母親途上

興味のあることは何でもやってみたい大人途上な私が母親になりました。
永遠発展途上な私の海外生活日記

自分の予想を超える出来事 その①

2017-11-12 | 南部生活
南部生活も3年目に突入し、シカゴで本格的な雪が降り始めたー!とシカゴのお友達がFacebookでつぶやくのもなんだか遠い異国のように思えてしまいます。こちらも朝晩は冷え込むようになりましたが、それでも日中は20度弱もある陽気なお天気のサウスカロライナです。

さて、今日はここサウスカロライナで起こった自分の予想を超える出来事について書きたいと思います。

もっと前からブログに書きたいと思っていたものの、あまりにも過激すぎて、サウスカロライナを出るまでは口にしないほうが良いと思って封印していたことのもろもろです。でもだんだん自分がどんどんと殻に閉じこもっていく気がしてしんどくなってきたので、思い切って少しずついろんなことを書いていくことにしました。


まずは、娘の学校のクラスメイトのお父さんが亡くなったこと。。
死因はドラッグのOD(オーバードーズ)でした。アメリカに10年以上住んでいても、今まで目の当たりにすることはなかった薬物過剰摂取。
アメリカではいくつかの州で大麻(マリファナ)が解禁されていますが、オーバードーズするドラッグというのはコカインやヘロイン、鎮静剤など科学的に作られた薬品のこと。大麻は摂取すると眠たくなり、寝てしまうので過剰摂取が出来ないのですが、コカインやヘロインなどのドラッグは摂取すればするほど、気分が高揚するらしく過剰に摂取したことに気がつかずに命を落とすケースが多いらしいです。


サウスカロライナに引っ越して以来、新しく友達を作り、娘のためのプレイデートの友達を探して輪に入っていくのはなかなか難しいものでした。
でも、自分から閉じこもっていては何も始まらない!と思い、去年のクリスマス前の学校のイベントで何人かのクラスメイトのお母さんに声をかけ、そのときにお友達になった一人でした。

そのお母さんは初めてプレイデートしたとき、この後弁護士に会う予定だと明かしてくれました。彼女は少し前から様子のおかしかった旦那さんと別居を始めており、お互いの同意書内容の確認のためだと言っていました。その後、だんだんと彼女と仲良くなって話を聞いていると、旦那さんには前にドラッグの中毒があり、それに気がついた彼女がリハビリ施設を探して、彼を病院に入れたと言っていました。

奥さんはなんとか彼に生活態度を改めて更生して欲しいと思っていましたし、週に1,2度息子たちとの時間のためにやってくる彼を許そうと頑張っていました。

しかし、別居中に、奥さんは、旦那さんが浮気をしている証拠を彼のメールアカウントのゴミ箱から見つけてしまいました。


怒った奥さんは離婚の準備を始めました。別居の同意書にもあるように、定められた期間に婚姻関係の修復が不可能な場合は離婚を申請できる取り決めがされていたのでしょう。彼女はあと○○日で離婚を申請できる、とカウントダウンしていました。

そして別居中から自分を変えようと必死に努力していた彼女は、さらにダイエットのスピードを上げ、30kg以上も痩せてものすごく綺麗になり、カウンセラーからのアドバイスを受けて、いろんな人とデートするようになりました。

彼女がいろんな男の人とデートしだすと、旦那さんが息子2人を迎えに行くときに彼女のボーイフレンドに会うようになりました。すると今度は彼もランダムなガールフレンドを息子たちをピックアップする際に同行させるようになったのです・・・。


旦那さんは寿司レストランのマネージャーとして、ここから車で3時間のシャーロットに新店舗をオープンさせるために行ったり来たりする生活を送っていました。毎週息子たちとの面会は週の半ば、水曜日か木曜日となっていましたが、息子2人を連れてシャーロットに3日行きたいという申し出がありました。
もちろん彼は仕事があるため、彼のガールフレンドも一緒です。かなり迷った末に奥さんは旦那さんを信じて子供2人を預けました。

