花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

Madonna - Vogue Live

2011-02-27 04:54:32 | 音楽(女性vo)

Madonna - Vogue Live【HQ】 Live S&S Tour HQ

辺りを見回して、あなたが振り向く場所はどこでも悲しみばかりだわ
それは、あなたが行く場所、すべてよ
あなたは逃れようと、出来る全てのことを試みる
あなたが知っている人生の痛みからね

八方手を尽くしてダメで、そして、今日のあなたよりもマシな物になりたいと思っているとき
私は、あなたが逃げ出せる場所を知っているわ
それは、ダンスフロアーと呼ばれるところ、そして、ここがその為の場所よ
だから
さあ、来なさいよ、ヴォーグよ
あなたの体を音楽に合わせて動かすのよ

あなたの体を流れに任せて
あなた、出来るでしょ

あなたに必要なものは想像力よ
だから、それを使うの、その為にあるのよ
中に入るのよ、あなたの最高のひらめきへと
あなたの夢は扉を開けるでしょう

もし、あなたが黒人でも白人でも、違いは無いのよ
もし、あなたが男でも女でもね
もし、音楽が、ドッとほとばしって流れていると、それは、あなたに新しい人生を与えてくれるでしょう
あなたはスーパースター、そうよ、それがあなたなの 分かってるでしょう

さあ、来なさいよ、ヴォーグよ
あなたの体を音楽に合わせて動かすのよ

あなたの体を流れに任せて
あなた、出来るでしょ

美しさとは、あなたがそれを見つけるところ
腰を突き出したり回したりするだけじゃないのよ
魂はミュージカルの中にあるの
その時、私はとても美しいと感じるのよ
魔法のように魅力的で、人生は舞踏会なのよ
だから、ダンスフロアーに上がりましよう

さあ、来なさいよ、ヴォーグよ
あなたの体を音楽に合わせて動かすのよ

あなたの体を流れに任せて
あなた、出来るでしょ

↑訳すと、こんな感じらしい?です。

ヴォーグ:防具(笑)すいません。


図書館で借りた本

2011-02-21 05:03:44 | 日記

昨日は「情熱大陸」今井美樹さん編を観ました。最近、本当にテレビを観ないので、事前予告をいっぱいされないと観ないのですけど、何だか流れで観てしまいました。私の若い頃の今井さんは、髪が長くて大きな口に真っ赤なルージュが印象的な女性でした。コマーシャルのインパクトってスゴイですね。今井さんの旦那さんの布袋さんも出てました。

私、最近、布袋さんの本と元奥さんの山下さんの本を図書館で借りて読みました。
Kちゃん、読書好きでよく図書館に行きたいと言うので、大きい図書館は車じゃないといけない為に、捜すの待っている間、同じ棚にあったので、借りて来ました。
気になるのは、やっぱり「略奪愛だったのか?違うのか?」ですけど、情熱大陸でこの部分を今井さんが少し、触れてましたね。

芸能人はプライベートも大きく取り上げられて、本当のことが上手く伝わらず、ずっとレッテルを貼られるみたいなことが、言葉は悪いけど憎い…と言ってました。本当のところは、本を読んでもお二人の間に溝が大きくあるようで、私もよくわかりませんでした。

どっちも信じると、こんがらがって来ます。二冊読むとね、二人の間の子供のような気分になって来ました。
「お母さんは、こうこうこうでこんなに悲しかった。」「お父さんはこうでこうだったんだよ…みたいな。」
幼い子供だったら、引き取られた方の味方になっちゃうかもしれないけど、あいにく私は大人なので?、片方だけの言葉につられない様にしようと思ってしまいます。

山下さんの本の中では、今井さんの写真集の撮影地に布袋さんがいたらしいとか、今井さんのステージに布袋さんがゲスト出演したとか、それなりに噂が聞こえたことがあって、点と線がつながって行ったと書いてあり、今井さんのコンサートを一度、観てみたいと言って彼女の自宅に電話すると、何か透けて見えるものがあったとか…とも書いてありました。山下さんの誕生日に海外にいた、今井さんに電話したことも、許せなかったっぽいことも書いてありました。

