2弾の「UNバランス」を皮切りに、翌年の「コントロール」、「唇のプライバシー」、さらに翌年の「北駅のソリテュード」、「ジェラス・トレイン」・・・と時代の先端を行く洋楽テイスト路線を展開させていくことになるのだが、比較的ストレートな「UNバランス」と「唇のプライバシー」はともかく、ソウル・フレイヴァーなアレンジで自在に作りあげた「北駅のソリテュード」と「ジェラス・トレイン」は、当時としては難曲だったかもしれない。なるほど何回も聴いていくと病みつきになっていく中味の濃さがあり、作詞者本人が言っているように、これぞマスター・ピース!と呼びたい気もするのだが、従来のアイドル的な傾向を好むファンから見れば、もっと親しみやすい楽曲を歌って欲しかったのではないだろうか。

そのような要求に応えるかのように、一方では、奈保子自身が本来持っているさわやかで影のないキャラを生かす試みも行なわれた。その一番の成功例が1985年6月に発売された「デビュー ~Fly Me To Love」で、映画『ルパン3世 バビロンの黄金伝説』の主題歌を両A面として抱き合わせる作戦も功を奏し、河合奈保子のシングルとしては21枚目にして初のオリコン1位に輝くことになった。まさに起死回生の一発である。その翌年の春、同じさわやか青春路線で「涙のハリウッド」を発表。こちらも素晴らしいメロディラインを持つ傑作で、本来なら大ヒットしてもおかしくないと思われたが、売り上げが意外に伸びず、二度目の奇跡はならなかった。この1986年の時期になると、前年や前々年あたりにデビューした新勢力のアイドルたちが徐々に頭角を現してきたので、さしもの奈保子も人気に陰りが出てきた、ということになるのだろうか。紅白歌合戦の出場も、この曲を発表した1986年が最後となったが、1981年から6年連続出場を果たしたこと自体すごいことであるし、一世を風靡したアイドルとしては十分な実績を積み上げた・・・と言うことができるかもしれない。

そして、1986年11月に発表した自作のシングル「ハーフムーン・セレナーデ」において、河合奈保子は完全にアイドルとしてのキャリアに決別する。自ら楽曲をプロデュースするシンガーソング・ライターとしてアルバムを出していく本格的なアーティストの道を歩むことになった。この時期の曲では、1987年に発表されたアルバム『JAPAN』からのシングル・カット「十六夜物語」が素晴らしいと思う。日本作曲大賞の優秀作曲者賞、プラハ音楽祭の最優秀歌唱賞に輝く実績もさることながら、やはり曲自体に名作ならではのオーラがある。新しい和風叙情歌(あえて「演歌」とは呼ばない)のスタンダード曲として後世に残す価値があると思うのだが、いかがであろうか。

「初期の楽曲にはなかなか興味を持てなかった」と書いたが、実は今あらためて聴いてみると、初期の楽曲も意外なほどハマる。いわゆる竜馬コンビ(作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二)による「スマイル・フォー・ミー」、「ラブレター」、「夏のヒロイン」はさすがに職人的な無駄のない仕上がりだし、「ヤング・ボーイ」と「愛してます」もマイナー調からメジャー調に転換する70年代の旧スタイルを色濃く残しているところが興味深々だったりする。実は河合奈保子自身も80年代という新時代の幕開けにデビューしながら、中味はアナクロな70年代を微妙に引きずっているキャラなので、彼女らしいといえば彼女らしい楽曲でもあったのだ。そういう奥手なところも含めて、すべてが河合奈保子の魅力なのである。

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●歌姫たちの名盤(20) 青江三奈 『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~』

2013年08月11日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


青江三奈 『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~
(2007年8月24日発売) THCD-054 *オリジナル盤発売日:1993年10月21日

収録曲 01.CRY ME A RIVER 02.IT'S ONLY A PAPER MOON 03.THE MAN I LOVE 04.LOVE LETTERS 05.LOVER, COME BACK TO ME 06.BOURBON STREET BLUES~伊勢佐木町ブルース  07.HARBOUR LIGHTS 08.WHE N THE BAND BEGIN TO PLAY 09.WHAT A DEFFERENCE A DAY MADE 10.GREEN EYES 11.GRAY SHADE OF LOVE 12.SENTIMENTAL JOURNEY 13.HONMOKU BLUES~本牧ブルース


昭和歌謡界を牽引したブルースの女王・青江三奈が世を去ってから今年(2013年)で13年になるが、まだまだ根強い人気は衰えていないようだ。今はネット上で手軽に動画を見ることのできる時代になったこともあり、リアルタイムで聴いてきた中高年のファンのみならず、若い世代の人たちの中にも「こんな凄い歌手がいたのか」と驚く人も増えている。それがここ数年来の「再評価」につながっているというわけである。事実、彼女の歌声はまさに昭和ならではのネオン街の色気があり・・・時代背景の違いもあるので、こういう「盛り場の匂いがする歌手」はもう出てこないだろう。それだけに、残された録音の数々は貴重な財産となってくる。

青江三奈といえば、一般的に知られている代表曲は100万枚以上を売り上げた「伊勢佐木町ブルース」、「長崎ブルース」、「池袋の夜」など60年代後半に集中しているように見えるものの、実際は80年代前半まで紅白歌合戦の常連だった。それだけ唯一無二の個性が際立っていたということでもあり、そもそも「ブルースの女王」と呼ばれるような人をはずすわけにはいかなかったのである。80年代中盤になると従来の歌謡界の枠組みが崩れてきたこともあり、絶対的な存在というわけにはいかなくなったが、それでも90年代にちゃんと巻き返すところはさすが女王の底力というしかない。

まず1990年に、歌手生活25周年を記念して発売されたアルバム『レディ・ブルース ~女・無言歌~』が日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞し、7年ぶりに紅白歌合戦に復帰。そして1993年にはなんとニューヨークに渡り、一流のジャズメンたちの協力を得て初の全曲英語のジャズ・アルバムを録音することになった。それがここに紹介する『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~』である。

