今日も地球を歩いてます

前と後ろにバックパック担いでました。そんな頃も今は昔。今は日本で定住!専業主婦!笑

ナゴルノカラバフという「自称」の国へ

2012年12月01日 | コーカサス以東イラン編12年11~12月

アルメニアのエレバンYerevanの次は
イラン

でもその前に
「ナゴルノカラバフNagorno Karabakh」
という国に行くことに

だって
エレバンからイラン方向へと同じ方向、
少し東へ遠回りすればいいだけだし

正直、
エレバンに来てから知った存在の国

「国」と呼んでいいのか
「(自称)」の国

どうやら
ソ連崩壊後に
アゼルバイジャンとアルメニア間で
政治的な問題(民族独立運動)が起こった結果、
「ナゴルノ・カラバフ(自称)」になったらしい


行くにはビザが必要
アルメニアのビザでは無理

ビザも
カラバフに入国後、
首都のステパナケルトStepanakertの役所に行けば
あっさり取れるらしいけど
(「入国後でもOK」っていうビザもすごい 軽いなぁ)

ただし
ワタシが行くのは土日
ビザ代3000ドラムは銀行振込みらしいし
そもそも週末に役所が開いてるかもわからんし
「月曜日まで待って」
って言われても
そんなに何泊もする予定はないし
出国のときにやんやなっても嫌やし


エレバン市内のカラバフ大使館(?)へ

共和国広場から
96番、改め62番のマルシュートカで
(最近番号改正になったらしい
 窓ガラスには両方の番号が書いてあった)

市内の中心の北のNairi Zarian通り
運転手に「カラバフ」って言ってたら
「ここだ」と正面で降ろしてくれた
                                       
12時ごろに着いて
入り口入ってすぐのところにいた、
ガードマンみたいなおっちゃんの案内で
申請書を記入

エレバン市内とカラバフ内での
滞在先を記入する欄があるので
適当に調べてたホテル名を書く

カラバフ内での訪問可能地は
ビザと同時にもらえる滞在許可証に書かれてる地名に限定されるんだけども
それはこの申請用紙に自分で訪問予定地を書くと
ほぼそのまま許可が下りる
(ただし
 アゼルバイジャン国境付近とかは
 軍事的な理由で許可が下りないらしい)

ワタシの記入が終わったくらいを見計らって
奥の部屋へと通される

ビザ担当官のおばちゃんとの
簡単な会話(英語)

職業聞かれたり
特にどうってことない質問
その後
申請料の3000ドラムを手渡し
「じゃあ今日の3時から4時の間に受け取りに来てね」

あれ
まだランチブレイクの2時まで時間があるんだから
ちょっとなんとかしてよー
申請者、ワタシしかいないん
(マルシュが100ドラムという安い料金であっても)

なんとか早まらないかと
ワンプッシュしてみるも
だめだった

人によっては
数十分待ちで受け取れたらしいけど

帰るときは
62番の市内へのマルシュはこの前を通らないので
少し市内方向へ戻って
ガソリンスタンド奥から始まる道とのY字路のところで
坂道を降りてくる62番マルシュを拾いましょう


ビザはカラバフ入国予定日から始まってた
2週間
滞在予定期間は4日とかにしてみたけども

手書きのビザやん
これだったらものの5分で書けそうなものなのにな-

出発当日
朝8時から10時までの間にあるというバスを捕まえるために
キリキアバスターミナルへ

バスターミナルは市内の西の方
鉄道駅からだと68番バス
街の中心からだと劇場横を通るMashtots通りからも
マルシュが出てる

朝7時に出発したら
真っ暗だった
ここの冬は
朝がめっちゃ遅いのね
(8時くらいにやっと明るくなる)

7時半にバスターミナルについて
バスターミナルの正面左に停まってた、
ステパナケルト行きのミニバンに乗り込む

この車体がミニバン(マルシュと同じ)か大型バスかは
1日ごとで違うらしい
                          
ただし
ミニバンの方が
うねうね山道を早く走れるので
1時間くらい早めの午後2時到着予定だって

発車の30分早めに行ったのに
もうすでに結構席が埋まってた
一番後ろの、進行方向右手の窓側にする


8時すぎに出発

チケットはなく、出発直前に現金で支払う
5000ドラム

30分ほどしてふと窓の外を見ると
アララト山(大も小も)がきれいに見える
(右側の席でよかった)
                             