女であればそれがどういう意味か、考えるとわかりますけど、でも、私の場合のような決定的なものではないな~と思いました。事実かどうか、山下さんもよくわからない、勘と想像の中の確証のような感じでもありました。私が今井美樹さんのCD持ってて好きだからじゃなくて冷静に感じたことですけどね。
文中に、布袋さんのツアーメンバーが自宅に遊びに来て、今井さんの話が出て気まずい雰囲気になった翌日に、今井さんのことをどう思ってるか聞いた場面もあり「好きだよ」と答えていたけど、山下さんを目の前に言う、好きは「人間として好きだよ」ってことだったのじゃなかったのかなぁ~とかね。山下さんの目線で行くと、白が黒に見えている感じに取れました。それは、もう、愛とか信じるという気持ちよりも、他の負の気持ちが強くでているようでした。

こう、書くと、どうしても偏った見方と取られるのだろうなぁ・・・

でも、自分が娘だったとして、本を読むとどうしてお母さんはお父さんの側にずっといてあげなかったのー?って思うだろうなっ。お父さんがレコーディングで海外に行くときも、お母さんは日本で仕事してたでしょって突っ込むかもしれない。夫婦って家族って離れるのよくないのわかっていて、仕事を優先したんだと思うし、お互いがそれを理解して認めて頑張れるうちはいいけれど、長く繰り返し離れる期間が長くて、相手の言葉に甘えると、夫婦でいるより、一人でいることに慣れてしまうんだろうなぁ。慣れてしまってから、埋めるのは大変なんだと思う。

山下さんは、子供を望んでいたのにできなかったことで、悩んで、一人、クリニックに訪れたこともあったそうです。好きな人の子供をこの手で抱きたかったとありました。でも、パートナーが一人でいることに慣れてしまって、子供がいないと橋渡しをしてくれる存在もいないから、ギスギスもするだろうし。。。だから、子供がいないなら、なお更に、一緒にいることが大事なんでしょうね。

「どうして一緒にいられないの?もう、必要ないってこと?」って文中にあるのだけど、今までいつも一緒にいたのは、布袋さんの方が合わせてたからかも。ボウイがまだ、売れて間もない頃に結婚して、有名だったのは山下さんの方で、そのマンションに一緒に生活しだした背景もあったのじゃないかな・・・

ボウイが売れて活躍しているときも、自分のことのように喜んであげられなかった。どこか、置いてけぼりにされるんじゃないかと不安だったとあったり、自分のコンサートでギターを弾いている布袋さんに視線が集中すると、快く思えなかったともありました。明らかに、山下久美子のコンサートなのに、布袋さん目当てのファンが来て、気が気じゃなかったと・・・

山下さんの本の中で、コンプレックスを組んだ布袋さんと吉川さんの話もあり、主役である吉川さんが布袋さんに喰われていた・・・とかね。

ボーカリストとギターリスト、ギターリストは目立つの良くないのですか!?好きなバンドの中でファンはボーカリストだけ好きになるってことはないはずだけど、ソロでやってるとそういうのを感じるのではないだろうか。。。バンドってメンバー全員が主役なのじゃないですかね?山下さんは個人名義のライブだったから感じた感覚なのではなかろうか・・・

でもね、それまでは布袋さんは逆の立場だったのでしょう。山下さんの活躍を自分のことのように喜んで常に、ファンの視線は山下さんでした。それが、自分より輝きそうになって不安に駆られたのは、言葉がみつからなくて思い当たったのは、妹が生まれて不安になった赤ちゃん返りをした姉みたいな感じかな?妹が生まれる前までは、スポットライトは姉に集中していたのだけど、妹が生まれて不安から一緒に哺乳瓶を使ったKちゃんを思い出しました。

ちがうかもしれないけど、私にはわかりにくい心境。

うちのお父さんは酔っ払ってよく言ってたことがある言葉「わしが働いて持って返った給料やけど、この中にはお母さんがうちのことして働いた分も入ってる。」(給料が手渡しだった頃です)恥ずかしいから、酔ったときにしか言わなかったケド。