青江三奈とジャズ。その組み合わせは「伊勢佐木町ブルース」を歌う彼女のイメージしかない人には意外なもののように思えるかもしれないが、彼女は他の多くの歌謡曲歌手がそうであったように、デビュー前は銀座の高級クラブなどで歌うジャズ・シンガーであり、ジャズのアルバムを出すというのは彼女にとって夢だった・・・ということを、ごく最近になって認識することになった。これと、1995年にリリースした2枚目のニューヨーク録音アルバム『PASSION MINA IN N.Y.』は、発売時はたいして話題にならず、ほどなく廃盤になっていたのが2007年になって復活。高まる再評価の波に乗って、ようやくジャズ・シンガーとしての青江三奈の本領を広く知らしめることのできる時代になったのである。

まず冒頭を飾るのが「CRY ME A RIVER」。最近リリースされた八代亜紀のアルバムにも入っているが、青江三奈の歌いっぷりはさらに濃厚かつ退廃的な味付けがあり、うらぶれた場末の雰囲気が漂ってくる。続く「IT'S ONLY A PAPER MOON」はこの曲を歌ったナット・キング・コールの弟、フレディ・コールとのデュエット。ジャズならではのゴキゲンなスウィング感を満喫できる名曲。個人的にはライアン&テータム・オニール親子が共演した映画『ペーパームーン』の一場面を思い起こさせる。

味の濃いハスキー・ヴォイスにどっぷり浸れるガーシュインの名曲「THE MAN I LOVE」、フレディとのしっとりとした掛け合いを味わえるムード満点な「LOVE LETTERS」、青江三奈独特の渋いスウィング感とエディ・ヘンダーソンのトランペット・ソロが楽しめる「LOVER, COME BACK TO ME」を経て、いよいよこのディスク最大の目玉でもある「BOURBON STREET BLUES」の登場となる。

原曲はあの大ヒット曲「伊勢佐木町ブルース」 。舞台はなんとニューオリンズのバーボン通りに移り、そこでもあのハスキーなため息を連発。この街には何度か訪れたことがあるが、いわゆる「歩き飲み」が許されており、昼間から酔っ払いが徘徊している。そのうらぶれた街の雰囲気に不思議にマッチするアレンジだ。

それに続くフレディとのデュエット「HARBOUR LIGHTS」も、異国の港町を思い起こさせる名演。続いてスリル満点なサウンドを楽しめる「WHEN THE BAND TO PLAY」、新しい恋人との出会いの喜びが伝わってくる「WHAT A DIFFERENCE A DAY MADE」、スペイン語と英語で歌うフレディとのデュエット4曲目「GREEN EYES」、いかにもアメリカ南部のディープな夜を思わせる「GRAY SHADE OF LOVE」、誰でも一度は耳にしたことがあるスタンダード曲「SENTIMENTAL JOURNEY」・・・と、バラエティに富んだ曲目が次々に登場する。

そしてアルバムのトリを飾るのは英訳版の「HONMOKU BLUES(本牧ブルース)」 。もともとはザ・ゴールデン・カップスが1969年に出したヒット曲をマル・ウォルドンのアレンジでジャズに仕上げた逸品・・・とライナー・ノーツには書いてあるのだが、原曲を聴いてみると違う曲のようで、どうやら作詞者のなかにし礼が青江三奈のために新しく書き下ろした新曲がオリジナルになっているようだ(アルバム『レディ・ブルース ~女・無言歌~』に収録)。やはり彼女は生まれながらにジャズ向きの声を持った歌手であり、その特質に和風の節回しを加えたものが、いわゆる「青江ブルースの世界」ということになるかもしれない。

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●歌姫たちの名盤(19) テレサ・テン 『ラスト・コンサート/完全版 -1985.12.15 NHK HALL-』

2013年08月05日 | 歌姫③ ENKA・裏街道系


テレサ・テン 『ラスト・コンサート/完全版 -1985.12.15 NHK HALL-
(1999年12月1日発売) POCH-1892/3

収録曲 [Disc. 1] 01.オープニング~ 空港 02.メドレー~ アカシアの夢~ 03.ふるさとはどこですか~ 04.女の生きがい~ 05.雪化粧~ 06.夜のフェリーボート 07.船歌 08.海韻 09. 何日君再來 10.釜山港へ帰れ 11.浪花節だよ人生は 12.北国の春 13.夜來香 [Disc. 2] 01.A GOOD HEART 02.CARELESS WHISPER 03.THE POWER OF LOVE 04.I JUST CALL TO SAY I LOVE YOU 05.つぐない 06.乱されて 07.ミッドナイト・レクイエム 08.愛人 09.ノスタルジア 10.今でも・・・ 11.アンコール~ ジェルソミーナの歩いた道 12.リクエスト・コーナー~ 1) 梅花 2) 漫歩人生路(ひとり上手) 3) 東山諷雨西山晴 13.愛人


「アジアの歌姫」テレサ・テンが1985年12月15日にNHKホールで行なったコンサートが完全収録された2枚組CD。前年の日本復帰第1作「つぐない」の大ヒットに続き、この年も「愛人」が大ヒットして年末のNHK紅白歌合戦への初出場が決まるという、まさに昇り竜のタイミングで、日本では実に9年ぶりとなる単独コンサートが行なわれた。

このCDは『ラスト・コンサート』というタイトルになっているが、この時点では、日本でのライヴはこれが最後になろうとは予想されるはずもなかった。結果的に、テレサ自身のMCも含めて完全収録されたこの日の録音は、二度と繰り返すことのできない奇跡のような体験を刻印する貴重な媒体となったのである。

まずDisc.1。人々のざわめきの中で、おもむろに空港のアナウンスが聴こえてくる。ジェット機が飛び立つ音。そして1974年に大ヒットした初期の代表作「空港」のイントロが現われ、待望のテレサの歌声が響く・・・という絶妙のオープニング。

ここでテレサの挨拶があり、最初のプログラムはポリドール時代に録音した演歌のメドレー。「アカシアの夢」、「ふるさとはどこですか」、「女の生きがい」、「雪化粧」と歌い継いだあと、「夜のフェリーボート」で序盤のクライマックスとなる。演歌歌手としてのテレサの足跡を振り返るような導入部分だ。

ここから舞台は東南アジアに移り、インドネシア民謡「船歌」 、中国の愛唱歌「海韻」と「何日君再來」、人気の高い韓国の名曲「釜山港へ帰れ」、日本のスタンダード・ナンバー「浪花節だよ人生は」、「北国の春」と続く。「北国の春」 では1番と2番の間に中国語のワン・コーラスを挟み、拍手喝采が巻き起こった。

