Pianist 池田みどり

ピアニスト池田みどりの四苦八苦をまるごとお見せします。
http://www.hi-ho.ne.jp/~midopi/

水商売は礼儀です。

2016-07-01 | Diary

初仕事は八重洲のバーだった。バー自体ほとんど入ったことがないが、清潔でおしゃれなカウンターに気のいいバーテンさんがいた。

ここでは弾き語りをさせてもらった。まだマイナーとかメジャーとか時々間違えて弾いていたけど、歌でカバーしていた。

そんなこんなで少しずつ弾き語りの仕事や、時には単発のボーカルの仕事など入ってきていた。

駒大のジャズ研には通っていたけど、だんだんと音楽の仕事が多くなってきて勉強と両立することが難しくなってきていた。

そこで、1年の秋には、大学中退を決めた。

 

そんなころ、ボーカル教室の関係者が初めてのボーカルの仕事を紹介してくれた。先生の関与するところではないので断っておく。

それは銀座・泰明小学校近くの小さなお店だった。ボーカル仲間何人かでその店に視察に行った。みんな初仕事ということでドキドキしながらもワクワクしていた。

金華山のソファーにしっかりしたテーブル、それにカウンターがあり、アップライトのピアノがあった。

オーナーは和装の麗人、そして店長はシャンソン歌手。美輪明宏さんに師事していたという。ピアニストは、当時シャンソン歌手の憧れの銀巴里のレギュラーピアニストだった。

店に入っていくと、すぐに控え室に通され着替えさせられた。それぞれのサイズのオーガンジーの清楚なワンピースが用意してあった。

「ええ?なんでこんな服着るの?」「わかんない・・・。ま、とにかく着替えよう」

みんなが着替え終わると、カウンターに並んで座らされた。

「これからバーテンさんがみなさんにお仕事の説明をします」

ひげの生えた人のよさそうなバーテンさんがみんなを見て最初に言った言葉がこれだった。

「水商売は礼儀です」

お客様が入った入らしたときのご挨拶から、座り方、マッチのすり方、お酒の作り方までを教えてもらった。

私たちはじっと聞きながら、「ええええええ????? だって、歌の仕事でしょ?」

はてなマークがいっぱい。

ずいぶん辞めた人も多かったけど、私は歌えればよかった。だから半年くらい続けた。おかげで人間観察ができた

そのころはバブルでわけもわからないのにチップをくれる人が時々いた。だいたいが一万円札だった。

 

歌のレッスンは続けていた。初めての発表会はまだ10代だったように思う。

Billy Holidayの”Fine and Mellow"を弾き語った。今思えばよくこんな艶っぽい歌を歌ったもんだ。

そして何回目かの発表会では”But Beautiful"を歌った。

このころはうわさが広まって、ジャズ評論家のイソノテルヲさんもスウィングジャーナルにこの発表会の寸評を書いていて、「センスはさすがだ」といううれしい言葉をいただいた。

その後、イソノさんからお電話をいただき、彼が経営する自由が丘の”ファイブスポット”というライブハウスの出演依頼だった。

一度そこにも行ったけれど、「こんなサラリーマンばっかりのところでは歌いたくありません」って断った。

今じゃそんな偉そうなこと、とても言えない。

 

今日の動画はTonny BennettとLady Gagaの”But Beautiful"。本当はTonny Bennett & Bill Evansのデュオにしたかったけど、レコードジャケットだけじゃ面白くないものねぇ。

<!-- Tonny Bennett, Lady Gaga "But Beautiful -->

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恋人に喋るように歌いなさい。

2016-06-24 | Diary

青山のジャズライブハウス”ロブロイ”では、ママからの紹介で、中富雅之さんというピアニストに預けられることになった。

中富さんの父親は往年の名俳優、大友柳太郎さん。ご自宅に呼んでいただいて、大友さんにご挨拶をしたことがある。かくしゃくとして実にハンサムでオーラのある方だった。

息子である中富さんもハンサムでいつも音楽を熱っぽく語る人だった。ピアノを弾くときは踊るように背中が音楽を語っていた。

中富さんと初めて会ったのは青山骨董通り近くの喫茶店だった。楽譜を見せるとすぐにコードを片っ端から直してくれた。その後、何回かふたりでリハーサルをした。

それからは、私を毎日のようにいろいろなライブハウスに連れて行ってくれて、たくさんのミュージシャンに紹介してくれた。

時には当時もっとも人気のあった六本木ミスティで山本剛さんのピアノを歌わせてもらったり、まだ日本で活躍をしていた私が大好きな男性ジャズシンガー森山浩二さんにも会わせてくれた。