自分だけで稼いで帰って来たこともあるって言ったこともありますが(笑)

線引きすると、意地を張ってしまうことになるのかもしれませんね。夫婦で組んだステージなら、成功すればどっちがメインとかなくてもいいように思うし、お互いがお互いを支えあうことが夫婦には大切なのだろうと思うケド・・・

本の中で山下さんが、「何か二人の仲で横たわっていた。あの感情はいったいなんだったのだろう」と書かれてました。アーティストならではの何かなのでしょうかね?喧嘩もするほどだったのに、何処か触れてはいけない部分があってそれを気遣ってもいるように感じました。

話、ズレましたね。

山下さんと別れる少し前に、布袋さんはお家を建ててます。家を建てるということは、家庭生活を継続するつもりだったのでしょう。別れたいのに、家なんて建てるわけないだろうし・・・

略奪愛か違うか?これは、どちらかという違うと私は本を読んで思いました。確かに結婚中に今井さんと仕事を含めて多く、接触はあったようですが、離婚を選択されたのは山下さんの意思であったことが大きく占めてるようでした。しがみついて、生きていきたくない、温もりのない関係をつづけたくない、私は私の人生を生き直さなくてはならないという気持ちからの離婚だったようです。

ただ、誤解や疑いを持たれるような面が、山下さんを大きく傷つけたことは間違いないようですし、その点をマスコミに大きく湾曲して取り上げられたのかもしれないです。

今井さんがその点に長く悩んで「憎い」と感じた気持ちと山下さんが傷ついて言葉にまで出さなかった気持ちのやりきれない激しい部分は、鏡になっていたのじゃないでしょうか??私だったら、旦那に苛立つだろうけど、山下さんは布袋さんのことは憎めないと書いてありました。なので、余計なお世話さまーかもしれないですが、(^^;誤解を生んだ点には心の中でごめんなさいって思うのがよいかと思います~。

だから、略奪という言葉は山下さんにも心外なんじゃないでしょうか。

山下さんの本の中には、布袋さんとの思い出がいっぱいです。本にすることで自分の気持ちを置いて整理したかったのかなぁとも思います。布袋さんと山下さんが共に過ごした12年は忘れたくない時間だったのかな?そんな気持ちも伝わった本でした。

また、この本には月がところどころに出てくるのが印象的でした。山下さんが旅先で見た美しい月が彼女を癒しもしていたようです。ポナペ島の原始林の上に出ていた赤い月の部分を読んで、そういえば昨日の夜の満月は、なんだか赤っぽかったなぁ・・・なんて。

今は山下さんも双子の女の子のママですからね。もう、昔の話ですよね。

今日もご訪問ありがとうございます。


摂関家(百人一首~崇徳天皇)

2011-02-17 01:34:53 | 日本

先日、最後まで記事を書いて保存したのですが、何故か切れてました(;^_^Aごめんなさい。

近衛天皇が崩御されたあとの皇位継承は、『保元物語』においては、美福門院は鳥羽に働きかけて、雅仁親王即位に至ったと書かれています。

その会議は鳥羽と藤原忠通が主導して決まったとあり『愚管抄』・『今鏡』などの歴史書では、彼女が直接皇位継承に関与したとする史料的裏付けは存在しないのですが、摂関家の出身ではない、美福門院にとって近衛が天皇に即位したことで国母であることから皇后に立てられ、鳥羽法皇の先立の中宮璋子(待賢門院)を凌ぐ権勢を持つようになったそうです。その立場を鳥羽が亡くなった後に追われることは脅威であったことでしょう。
美福門院は、白河院が崩御後に、藤原忠実(父)との親交を深めてました。ここで摂関家でのお話を少し。。。

忠実の長男の忠通は、白河院時代に白河院の勅勘をこうむり関白を辞任した父に代わって藤原氏長者となり、25歳にして鳥羽の関白に就任し、その後も崇徳・近衛・後白河の3代に渡って摂政・関白を務め、摂関歴37年は高祖父、藤原頼通の50年に次いで2位となっています。また太治4年(1129年)、正妻腹の娘・藤原聖子を崇徳に女御として入内させ、太治5年、聖子は中宮に冊立されました。

