北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

「山国小学校」の校歌-読み

2007-01-16 22:36:22 | 歴史・社寺・史跡など
2006/02/11に「山国小学校の校歌です」と題した記事を書き、最後に
>一度この歌詞を正確に読んでみてください(^_-)
と書きました.

この記事に道草さんからコメントをいただき、宇津小学校の校歌を紹介して貰えた機会に、先に書いた校歌の読みの正解を発表します(^.^)

1.遠き御代より つぎつぎて
  雲井の御所に 縁に深く
  御杣の民や 主基の御田
  又はかしこき 御戦の
  御さきとなりて つかえつる
  歴史榮ある 我が里よ

とおき みよより つぎつぎて
くもいのごしょに えにふかく
みそまのたみや すきのみた
または かしこき みいくさの
みさきとなりて つかえつる
れきしはえある わがさとよ

2.内に輝く 智と情
  外にたわまぬ 強き意志
  磨き鍛へて 諸共に
  心を一に 協せつつ
  御租のいさは 身にしめて
  里の譽れを いざあげむ

うちにかがやく ちとなさけ
そとにたわまぬ つよきいし
みがききたえて もろともに
こころをいつに あわせつつ
みそまのいさは みにしめて
さとのほまれを いざあげむ


如何ですか~?ちゃんと読めましたか?私は小学校1年生の時ちゃんと読んでました( ^_')b

この校歌につい「北桑田近代教育誌」に、;
>戦後検討したが校歌としての価値の高さと重みを尊重して
>歌詞はそのままにし、村を里と改める. (p140)
という記述を発見しました.戦後あちこちの校歌がつくり変えられて噛み応えのないものになっていったなか、こうして第二小学校になるまでこの旧き日本語そのままを温存されたことに拍手と感謝の気持ちでいっぱいの心境です.英断というべきでしょう\(^o^)/

一見子供に優しいというか易しい教育をという迎合的な考えでなく、子供の無限の能力と可能性を信じて投げかけてくれた詞であると思い、これこそ優しさであるのではないかと考えるからです.

この校歌は山国小学校の前進たる、協一尋常高等小学校時代、昭和7年;
作歌 東京高等師範学校教授 能勢朝次氏
作曲 京都市音楽指導委員   近藤義次氏
によるものの様です.

聞くところに拠ると作詞者は我が小学校時代ドッジボールをしていてガラスを割ったとき、ガラスを割ったことでなく、直ぐに報告をしなかったことを叱られたあの懐かしき岩本先生の叔父さんであるそうな.

いろいろな想い出多き校歌でありその小学校時代ですが、長くなりますのでこのへんで.


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6 コメント

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遥かなる校歌。 (道草)
2007-01-18 11:20:26
小学校1年生にして、この難解な語句を正確に記憶されているとは驚異的ですネ。私は西陣の聚楽国民学校へ入学(2年生の6月に転校)したのですが、校歌は殆ど覚えていません。それより、毎朝の朝礼で歌わされた「見よ東海の空あけて/旭日高く輝けば/天地の正気溌剌と/希望は躍る大八州~」(愛国行進曲)の方を覚えている始末です。但し、当時は意味などよく分からず「ミヨトーカイ」という所へ行ってみたい、などと思っていました。mfujinoさんには是非、北桑の小学校の校歌と各町村青年団の応援歌を調べて戴きたいものです。期待しています。
私の小中学校の頃は、残念ながら日記をつけるなどの習慣(教育指導も)はありませんでした。小学校の夏休みと冬休みに絵日記の宿題が出たことはありますが、それも今は残っていません。もしあの頃に日記をつけていたら、と悔やまれてなりません。
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門前の小僧さんと同じく (mfujino)
2007-01-18 16:54:46
意味も分からず歌っていました(^.^)この歳になってう~んと唸って読み直しております.

校歌や応援歌、それに昔の地名、特に小字、などあちこちの古老に聞いて廻ろうかな、なんて考えていますが、果たして実現できますやら、、

京北の環境には満足しているのですが、ブロードバンド環境にない事と図書館が充実していないことが大いに不満です.下中にあった図書館が区役所の京北分室へ引っ越しするそうですがその中身も少しは充実するのでしょうか?まあ期待はしていませんが、、.

ここ京北には守るべき文化遺産がいっぱいですがみんな眠っていると感じています.いざ調べたいときに閲覧できるようデジタル化する、そのきっかけでも作れたら少しは郷里に貢献できるのではと考えています.

しかし道草さんの記憶力には驚嘆という言葉しか返せません.我が周囲の人達からも同じ言葉が帰ってきます.道草さん最近クシャミが増えてませんか( ^_')
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なつかしい (kou)
2008-03-06 20:38:35
母校の校歌をネット上で発見するなんて思いもしませんでした。おもわず口ずさんでしまった。
なつかしい気持ちをありがとう
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懐かしき師匠の名が (硯水亭 Ⅱ)
2008-03-06 21:44:07
    Mfujinoさま

 懐かしい先生の名前が、ここにもあったなんて驚きです。能勢朝次先生は私が能楽を習って間もない若い頃に難渋に難渋を重ねて読ませて戴いた本の著者で、いつしか私が抱える一つのテーマにもなってしまった端緒になった本=『能楽源流考』を書かれた先生でした。理路整然としていて、実に実証主義的な文章は大好きでした。現在では先生の時代より幾分研究は進んでおりますが、能楽研究の分野では未だにバイブル的存在になっているものです。私は源流考以降、すっかり山伏神楽にのめりこんでしまいましたが、柳田國男先生と同じぐらいに恩義を感じている先生なのです。もう一人『花祭』の早川孝太郎先生に対しても恩義を感じています。何分にも出身が建築学部でしたから、そんなに多くの文科系の先生がいるはずもなく、殆ど独学に近いのですが、でも本人とも何度か旅行もした民俗芸能の故本田安次教授が一番勉強させて戴いている先生でしょうか。素晴らしい先生がたくさんいらっしゃいますね。この校歌はどこか能楽調であるような気がしないでもありません。有難う御座いました!
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同窓の方へ (mfujino)
2008-03-07 19:56:21
kouさま、コメントをありがとうございます。何というキーワードで検索されたのでしょうかしら。このブログで山小の同窓生からコメントをいただくのは初めてです。地元にお住まいでしょうか、それとも、、。
私は田舎を出て田舎に帰ってきました。ターン、故郷、等をキーワードにした働きもしてみたいと思っています。
山国のことで間違った事等を書いていたらご指摘下さい。
ご訪問深謝。
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能勢朝次先生 (mfujino)
2008-03-07 19:57:54
硯水亭さま、そうなのですか。能勢朝次先生に関していろいろお教えいただきありがとうございます。岩本先生のご親戚で東京高等師範学校の先生であるという以外何も知りませんでした。この校歌は能楽調の匂いがするのでしょうか。私にはわかりません。一度硯水亭さまの前で歌って聞いて貰いたい気がしてきました。
私はフランス語をかじりましたが、今は亡き恩師松井先生から、もっと日本語を読まなくては、と指摘された事を思い出します。この校歌を思い出して日本語の素晴らしさを考えています。今後ともいろいろお教え下さい。ありがとうございました。
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