大学生の私にはめくるめくような日々だった。音楽だけを感じて、音楽だけに生きている日々だった。中富さんのおかげで、一生のうちでいちばん音楽に熱い時期だったかもしれない。

ある日、彼も尊敬するドラマーのDonald Bailyとも共演させてもらった。

Donald Bailyはコルトレーンとも共演しているが、一番有名なのはJimmy Smith Trioでの長い活躍で、サラ・ボーンやエラなど多くのレジェンドたちとも共演している。彼自身がレジェンドでもある。

ステージが終わると中富さんを真ん中にDonaldと話をすることになった。そしてそれまで寡黙だったDonaldが私に言った。

「恋人に喋るように歌いなさい」

いつも中富さんからもがんばって歌わないようにと言われていた。練習のしすぎとも言われていた。

そんな折、レジェンドから言われたその一言は心に突き刺さった。

今でもその言葉は忘れない。

 

今日、このブログを書くために、Donald Bailyと中富雅之をネットで調べた。

Donald Bailyがこれほど伝説的なドラマーということを当時は知らなかった。そして2013年に亡くなったことも知らなかった。

中富さんには長年お会いしていなかった。連絡を取ってみたが音信普通だった。今日、2011年に亡くなっていたことを知った。

たくさん面倒をみてもらって、たくさんご迷惑もおかけした。私にとっては師匠と弟子以上だった。

大事な言葉と思い出をもらった、おふたりに感謝したい。

合掌。

Donald Baily(ドラマー・ハーモニカ)  https://en.m.wikipedia.org/wiki/Donald_Bailey_(musician)

中富 雅之(作曲家・ピアニスト)      http://ameblo.jp/imagememo/entry-11067188252.html

 

<!-- Ann Burton ”Someone to watch over me" From Album "Blue Burton" -->

 

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池田みどり オフィシャルホームページ ”音楽があなたの心にできること”

http://www.hi-ho.ne.jp/~midopi/

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初ステージの共演は渡辺香津美だった。

2016-06-18 | 音楽

大学のジャズ研にだんだんと慣れてきて、毎日学校を通り越して、砧の部室に通い続けていた。

ボーカル教室も通い続けていたから、ビッグバンドの練習が終わると、ギターで伴奏してもらって、歌ったりしていた。

先輩からはとにかくいろいろ教えてもらった。だいたい、この頃の先輩って言うのは面倒見がよくって、教えたがりだった。

部活が終わると、三軒茶屋の「だんも」ってジャズ喫茶で200円の珈琲でレコードをたくさん聴いた。マイルスとかコルトレーンが多かった。そのころのジャズ喫茶はおしゃべりすると怒られたもんだ。

ジャズボーカルのアルバムコレクションをしている先輩がいて、ときどき訪れてはアニタ・オデイ、エラ・フィッツジェラルド、ジュリー・ロンドン、クリス・コナーなど女性シンガーをたくさん聞かせてもらった。

家ではピアノの練習もしてたから、だいたいの楽譜は弾けるようになっていた。弾き語りは楽しかった。際限なく片っ端から弾き語ってみてた。

 

さて、1年生の秋、初めてのジャズ研のコンサートを青山タワーホールで行うことになった。顔の広い先輩がゲストを呼んでくれた。

鈴木勲(Bs)のグループは当時、渡辺貞夫グループの登竜門として知られていた。

今回のゲストは鈴木勲カルテット。メンバーは、鈴木勲のチェロ、渡辺香津美のギター、川上修のベース、守新治のドラム。

1年生なのに、なぜか私が司会をやることになっていた。楽屋に行って、ゲストに挨拶をした。

鈴木勲さんが「誰か歌えるやついないか?」っていうから、「私、歌えます」って答えた。

「じゃ、今から歌え」  「はい」

いきなりゲストコーナーで、司会やってた女子大生が、鈴木勲グループをバックに歌ったものだから、お客さんは口をぽかんとしていたに違いない。

でも、わたしはめちゃくちゃ気持ちよかった。だってこんな気持ちのいいグルーブ感で歌える経験なかったから。

それが人前で歌った私の初ステージ。

コンサート後に楽屋にお礼に伺った。

「おまえ、面白いから、うちのバンドに来い」  「はい」

 