このとき
突然助手席のすぐ後ろから
白煙
                                 
どうやら故障らしい

そして
そのすぐ後ろの助手席に座ってた男性が
足を負傷(軽いやけど)

こわー
あの席には今後絶対に乗らないでおこう

誓った瞬間

緊急修理休憩をして
また走り始める

心なしか
さっきまでびゅんびゅん飛ばしてたのに
やや安全運転気味

窓側って景色が見えるからいいんだけど
朝はまだ寒い
外の畑に霜が下りてるしね

もっと厚着しとくんだった

足を寒そうにしてると
すぐ隣の軍人さんが
軍服のコートを足にかけてくれる
(というか、一緒に自分もかけたので「シェア」
 恋人かい!笑)
                        
この軍人さん
外国人に興味津々で
Valkのあたりで10時半ごろの30分休憩のときに
「コーヒー飲むぞ」

さらに隣の兄ちゃんとともに誘ってくれた


ロールケバブのShawerma(だっけ?)まで
ごちそうしてくれる
一緒に頼んだ2本の水のうち
余った1本を持たせてくれたり
(お会計は若い方の兄ちゃんが払ってたけど)

この軍人さん・アルメンの話では
Valkのすぐ直後にあった無機質なデザインの門が
カラバフの門らしい

カラバフの入国チェックのポイントは
さらに先、
                  

Gorisの町への分かれ道のところで
再度整備休憩をしてから
(ガソリンスタンドのところ トイレ50ドラムもあり)
もうちょい行ったところ
                           
ここらへんから
道はうねうねしてくる
(気分悪そうにしてる人も
 ってかおばちゃん吐いてた)
 
                大量キャベツ!   

チェックポイントで
外国人のワタシは降りて
パスポートを見せる
すでにビザも滞在許可証ももらってたので
それも見せる
                

午後3時すぎ
やっとカラバフのステパナケルト到着

さて                
宿はどこにしよう

客引きが多いらしい
それを頼りに、
日本人に人気のエルミラの家の
ちゃんとした場所の確認すらしてこなかったけど

あ、早速客引きのおっちゃん
「うちは3000ドラムだ!
 そこまで無料で送ってやるよ」

もし部屋を見てお断りでもタク代はいらないよね、と
確認してからついてってみることに
なぜか
アルメンも一緒に来てくれる
なぜか
友達だというおっちゃん・グリックも助手席に

                
                                     右がアショート
Sasuntsi David通り
(バスターミナルのある通りより
 シューシやエレバン方向に
 2本くらい平行して離れてるところ
 歩いたら15分くらい)

ここにあるこれ
            
  
           
                 道を渡った正面にはこの建物です

民泊?
看板もないし
目印はOpelの看板(縦書き)
これの向かって右隣

とりあえず
道の説明が難しいので
バスターミナルでタクシー運転手のアショートAshotを探してください
このおっちゃんが客引き兼オーナーだそうです

夜は寒そうなんで
そこに置いてあったヒーターも頼むと
「これは1000ドラム 電気代がかかるから」
と言われるも
粘って
ヒーターを含めて3000ドラムで交渉成立

部屋もちゃんとしてるし
一応この設備はあるし
(シャワーは
 地上階のシャワーより地下の方が
 断然熱いお湯が出る)
ま、いっか


とりあえず今日はこれから
シューシShusiの町へ行くことに

アショートの車でそのまま
アルメンの家へまず寄って
(ちゃっかりタダで送り届けてもらってるアルメン)
バスターミナルへ
(アショート、更なる客引きのために)

ここでグリック
「俺も一緒にシューシへ行ってもいい?」

まぁこの人に下心はなさそうなんで
OKする
英語は片言だったけど
なんともジェントルなおじちゃん

最近エレバンからここの発電所に仕事で来たらしい
娘2人いるけど
一人はボストン、一人はロシアに留学中とのこと

シューシへは
ステパナケルトのバスターミナルから
301との表示のあるこのバスで
                     
10キロの距離だけど
山道の上り坂なので
マルシュで30分ほど

エレバンからの道を10キロさかのぼって 
さらに1キロ進んだところにシューシの町がある

グリックと
町の広場(結構人が降りてったところ)を
右手にすぎて                    
さらに                        

オレンジと白のAvan Shisi Plaza Hotelも
右手にすぎてから
この教会のところで降りる

  

最近できたような
なんとも新しい教会
(なので、そんなに見てもおもしろくない)

で、
シューシの廃墟のモスク跡とかはどこ?

