Pianist 池田みどり

ピアニスト池田みどりの四苦八苦をまるごとお見せします。
http://www.hi-ho.ne.jp/~midopi/

旅のチカラ「アマゾン源流 神の氷~エクアドル 向井理~」

2011-12-29 | Diary
「世界遺産~時を刻む」(音楽:小曽根真)のナビゲーターを務める向井理(むかいおさむ)。浮ついたところがなくて、なかなか良い感じの若者。学生時代、遺伝子工学を研究しており「ニワトリ・オボアルブミン遺伝子をエストロジェンに応答し卵管組織においてのみ活性化させるコントロールエレメントの決定」という研究で、第29回 国際動物遺伝学会議(2004年9月開催)『ベストポスターアワード』をグループ受賞している理科系男子。「なぜ研究を諦めたんですか?」という質問に「なぜって…バーテンダーになりたかったから」とさらりと言ってのける。実際、彼はバーテンダーとして店長を務めるなど6年の経験の持ち主。彼は2007年TV撮影でカンボジアを訪れ、畑を耕すが、水不足のために作物は育たなかった。2010年、再訪し、私財を投じて井戸作りまでしている。そんな理由もあり、今回は水を探る旅となった。

 エクアドルは赤道直下。しかし標高があるため、常に過ごしやすい。大西洋の水蒸気はアンデス山脈にぶつかり雨になり、豊かな水の環境を産み出す。今回はアマゾン源流の標高4800mで、氷河を切り出す男性に逢いに行く。4800mとは富士山のさらに1000mほど高い。平地の半分ほどの気圧しかなく、彼のブログでは「少し動いただけで全力疾走」状態。さらに生魚を食べることになり、彼としては初めての入院・点滴という最悪の体調となる。しかし翌日には持ち直し、再度氷河を目指す。村では氷河の氷は「神の氷」と言われる。現在ではたったひとりしか氷河の切り出し職人はいない。彼はこの道半世紀以上。すでに68歳になったが、この高地での想像を絶する仕事を継ぐことは容易ではない。まるで地球の一部をはぎ取るように氷河の大きな塊を切り出し、それを45キロほどに小分けする仕事を、高度4800mで行う。向井君は見ているだけでも精いっぱい。

 こんなに苦労して切り出した氷も、村では値切られてしまう。しかし老人が働くのは、ただ単にお金のためだけではない。彼にとってこの仕事は、村の友人たちのためでもあり、家族のためでもあり、自分の尊厳のためでもある。

 アマゾン源流に住む人々の誇り高い生きざま。その水が南米大陸をうるおし、地球をうるおしている。数十年先には、水はもっとも貴重なものとなり、それが戦争の引き金になるかもしれない。地球をもっとも地球らしくしている、水に想いをはせる番組だった。

 ※NHK 旅の力 http://www.nhk.or.jp/tabi-bs/
 ※向井理オフィシャルサイト http://ameblo.jp/osamu-labo/entry-11119000898.html

仕事の流儀:SMAPスペシャル完全版 再放送

2011-12-29 | Diary
 NHKプロフェッショナルが3時間のスペシャル番組として、SMAPを取り上げた、10月10日の再放送分。7月からの取材で被災地での学校訪問の様子、今年CDデビュー20周年として、初の国外・北京公演などにも密着。彼らへのインタビューでは、森且行の退団、稲垣吾朗や草薙剛の謹慎処分なども赤裸々に答えており、SMAPの素顔を知ることができました。そこから彼らの20年の軌跡と、彼らがエンタテイナーをどのように捉え、いかに必死に挑み続けているかが見えてきました。

 【被災地訪問】
 中居正広(39):「こういうことってあんまりテレビでやりたくないんなっていうの、ちょっとありますね。評価のためにやってるんでもなく、見返りを求めてやってることでもないので…やっぱりできることって本当に微力ですから…やらせてもらってる」
 被災地各地では、いわき、南三陸、大船渡など小学校から高校までの体育館で、トークや歌などを披露した後、ひとりひとりに握手をし、声をかけた。握手会では1000人に2時間かけるなど、密着したサービスを常に心がけている。