新宿のタローとか数箇所でこのバンドで歌わせてもらった。やっぱりお客さんはぽかんとしていた。

鈴木勲さんはわたしを青山にあった「ロブロイ」に預けてくれた。

ロブロイのママも私を聞いて、「面白い」って言って、レギュラーで出演させてもらうことになった。

 

今回の動画は、初ステージで歌った曲 "Willow weep for me"

 

 

池田みどりオフィシャルサイト

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ライブ情報、アルバム視聴など。レッスンの情報もご覧ください。

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コードっておもしろい!

2016-06-15 | 音楽

駒沢大学ジャズ研はビッグバンドで、カウント・ベイシーやデューク・エリントン、サド・メルなどのクラシカルなナンバーをやっていた。

別に指導者がいるわけじゃないから、少しわかる先輩は、みんなの尊敬を集めてた。

新人は知らないことばかりだから、知識欲やら上手くなりたいやらで、先輩にくっついて、なんだか必死な気分が伝わってきた。

仏教大学だから坊主のタマゴが何人かいた。きっと彼らの木魚はスウィングしてるに違いない。

 

ピアノは女性の先輩がひとりいた。私ら新人はとにかく横に座って手元をみてるしかない。

「わぁ、こんなアルファベットでよく弾けるなぁ・・・」

「これね、コードっていって、たとえばCってコードはド・ミ・ソなのよ」

「ええ?!、じゃ、これはなんですか?」

「これはDっていって、レ・ファ#・ラよ。音階の1度、3度、5度の和音なの。」

ゲゲ!オモロイ!!

 

当時、ジャズのスタンダードナンバーの楽譜はなくて、海賊版が出回っていた。要するに著作権取ってなくて、マニアの人がこつこつ作った楽譜集ね。

「1001」(せんいち/ 1001曲収録されてますって意味)「306」(さぶろく)「ジャズ8」(ジャズエイト/ これは8曲だけじゃない)

この楽譜を先輩に教わって、秘密の楽器店に買いに行った。

早速家で片っ端からコードを練習した。

最初はマイナーとか7thとかよく弾けなくて、特にフラットやらシャープが付いちゃうとお手上げだったけど、だんだんと慣れてきた。

だって、学校も行かず、一日中ご飯を食べるかお風呂に入るか以外はずっとピアノ弾いてたから。

歌は歌えたから、弾き語りもずっと練習してたよ。

 

半年後、弾き語りで仕事してた。二十歳になってすぐのころ。それがキャリアの始まりね。

まだちゃんとは弾けなかったけど、若くてピアノが弾けて歌も歌えるっていうので、結構仕事があった。

忙しくなったから、学校は1年半で退学した。

 

お気に入りの「さぶろく」の1曲目はErrol Garner作曲の”Misty”。 今日は本人による演奏の動画。

 

 

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恋は雷みたいに落ちてくる

2016-06-13 | 音楽

駒沢大学の入学式は御三尊といわれる仏像のある講堂で行われた。ありゃ、私って仏教大学に入学しちゃったのねって思ったりして。

入学式が終わってから外に出るとたくさんの入部勧誘の出店が出てた。さまざまな勧誘を振り切って、一目散にジャズ研を探しに。

やっとみつけたジャズ研の入部勧誘デスクは、他の部と違ってただ机がふたつあって、まったりとしたおにいさんたちが日向ぼっこしてた。

「あのう、ジャズ研に入部したいんですけど」

いきなり目の色が変わったおにいさんたち、立ち上がり、「え、ほんと?!」

さっそく名前と連絡先を大学ノートに書いて、明日から行ってみることに。

さて、帰ろうと思って振り向いたとき、後ろから「あの人誰?」って声が聞こえた。

なぜかわからない。でもその声に雷に打たれたみたいなショックを感じたの。

あんまり自分でもびっくりしたから、振り返ることもできなかったの。

翌日、ジャズ研の部室に行き、メンバーたちに紹介してもらっているところに、その声の主があわられた。

そんなにハンサムじゃないかもしれないけど、「あ、この人だ」って運命を感じたの。

わけがわからないの。でもたしかに運命を感じたの。

恋は雷みたいに落ちてきたの。私にはそうだったの。

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池田みどり Official Site ”音楽があなたの心にできること”