会場には香港からも多数のファンが来ているようで、しばしの間、広東語で会話するシーンもあり。
好きな歌手なら国境を越えても追いかけるという熱烈なフォロワーは、日本同様に存在するようだ。

前半の締めは世界で最も有名なチャイナ・メロディといわれる「夜來香(イェライシャン)」。往年の山口淑子(李香蘭)の歌でヒットし、テレサ・テンの歌によって復活したこの名曲は、まさに天女のような・・・と表現するしかない絶品で、居ながらにして極楽浄土に引き込まれるような感覚になる。

Disc.2は一転して洋楽ナンバーでスタート。乗りのいい「A GOOD HEART」 はこのアルバムで初めて聴く曲なのだが、これはどうやらテレサのために書かれたオリジナル英語曲のようである。欧米圏でも十分ヒットしそうなメロディだ。

続いて当時の最新ヒット曲のカバー「CARELESS WHISPER」(ジョージ・マイケル)、「THE POWER OF LOVE」(ジェニファー・ラッシュ)、「I JUST CALLED TO SAY I LOVE YOU」(スティーヴィー・ワンダー)を歌う。そして、そこから間髪入れずに「つぐない」 に突入していくプログラミングも鮮やかだ。ベートーヴェンの第5交響曲ではないが、いかにもシンンフォニーの最終楽章が来た・・・という感じがする。

ここからは、まさにテレサ・テンの「なう(NOW )」となり、新しいレコード会社トーラスに移籍してからのオリジナル曲「乱されて」、「ミッドナイト・レクイエム」、「愛人」、「ノスタルジア」、「今でも・・・」と続く。そして、アンコールの「ジェルソミーナの歩いた道」でライヴの幕が閉じられるかに見えた。

ところが、テレサは広東語でリクエスト曲を募集する。わざわざ香港から追いかけてきた人たちへのファン・サービス。さすがに歌詞をトチったり、どこか怪しげだったりするが、なかなかここまでやる機会はないだろうから、これはこれで貴重な光景といってもいいだろう。

アジアの歌姫による、一期一会のラスト・コンサート。それからわずか10年後、42歳で世を去った時、悲しさよりも「あぁ、天女が空へ帰っていったんだな・・・」と妙に感慨深い思いがしたのも、実際に彼女が天に選ばれた人だったからかもしれない。

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●歌姫たちの名盤(18) テレサ・テン 『ベスト全曲集 ~21世紀へ伝えたい名曲たち~』

2013年07月22日 | 歌姫③ ENKA・裏街道系


テレサ・テン 『ベスト全曲集 ~21世紀へ伝えたい名曲たち~
(2000年9月20日発売) UPCH-3005

収録曲 01.悲しみと踊らせて 02.冬のひまわり 03.夕凪 04.空港 05.夜のフェリーボート 06.ジェルソミーナの歩いた道 07.あなたの空 08.乱されて 09. つぐない 10.愛人 11.時の流れに身をまかせ 12.別れの予感 13.香港~Hong Kong~ 14.上海エレジー 15.恋人たちの神話 16.悲しい自由 17.今でも・・・ 18.Yes, 愛につつまれ


テレサ・テン。彼女について書こうとすると、どうしてもラヴレターのようになってしまうので、ひとまず自制しなけれならないが・・・やはりアジア圏でこれほど愛されている歌姫はいないし、これからも出てこないだろう。なにしろ、あまりの影響力の強さに中国共産党も恐れたほどだったのだから。

テレサの生前、つまり1995年以前の段階では自分自身が若かったこともあり、まだまだ真の魅力に気づいていなかった。本当にテレサの歌声が聴きたくなったのは、自分がテレサの没年齢(42歳)に追いついた2000年以降なので、完全な没後ファンである。もちろんライヴに接するには時すでに遅く、市販されているCDやDVDに頼るしかなくなってしまった。

しかもこれだけの大スターなので、代表曲を含めた、いわゆる「ベスト盤」のCDだけでもおびただしい数が出ている。今年(2013年)は生誕60周年に当たるということもあって、新たに未発表音源を収録した『ダイヤモンド・ベスト』なる新譜も発売された。これだけ多くの「ベスト盤」があると、初めてテレサを聴こうという人は、どれを買えばいいのか迷ってしまうだろう。

筆者が選んだ最初の1枚は、2000年9月に発売された『ベスト全曲集 ~21世紀へ伝えたい名曲たち~』 というCDだった。まず最初に目を惹くのは、ジャケットの素晴らしさである。顔だけではなく全身で表現された大人の女性の魅力は、他のCDを大きく上回っているのではないだろうか。名盤といわれるレコードはたいていジャケットのデザインも極上であることが多いが、これも例外ではないだろう。

このCDのブックレットには、テレサの代表曲4曲(「つぐない」、「愛人」、「時の流れに身をまかせ」、「別れの予感」)のメロ譜が付いており、カラオケが趣味の人にとっては歌の練習に利用することができるという点で便利な特典である(筆者もそれが目当てだった)。そして、この4曲以外の収録曲も「21世紀へ伝えたい名曲たち」というコンセプトを反映して、いかにもそれにふさわしい曲目が選ばれており、単なるシングル・コレクションではなく、アルバムとしてトータル的なバランスが取れているところがいい。

個人的には前記4曲に続く名曲として「恋人たちの神話」と「香港 ~Hong Kong~」は欠かせない。大きな賞こそ受賞していないが、実際はおそらくこの2曲がテレサのキャリアの上でピークを極めていると思われ、昭和の幕切れを飾る名曲と呼びたいような輝きがある。続いて1990年代に歌われた「Yes, 愛につつまれ」、「悲しみと踊らせて」、「冬のひまわり」、「夕凪」になるとテレサの歌声はいよいよ透明度を増し、俗世間を離れた彼岸の響きというか、何かこの世ならざるものを帯びてくるようになる。

このような歌声を獲得するには、もちろん天性の才能に加えてそれ相応の努力も必要なのだろうが、もう一つのファクターとしては「常人には想像もつかない過酷な運命」というのもあるかもしれない。世間的な名声とは裏腹に、どうにも解決しようのない孤独感が見え隠れする。