すると息子たちが熱を出し、結局早めに帰ってくることになってしまいました。
旦那さんと旦那さんのガールフレンドが息子たちを奥さんのところに連れて帰ってきた後、何日か経ってから旦那さんのガールフレンドが奥さんにメッセージを送ってきました。

それは、旦那さんが勤める寿司レストランから解雇されたという内容のものでした。

実は、旦那さんとガールフレンドが息子2人を連れてシャーロットに行っている間、そのガールフレンドは旦那さんに貸していたお金を返してもらおうと、彼のズボンのポケットを探したら、そこからシリンダーと白い粉が出てきたらしいのです。
ガールフレンドはそれを見てヤバイと思い、彼の息子2人を奥さんの元に送った後、旦那さんに貸していたお金を返してもらってから、彼と別れました。そしてなんと彼女は妊娠3ヶ月でした。


彼は、ガールフレンドと別れた後、別の若い女の子を捕まえて、自分の勤めるレストランに行き、そこでアルコールや食べ物を振舞ったらしく、未成年者に酒を出したことも含めて翌日レストランを解雇されてしまったのです。


そのガールフレンドも、もちろん奥さんもものすごく怒っていて、彼からの取り決めの仕送りもなくなり、これからどうなるんだろうと思った矢先、旦那さんは奥さんと別居してから寝泊りしていたお祖母さんの家の洗濯ルームで倒れているところを発見されました。


彼の家族は彼女を責めているようでした。旦那さんのご両親が、旦那さんの遺品を息子たちに持たせることを了承しないのだと嘆いていました。
旦那さんの家族は悲しみにくれるものの葬儀を行わず、結局奥さんが旦那さんの親しい友人や家族を家に招いて、さよなら会をしました。

彼女は彼女自身と自分の子供たちを守るために、別居の選択をしました。
でも明らかに彼も助けが必要だった。彼女はリハビリ施設を探して彼を送り、更生して帰ってくるのを待ち、子供2人を育てていましたが、
彼の浮気が1人目を妊娠しているときから始まっていたことを知り、それ以上の軌道修正が出来なくなってしまいました。
それでも一度は愛した人ですから、シラフの彼を取り戻すことが出来たらどんなに良いだろうと、彼が亡くなってしばらくしてからそうつぶやいていました。

人生には色々なことがあると思います。
私も弟を亡くし、人の痛みは少しは分かる方だと思っていましたが、彼女の心情は想像も出来ません。
彼女は寂しそうに、選ぶ男を間違えたと言いました。私はそれに応える言葉を見つけることが出来ませんでした。

ときに人は、大事な人を傷つけてしまいます。
それが大事であればあるほど、エゴがむき出しになって素直になれないこともあります。

何度も何度も喧嘩して、お互いにうっとおしい気持ちが勝ってしまうと、本当に大事な気持ちに素直になれなくなります。
私達もかつて子供を作る時期について、かなり長期間喧嘩をしていました。
その結果、口を開けば相手の悪口しか言わなくなり、家の中はものすごい険悪な雰囲気になりました。
夫はうつになり、薬を飲み始め、お酒やタバコが止められなくなりました。私も同じようにうつになり、バカバカと煙草を吸って、お互いに足を引っ張るように険悪な空気が何年も続きました。最終的に別居して関係を立て直しましたが、そこからお互いに素直な気持ちを口に出来るまでに2年はかかりました。


大人になると、いろんなことがもっと複雑になってきて、寂しくてもなかなか寂しいと言えないのかもしれないなと思います。
亡くなった友達の旦那さんも、きっとものすごく寂しかったのではないかと思います。

人はみな寂しがりやで、いつも誰かのぬくもりを探しているのかな・・・。
だったら自分の娘がぐいぐいと私のベッドに入ってくる間は、せめて両手を広げて思いっきりあたためてあげるのが良いのかもしれないな、などと思ったりしています。