見てきました
出光美術館
会期は2013年11月12日から2013年12月15日。
今回は狩野派。
狩野派は始祖の正信(1434-1530)が室町幕府の御用絵師になったことに端を発し、以後も血縁を基本として、その地位と画法を継承。
約400年にわたって画壇の中心的存在であり続けた日本絵画史上の最大画派。
その狩野派の中でも"江戸狩野派"が今回の展示です。
狩野派の本拠地は江戸時代に徳川幕府の御用絵師となったことで、江戸に移ります。
そのとき、京に残ったのが"京狩野"
それに対して"江戸狩野"と呼ばれる絵師に焦点をあてた展示です。
"江戸狩野"の祖となったのは、狩野探幽(1602-1674)
狩野派400年の歴史の中でも類稀な才能を有した同派随一の絵師であり、江戸狩野派を代表する絵師でもあります。
余白を生かした優美・瀟洒な絵画様式で、限られたモチーフで豊かな空間をつくることに特徴のある探幽。
祖父の永徳(1543-1590)同様に時代にあう新様式を作り出しました。
その探幽の画風は、尚信(1607-1650、安信(1613-1685)、益信(1625-1625)、常信(1636-1713)と江戸狩野の絵師たちに継承されていきます。
今回は探幽の写生画や模写などのほか、江戸狩野の草創期に活躍した他の絵師たちの作品など約34点の展示です。
《Ⅰ章 探幽の革新 -優美・瀟洛なる絵画》
まずは探幽から。
探幽は1617年、16歳のときに京より江戸へ召され幕府の御用絵師になりました。
1621年、江戸城の外敦門である鍛冶橋に屋敷を与えられます。
ここは後に、江戸狩野の中でも鍛冶橋家として繁栄していきます。
徳川新政権のもと新しい時代が動き出しましたが、探幽はこの転換期を乗り越え、御用絵師となり狩野派の流派様式に改新をもたらします。
掛け軸などは中国画の模倣から離れ、優美さと軽やかさを。
屏風などでは大胆に余白を取り入れていきます。
狩野探幽「波濤群燕図」
20数羽のつばめが群れ飛んでいる様子が描かれています。
上から下へコマ撮りのように描かれ、軽やか。
狩野常信「梅に尾長鳥・柳に黄鳥図」
二幅の掛軸。
右は梅の木に白の眩しい尾長鳥。
下にはたおやかに水が流れています。
左は柳に黄鳥(高麗鴬)。
その下には薄いピンクの花が咲いています。
どちらも優美で柔らかな印象。
狩野探幽「若衆観梅図」
これは珍しいやまと絵風の風俗人物画。
人物画は今回これしかなかったと思います。
うん、、思います。。(自信なし……)
黒い羽織の男性に、飛び交う鳥。
探幽人物画における新生面とのこと。
伝 狩野元信「花鳥図屏風」
六曲一双の屏風。
墨で描かれた雄大なる景色です。
遠くにはぼやけた山々が連なり、近くには滝、そして流れる水。
そこで遊ぶ鳥たち。
鳥も鷺や雉、竹林を飛ぶ雀など様々。
ぼかしが独特の空気を作り上げています。
近景と遠景をモチーフを重ねて奥行きが表現され、また余白が遠くまで続いていることを想像させます。
狩野探幽「叭叭鳥・小禽図屏風」
六曲一双の屏風。
右隻には竹林の中の枯れ木に止まる叭叭鳥。
下には水が流れ、その上で遊ぶ鳥も。
左隻には激しく流れる渓流沿いの景色。
水をかぶり艶やかに濡れた岩には山鳩がとまっています。
満月を背景に飛ぶ尾長の小禽も。
こちらはかなり大胆に余白がとられ、湿潤な空気が漂います。
狩野探幽「竹林七賢・香山九老図屏風」
右隻に描かれている竹林七賢とは中国の魏晋時代、動乱を避け竹林に集まったとされる賢人。
手前は濃く、奥はぼかして描かれ月がぼんやりと空にあります。
左隻は白居易が老友8人と文雅の集いを行ったという故事に基づいたもの。
こちらは大きな木々の中、家や人々が見えます。
どちらもまったりとした空気が漂っています。
あ、人物描いた作品、「若衆観梅図」だけじゃなかった……
《Ⅱ章 継承者たち -尚信という個性》
ここでは探幽の絵画様式を継承した江戸狩野の絵師の作品が並べられています。
メインは探幽の次弟・尚信(1607-1650)と、末弟・安信(1614-1685)の2人。
江戸狩野の草創期を牽引しました。
狩野尚信「猛虎図」
奥から流れる水。
そこにある岩に佇むのは視線を斜め上に向けた虎。
なんだか茶目っ気のある表情で可愛らしい。
毛のふわふわな感じもぼかしで表現されていて、なでなでしたい衝動に駆られます。笑
探幽の次弟の尚信ですが、勢いのある大胆な筆致と、濃淡を自在に用いた様子が見所とのこと。
この作品はその濃淡が堪能できます。
