安室ちゃんの安室は、お父さんの方の苗字なんだそうです。
何でも、離婚はしたけれど、お父さんは沖縄で名家とも言う、いいところのお家の方なんだとか…。
恵美子さんのお母さんは、戦後に基地内で働き、そこで知り合った外国人男性と恋に落ち、結婚せず女手ひとつ、産み育てたそうです。
恵美子さんは、お父さんは最初から「いない」と、言われて育ち戦後に、顔立ちや髪の色など、ハーフであることで、随分と差別も受けました。
また、今と違ってシングルで出産するなど、認められていない時代、世間から白い目で見られる逆風の中、お祖母さんは恵美子さんを育てて来られたようです。
そんな状態でも、お祖母さんが、気丈なしっかりした人で、何て言われようとしっかりと子供を育てて、生きていこうと思う、女性だったのでしょう。沖縄女の生きることに?強い思いを受け継いで来たのが安室ちゃんだと思います。
沖縄は、家族ぐるみ、親戚一族の繋がりが強くて、親戚一同の一族一門のことを「門中」と言い、父系の血縁集団(主に父方の親戚)のことで、沖縄の社会を語る上で、門中を抜きにしては成り立ちにくく、非常に重要な役割を持っているそうです。
門中の主な役割は、共有する門中墓を維持管理し、門中の神人(オコデ)などを中心に、先祖祭祀を定期的に行うなどの他に、一族として、日常的な交際や扶助といった場面でも重要な役割を担っているのだそうです。
また、日本本土では、家の継承においては婿養子による継承も許容されるのに対して、沖縄の門中は父系血縁による継承を貫こうとする強い志向があります。
養子を取る場合にも養子同門制の原則に固執することを特徴とし、そのため、例えば他門中の出身の娘婿が家や位牌(トートーメー)を継承するとタチイマジクイ(他系混交)の禁忌に抵触するとされるのだそうです。
うーん・・・安室ちゃんのおばあちゃんは、やはり只者ではないですね。このような地域の風習が色濃く、父方の血縁集団を重んじる中でシングルマザーで恵美子さんを産み、育てたのは、経済的にも精神的にもとても大変だったと思いますし、恵美子さんも、戦後わずかしか経っていない時、米軍の子供とか、嫌味など言われたかもしれず、嫌な気持ちもきっとしたでしょうね。
恵美子さんは、安室ちゃんのお父さんである人と、就職で埼玉県に住んでいた時に、知り合って結婚したとありました。
タマタマ?沖縄生まれの人と知り合って、恵美子さんは結婚して、3人の子供を授かり安室ちゃんが、一番最後に生まれました。
安室ちゃんの元旦那のサムさんも、埼玉出身の方で恵美子さんの著書にもそのことが書かれていて、サムさんの実家の病院も知っていて「偶然」みたいな内容だったと思います。
著書の「約束」は、随分前に図書館で借りて読んだので、余り内容を全て記憶していませんが、恵美子さんの離婚の理由は、何か曖昧なイメージで、誰かを気遣っているように感じました。
抜け出るように家を出たとあって、でも、子供のことでは何かと連絡を取る…?子供3人もいて、仲が多少縺れても、うむむ…
考えられるのは、安室ちゃんのお父さんの方の家族と上手くいかなかったのかなぁ?とか…。
相手が家柄などを重んじるような、家族であれば、夫婦仲がよくてもちょっとのことで、何かと干渉も入りやすく、それが元でいらぬ噂や誤解から、壊れたりもしそうです。
ハーフで、父親がいないことを、よく思わなかった親類や恵美子さん自身の劣等感もあっての、色々と説明しにくい理由からの離婚だったのじゃないかと思いました。
恵美子さんが晩年に嫁いだ、平良家も土地や湾の地名になるほどですから、歴史のあるお宅だったのでしょうか。
事件を起こした弟さんと彼女には、2人の子供がいました。もし再婚となったなら、その子供たちを連れて家族になるはずでした。事件の半年くらい前、恵美子さん夫婦と弟さんカップルとで、食事にも行き仲はよかったそうです。
それなのに、どうして結婚に反対したのか・・・と考えると、ご主人と恵美子さんは「家柄」を思って力んでしまったのかもしれないですし、お母さん魂が働いて結婚となると、弟の嫁としては迎えたくないみたいな気持ちになったとか・・・。
弟さんも結婚を認めてほしいほど、恵美子さんを長男のお嫁さんとして、信頼して重要に思っていたのだと思います。
どうでもよかったら、大人ですから勝手に結婚してしまえばよかったのでしょうからね。
家や家族を思う余り、色々な感情が絡んでの事件だったように思うのでした。
でも、安室ちゃんのお母さんは、自分の実家や子孫に拘ることなかったのですね。離婚後もお子さんたちの姓もそのままにして、晩年、平良恵美子として生きたのも、そこらへんが切符がいいというか、思い切りがいいというか、結婚したらそこへ身を置くと言う、昔からの妻として嫁としての生き方を感じます。
安室ちゃんは離婚後、当初は、親権はサムさんで、養育権を安室ちゃんが持っていたそうです。それが2005年に親権も移り、姓も安室になったらしいので、ここは、お母さんとは違うのでした。現代風なのかな。
それにしても、この「門中:父系の血縁集団」というのは、皇室典範の「男性皇族にしか皇位継承を認めていない」に似てますね。
でも、父親を尊敬する気持ちは大切ですし、私は子供の頃などは水面下で、社会からの影響を受けてるような気がします。
今日もご訪問をありがとうございます。