 【SMAPの軌跡】
 SMAPはジャニーズに最年少で11歳からの芸能界入り。最初のCDは1位にならずしばらく不調が続いた。「夢でモリモリ」でアイドルがコントをやることで、徐々に人気が出た。もちろん最初は違和感があったが、とにかくいつも必死にやってきた。 
 5人には共通の想いがある:ぼくらはたいしたことない。歌だってダンスだって、専門家にはかなわない。だからぼくらにできることは必至でやってることをみてもらうだけなんです。
 彼らの仕事の流儀:「目の前のことに全力を尽くす」
 ひとりひとりの個性がある。木村拓哉はスタッフとの会話を大事にする。中居正広はリーダーとして、常に考え抜くタイプ。稲垣吾朗はメンバーたちのコミュニケーター。草薙剛はムードメーカーでピリピリした雰囲気を、和らげてくれる。香取慎吾はクリエイトなことが大好きだ。


 【北京公演】
 国賓並みの扱いを受け、日中親交という重責を負った初の国外公演は北京工人体育場で、9月16日に行われた。14日に北京入りし、取材・リハーサルとハードスケジュールをこなす。SMAPのステージは、革新的なものとして知られているが、演出は香取慎吾(34)がやっている。彼はメンバーが帰った後も、舞台装置から衣装、人の動きまですべてにチェックを入れる。しかし彼がすべてを決めるわけではなく、メンバーの意見で柔軟に変更することになる。
 コンサートでは、中国語での挨拶はもちろん、中国語に訳された「世界でひとつの花」などが歌われた。あいにくの雨の中、それでも3万人の観客たちは、熱い時間を彼らとともに過ごした。

 SMAPは常にトップをリードし、それぞれが持つ個人の才能だけでなく、5人のグループとして日本のエンターテイナーに刺激を与え続けているその舞台裏を見ることができました。これからもずっとSMAPを応援していきたいと、思わせてくれた番組でした。

 ※NHKプロフェッショナル http://www.nhk.or.jp/professional/2011/1010/index.html

文学を知る:星の王子さま

2011-12-26 | Diary
 名作と言われるものでも、内容がピンとこない文学というのがあります。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もそうでした。朗読の伴奏をする機会を得て、調べて行くうちに、やっと理解が深まったように感じます。このアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作の「星の王子さま」もそのひとつでした。

 飛行士であり作家でもあったサン=テグジュペリは、航空郵便の飛行士として働きました。当時の飛行機に事故はつきもの。砂漠に不時着し3日間さまよい、奇跡的に救出された体験から、この小説を書いたという説があります。

 作品冒頭に「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」とあります。これは子供向けというよりは、大人に向けたメッセージでもあったようです。子供の私にとっては、蛇が象を呑み込んだ山高帽のような絵や、星がちいさくてどうして落ちないんだろう?って、不思議だったという印象しかありませんでした。特に理解しにくかったのが、星の王子さまが大切にする花のことでした。

 近年、サン=テグジュペリの妻、コンスエロの邸宅から、ふたりの愛の書簡が多数発見されました。何事に対しても熱血漢のサン=テグジュペリと、アーティストでもあった美女コンスエロは、お互いの激しさゆえ、長い別居の末、ニューヨークに移り住み晩年をふたりでやり直そうとしました。その折に書かれたのがこの「星の王子さま」です。彼自身が「この本は私の遺書だ」と言っている通り、彼の人生を見て行くと、これはまさに彼の人生を描いたものだと思えてきます。この本の出版1年後に、その言葉は現実となります。

 星の王子さまが大切にしたバラの花とは、まさに愛するコンスエロにダブります。星の王子さまは静かに死んでいきますが、彼も自ら志願し第二次大戦の偵察機に乗りこみ、行方不明となります。コンスエロは泣いて止めたと云います。彼はなんどもの飛行機事故によって、自分で飛行服を着ることもパラシュートで脱出することもできない状態でしたから、死を覚悟しての志願だったのです。