探幽影響下にありながら、独自の解釈を盛り込もうとするなど柔軟な姿勢で狩野派を盛り上げました。
探幽以降の江戸狩野の絵師は粉本主義(手本の模写ばかりを重視すること)に陥り、創造性をなくしたといわれることがありますが、この尚信はそこには当てはまらないでしょう。
画派として重要な型を残しつつ、個性を表すのは難しいことですが、尚信の作品は軽快です。
狩野尚信「小督弾琴・子猷訪載図屏風」
こちらは六曲一双の屏風。
右隻には小督局が琴を弾いている場面が描かれています。
ときは平氏全盛の平安時代末期。
小督局は高倉天皇の中宮となった平徳子の女官でした。
徳子は平清盛の娘。
高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていました。
見かねた中宮・徳子は天皇を慰めようと、美貌と琴の才能で名高かった小督局を紹介します。
宮中に上がった小督局は天皇の寵愛を一身に受けます。
が、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまったのです。
小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇と音信不通に。
天皇は、密かに腹心の源仲国を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜りました。
仲秋の夜のこと。
月の綺麗ななか、嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹きました。
すると、見事な「想夫恋」の調べが。
その音のするほうに向かうと、粗末な小屋に小督が隠れ住んでいました。
作品はこの小屋に向かう仲国と小屋で琴を弾く小督が描かれています。
秋草が生い茂り、満月が優しく粗末な小屋を照らしています。
美しくも切ない景色。
この後、仲国は小督とこっそり宮中に帰りましたが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまいました。
能の演目にもなっている悲恋です。
左隻は東晋の文人、王子猷が友人の載安道に会いに行く場面。
雪夜の月光に趣を覚え、船に乗り会いに行くのですが、途中で興味は尽き、会わずに帰ってしまいます。
王子猷は船上から月を眺めているのですが、その月は右隻の満月。
なかなかおもしろい趣向です。
色彩も美しく雰囲気もあって、この屏風はかなり好き。
狩野尚信「叭々鳥・猿猴図屏風」
六曲一双の金地の屏風。
右隻には大きな柏の葉と猿が描かれています。
猿の顔が愛嬌があってかわいらしい。
こちらもふわふわの感じがぼかしで表現されています。
左隻は叭々鳥と雪をかぶった柳。
柳の木の周りには胡粉の雪が軽やかに舞い、儚く美しい情景を描き出しています。
狩野尚信「双鷺図」
こちらは二幅の掛け軸。
それぞれ鷺が描かれています。
右は蓮池に舞い降りる鷺。
左は雪の茂みに佇む鷺。
静と動の対比です。
幻想的で美しい作品。
鷺の顔がちょっと間抜けな感じもして可愛らしいです。
狩野探幽・尚信・安信「山水花鳥人物図巻」
3人の合作の絵巻物。
展示されていたのは安信による竜虎図。
安信は安定した表現力が評価されていたとか。
そういわれると竜まで真面目に見えてきます。笑
《Ⅲ章 やまと絵への熱意 -広がる探幽の画世界》
狩野派は、中国の宋・元・明時代の絵画などを手本とした漢画派といえますが、日本古来のやまと絵にも学び、独自の様式と作ってきました。
探幽は、30代後半頃から、やまと絵に深く傾倒。
土佐派に学んだ精緻な細密画法を駆使したり、屏風作品には流麗な筆描を応用するなど、さらなる可能性を示しました。
狩野探幽「源氏物語 賢木・澪標図屏風」
源氏物語第十帖の賢木から。
光源氏が六条御息所をたずねる場面。
秋の草木が寂しい印象を与えます。
金雲と極彩色で目にも鮮やかな優美な作品。
狩野探幽「新三十六歌仙図帖」
三十六歌仙を絵画化したもの。
大名家の姫君の婚礼品として作られた可能性があるとのことです。
これも紙などの細かいところから美しく作りも丁寧。
雅な生活が伺えるかのようです。
狩野探幽「探幽縮図 鳥獣戯画等絵巻」
長尾家旧蔵の「鳥獣人物戯画」の模写です。
鳥獣戯画はやっぱりかわいい。
生き生きと描かれています。
追いかけるウサギ、逃げるサル、取っ組み合うカエルとウサギ……
かわいい。
本当にかわいい。
《Ⅳ章 写生画と探幽縮図 -写しとる喜び、とどまらぬ興味》
ここでは探幽の写生画を展示しています。
