<超心理学と懐疑論者たち(18-1)>
第18章:結論―超心理学の革命
クーンによると、「通常科学」の変則的データ(アノマリ)が蓄積して、
理論の改訂ではもたなくなくなった段階で、新理論へと革命的に
置き換わる。超心理学が提供しているアノマリに対し、通常科学は
脅威を感じており、それを懐疑論者が表明しているのだ。
現在の意識の科学が、唯物的・機械的観点で意識を捉えるのに
対して、超心理学は、「因果的効力をもつ意識」についての科学に
向けたデータを提供している。そうした革命への呼び水となるの
かもしれない。
第18章:結論―超心理学の革命
クーンによると、「通常科学」の変則的データ(アノマリ)が蓄積して、
理論の改訂ではもたなくなくなった段階で、新理論へと革命的に
置き換わる。超心理学が提供しているアノマリに対し、通常科学は
脅威を感じており、それを懐疑論者が表明しているのだ。
現在の意識の科学が、唯物的・機械的観点で意識を捉えるのに
対して、超心理学は、「因果的効力をもつ意識」についての科学に
向けたデータを提供している。そうした革命への呼び水となるの
かもしれない。
上記で石川先生のインタビューを読みました。やはり、再現性だけでは語れない部分も多いというわけですね。特に心を中心とした部分においては。
どんな思考においても究極的に還元していけば、何かを根拠もなしに真実である考えなくてはいけなくなる。このときに最も無理がなく、効率的で経済的な選択を重視するというオッカムの剃刀の例もありますが、再現性やオッカムの剃刀以外でも科学的価値を見いだせるものがあるのが最も望ましいのですが…。
オッカムの剃刀でいえば、この方法を取る限りでは、超心理学も「説明するのに従来の説よりは効率の悪いもの」になる可能性が高いわけですから。効率が良いほうだけが、真実とは限らないわけですしね。
記述だと感じますが、「<単純な>再現性だけ
では語れない」という趣旨でしょう。超心理学で
は、<21世紀の超心理学(2-8)>で語られて
いるように、複雑・開放系としてとらえようと
しています。つまり、超心理現象の追究に多数の
心理変数の影響を含めて考えるという方向性が
あります。
そもそも再現性がなければ、科学方法論にのらず
実用性もないので、研究の社会的意義もほとんど
ないと私は思います。
しかし、正当科学に、「ただ単純な再現性でいいのか見直そう」と提言しても、まだ相手をしてもらえるレベルにはないのではないか、そんな気がします。
トーマス・クーンのパラダイム説が正しければ、少なくとも現時点においては(将来はどうなるかわかりませんが)「絶望的」といわざるを得ないのではないでしょうか?
虫の知らせのような偶発的体験は、一個人においては、ほとんど再現性がありません。しかし、人間の集団で考えると、いつの時代でも、どの文化圏でも、同じような体験例が多数見つかります。この意味では再現性があります。
再現性の定義を議論するより、ある現象のどの側面で再現性を問題にするかを論じる方が現実的と思います。
なんとなく、これも「部分から全体へ」の要素還元主義というより、「全体(あるいはある一定の集団)から部分へ」という流れにつながるものがありますね。「個人」を「部分」、「とある文化圏」を「全体」ととらえますと、個人(部分)においてはほとんど再現性が認められなくても、文化圏(全体)としてみれば、再現性を認めてもいいんじゃないか、そういう話になりますからね。部分からだけでは説明しきれず、全体的に見て、初めて見えてくるものもあるということになりますから。
この流れを作るきっかけとなりそうなのは、「環境問題」かな。環境は複雑系だし、普通の閉鎖系だけではとらえきれない性質もあるだろうし。環境問題の「部分」にばかり原因を求めても、決して解決しそうにないですからね。