 1998年9月7日、トロール船の網にブレスレットが引っ掛かりました。ブレスレットには「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリとコンスエロ」と名前が刻まれていました。彼にとってコンスエロは、何事にも替えがたい大切な存在だったのです。

 『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ』

  ※参考:BSアーカイブス 「星の王子さま こころの旅 サン・テグジュペリ 愛の軌跡」(南果歩出演)

クリスマスホームコンサート

2011-12-24 | Diary
 友人のシンガーに相談がありました。
「ご主人が大手術の末、命はとりとめたものの車椅子での生活になった。音楽の好きな人なので、それでもバンド活動を続けてはいるものの、以前のように外出しにくくなった。以前からの希望でホームコンサートを開きたい。」
 友人はすぐに私のことが頭に浮かび、連絡が来ました。
「ぜひやりましょう。よくぞ、連絡してくれました。やりたかった活動のひとつなの」と言って、準備を進めてきました。
 どうせなら、私のピアノを聞くだけのコンサートではなく、インタラクティブにやりたいと思ったのです。

 コンサートはご自宅1階応接間で行われ、彼らのご近所の方々やゆかりの深い方などが集まってくださいました。特に依頼主である奥さまの高校の同級生たちが数人来てくださいました。いちばんびっくりしたのは同じ年の5月生まれが5人も集まり、中には私と生年月日が同じ女性もいたことです。

 さて、まずはクリスマスソングで始まり、オリジナル曲を弾きながら、出版した本「神様にはプランがある」のお話やら、NYでのレコーディングのお話をしました。その後、友人シンガーに歌ってもらいました。”You've got a friend"は私が彼女にリクエストしたものですが、なんと彼女は1日で歌詞を覚え、私はハーモニーをつけて、デュエットしました。さて、ご主人のベースと息子さんのサックスも入って、彼らからリクエストのナンバー”Only you"を3人で演奏。実は親子で共演は初めてだそうで、本当によい機会になりました。その後、友人が英語発音指導をして、”Silent Night"と”White Christmas"をみんなで歌い、その他のクリスマスソングも歌いました。

 コンサートの後は、奥さまの驚くようなすばらしい手料理をみんなで満喫。いろいろなお話も弾んですばらしいアフタヌーンコンサートになりました。

 夜の部にも同じようなコンサートをしましたが、この折に来てくれたのが、ご主人の長い入院生活を支えてくれた若い看護婦さんでした。患者さんと看護婦さんが、このようにその後もずっと付き合っていて、いい友人となっているようです。

 ご主人とのお話です。
 「もし、私だったら歩けなくなるというのを知ったら、落ち込んで立ち直れないかもしれないと思うのですが、どうやって乗り越えたんですか?」
 「周りがみんな前向きな人が多かったんです。しかし同じような境遇の人たちを見ると、そういう時に心のサポートが病院側にもあるべきだと思いました」

 被災地で身障者が逃げ遅れて多数亡くなった話や、バリヤフリーがもっと整備されるべきだろうという話など、当事者から伺う話は貴重です。何より、それを越えて、前向きに「このことで、人生を見直す機会を与えてもらった」と言える方から、お話を伺える機会があったことに感謝です。

 今後もこのような機会を作っていけたらと思います。

 

蔵の中で幽玄の音に包まれる

2011-12-22 | Diary
 笛奏者の雲龍さんは、映画「地球交響曲第六番~虚空の音編」で、その幽玄の音を那智の滝で吹かれたシーンを覚えていらっしゃる方も多いかもしれません。各寺社などを回り奉納演奏を続ける中、細野正臣氏の環太平洋モンゴロイドユニットのメンバーとしても活動の経験を持つ、異色のアーティストです。いや、アーティストという言葉が、彼には当てはまらない。私の知人の中でも、特に世俗にまみれず高貴な感覚を持つ特別な人です。