 何故にわたしは 生まれてきたの
 何故に心が 淋しがるの

「香港 ~Hong Kong~」の中で歌われる一節が、当時の悲痛な心境を吐露しているかのように響く。
抗いがたい運命に翻弄された悲しい人生と反比例するような天使のような歌声が、どうしても表裏一体のものと思えてしまうのは、考え過ぎだろうか・・・

ところで、CD店などに行くと、テレサ・テンは「演歌」にカテゴライズされていることが多く、そのことが若い音楽ファンには誤解を招く原因にもなっているのだが、実際は「演歌」 に該当するテレサの曲はそう多くない。あるとしても1970年代にヒットした「空港」など初期の数曲だけで、あとは純粋にAORというか「大人向けラヴソング」と考えたほうがいいだろう。このアルバムにも「上海エレジー」(南こうせつ作曲)、「今でも・・・」(飛鳥涼作曲)といったJ-POP指向の作品が含まれており、全体的に透明度の高い1980年代中盤以降の楽曲を中心にまとめられている内容からも、若いリスナーには特にお勧めできるアルバムと思われる。

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●LIVE体験記(7) 弘田三枝子 MICOスーパーライブ@銀座スウィング

2013年07月11日 | LIVE体験記



6月28日(金曜日)、以前から予約していた銀座スウィングのジャズライヴを聴きに行く。
登場するアーティストは、「砂に消えた涙」を初めて耳にした1964年(小学生1年生の頃)以来、自分の脳裏に鮮烈な印象を刻み続けていたMICO姫・・・こと弘田三枝子。

とにかく、いろいろな意味でドキドキした。

あれから50年の時を越え、伝説の歌姫にいよいよ会えるという期待と・・・
それはある意味「夢の実現」でもあるのだが・・・それは同時に「現実」に直面する瞬間でもあり・・・
もしかしたら・・・あの頃の力強い歌声はもう聴けないのではないか・・・という不安も、なきにしもあらずだった。

ジャズクラブを埋め尽くしていたのは、ほぼ60歳代中盤とお見受けする古くからのファンの方々。
その中にあって、ひと回り年下の自分は、いささか若輩者という気後れを感じないでもなかったが・・・
たまたま相席になった男性ファンの方と話をするうちに、雰囲気に溶け込んできた。

その方は今年3月に初めてMICO姫のライヴを聴き、その魅力に目覚めたという。
自分が「実はMICOさんの『じゃずこれくしょん』を持っていて・・・」という話をすると、大変羨ましがっていた。
なにしろ、この8枚組のCDは、中古市場で8万円以上の値がついているというのである。

そうこうするうちに、MICO姫のバックをつとめるジャズメンたち3人「渡辺かづきTrio」の演奏が始まり、それに引き続いて、いよいよ白+コバルトブルーの衣装も鮮やかなMICO姫が登場。快速スウィング「Bye Bye Blackbird」で、一気に会場全体の空気が盛り上がった。

聴く前まで抱いていたかすかな不安は、最初の一声で吹っ飛んだ。
全盛期と変わらない声の迫力、華麗な身のこなし、その場の雰囲気で予定の曲目を変えていく即興性・・・

これなら、まだまだ大丈夫だ。われらが女王様は健在!
そう実感させられた。

「歌手はアスリート。歌は全身を使うので、歌えば歌うほど若くなる。皆さんもカラオケを歌う時は、全身を動かして歌って下さいね」
・・・とカラオケ好きのアスリートとしては、うれしいアドバイスも。

これから音楽で身を立てようという人たちは、こういう本物のライヴを聴くべきだ。

■演奏曲目■
(曲名に自信のないものがあったので、先輩方のブログ記事を参考にさせていただきました。) 

第1ステージ
Bye Bye Blackbird
Moonlight Serenade
Alexander's Ragtime Band
Meditation
ヴァケーション(Popsからのリクエスト)
人形の家(歌謡曲からのリクエスト)
Alright, Okey, You Win
Feel Like Making Love

第2ステージ
But Not For Me
Misty
So Danco Samba(Dance of Samba)
すてきな16才(Popsからのリクエスト)
私のベイビー(Popsからのリクエスト)
Jambalaya
Swanee
Teach Me Tonight
On the Sunny Side of the Street

アンコール
Feel Like Making Love
Take the A Train

 

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●歌姫たちの名盤(17) 黛ジュン 『天使の誘惑 黛ジュンのすべて』

2013年06月24日 | 歌姫② 60-80S 歌謡POPS系


黛ジュン 『天使の誘惑  黛ジュンのすべて
(2004年4月20日発売) COCP-31131 *オリジナル盤発売日:1969年2月10日

収録曲 01.黛ジュンによるナレーション 02.天使の誘惑 03.夕月 04.恋のハレルヤ 05.霧のかなたに 06.ツイスト・アンド・シャウト 07.バラと太陽 08.私の愛にこたえて 09. 愛の奇蹟 10.乙女の祈り 11.八木節 12.ダンス天国 13.淋しくて 淋しくて 14.ブラック・ルーム 15.つめたい耳


1968年度のレコード大賞に輝いた「天使の誘惑」をフューチャーした記念アルバム。この曲も小学校高学年時代の想い出を鮮明に思い起こさせる名曲だ。しかも単に懐かしいだけでなく、今聴いても十分新鮮でワクワクするという点では、同時代の歌謡曲の中でも5本の指に入るのではないだろうか。

この曲がヒットしていた当時、小学生に最も人気があったのはピンキーとキラーズの「恋の季節」 だった。これももちろん名曲であることは間違いないのだが、歳月を経て中高年にさしかかった今では、もっと大人の香りのする「天使の誘惑」のほうが懐かしく思える。黛ジュンもヴォーカリストとして素晴らしい。レコード大賞を受賞したのは20歳になったばかりの時で、これは女性ソロ歌手としては史上最年少だった(1996年に安室奈美恵が19歳で受賞するまで同賞の最年少受賞記録を保持)。そのくらいの年齢であれば、現代ならアイドル歌手の扱いになってしまうだろうが、当時は全くそうではなく、れっきとした大人の歌手と見なされていた。

