超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

結論―超心理学の革命

2008-05-13 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(18-1)>
第18章:結論―超心理学の革命

クーンによると、「通常科学」の変則的データ(アノマリ)が蓄積して、
理論の改訂ではもたなくなくなった段階で、新理論へと革命的に
置き換わる。超心理学が提供しているアノマリに対し、通常科学は
脅威を感じており、それを懐疑論者が表明しているのだ。

現在の意識の科学が、唯物的・機械的観点で意識を捉えるのに
対して、超心理学は、「因果的効力をもつ意識」についての科学に
向けたデータを提供している。そうした革命への呼び水となるの
かもしれない。



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6 コメント

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石川先生のインタビューを読みました。 (777)
2008-05-16 15:32:44
http://dricomeye.net/02_kenkyu/kenkyu080407.html

 上記で石川先生のインタビューを読みました。やはり、再現性だけでは語れない部分も多いというわけですね。特に心を中心とした部分においては。
 どんな思考においても究極的に還元していけば、何かを根拠もなしに真実である考えなくてはいけなくなる。このときに最も無理がなく、効率的で経済的な選択を重視するというオッカムの剃刀の例もありますが、再現性やオッカムの剃刀以外でも科学的価値を見いだせるものがあるのが最も望ましいのですが…。
 オッカムの剃刀でいえば、この方法を取る限りでは、超心理学も「説明するのに従来の説よりは効率の悪いもの」になる可能性が高いわけですから。効率が良いほうだけが、真実とは限らないわけですしね。
再現性について質問です。 (777)
2008-05-31 22:25:30
 「モノ」の科学に関しては、再現性は重要ですが、しかし、これから再現性以外の科学のルールを提唱するとなると、一体どのようなものを超心理学者の方々は考えておられるのでしょうか?
Unknown (Matt Ishikawa)
2008-06-01 00:15:41
簡単にまとめられているので、誤解を招きやすい
記述だと感じますが、「<単純な>再現性だけ
では語れない」という趣旨でしょう。超心理学で
は、<21世紀の超心理学(2-8)>で語られて
いるように、複雑・開放系としてとらえようと
しています。つまり、超心理現象の追究に多数の
心理変数の影響を含めて考えるという方向性が
あります。

そもそも再現性がなければ、科学方法論にのらず
実用性もないので、研究の社会的意義もほとんど
ないと私は思います。

なるほど (777)
2008-06-09 21:01:31
 なるほど、私の読み違いだったようでした。要するに、再現性の中身の問題ということですね。今までは「単純な」再現性でも、物質世界においてはほぼ正確に記述することができた。まあ、とはいえ、所詮は近似値にすぎないのでしょうが。しかし、人間の精神活動においては、ただ単純にそれを当てはめてもそれだけでは不十分、そういうことですね。
 しかし、正当科学に、「ただ単純な再現性でいいのか見直そう」と提言しても、まだ相手をしてもらえるレベルにはないのではないか、そんな気がします。
 トーマス・クーンのパラダイム説が正しければ、少なくとも現時点においては(将来はどうなるかわかりませんが)「絶望的」といわざるを得ないのではないでしょうか?
再現性 (kokubo)
2008-06-10 02:49:54
再現性の見直しですが、再現性の定義を変えて「ある現象に再現性がある」と言ったとしても、その現象の起こり方が変わるわけではありません。定義の変更は、「この現象の再現性は低いなぁ」という実感を解決するのには、あまり役立たないと思います。

虫の知らせのような偶発的体験は、一個人においては、ほとんど再現性がありません。しかし、人間の集団で考えると、いつの時代でも、どの文化圏でも、同じような体験例が多数見つかります。この意味では再現性があります。

再現性の定義を議論するより、ある現象のどの側面で再現性を問題にするかを論じる方が現実的と思います。
と、なると。 (777)
2008-06-10 20:40:23
> 虫の知らせのような偶発的体験は、一個人においては、ほとんど再現性がありません。しかし、人間の集団で考えると、いつの時代でも、どの文化圏でも、同じような体験例が多数見つかります。この意味では再現性があります。

 なんとなく、これも「部分から全体へ」の要素還元主義というより、「全体(あるいはある一定の集団)から部分へ」という流れにつながるものがありますね。「個人」を「部分」、「とある文化圏」を「全体」ととらえますと、個人(部分)においてはほとんど再現性が認められなくても、文化圏(全体)としてみれば、再現性を認めてもいいんじゃないか、そういう話になりますからね。部分からだけでは説明しきれず、全体的に見て、初めて見えてくるものもあるということになりますから。
 この流れを作るきっかけとなりそうなのは、「環境問題」かな。環境は複雑系だし、普通の閉鎖系だけではとらえきれない性質もあるだろうし。環境問題の「部分」にばかり原因を求めても、決して解決しそうにないですからね。

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