白河院が崩御されて、鳥羽が院政の始めたことにより父・忠実が政界に復帰となり、内覧(関白に準ずる職掌)となって実権を握ると、名ばかりの関白となってしまったとはいえ、忠通にも関白としてのプライドがあり、父子の関係は次第に悪化していきました。

忠実が失脚している間に白河によって取り立てられ関白となった忠通に対して、父は才気ある次男・頼長を忠実は偏愛しました。以前、跡継ぎである忠通に男子が生まれない事を危惧し、父は忠通に頼長を養子にするように勧め、忠通は頼長を養子としていたましが、1143年に忠通に基実が生まれると頼長との縁組を破棄したために、これに憤る父と忠通は対立を深めていき、久安1150年父より義絶(勘当)されて氏長者を異母弟の頼長に奪われました。

また、この頃、頼長が養女・藤原多子を近衛天皇の後宮に入れたことに対抗し、忠通は藤原伊通の娘呈子(九条院)を養女として同じく後宮に入れるなど、摂関家内部での対立が続きます。

このような対立の中、父は忠通に対し摂政職を頼長に譲るよう要求するも、忠通は拒否したため1150年忠実は氏長者を忠通から奪い頼長に与え、翌年には父の尽力により、頼長は内覧宣旨を受け、関白と内覧が並立するという異常事態となりました。

忠実は鳥羽と良好な関係を保っていた一方で、忠通も寵妃・藤原得子の信任を受けていたこともあり、鳥羽は父・忠実と長男・忠通の和解を望み、忠通と頼長の片方に肩入れするようなことを避けてきましたが、1155年、近衛天皇が崩御し、忠通の推す後白河天皇が即位すると、崇徳と同じように、頼長は近衛天皇を呪詛した疑いをかけられ鳥羽の信任を失い、再び内覧宣下を受けることなく失脚してし、忠実は高陽院(藤原 泰子・異母姉)のとりなしで法皇の怒りを解こうとしますが、高陽院の死去で失敗に終わりました。

 皇位継承は忠通・頼長との対立で弟・頼長に「内覧」を譲ったことで、遺恨が残り、苦境に陥ったこと・崇徳の寵愛が、忠通の娘の聖子から兵衛佐局に移ったことを恨む父・忠通と雅仁(後白河天皇)の乳母の夫で権力の掌握を目指す信西(藤原通憲)らの策謀があったと推測されます。

忠通は関白として政治の実権を掌握し、崇徳と頼長は、不遇の内に連携して行くことになります。これにより崇徳の院政の望みは粉々に打ち砕かれてしまいました。

近衛天皇の後をうけて即位した後白河は、鳥羽法皇の第四皇子で崇徳の同母弟にあたり、時には既に27歳になっていました。

皇位継承とは無縁で気楽な立場にあった後白河は遊興に明け暮れる生活を送っていて、この頃、自由な表現をする今様(民謡・流行歌)が盛んで、十歳余りの時から「今様」を愛好して、稽古漬けで昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌い明かし、声が出なくなったこともあり、その内二回は喉が腫れて湯や水を通すのもつらいほどだったそうで、その没頭ぶりに周囲からは「天皇の即位の御器量にあらず」と言われるようなうつけものでした。そんな息子に即位させてまでも、鳥羽上皇は、崇徳の子には皇位を継承させたくなかったようでした。

これによって、法皇と崇徳天皇は摂関家を巻き込んで対立を深め、崇徳の積年の恨みが限界に達した崇徳上皇は、鳥羽が他界すると挙兵したのが保元の乱です。

(関係略図)崇徳上皇(兄)    ×  後白河天皇(弟)
        藤原忠実(父)    ×  藤原忠通(子・兄)
        藤原頼長(子・弟)  ×  藤原通憲(信西:後白河天皇乳父)

        源為義(父)     ×  源義朝(子・兄)
        源為朝(子・弟)

        平忠正(叔父)    × 平清盛(甥)