 今回のイベントが開催された、浅草「ギャラリーエフ」は、1868年に建築された土蔵を改築したものです。有形文化財となっています。蔵は2階建になっており、周りを分厚い土壁に守られた頑丈な作りになっています。扉が30cmほどの厚さですから、壁もそのくらいの厚さです。窓はありません。床は漆で塗られ黒光りしているので、自分が映り込んで、まるで宙に浮いているような感覚になります。ギャラリーで音楽が奏でられるために2階の真ん中の床をぶち抜いて、穴を空けています。照明がないと漆黒の闇です。

 「ギャラリーエフ」主催イベント、冬の音楽会月間『月夜の森 10』というシリーズには、さまざまなアーティストが出演しましたが、第9回目の今夜は雲龍さんが、漆黒の蔵の中で月夜を奏でます。33名という満員のお客様が待ちわびる中、2階天上からかすかな笛の音が蔵の中に響き渡ります。その後1階に降りて、さまざまな笛を聞かせてくれました。石の笛、コアガラスの笛、篠笛、インディアンフルートなど楽器はさまざまですが、それぞれが雲龍さんの呼吸と含むと、宇宙の音を奏でます。

 いつも自然体で、なおかつ宇宙を間近に感じさせてくれる雲龍さんの世界。彼のファンにはやはり宇宙を近くに感じる特別な存在の方々も多くて、そんな方たちとの出会いも楽しませていただきました。

 おみやげには雲龍さんが住む信州のリンゴ、由緒あるお香をいただきました。

 ※雲龍オフィシャルホームページ http://www.shana-records.com/
 ※雲龍ブログ http://d.hatena.ne.jp/rurinohikari/
 ※ギャラリーエフ http://www.gallery-ef.com/j.htm


ジャムズネット東京の被災地支援

2011-12-21 | Diary
 事務局として関わっている「ジャムズネット東京」ですが、被災地支援として心のケアに関わっています。中心となっているのが、岩手県在住の精神医。彼は小学校の同級生でもあります。ウィークディは東京、週末は岩手だと思っていたら、デンバーだったり、フィリピンだったり、まるで忍者のように世界各国を飛び回っています。彼が私をジャムズネットとつなげてくれました。「ニューヨークでレコーディングしようと思うけど、誰も知り合いがいないの。誰か知らない?」って聞いたのが、ニューヨークに行く直前。彼が紹介してくれたのが、今やジャムズネット東京代表の仲本医務官でした。「ジャズピアノやってるみたいだから、きっと気が合うと思うよ」という紹介でした。

 ジャムズネットはニューヨークで9.11が起きた後、赴任した仲本医務官と、米国日本人医師会の当時の代表・本間俊一医師とのコラボで始まりました。多くのすばらしい活動をする日本人団体があるのに、ネットワークがうまく働いていない。そこで仲本先生がそのネットワークをつなげる役目をして、ジャムズネット(Japanese Medical Support Network)が誕生しました。ですからジャムズネットは団体の集まりです。

 一方ジャムズネット東京は医師やボランティアなどの個人の集まりです。ニューヨークのジャムズネットとは深く繋がっていて、情報も共有しています。被災地支援として、ジャムズネット代表である本間先生が動き、多くの寄付金がニューヨークが集まりました。その資金を今回の被災地支援で心のケアに当てられています。被災地の病院や関わる団体の協力も得て、ネットワークとして支援が具体化されてきています。

 ジャムズネット東京の被災地支援活動をご覧ください。
 http://jamsnettokyo.web.fc2.com/Actionreport.html

 ジャムズネット東京では、被災地支援だけでなく、海外渡航される方への医療情報など、各メンバーの活動もご紹介しています。
 http://jamsnettokyo.web.fc2.com/index.html