この時代の歌手の多くは、デビュー年齢が若くとも、それ以前に下積みシンガーとしての十分なキャリアがあった。幼少の頃から米軍キャンプや高級クラブでジャズをはじめとするあらゆるジャンルの曲を歌い、大人の観客向けのステージマナーを身につけた上でメジャーデビューするわけだから、出てきた時点で、すでにプロフェッショナルの完成された歌手なのである。黛ジュンの場合も例外ではなく、中学校卒業後から米軍キャンプでジャズ・シンガーとして武者修行を積んでいた。

1964年(当時16歳)の最初のデビューは本名の渡辺順子名義だったが、この時はヒットが出ず、3年後の1967年に黛ジュンの名で東芝レコードから再デビューする。ここから本格的なブレイクが始まった。それ以降は同じ東芝に所属する奥村チヨ、小川知子とともに「東芝3人娘」として全盛期を築くことになる。

この当時はグループサウンズが流行した時期でもあり、小学生の女子の間でもタイガースとテンプターズが人気を2分していた。 黛ジュンは「ひとりGS」と呼ばれる独自のスタイル、ミニにこだわった洋風衣装で若者の支持を得た。同世代の奥村チヨともども、時代の最先端を行くファッションリーダーの役割りを果たしていた。そういう背景からも、1967年でのブルー・コメッツ、1968年での黛ジュンのレコード大賞受賞は「時代を映す鏡」として大きな意味を持つのである。

さて、レコード大賞受賞の翌年2月に発売されたこの記念アルバムでは、黛ジュン自身のメッセージが冒頭に収録されている。その内容は初々しさと同時に、プロの歌手としてすでに長いキャリアを積んでいることを感じさせる。米軍キャンプで歌っていた時の思い出を走馬灯のように懐かしく振りかえりながらも、明日への夢に向かって新たな一歩を踏み出す決意。予想に反してグループサウンズの時代はあっけなく終わってしまい、歌手の世代交代も急速に進んでいくことになるのだが、そうであったとしても、あの時輝いていた笑顔は忘れることができない・・・というのが同時期に青春時代を過ごした人たちの共通の思いではないだろうか。

本人のメッセージに続いて最も有名な初期のヒット曲「天使の誘惑」(第4シングル) 、「夕月」(第5シングル)、「恋のハレルヤ」(第1シングル)が続く。「霧のかなたに」(第2シングル)もややマイナーながら渋い名曲。この後はお得意の洋楽ナンバー「ツイスト・アンド・シャウト」となり、本格的なロックンロールのシャウトを聴かせる。前半の残り2曲はアルバムでしか聴けない「バラと太陽」と「私の愛にこたえて」。どちらも「天使の誘惑」と同じ作詞・なかにし礼、作曲・鈴木邦彦のコンビによるもので、洋楽テイストを取り入れたナウい佳曲となっている。

後半は一転してドラマチックな歌謡曲「愛の奇蹟」(「夕月」のB面) から始まる。そしてリアルタイムで飽きるほど耳にした「乙女の祈り」(第3シングル)。これ、もしかすると自宅にレコードがあったのでは・・・と今にしてみれば思う。父親が黛ジュンのファンとは聞いていなかったのだが、もしかすると密かに好きだったのかもしれない。続いて「八木節」のライブ音源。和風ナンバーのあ・うんの呼吸も堂々としたものだ。ここからは再び洋風ロックンロール・テイストになり、イェイ!の掛け声がキマッている「ダンス天国」、なかにし礼・鈴木邦彦コンビのバラード「淋しくて 淋しくて」(「乙女の祈り」のB面)、ドラムとエレキサウンドが冴えわたるリズミカルな名曲「ブラック・ルーム」(「天使の誘惑」のB面)を経て、幻の名曲ともいわれる「つめたい耳」のスケールの大きな歌唱で締めくくる。

黛ジュンといえば、実兄が作曲家の三木たかしであることでも知られる。兄による歌の指導は厳しかったらしく、2009年に三木たかしが逝去した時、「私は兄に褒められたくて一生懸命歌ってきた。これから先、どうやって歌ったらいいのか、考えられません」と涙ながらに語っていた。2人の才能・実力を考えれば、まさに黄金の兄妹である。

黛ジュンは更年期障害で苦しんだ時期があり(体験本を出版している)、また一時期は原因不明の喉の病気で声が出なくなり、半ば引退していた時期もあったが、最近になって歌手活動を再開したようだ。年齢的にはまだ60代なので、ぜひとも同世代を代表するスター歌手の一人として活躍を続けてほしいものである。

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●歌姫たちの名盤(16) ちあきなおみ 『あまぐも』

2013年05月28日 | ちあきなおみ


ちあきなおみ 『あまぐも
(2000年10月21日発売) COCP-31131 *オリジナル盤発売日:1978年1月25日

収録曲 01.あまぐも 02.仕事仲間 03.涙のしみあと 04.想影 05.義弟(おとうと) 06.夕焼け 07.普通じゃない 08.視角い故里 09. 男と女の狂騒曲 10.マッチ売りの少女 11.夜へ急ぐ人


ちあきなおみがコロムビア在籍時に発表したオリジナル・アルバムは全部で14枚。最初の4枚はちあき自身のオリジナルに同時期のヒット曲を加えたポップス・アルバムという色合いが強かったが、演歌の大御所・船村徹の作品を集めた第5アルバム『もうひとりの私』(現在は第12アルバム『もうひとりの私~船村徹作品集』と合わせて1枚のCDになっている)を境にして、独自性のあるコンセプトを持つようになってきた。

その後、戦争直後の埋もれた歌謡曲を復活させた『戦後の光と影 ちあきなおみ、瓦礫の中から』(1975年)、失われゆく日本情緒に焦点をあてた『春は逝く』(1976年)、大人向けムード歌謡集『そっとおやすみ』(1976年)など、テーマ性を持ったアルバムによって揺るぎない評価を勝ち得てゆく。そして・・・ちあきが次に狙いを定めたのが、当時台頭しつつあったニューミュージックの世界だった。

当初は世のしきたりに反抗するフォークの衣を着ていたこともあって、やや異端視されていた「新しい音楽(New Music)」が、1970年代も後半になると、若者たちの支持を得るためのヒットメーカーとして、もはや無視できない存在になってきたのである。