探幽は公的な御用画事とは異なる場面にも目を向けていました。
狩野探幽「白鷴鳥」
"はっかん"という鳥の雄雌が描かれています。
雄は色も鮮やかで透き通るような白い羽毛、胸から腹は黒い羽毛。
黒いところは群青を重ねるなどして光っていました。
雌は茶と黒で小さめの鳥。
細かく丁寧に描かれていました。
鳥って雄が派手なのが多いですがこの鳥もそのようで。
狩野探幽「富士山図」
探幽は富士山を20数作あまり制作したそう。
この富士山は濃淡の外隈によって表現されています。
手前には村落、その向こうに山道。中腹の山々とあり、遠くに雲かかる富士山。
これはちょっと、、いやかなり欲しい。
富士山の表現がやわらかく美しいです。
この近くにあった「黒楽不二茶碗 銘 餘光」がすごく素敵でした。
楽の手の優しさを感じる器に白く浮かび上がる富士山。
シンプルながらにその美しさが光っていました。
狩野探幽「探幽縮図 草花生写図巻」
これは植物をスケッチしたもの。
御用画事ではなく、資料としての意味合いのほうが強そうです。
でもこれらのスケッチが作品にも影響を与えていたんだろう、と。
しっかりしたスケッチがあるからこそ作品も作れるんだろうな。
様々な植物が丁寧に細かいところまで描きこまれていて、画力の高さを感じます。
狩野常信「波濤水禽図屏風」
色も艶やかな六曲一双の屏風。
波が渦巻く海とその波をかぶる岩。
付近をとぶ百合鴎。
百合鴎は細い毛まで丁寧に描かれています。
金箔や金砂子、明るい彩色でめでたい印象を受ける作品。
《Ⅴ章 京狩野VS江戸狩野 -美の対比、どちらが好み?》
ここでは江戸に進出せず、京に留まった京狩野の作品もありました。
京狩野は、装飾性豊かな画風を代々継承。
江戸、京を比較するように展示されていました。
狩野永納「遊鶴図屏風」
永納は京狩野三代目。
六曲一双の屏風です。
水辺に鶴、尾長鳥に松に牡丹に芙蓉と吉祥のものばかり。
花は写実的ですが、岩肌や松の樹幹は強い輪郭線で描かれていました。
画趣は濃密です。
狩野安信「松竹に群鶴図屏風」
こちらも六曲一双の屏風。
金地に若竹、若松、笹、そして鶴とこちらもめでたい感じ。
そして未来を示しているような印象。
こちらは余白の美、ともいうべきか、余白が多くとられています。
優美な印象です。
狩野探幽「飛鶴図」
これは中国、元~明の文正筆「鳴鶴図」の一部を模写したもの。
これは反転した状態で上の安信の作品にも描かれています。
こういったもので勉強し使っていたと分かるもの。
これは代々受け継がれていたと推測されています。
優美な作品に囲まれ、楽しい時間が過ごせました。
いいですな~、日本画。
これが出光美術館、年内最後の展示です。
1年間ありがとう。
来年は「板谷波山展」からスタート。
こちらも楽しみにしています。
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出光美術館
会期は2013年11月12日から2013年12月15日。
今回は狩野派。
狩野派は始祖の正信(1434-1530)が室町幕府の御用絵師になったことに端を発し、以後も血縁を基本として、その地位と画法を継承。
約400年にわたって画壇の中心的存在であり続けた日本絵画史上の最大画派。
その狩野派の中でも"江戸狩野派"が今回の展示です。
狩野派の本拠地は江戸時代に徳川幕府の御用絵師となったことで、江戸に移ります。
そのとき、京に残ったのが"京狩野"
それに対して"江戸狩野"と呼ばれる絵師に焦点をあてた展示です。
"江戸狩野"の祖となったのは、狩野探幽(1602-1674)
狩野派400年の歴史の中でも類稀な才能を有した同派随一の絵師であり、江戸狩野派を代表する絵師でもあります。
余白を生かした優美・瀟洒な絵画様式で、限られたモチーフで豊かな空間をつくることに特徴のある探幽。
祖父の永徳(1543-1590)同様に時代にあう新様式を作り出しました。
その探幽の画風は、尚信(1607-1650、安信(1613-1685)、益信(1625-1625)、常信(1636-1713)と江戸狩野の絵師たちに継承されていきます。
今回は探幽の写生画や模写などのほか、江戸狩野の草創期に活躍した他の絵師たちの作品など約34点の展示です。
《Ⅰ章 探幽の革新 -優美・瀟洛なる絵画》
まずは探幽から。
探幽は1617年、16歳のときに京より江戸へ召され幕府の御用絵師になりました。
1621年、江戸城の外敦門である鍛冶橋に屋敷を与えられます。