アフタヌーンコンサート@医科研・雨ニモマケズ

2011-12-18 | Diary
 友人がバンドを組んで、東大医科研病院で無料コンサートを開くというので、小学校の同級生たちと行ってきました。小学校の同級生たちは、まるで兄弟のように仲がよくて、一緒にいると気持ちがよい仲間です。同級生がステージに立つというので、女子3人で応援です。それにしても白金台の広大な敷地に、由緒ある建物が立ち並んでいます。

 医師や研究者にプロのミュージシャンも混じって、トランペット2本、ギター、キーボード、ベース、それにヴォーカルの大所帯。アレンジされたおなじみのクリスマスソングを次々と演奏してくれました。暖かくて心地よいサウンドです。外来ホールは患者さんだけでなく、一般の方も集まって生演奏を楽しみました。

 さらにこれも女性の医師が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を岩手弁で朗読。先日は標準語での「銀河鉄道の夜」の朗読とピアノでコラボしたばかりですが、岩手弁での「雨ニモマケズ」はしんしんと心に沁み入りました。こうやって聞くと、あらためて日本語がいかに優れた音楽であったかを感じます。

 「宮沢賢治の音楽」という番組で、花巻弁で彼の詩「永訣の朝」を聞きました。賢治の大切な理解者であった妹が亡くなる前に、読んだ詩です。『あめゆじゅとてちてけんじゃ』という節があります。これが花巻弁です。花巻弁には12ほどの敬語があります。『けんじゃ』(ケンジュに聞こえます)はもっとも丁寧な言葉です。

 方言の美しさ、もう一度見直してみたいですね。

映画「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」

2011-12-16 | Diary
 スペイン・カタルーニャ地方の入江にぽっつりと瀟洒な建物が建っている。レストラン「エル・ブリ」は、半年しか営業しない。シートは45席しかない。それなのに、年間200万件の予約が殺到する。料理界の革命児といわれるフェラン・アドリアは、世界の料理人に影響を与えるオーナーシェフである。このエル・ブリが2011年7月30日をもって閉店した。その最後の半年をドキュメンタリーとして記録した映画である。ドイツ生まれのゲレオン・ヴェツェル監督は、ただ淡々と彼らの創作の過程を撮っている。余計な演出は一切ない。それは、エル・ブリで生まれる革新的な料理の皿のようだ。  

 この「エル・ブリ」からは世界的なシェフたちを多く輩出し、料理界を変えようとしている震源地でもある。働く従業員は60人から70人。客の数より多い。メニューはすべてコース料理。品数は35品から45品になる。それを3時間で出すのに、1分たりと無駄があってはならない。ここで働いた経験のある日本人シェフは、まるでF1のピットにいるような達成感だったという。すべては完璧でなければならない。  

 営業のない半年間は新メニューの開発のため、バルセロナにうつる。主任シェフたちに仕事は任せる。しかしフェランの舌を満足させるのは至難の業だ。メニューは同じものは2度と出さない。「革新的な料理は、味だけではない。創造性、そして驚きだ」というフェランは、液体窒素など化学実験のようなものを取り入れると思えば、日本のユズを世界に広めた張本人でもある。抹茶・醤油なども映画には出てくる。日本料理にはひじょうに感動したという。印象派の画家が日本の浮世絵に大きな影響を受けたように…  

 閉店後もフェランは料理研究財団を設立し、さらに革新的な食文化を模索し続ける。  

 ホームページでは予告編も見れます。記事を読んでから見に行った方がいいかも…  
 都内の劇場は、銀座シネスイッチ。銀座4丁目交差点、和光の裏です。ワインがあたる抽選もあり。
 ※http://www.elbulli-movie.jp/

ガイア メッセンジャー プロジェクト ローンチ&牡蠣チャリティイベント

2011-12-15 | Diary
 ガイヤをWikipediaで調べると次のように書いてあります。
:ガイア(古希: Γαῖα, Gaîa, Gæa, Gaea, Gaia)は、ギリシア神話に登場する地母神としての女神である。『神統記』によれば、カオスやタルタロス、エロースと同じく世界の始まりの時から存在した原初神。また、カオスの娘とする説もある。