ちあきサイドのスタッフも時代の流れを察知したのかもしれない。まず1977年に、初のニューミュージック系アルバム『ルージュ』を発表する。しかしながら、この作品集はやや統一感を欠いた寄せ集めという感が否めず、決して万全な出来とはいえなかった。おそらく、ちあき本人の意向があまり反映されていなかったのだろう。中島みゆきが提供した表題作はともかく、井上陽水の「氷の世界」などは違和感がありすぎた。

巻き返しを期して、次のアルバムでは、100%ちあきなおみの芸風を体現できるアーティストが選ばれた。ストレートな男の心情を歌い上げる河島英五と、魔界に踏み込んだような変幻自在の文学世界を持つ友川かずき。まさに昼と夜、光と影のように対照的な二人の作風だが、不思議なことに、どちらもちあきなおみとの相性が抜群なのである。ちょうど同じコインの表と裏のようにぴったり合う。そんな絶妙なコンビネーションを楽しめるのが、コロムビア在籍最後の通算14枚目のアルバムとなった『あまぐも』(1978年)なのである。

このアルバムはA面に河島英五が提供した6曲、B面に友川かずきが提供した5曲が収められている。オリジナル発売は当然LPなので、表の6曲と裏の5曲でそれぞれの世界が完結するように工夫されている。(ちなみにCD時代では、このような発想でのアルバム作りはできない。表も裏もなく1枚の表面があるだけなので、よほど工夫してメリハリをつけないと冗長になってしまう。プロデューサーの腕が問われるところである)

さて、まず河島英五であるが、ちあきなおみは代表作「酒と泪と男と女」をコンサートで採り上げるほどの惚れ込みようである(以前紹介した企画アルバム『VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家』に収録されている)。まさに男唄フォークの最高傑作。「涙」ではなく「泪」と表記するところがミソなのだ。ほんとうの「なみだ」は単なる感傷の次元を超えるのである。

まずは、トップバッターを飾る表題作の「あまぐも」。雨雲がとんでゆくわ・・・とつぶやくヒロインは、もちろんちあき自身がモデルだろう。ジャケットの図柄にあるような憂いのある横顔が、まさにこの物語の主人公だ。このアルバムでは全曲のバンド演奏をゴダイゴが務めており、河島英五の6曲ではどれも上質なAORテイストを味わうことができるが、特にこの曲では、トミー・シュナダー奏するフルートの音色がいい味を出している。

酒を飲みながら昔の仕事仲間を追想する「仕事仲間」 、不器用な男と女の恋模様を歌った「涙のしみあと」、別れた男の想い出を胸に雨の盛り場をさまよう「想影」、嫁に先立たれた義理の弟をなぐさめる「義弟」。いずれも素朴で飾り気のない感情が伝わってくる。

そしてA面の締めくくりとなる「夕焼け」 では、悲しみを乗り越えて明日への希望を歌い上げる。
ちぎれて流れる雲ひとつ・・・はもはや雨雲ではなく、新たな夢に向かって飛んでゆく夕焼け雲。行く先々で苦難に出遭うことは避けられないとしても、河島英五の場合は決して後ろ向きにならないし、基本的にポジティヴで健全な人生観なのだ。

これがB面の友川かずきになると様子が違ってくる。1曲目からいきなり「普通じゃない」 というタイトル。オプティミスティック(性善説)な河島英五とは正反対に、人は皆、普通に生活しているように見えても、内面には狂気が宿っているのだ、というペシミスティック(性悪説)な人生観が根本にある。

 どうせみんなは 善人面さ 普通じゃない 普通じゃない・・・・・・

バック演奏を務めるゴダイゴもここではAOR調ではなく、エレキの炸裂するロック調になる。そして、ちあきの歌唱もそれに波長を合わせるかのようにヒートアップ! 随所で聴こえてくるシャウトも、本職のロック歌手顔負けの迫力だ。

2曲目の「視角い故里」 のヒロインも、田舎から都会に出てきて以来、ノイローゼ気味。夜は原因不明の悪寒に襲われ、昼はどこを見てものっぺらぼうの群れ。都会の蟻地獄の中で、行く当てもなく、結局は堕ちていかなければならないような運命を暗示して曲は終わる。

その後日談であるかのように、文字通り理性の力を超えて、堕ちるところまで堕ちていく「男と女の狂騒曲」。
来る日も来る日も酔っ払いの男たちに性を売り続ける少女を主人公にした虚無的な売春ソング「マッチ売りの少女」。
普通じゃないどころか、狂気はますますエスカレートしていく。

そして、 極めつけは「夜へ急ぐ人」。1978年の紅白歌合戦の壮絶な名演で語り草になった、あの曲である。
妖麗で不気味なシングル・ヴァージョンとは違い、アルバム・ヴァージョンは快速ロック調アレンジなのでスマートに聴こえるが、この世の感覚を超えた妖怪変化の世界であることには変わりない。闇の中から「おいで おいで」をしているのは、いったい誰なのか。

人は誰もが狂人になりうる。普通のように思える人が、ある日突然キレる。
まるで、現代の不条理な社会を予言していたかのようだ。

このアルバムの発売から13年の時を経て、ちあきなおみは再び友川かずきから楽曲の提供を受ける。1991年にリリースされたアルバム『百花繚乱』に収録された「祭りの花を買いに行く」。狂気などは微塵も感じられないリリカルで優しい歌だ。さしもの鬼才・友川かずきも、現実世界があまりにおかしくなってきたので、これ以上、闇の世界を追求するのは憚られるようになったのだろうか・・・

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●歌姫たちの名盤(15) 日吉ミミ 『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う』

2013年05月13日 | 歌姫③ ENKA・裏街道系


日吉ミミ 『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う
(2008年10月1日発売) VICL-63069 *オリジナル盤発売日:1983年7月21日

収録曲 01.たかが人生じゃないの 02.かもめ 03.時には母のない子のように 04.もう頬づえはつかない 05.ひとの一生かくれんぼ 06.生まれてはみたけれど 07.かもめが啼けば人生暗い 08.兄さん 09. わたし恋の子涙の子 10.キラキラヒカレ


人生の裏街道を歌う個性派シンガー、日吉ミミがビクターからリリースしたアルバムは13枚。その中で現在CD化されているのは1970年のデビュー・アルバム『男と女のお話/日吉ミミの世界』と1983年のラスト・アルバム『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う』の2点のみである。残りのアルバムも中古LPなら入手可能なものもあるが、一般のファンには敷居が高い。やはり日吉ミミの真価を広く認知してもらうには、13枚のアルバムすべてを復刻するBOX SET企画が待たれるところである。

