宮島はしゃもじが有名なんですね。私、知りませんでした。汁などをすくうものを杓子と言い、飯をよそうものが杓文字と言いますが、宮島では飯をよそう杓文字を杓子と呼んでいるそうです。
宮島杓子の由来は、寛政の頃(1800年頃)神泉寺の僧・誓真という人が、ある夜、弁財天の夢を見てその琵琶の形の美しい線から杓子を考察し、御山の神木を使って作るように島の人々に教えました。
この神木の杓子で御飯をいただけば、ご神徳を賜るという誓真上人の高徳と共に、宮島杓子は世に広く知られることとなったそうです。
また、宮島の杓子が、世間に知られるようになったのは日清戦争の時だそうで、全国から召集された兵隊が広島の宇品港から出征する際に「敵を召し取る」とばかりに杓子に自分の名を書いて厳島神社へ奉納し、勝利の記念に故郷への土産として持ち帰ったからと言われています。
この世界一大きい宮島の大杓子は、お土産屋が並ぶ表参道商店街の途中に展示されています。
長さが7.7メートル、最大幅が2.7メートル、重さが2.5トンあり、世界一大きい杓子です。
この大杓子は、宮島町が伝統工芸である宮島細工を後生に残すとともに、宮島のシンボルとして昭和58年に2年10ヶ月の歳月をかけて制作されましたが、展示場所が決まらず14年間倉庫に収められていました。
そして、平成8年に厳島神社が世界遺産に登録されたことと宮島本通り商店街が宮島表参道商店街に改名したことを記念して現在の場所に展示されたと言われています。
昨日から今日にかけて台風が上陸とニュースで言われていますが、厳島神社も1991年台風19号重要文化財の「能舞台」が倒壊し、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根、99年台風18号では国宝の「神社」及び「社殿」が大きな被害を受け、近年では2004年9月7日、この宮島でも台風18号の暴風と高潮のために、多くの国宝・文化財が甚大な被害をこうむりました。
国宝「高舞台」もバラバラに流され、関係者が命綱を着けて荒海に入って古部材を拾い集めたそうです。そして、五重塔の最上層の屋根の桧皮葺(ひわだぶき)もめくれあがり、高い足場を組まなくてはならなくて、当初は修理の目処は立っておらず、全島の文化財の被害総額は7億円を超えたといわれたそうです。
厳島神社は、海を敷地とした、独創的な建物と平安時代からの歴史をもつ建築美で知られる日本屈指の名社です。
廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮び、まるで竜宮城のようです。昔から海の神・航海安全の神として信仰され、朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々でもある市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の宗像三女神がご祭神です。ここに住む神様はまさしく乙姫様みたいです。
この社殿が造られた平安時代は、神道と仏教が融合する神仏習合の時代でした。その影響は厳島の至る所で見ることができます。神社の後にそびえる厳島の主峰、弥山(みせん)は仏教における世界の中心、須弥山からその名がついたと言われ、言い伝えによると弘法大師は弥山の山頂で胡麻を焚き、100日間の修行を行ったと言います。弥山は厳島の最も聖なる山として仏教僧の修行の場になりました。
弥山のふもとに建つ、大本山大聖院は古い歴史を持つ寺院で江戸時代まで厳島神社の管理運営を司どっていました。
観音堂に祀られている、十一面観音菩薩は明治維新まで厳島神社の本寺仏でした。神仏習合では、神は仏や菩薩の仮の姿であると考え、大聖院にある、十一面観音菩薩はそれを象徴している仏像です。そしてこの社殿は、竜宮城だけでなく極楽浄土にもなぞらえられました。
平家一門は厳島神社に極楽浄土を重ね合わせ、法華経などを奉納しました。1177年平清盛は千人の僧侶を厳島神社に招き、戦争供養を行いました。夜、たいまつの灯に照らされた回廊に千人の僧侶が居並び、祈祷供養が盛大に行われたと言います。
正面に臨む大鳥居は清盛の時代から数えて8代目、明治時代に造られ、樹齢千年以上の楠を使った柱は海底に杭を打った基礎の上に鳥居の重さで建っています。
この神社の特徴は、最も開放的な回廊と本殿です。回廊の幅は4m有り、何度も折れ曲がり、東西南北の回廊の何処からでも社殿や周りの自然を観ることができ、回廊の軒下には108つもの灯篭が吊るされています。これは仏教で煩悩数とされる108つにちなんでいるとされています。
また、通常、神社の本殿は外部から隔てた奥まった所にありますが、厳島神社の本殿は格子と御簾で仕切られているだけで、その開かれたお社は、古代より島そのものが神であると言われているからでしょうか。
島に入ればその神の慈悲が何処からともなく、与わるかのようです。
Kちゃん達はお土産屋さんで買物していたら、小学生だからか?お土産を10%引きにしてくれたり、作ったしゃもじの他に小さなじゃもじとお饅頭の試作品の詰め合わせもサービスでもらって帰り、本当にいいのかしら~と言うほど、よくしてもらえました。
宿泊先のホテルでは、晩ご飯も朝食も「たくさんおたべ~」というノリだったみたいで、すごく一杯出たそうです。
宿泊した翌日、しゃもじ&もみじ饅頭作りを終えて、本当はチェックアウトの時間から言うとホテルに滞在できなさそうなのに、ホテルで昼食のカツカレーを頂いてから大阪に向かい無事に帰って来てました。
島民の方から本当に暖かく迎えられて、良い修学旅行で、とても有難く感じたので昨日は、まこと旅館の方に手紙を書いて出しました。
こう言うことは、書いたとしても、わざわざここで述べるようなことでもないのですが、感謝の気持ちも思うだけもいいけど、タマには紙に書いて表してみるのも良いかと、拙い文ですが便箋でしたためました。
今年の6年生は、昨年の6年生の時よりも宿泊先もキレイなところになったり、例年なかった、もみじ饅頭作りやしゃもじ作りも、させて頂けて本当に有難いこと、この上ありません。
Kちゃんが作ったもみじ饅頭は、チョコが2個アンコが2個で、1個はすぐにお友達と食べたそうです。帰って来てから、チビ雄がすぐにチョコを私がアンコ1個食べました。上手に出来てましたよ。
また、毎年恒例とは言え、広島の平和公園のセレモニーを終えてから厳島神社へ来ることができてよかったと、母的に思います。
自然と調和していることで、その美しさを際立たせている厳島神社ですが、陽のうつろいで景観は刻一刻と変えて行きます。それはまるで、万物は常に変化し留まることがないという諸行無常の理を表しているかのようです。
この海の上に建つ優美な稀な美しい神の島を後世にも残して生きたいものですね。
Yちゃんがこの神社のことを聞き間違えて「美島(うつくしま)神社」と言ってましたが(笑)本当にそうですね。
今日もご訪問、ありがとうございます。
潮の引いたあとの厳島神社の鳥居
画像はYahooより、使用させていただきました。