花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

銭屋五兵衛の生い立ち

2011-12-26 07:22:22 | 日本

銭屋五兵衛は、1852年9月11日に捕まり、11月21日に亡くなりました。

五兵衛は戦国時代に滅亡した朝倉氏の末裔で、安永2年(1773)11月25日加賀国宮腰(金石町)に生まれ、初代の吉右衛門が金沢に移住して以来、両替商のほか醤油醸造・古着商などを手広く営んだ家系です。
朝倉氏は越前国を拠点とした豪族で、後に発展して戦国大名となりました。また、開化天皇または孝徳天皇の後裔といわれ、平安時代末期に但馬国朝倉に居住し朝倉氏を称したことに始まるといいます。

朝倉家は、あのお江の実家・浅井家と親交が深く、姉川の戦いで 、浅井家と共に織田信長に負けた朝倉家の末裔にあたります。(http://blog.goo.ne.jp/mimiri87/e/16a613f575863be04ee71bc693cc2e82


五兵衛の幼名は、茂助といい「五兵衛」の名は、5代目の祖父、6代目の父から襲名した、3代目で商家『銭五』7代目にあたります。

祖父の五兵衛は材木商を営んでいましたが、実子がなかったため親類の天満屋の弟・与三兵衛(よそべい)を養子に貰い家督を継がせました。

しかし、実子・弥吉郎が生まれたので与三兵衛にはそのまま家督を渡し(本家・与三八となる)、弥吉郎は分家を立て初代の父も同居していましたが、父の亡き後、23歳で正式に分家を立て銭屋五兵衛の家名を相続しました。

弥吉郎はこの名前を分家の家宝とし、長男茂助に名前を譲り伝えます。
五兵衛には、長男・喜太郎と次男・佐八郎と三男・要蔵3人の息子がいました。

要蔵は幼い時から俊敏の才智を知られていて、末子であったので銭屋本家・与三八の養子となっていましたが、嘉永元年の暮に離縁され銭屋へ戻っていました。

この三男・要蔵を養子にやったのに帰ってきたことを不憫に思ったのか、五兵衛はとても可愛がり、河北潟を埋立てして新田を開拓し、十村列の地位に就かせ、銭屋の農業部門経営をおこなわせようと考え、五兵衛は末子のために新宅を設け、田地を与え百姓として生計をたてさせることとしていました。

しかし、毒事件の無実の罪の必死の申し開きも叶わず、五兵衛が亡くなった翌年1853年12月13日に要蔵は主犯格とされ、磔の刑となり、死後もその首は1ヶ月間もさらされました。要蔵が没して今年で158年目だそうです。

要蔵は、宮腰(金石)のある「松の木」ではりつけられて、処断されました。磔の刑とは、号令を元に脇腹を竹槍で突き刺さす、公開処刑です。158年前というと、そんなに遠い昔ではないのですが、弁当持参で、子供まで連れてで見にきた人もいたらしいです。

最近では、2007年に元イラク大統領のサダム フセインが死刑される際に携帯電話を使って隠し撮りされた映像が公表され、立会人らが刑執行の直前まで元大統領に罵声を浴びせていたことが明らかになっていますが・・・

アメリカがイラクに仕掛けた戦争の発端となった口実は「核と細菌を使用する兵器」の所持や、9.11のテロにサダムが関与したと言う証拠は全くても、テロリストに大量破壊兵器を渡される危険を回避するための、進軍でした。

黒じゃなくても、黒に近いからと処刑されるのは、処刑する側が底知れない脅威を感じるからでしょうか。

小説の最後に、五兵衛は捕まる前に「わしが死んだとて、この狭い加賀ではいったん科人となった家は二度と頭をもたげることはできまいが、窮したときは覚悟をきめて異国へいけ。分ったなあ。」と言った描写があります。銭屋で働いていた手代を米国や香港に秘かに、国情を学ぶために大金を持たせて残してきてもいるそうです。

銭屋五兵衛が朝倉家の末裔だったことは、とても興味深いと思いました。

戦国の世に生きた祖先は、武器を持って戦い負けてしまったけれど、その戦略的な知恵を商売で使い、成功をおさめました。

そして、外国と貿易を交わすほどの、新しいものに視点を開きながらも、開国への新しい未来を思いつつ、それも実らず最後まで藩と運命を共にしました。

最後には、藩に裏切られて酷い仕打ちをされてしまいますが、五兵衛は自分の身の危険は感じていたことでしょうから、外国に逃げようと思ったら逃げることもできたのに、藩のすすめで河北潟の埋立ても請け負いながら、日本で生きようとしたのです。

それもこれも、国のため、家族のためで、決して自分一人が富を得ようとしていたわけではなく、意識の越えた何かが、敵も味方もなく融合しようとしていたように思います。

先祖は武家社会で負けたけれど、そのことよりもよりよい国(藩)づくりのために、先祖の因縁も関係なく助け合っていこうと、無意識にしていたのだろうと思うのだけど、その知謀にあふれた人物がゆえに、幕府や藩からは煙たい存在になってしまった感じがしました。 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めて知った (はつひ)
2018-06-30 18:53:29
はじめまして。
私は、銭屋五兵衞の末裔にあたるものです。
今日、五兵衞さんの供養をお寺で激しく
やったのちに、急にブログにたどり着き
要蔵さんも、供養したら詳しい内容の
こちらにたどり着きました。
書いてある事がまあ、私にそっくり。
考え方は、ここまで似るかなー。と
びっくりしました。
一族全滅ではないんですよ。
しっかり生き残ってます^_^
どうもありがとう
詳しく書いてくれて。嬉しかったです。

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