さて、現在市場に流通している2枚のオリジナル・アルバムのうち、『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う』は間違いなく昭和歌謡曲の歴史に刻印されるべき傑作である。タイトルとなっている「たかが人生じゃないの」は、1973年1月に発売されたシングル曲。この曲は以下のようなフレーズで始まる。

 あのひとが死んだわ 朝日が昇った あたしは文無しだけれど 何とかなるわ

ある晩、たびたび自分の部屋を訪問していた愛人が突然の死を迎える。決して正式な「夫」でないだろうということは、女が「文無し」、つまり男の遺産が自分のものにならないところから推測できる。男が形見に残したセーターを匂いがついたままそばに置いて、たったひとりで余生を過ごしていこうと心に決める女の哀しさ。「たかが女の 人生じゃないの・・・」
ドラマチックな展開を一切排除した淡々とした語り口が、逆に波乱万丈なドラマを浮き彫りにする。

このシングル曲は、発売される前年の1972年にリリースされた『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、オリジナルを唄う 第2集』というアルバムに、すでに収録されていた。つまり、日吉ミミは「たかが人生じゃないの」というタイトルのアルバムを2回出していることになる。1回目の1972年はオリジナル曲を集めたアルバムとして、そして2回目の1983年は寺山修司追悼の企画アルバムとして。このことから、日吉ミミと寺山修司との間には何か特別な縁があったかもしれない、という憶測が可能になる。

日吉ミミがライナーノーツで自ら回想している記述によれば、彼女が寺山修司と最初に出会ったのは、1972年に寺山修司が最初に作詞を手がけた新曲「人の一生かくれんぼ」のレコーディングの打ち合わせの日であった。背広にノーネクタイで現われた寺山修司は、意外にボソボソと話をする人だったので、彼女は「エッ?エッ?」と何度も聞き直さなければならなかったという。この時に受けた第一印象は「澄んだ目をした湯上りの里いも」。なんともユニークな表現だが、これこそが寺山修司の澄み切った慧眼と素朴な人柄を端的に言い表した比喩であると思う。

 ひとの一生 かくれんぼ あたしはいつも 鬼ばかり

この「ひとの一生かくれんぼ」は人生をかくれんぼの遊びに重ね合わせ、いつも鬼の役回りを演じる運命になってしまう哀しい女の一生を唄ったものである。

人生は決して思い通りにならない。生まれ出る親を自分で選ぶことはできない。生まれた時の境遇で、ほぼ一生のアウトラインは決まってしまう。ごく一部、恵まれない境遇を脱して成功する人もいるにはいるけれど、それはごく少数でしかない。境遇を抜け出そうとして一心不乱に努力しても、それが実現する保障は何もない。それとは逆に、もがけばもがくほど泥沼に堕ちてゆく人の何と多いことか・・・

寺山修司は彼自身の体験から、その過酷な現実を身にしみて実感していた。彼にとってラッキーだったのは、その現実をプロデュースする才能に恵まれていたこと。彼は「人生の裏街道に生きる人たち」 を主人公に、ある時は歌人として、ある時は詩人として、ある時は写真家として、ある時は演出家として、ありとあらゆる表現方法で世に問うことを続けた。マルチな才能で数多くの作品を残したが、根底に流れるテーマは一貫していた。

その寺山修司の世界を最も端的に表現できる歌手、それが他ならぬ日吉ミミだったのである。

「たかが人生じゃないの」にしろ、「ひとの一生かくれんぼ」にしろ、日吉ミミが歌うとあまりにも生々しい説得力がある。歌手と歌の主人公のイメージが完全にだぶってしまうのだ。ライナーノーツで小西良太郎が述べているのをそのまま引用すれば、「理不尽なくらい辛いことが多過ぎて、もう涙も出ない女。どうせ人生そんなもんだと見切った上で、せめて心だけは貧しくならずに生きようとする女。カラコロと不幸せな過去を音をたてて引きずりながら、それでも背筋はしゃんと伸ばしていたい女。いじらしくもけなげに、明るく振る舞おうとする女。そんな主人公が日吉ミミには似合いすぎた・・・」 

このアルバムには、すでに紹介したシングル2曲のほか、寺山修司の真髄を存分に味わうことのできる「寺山歌謡」の名作が10曲収録されている。カルメン・マキの歌で知られる「時には母のない子のように」、浅川マキの歌った「かもめ」、桃井かおり主演の映画「もう頬づえはつかない」のエンディング・テーマ曲等々、いずれも日吉ミミのために用意されていたかのような曲目。独特のハイトーン・ヴォイスが出口のない現実を照らす一筋の光明となり、絶望の中にもほのかな希望を見出すことができる。それが、まさに裏街道に生きる人たちにとっては救いなのだ。

これ以外にも、妻子ある男を恋してしまった女の心境を綴る「生まれてはみたけれど」 、不幸せな出来事の連続に絶望するものの自殺もできず、かもめのように人生の海をさまよう「かもめが啼けば人生暗い」、借金に追われ、仕事も女もない兄を慰める「兄さん」、結婚しても依然として恋の炎から逃れられない「わたし恋の子涙の子」、持ち主を次々と不幸に陥れてゆく悪魔の指輪物語「キラキラヒカレ」と、いずれもクォリティの高い傑作が揃う。

寺山修司+日吉ミミという昭和中期に生まれた2人の天才が織り成すコラボレーション。
それは時代を越えて、庶民の心を照らし続けるだろう。

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●歌姫たちの名盤(14) 日吉ミミ 『THE昭和歌謡 日吉ミミ スペシャル』

2013年05月05日 | 歌姫③ ENKA・裏街道系


日吉ミミ 『THE昭和歌謡 日吉ミミ スペシャル
(2008年11月19日発売) VICL-63163

収録曲 01.男と女のお話 02.男と女の数え唄 03.むらさきのブルース 04.あなたと私の虹のまち 05.男と女の条件 06.結婚通知 07.途中下車 08.りんご 09. 十時の女 10.捜索願 11.想い出ばなし 12.流れ星挽歌 13.猫 14.男の耳はロバの耳 15.タ・ン・ゴ 16.雪 17.未練だね [ボーナストラック]18.おじさまとデート(昭和44年 日吉ミミデビュー曲) 19.涙の艶歌船(昭和42年 池和子名義でのデビュー曲)