今回がシューシ初訪問のグリック
「わかんない」

でも地元の人に聞いてくれて
ここからバスで来た道を戻る(=坂を下る)

あ、さっきのPlazaホテルあたりに
いろいろと廃墟跡
              

ホテルのすぐ隣には
このカーペットのお店
               

  

中を覗いて
店員の女の子とちょろっと会話してのんびりしたり

このカーペット屋の裏手を進むと
完全廃墟のモスク
                         
  
           

大半がイスラム教徒であるアゼリーの人たちを
独立運動の時に追い出したので
町のモスクは廃墟のままらしい

          

    

マンションも

全部が廃墟のままだったり
全体のうちの一部だけが廃墟だったり
(でも上下左右の隣には人が住んでたりする)

これは何の建物だったんだろう

Upperモスクから坂道を下って左への路地を進むと
Lowerモスク
ここも打ち捨てられたまま

 

時刻は5時ごろ
アルメンと6時半に会う約束だった
「うちに来てごはん食べてけ ウォッカも飲むか?」
って笑

その約束の時間を知ってるグリックが
「そろそろ帰らないとね」
と言ってくれる
面倒見のいいおじちゃんだなぁ

          

広場のところでちょうど来たバスを捕まえて
ステパナケルトまで戻る


6時半

アルメンとその息子のアレム(9歳)と合流して
タクシーで自宅へ

          
          アレムの英才教育パズル 反対語の単語を覚えましょう

奥さんのリダの手料理を
おいしくいただく

アルメンとお酒もいただく
ワタシとリダはブランデー
アルメンはウォッカ

乾杯のごとにグラスを一気に空けるアルメン
めっちゃ酒に強いのね
気づけばウォッカの大瓶を一人で空けてるやん

でも
なんでエレバンに行ってたかというと
「病院へ行ってたから 内臓がちょっとね」
って

そもそも
「いい病院のために首都に行く」
のはわかるけど
「いい病院のために首都までバスで7時間かけて行く」
っていうのがフツーのこの土地がすごい

しかも
道はほとんど山ばかりだったし
アルメニアって本当にこの景色のイメージだ

夫の体を心配するリダ
「でもやめないのよねー」

なんだかこのカップル、
グルジアのクタイシのスリコとメディコみたいだ

アルメンに「飲め飲め」と進められるワタシに
「ゆっくりでいいのよ」

気遣ってくれるリダ

さすがに
この最強軍人のアルメンと同じペースで飲むのは
ワタシには不可能だわ


途中から
同じマンションのご近所さんの夫婦が次々に合流
さらに乾杯

最後に来たこの人なんて
ウィスキーボトル、持参だったし

  

こりゃ、

はじめからいたメンバーが
めっちゃ飲むことになるパターンだ

英語がぺらぺらな人はいなかったけど
みんな異邦人のワタシにウェルカムモードで
なんとか片言でも英語で話してくれたし
(お酒も入ったし)
なんとも楽しい雰囲気
                   

カラバフにまでわざわざ何しに来たかったって
なんかこの飲み会のため、になりそうだなぁ
(いや、ちゃんとシューシも見学したけど)

11時ごろ
リダがタクを呼んでくれて
アルメンが送ってくれる

「コーヒー飲むか?」

売店に寄る
             
どうやら
コーヒー(しかも既製品のん)を置いてる店を
探してる様子
4軒目でやっと発見
(最後にはタクシーの運転手をパシらせて
 店員に聞きに行かせてたし笑)


酔い覚ましなのか
コーヒーを飲んで悠々と帰ってったアルメン

ここまでのタクシーは帰らせてたので
ちょうどいたアショートの本業、
彼のタクシーで

「あんたはお客さんなんだ
 俺らはもてなしたくて今日招いたんだ
 何も気にしなくてもいいからな」

最後に言ってた

どうもありがとう
ワタシも地元の人と(濃く)触れ合えて
楽しかったよ

ステパナケルト自体は全然見てないけど
明日の朝にはもう移動しよう

次はイランだ



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