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家出先で聞いたデューク・エリントンのバースディ・コンサート

2016-06-11 | 音楽

悶々としてたんです、私の高校時代。今考えれば、それが青春ってものだったのかも・・・

フォークソングクラブに入ったり、社会研究部に入ったり、生徒会の書記やってみたり、支離滅裂ですよ。

だからジャズに出逢って、もうこれしかないって、のめり込んだんですね。

家族はいつも喧嘩ばかりだったから、家にいるのがつらかったのもある。だから家出しようって思った。

大学ノート2冊に自分の考えというか考察を書き綴って、それを残して、部屋のものはすべてきれいに捨てたのね。

質屋さんに服を持っていったら、「帰ってくるんでしょ。預かっとくよ」って受け取ってくれた。いい時代ね。

行き先がないから、なんと兄の女友達のお家に泊めさせてもらったの。ご家族も心配しながら何も責めたりはしなかった。

ドキドキのその夜、そのお宅で見たのが、デューク・エリントンのバースディ・コンサートだった。録画だったのかも。なんだか心に染み入って、やっぱりジャズっていいなって思った。

翌日、母から電話がその家にかかってきて、泣きながら「おばあちゃんが心配してる」って言うの。

3ヶ月も準備した家出だったけど、「おばあちゃん」には弱い私。そそくさと家に帰ったの。こういうところが意気地なし。

帰ってあげたんだから、ジャズボーカル教室に通わせてってわがまま言って、通ったのがマーサ・三宅ボーカル教室だった。

すぐに高校卒業になって、大学行ってあげるから、ジャズ研に入らせてって、そこでもわがまま言ってた。

次回は大学のお話ね。

 

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私とジャズとの出逢い

2016-06-10 | 音楽

私は高校生のときに、兄の影響でジャズに目覚めました。兄が買ってきたビリー・ホリディの「奇妙な果実」を聞いてからです。

他の誰とも違う声でした。未だになぜ彼女の声に涙するようになったかわかりません。

でも心が突き動かされて、ジャズシンガーになりたいと思うようになりました。

よくわからないまま、レコードにあわせて歌うのが日課になりました。

私のその頃の心はガラスのように繊細だったので、歌に救われていたのです。

夜中には遅くまでステレオの大きなスピーカーに身を寄せて、ジャズのFM放送に聞き入っていました。

油井正一さんの「アスペクト・イン・ジャズ」は特に好きでした。ボーカル特集もよくやっていました。

当時、唯一のジャズボーカル教室はマーサ・三宅さんの教室でした。ジャズ月刊誌「スイング・ジャーナル」の広告を見て、オーディションに行きました。

高校の制服を着た若いの女の子が、マーサさんの前で「何か歌ってごらんなさい」と言われて歌ったのは、”Left Alone"でした。今じゃ、とても歌えません。

びっくりしたマーサさんは私を受け入れてくれました。

そのころはマーサさんはひとりで教室を切り盛りしていたので、終わってから珈琲を入れてくださったりと、本当によくしてくださいました。

そのころの私にはジャズしか頭になかったんです。

https://www.youtube.com/watch?v=wHGAMjwr_j8

 

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ホームページをリニューアルしました。

2016-06-09 | Diary

リニューアルしたの?って疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ホームページ作成ソフトをバージョンアップしました。BiND for WebLiFE*4からな・な・なんとBiND for WebLiFE*8に、一気に4グレードもアップです。おかげでお問い合わせフォームをGoogleフォームでつけることができました。

このソフト、オススメです。初めてでも簡単にできちゃう。雛形があるのでそれを選んで、テキストや画像を差し込むだけです。ただし、電話サポートはありません。メールサポートのみ。
http://www.digitalstage.jp/

なぜ、お問い合わせフォームにこだわったかって、レッスンのお問い合わせをお待ちしてるからです。最初は無料体験レッスンで音楽の楽しさを知ってください。レッスンの詳細はLESSONページからどうぞ。
http://www.hi-ho.ne.jp/~midopi/Lesson.html

「教えたい」と「学びたい」をつなげるマッチングサイト『おしえたい、まなびたいLite』にも登録、リンクしました。こちらもご覧くださいね。
http://www.find-teacher.net/index.php?page=item&id=27

このブログのコメントからのお問い合わせもOKですよ。お待ちしてます! 