万国博覧会が開催された1970年。その年の5月に大ヒットし、強烈な印象を残したのが日吉ミミの「男と女のお話」だった。
「恋人にふられたの よくある話じゃないか 世の中かわっているんだよ 人の心もかわるのさ」

わずか1行でワン・コーラスが終わる。「シンプル・イズ・ザ・ベスト」のお手本のような歌詞。あまりにもわかりやすい真実なので、当時中学1年だった筆者も1回聴いただけで憶えてしまった。これなら大ヒットするのは当然であろう。

同じ年の10月には男と女シリーズの第2弾「男と女の数え唄」 も連続ヒット。勢いに乗って年末の紅白歌合戦にも初出場を果たす。
当初は補欠だったのだが、常連の大御所・江利チエミが「自分はヒット曲がないから」と潔く辞退するという幸運にも恵まれ、千歳一隅のチャンスをものにした。これ以後、紅白出場は実現していないわけだから、江利チエミには一生感謝していたに違いない。

舞台姿が、また印象的だった。1970年の紅白歌合戦に出場した時の映像が最近までYouTubeで見られるようになっていたが、当時23歳だった日吉ミミはセンスのいい衣装も含めてルックスも十分可愛い。クールな微笑をあまり変化させずに歌う姿は人形のような魅力があるし、独特の鼻にかかるハイトーン・ヴォイスは今聴いても新鮮味がある。細部まで絶妙にコントロールされた歌唱力もあり、その実力をあらためて再評価したい気持ちにさせられる。

実際、1967年5月に池和子名義で最初のデビューを果たしてから、2011年8月に膵臓癌で亡くなるまでの44年間、大手レコード会社のビクターは一度も日吉ミミを手放さなかった。人生に表街道と裏街道があるとすれば、間違いなく「裏」に属する人たちの喜怒哀楽を歌った個性派歌手だけに、根強い固定ファンの多い貴重な「隠れドル箱歌手」としての価値を認めていたということだろう。

日吉ミミの魅力を音源だけで味わうとしたら、うってつけのCDが出ている。2008年、デビュー40周年を記念して発売された企画もののベスト・アルバムで、タイトルは『THE昭和歌謡 日吉ミミ スペシャル』。THE昭和歌謡とは大きく出たものだが、この1枚に昭和歌謡曲の最良のエッセンスが詰め込まれているという意味では決して大げさなタイトルとも言い切れない。いわゆるヒット・アルバムではなく、隠れ名曲を中心に選曲したファン向けのベスト・アルバムであるところが味噌なのである。

最初の2曲はお馴染みの代表曲「男と女のお話」と「男と女の数え唄」。まずは一般的に知られている日吉ミミを聴いてもらおう、というわけでイントロダクションとしては最も適切な選曲。続く3曲目からが本番のプログラムとなる。

収録曲のうちシングルB面の曲が「むらさきのブルース」(1971年)、「あなたと私の虹のまち」(1972年)、「途中下車」(1973年)、「りんご」(1973年)、「捜索願」(1973年)、「男の耳はロバの耳」(1983年)、「雪」(1986年)、「未練だね」(1988年)の8曲。いずれも隠れ名曲と呼ぶに値するものだが、特に「りんご」は1度聴いただけで忘れられない感銘を残す傑作だ。

ある日、幼い女主人公はあまりにお腹がすいていたので、1個のりんごを盗んでしまう。そのために悪い娘だと折檻され、お寺に追いやられる。すでに実の母は亡くなっており、継母にも疎ましくされていたのだろう。その後「不良少女」のレッテルが貼られ、あちこちの親類にたらい回しされる日々が続く。淋しさからタバコも覚え、男性遍歴も繰り返していく。しかし男運も悪く、財産はすべて持っていかれ一文無しの身に。「赤いりんご1個で、私の人生は終わった・・・」

まさに不幸を絵に描いたような女の一生。普通の歌手が歌えば暗すぎて聴いていられなくなるところだが、日吉ミミのハイトーン・ヴォイスで聴くと、不幸な中にもどこか救いがあり、それでいてなんともいえない哀愁が漂ってくる。まさしく「人生の裏街道」を歌うために生まれてきたような唯一無二の個性がここにある。

「捜索願」も面白い。1年間同棲し、結婚話まで進んでいたという恋人のヒロシが、ある時タバコを買いにいったまま行方不明になってしまう。いったいどこへ行ったのか? 心配したスナック「かもめ」のヨーコは捜索願を出す・・・ 
要するに捨てられたことに気づいていない女の哀れを歌った失恋歌なのだが、これがまた独特の詩情を醸し出す一作になっている。

シングルA面曲の中では、心変わりした愛人に捨てられゆく女の心境を歌った「流れ星挽歌」(1978年)が堂々たる力作。ただしリアルタイムでは聴いた憶えがないので、それほどヒットしなかったのだろう。やはり1970年代も後半になるとレコードの購買層がやや若年化してくるので、渋い大人向けの楽曲はやや不利になってくるのは否めない。

もちろんプロデューサー側もそのような時代の流れは察知しているので、日吉ミミの場合もこの時期を境にしてニューミュージック系アーティストへの楽曲依頼が増えるようになる。このアルバムには収録されていないが、TV番組の劇中歌に抜擢された中島みゆき作曲の「世迷い言」(1978年)はこの系列の代表作であろう。

それ以外の収録曲では、ボーナストラックの1曲目「おじさまとデート」(1969年)が凄い。これは「男と女のお話」でブレークする直前、日吉ミミ名義での第1作ということになるが、よくもここまで・・・と思えるほどの徹底的なオヤジキラーぶりを発揮したアダルト・ソングである。しかも、このシングルのB面曲のタイトルはなんと「恋のギャング・ベイビー」。いったいどんな曲なのか想像もつかない。

もう1曲のボーナストラック、池和子名義のデビュー曲「涙の艶歌船」 (1967年)は純然たる演歌なので、日吉ミミの個性はまだ出し切れていないが、ハイトーン・ヴォイスを生かした歌唱力は素晴らしく、後のブレークを予感させるものがある。

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