北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

丹波の赤海のことは亀岡の「桑田神社」「請田神社」「鍬山神社」に

2006-11-23 17:21:38 | 歴史・社寺・史跡など
八津良神社の由来に関して「丹波の赤海」のことを書きました.ここに書かれている、

>保津峡を切り開き、亀山・園部の平野をお造りになりました

という伝説に関しては、亀岡平野の南端、保津峡に入るところにある桑田・請田・鍬山という三つの神社の由緒沿革を見てみるとにその事がはっきり出ていますね.

赤海(丹の海)だった今の亀岡盆地の水を保津峡を切り開いて流し干拓して桑田に変えた大山咋命(おおやまくいのみこと)や市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)などを祀ったのが桑田神社、その行事を請け負った神を祀ったのが請田神社、その時使った鍬が山のようになったとわれるのが鍬山神社ということです.

京北の昔がたりに書かれているのはこのことなのでしょう.

ここ京北でも弓削盆地を流れる弓削川と山国盆地を流れる大堰川(桂川)が周山で合流し、栗尾峠の下で渓谷をなしていますので、ここの流れをよくして弓削や山国の盆地が干拓されたということでしょう.

蹴裂の伝説と題したページにはきれいな地図もあり参考になります.
また、「桑田神社」や、「鍬山神社」、、 「消えた湖の伝説その2」、といったページにもその事が書かれています.興味のある人は参考にしてみられたら如何でしょう.

余談ですが、この鍬山神社は上矢田という地区にあるそうですが、この「矢田」という地名は7月15日と20日に「あやめ小塚」の伝説について書き、「矢代」という地名にふれましたが、この「矢田」も同じ言い伝えに依るようです.他にも、7月2日に書きました阿倍貞任に関する伝説なども同じような伝説がこの亀岡盆地の神社にもあることにも興味をひかれます.(亀岡だけでなく全国各地にもありますが、、、)


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