何でも、離婚はしたけれど、お父さんは沖縄で名家とも言う、いいところのお家の方なんだとか…。
恵美子さんのお母さんは、戦後に基地内で働き、そこで知り合った外国人男性と恋に落ち、結婚せず女手ひとつ、産み育てたそうです。
恵美子さんは、お父さんは最初から「いない」と、言われて育ち戦後に、顔立ちや髪の色など、ハーフであることで、随分と差別も受けました。
また、今と違ってシングルで出産するなど、認められていない時代、世間から白い目で見られる逆風の中、お祖母さんは恵美子さんを育てて来られたようです。
そんな状態でも、お祖母さんが、気丈なしっかりした人で、何て言われようとしっかりと子供を育てて、生きていこうと思う、女性だったのでしょう。沖縄女の生きることに?強い思いを受け継いで来たのが安室ちゃんだと思います。
沖縄は、家族ぐるみ、親戚一族の繋がりが強くて、親戚一同の一族一門のことを「門中」と言い、父系の血縁集団(主に父方の親戚)のことで、沖縄の社会を語る上で、門中を抜きにしては成り立ちにくく、非常に重要な役割を持っているそうです。
門中の主な役割は、共有する門中墓を維持管理し、門中の神人(オコデ)などを中心に、先祖祭祀を定期的に行うなどの他に、一族として、日常的な交際や扶助といった場面でも重要な役割を担っているのだそうです。
また、日本本土では、家の継承においては婿養子による継承も許容されるのに対して、沖縄の門中は父系血縁による継承を貫こうとする強い志向があります。
養子を取る場合にも養子同門制の原則に固執することを特徴とし、そのため、例えば他門中の出身の娘婿が家や位牌(トートーメー)を継承するとタチイマジクイ(他系混交)の禁忌に抵触するとされるのだそうです。
うーん・・・安室ちゃんのおばあちゃんは、やはり只者ではないですね。このような地域の風習が色濃く、父方の血縁集団を重んじる中でシングルマザーで恵美子さんを産み、育てたのは、経済的にも精神的にもとても大変だったと思いますし、恵美子さんも、戦後わずかしか経っていない時、米軍の子供とか、嫌味など言われたかもしれず、嫌な気持ちもきっとしたでしょうね。
恵美子さんは、安室ちゃんのお父さんである人と、就職で埼玉県に住んでいた時に、知り合って結婚したとありました。
タマタマ?沖縄生まれの人と知り合って、恵美子さんは結婚して、3人の子供を授かり安室ちゃんが、一番最後に生まれました。
安室ちゃんの元旦那のサムさんも、埼玉出身の方で恵美子さんの著書にもそのことが書かれていて、サムさんの実家の病院も知っていて「偶然」みたいな内容だったと思います。
著書の「約束」は、随分前に図書館で借りて読んだので、余り内容を全て記憶していませんが、恵美子さんの離婚の理由は、何か曖昧なイメージで、誰かを気遣っているように感じました。
抜け出るように家を出たとあって、でも、子供のことでは何かと連絡を取る…?子供3人もいて、仲が多少縺れても、うむむ…
考えられるのは、安室ちゃんのお父さんの方の家族と上手くいかなかったのかなぁ?とか…。
相手が家柄などを重んじるような、家族であれば、夫婦仲がよくてもちょっとのことで、何かと干渉も入りやすく、それが元でいらぬ噂や誤解から、壊れたりもしそうです。
ハーフで、父親がいないことを、よく思わなかった親類や恵美子さん自身の劣等感もあっての、色々と説明しにくい理由からの離婚だったのじゃないかと思いました。
恵美子さんが晩年に嫁いだ、平良家も土地や湾の地名になるほどですから、歴史のあるお宅だったのでしょうか。
事件を起こした弟さんと彼女には、2人の子供がいました。もし再婚となったなら、その子供たちを連れて家族になるはずでした。事件の半年くらい前、恵美子さん夫婦と弟さんカップルとで、食事にも行き仲はよかったそうです。
それなのに、どうして結婚に反対したのか・・・と考えると、ご主人と恵美子さんは「家柄」を思って力んでしまったのかもしれないですし、お母さん魂が働いて結婚となると、弟の嫁としては迎えたくないみたいな気持ちになったとか・・・。
弟さんも結婚を認めてほしいほど、恵美子さんを長男のお嫁さんとして、信頼して重要に思っていたのだと思います。
どうでもよかったら、大人ですから勝手に結婚してしまえばよかったのでしょうからね。
家や家族を思う余り、色々な感情が絡んでの事件だったように思うのでした。
でも、安室ちゃんのお母さんは、自分の実家や子孫に拘ることなかったのですね。離婚後もお子さんたちの姓もそのままにして、晩年、平良恵美子として生きたのも、そこらへんが切符がいいというか、思い切りがいいというか、結婚したらそこへ身を置くと言う、昔からの妻として嫁としての生き方を感じます。
安室ちゃんは離婚後、当初は、親権はサムさんで、養育権を安室ちゃんが持っていたそうです。それが2005年に親権も移り、姓も安室になったらしいので、ここは、お母さんとは違うのでした。現代風なのかな。
それにしても、この「門中:父系の血縁集団」というのは、皇室典範の「男性皇族にしか皇位継承を認めていない」に似てますね。
でも、父親を尊敬する気持ちは大切ですし、私は子供の頃などは水面下で、社会からの影響を受けてるような気がします。
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