 

 

 

 

 

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ずーっとお休みしてましたが・・・

2016-05-25 | Diary

ブログをずーっとお休みして、Facebookだけでやってました。

でも、やっぱりFacebook以外の方々にもつながりたいとブログを再開することにしました。

 

最近思います。

ジャズボーカルの友人は多いけど、彼らの悩みは歌う機会にあまり恵まれないこと。

特にセッションではなく、ちゃんとした練習をしたいけど、アカペラじゃ感じがわからないし、自分のピアノでも友達の未熟なピアノでもなく、プロの歌判をよく知っている人と、いわゆる「歌いこみ」をしたい。

実際、私は友人たちの歌いこみのお手伝いを時々しています。

ライブ前だったり、普段からの歌ってないと忘れてしまう歌詞を思い出すためでもあったり、新曲への挑戦だったり。

楽譜の書き方がわからない時、特にエンディングとかどう書いていいか先生のレッスンだけではよくわからないときもありますね。

そんな方への楽譜制作のお手伝いもしてます。

初心者の方にはステージでの伴奏者への指示の方法や英語の発音チェックなどもやってますよ。

ボーカリストのレッスンだけではなく、ジャズピアノの指導もやってます。

ボーカルの練習するときに、コードだけ弾けたらいいですものね。

実は私はジャズピアノ講師をなが~いことやってますが、ジャズスタンダードが大好きで昔やっていたボーカルにはいささか愛着があるため、歌伴が好きなんです。

あなたのサポートをしたいと思ってます。

ご連絡ください。

 

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「アナウンサーが教える愛される話し方」 吉川美代子著

2014-03-10 | Diary

なんと今年初めて4カ月ぶりのブログです。長文を書くのが苦手になってしまったFacebook病の私です。

さて、友人でもあるTBSアナウンサー吉川美代子さんの著書のご紹介です。「朝ズバッ!」のコメンテイターとしてご存じの方も多いかと思いますが、彼女は大のジャズ愛好家。ご自身ジャズを歌われるのですが、その伴奏や練習のおつきあいをさせていただいているご縁で、プライベートの彼女の魅力にも触れることができます。どんな時でも正しい言葉使いと気遣いを忘れない方です。そんな吉川さんの満を持しての「話し方」に関する著書が朝日新書から出版されました。

高校から放送部として活躍していた彼女は、アナウンサーを夢見て、見事TBSに入社。数々のインタビューなどの仕事後、「JNNおはようニュース&スポーツ」(全国ネット)を担当します。当時のTBSでは女性がニュースを読むというのは画期的なことで、大きなプレッシャーの中での起用でした。その環境の中で経験を積んだからこそ、アナウンサーとしての責任感を持ち続けることになったのだろうと思います。

TBSには放送用語委員会があります。常に正しい言い回しを検討しています。メディア、特にテレビのニュースなどで使われる言葉は日本の標準語として認識されますので、多くの知識、経験が必要になります。この本では普段間違えて覚えてしまっている多くの言葉について、規範を示してくれています。

吉川さんは「Dr.松永の聞こえるクリニック」というコーナーも担当していますが、耳鼻咽喉科のドクターでもある松永敦医師は、発声方法についてのプロフェッショナルです。自分自身のアナウンサー歴37年の経験と、よりよい声への絶え間ない追及心から、吉川さんがみなさんに伝えるのは「ゼロの声」です。

「理想的な声とは発声時に余分な力が入っていない、リラックスした音となります。これを私は『ゼロの声』と表現しています。~中略~何も考えずにただ声を出すためだけに発声する。それが、リラックスした声の状態です」
 ※Youtubeの検索で「松永敦」と入れると松永医師の発声方法の極意を見ることができます。吉川さんもお勧めの先生です。

この『ゼロの声』という言葉は、発声に迷いを抱いていた私に一筋の光を与えてくれました。考えすぎていた私にもっとリラックスして発声することを教えてくれました。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B-%E6%84%9B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E8%A9%B1%E3%81%97%E6%96%B9-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%90%89%E5%B7%9D%E7%BE%8E%E4%BB%A3%E5%AD%90/dp/4022735406

 

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