 なるほど、ガイヤ(地球)はカオスの娘かもしれないと思います。戦争、植物・生命の危機、飢餓、貧困…だからこそ、生物多様性の中で、多様性と思える別の視点からみたもうひとつの意識が必要です。その意識が、同じ方向に向かっているばらばらのカオスを、少しだけ同じ方向につなげて行けたら…それがガイヤメッセンジャープロジェクト。NPO法人で素晴らしい活動をされている方々が多くいます。その特性を活かすにはむしろ同じような活動をされている団体との違いを見つけることかもしれません。
企業でCSR/CSV活動で今後が見えない…その場合ももっと具体的に活動するNPO法人と繋がることで、さらにち密な作業ができるかもしれません。

 今日のローンチ(開始)イベントは、フランス大使館などの後援もあり、国際的なイベントになりました。ガイヤメッセンジャーのもっとも中心的なメンバーであるガイヤくん。ガイヤくんは球体のプロジェクターです。今日もイベント会場では、地球の美しい自然を映し出してくれていましたが、今後は世界各国の人々のコミュニケーションの場になります。

 まず最初のプロジェクトは、震災で大被害にあった三陸の養殖ガキの支援です。フランスはカキの本場ですが、全滅の危機にあったときに、タネガキを提供したのが日本・三陸のカキでした。それ以来フランスと三陸はカキで深いつながりがあります。日本オイスター協会とカキガール、そして実際の三陸のカキ養殖業者の方も参加して、プレゼンテーションあり、クイズあり、支援のためのオークションありと、盛りだくさんのイベントメニューでした。

 私もこのプロジェクトに参加し、美しい球体の映像に合わせて演奏をしました。フランスにちなんでラ・メール(海)、マイケル・ジャクソンのEarth Song、そしてクリスマスにちなんでメル・トーメのクリスマス・ソング。音楽だけではなく、今後もこの企画に関わっていけたらと思います。

 ※http://plancast.com/p/8b1r/gaia-messenger-project-launch-event

チェロの巨匠パウ・カザルスを偲んで

2011-12-15 | Diary
スペイン国営の文化センター「セルバンテス文化センター東京」で行われたイベントに行ってきました。今年はチェロ奏者パブロ・カザルス来日50周年。これを記念して開催されました。

 日本大学教授でスペイン史と文化を研究する細田晴子先生をナビゲーターに、まずは演奏が始まります。岸美奈子さんのピアノソロで、アルベニス/タンゴ。タンゴといってもここではフラメンコを意味します。続いて、カザルスの演奏でもっとも有名なカタルーニャ民謡「鳥の歌」。94歳の時、国連本部に招かれこの曲を弾いた折に、故郷カタロニアの鳥は「ピース、ピース」と鳴くんですと云ったそうです。演奏は明治大学国際学部国際関係史の淳教授である半澤朝彦氏。幼少の頃、カザルスの愛弟子にチェロを習ったことがあるという人です。演奏後、半澤先生のカザルスについてのお話があり、その後、慶応大学教授でスペイン史、特にカタロニアについての研究者である八嶋由香利先生による世紀転換期とカタルーニャ。同じくスペインバスク地方に生まれた作曲家サラサーテの「序奏とタランテラ」。細田先生によるカザルスと国際情勢のお話の後、メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第一番二短調」これはカザルスがもっともすばらしい楽曲としたナンバーです。

 コンサート後は、ビル内にあるスペイン・レストランで美味しいパエリアとジャガイモとタラのホワイトソース煮に舌鼓。ここでは毎週日曜日、フラメンコライブもあるそうです。

 このセルバンテス文化センターの名誉会長は、スペイン国王フアン・カルロス一世です。世界各国にあり、スペイン語教育、文化活動、テレビ・ラジオなどによるメディア放送などの活動を行っています。足しげく通いたい場所です。

 ※セルバンテス文化センター東京 http://www.tokio.cervantes.es/jp/default.shtm