ここは後に、江戸狩野の中でも鍛冶橋家として繁栄していきます。
徳川新政権のもと新しい時代が動き出しましたが、探幽はこの転換期を乗り越え、御用絵師となり狩野派の流派様式に改新をもたらします。
掛け軸などは中国画の模倣から離れ、優美さと軽やかさを。
屏風などでは大胆に余白を取り入れていきます。
狩野探幽「波濤群燕図」
20数羽のつばめが群れ飛んでいる様子が描かれています。
上から下へコマ撮りのように描かれ、軽やか。
狩野常信「梅に尾長鳥・柳に黄鳥図」
二幅の掛軸。
右は梅の木に白の眩しい尾長鳥。
下にはたおやかに水が流れています。
左は柳に黄鳥(高麗鴬)。
その下には薄いピンクの花が咲いています。
どちらも優美で柔らかな印象。
狩野探幽「若衆観梅図」
これは珍しいやまと絵風の風俗人物画。
人物画は今回これしかなかったと思います。
うん、、思います。。(自信なし……)
黒い羽織の男性に、飛び交う鳥。
探幽人物画における新生面とのこと。
伝 狩野元信「花鳥図屏風」
六曲一双の屏風。
墨で描かれた雄大なる景色です。
遠くにはぼやけた山々が連なり、近くには滝、そして流れる水。
そこで遊ぶ鳥たち。
鳥も鷺や雉、竹林を飛ぶ雀など様々。
ぼかしが独特の空気を作り上げています。
近景と遠景をモチーフを重ねて奥行きが表現され、また余白が遠くまで続いていることを想像させます。
狩野探幽「叭叭鳥・小禽図屏風」
六曲一双の屏風。
右隻には竹林の中の枯れ木に止まる叭叭鳥。
下には水が流れ、その上で遊ぶ鳥も。
左隻には激しく流れる渓流沿いの景色。
水をかぶり艶やかに濡れた岩には山鳩がとまっています。
満月を背景に飛ぶ尾長の小禽も。
こちらはかなり大胆に余白がとられ、湿潤な空気が漂います。
狩野探幽「竹林七賢・香山九老図屏風」
右隻に描かれている竹林七賢とは中国の魏晋時代、動乱を避け竹林に集まったとされる賢人。
手前は濃く、奥はぼかして描かれ月がぼんやりと空にあります。
左隻は白居易が老友8人と文雅の集いを行ったという故事に基づいたもの。
こちらは大きな木々の中、家や人々が見えます。
どちらもまったりとした空気が漂っています。
あ、人物描いた作品、「若衆観梅図」だけじゃなかった……
《Ⅱ章 継承者たち -尚信という個性》
ここでは探幽の絵画様式を継承した江戸狩野の絵師の作品が並べられています。
メインは探幽の次弟・尚信(1607-1650)と、末弟・安信(1614-1685)の2人。
江戸狩野の草創期を牽引しました。
狩野尚信「猛虎図」
奥から流れる水。
そこにある岩に佇むのは視線を斜め上に向けた虎。
なんだか茶目っ気のある表情で可愛らしい。
毛のふわふわな感じもぼかしで表現されていて、なでなでしたい衝動に駆られます。笑
探幽の次弟の尚信ですが、勢いのある大胆な筆致と、濃淡を自在に用いた様子が見所とのこと。
この作品はその濃淡が堪能できます。
探幽影響下にありながら、独自の解釈を盛り込もうとするなど柔軟な姿勢で狩野派を盛り上げました。
探幽以降の江戸狩野の絵師は粉本主義(手本の模写ばかりを重視すること)に陥り、創造性をなくしたといわれることがありますが、この尚信はそこには当てはまらないでしょう。
画派として重要な型を残しつつ、個性を表すのは難しいことですが、尚信の作品は軽快です。
狩野尚信「小督弾琴・子猷訪載図屏風」
こちらは六曲一双の屏風。
右隻には小督局が琴を弾いている場面が描かれています。
ときは平氏全盛の平安時代末期。
小督局は高倉天皇の中宮となった平徳子の女官でした。
徳子は平清盛の娘。
高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていました。
見かねた中宮・徳子は天皇を慰めようと、美貌と琴の才能で名高かった小督局を紹介します。
宮中に上がった小督局は天皇の寵愛を一身に受けます。
が、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまったのです。
小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇と音信不通に。
天皇は、密かに腹心の源仲国を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜りました。
仲秋の夜のこと。
月の綺麗ななか、嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹きました。
すると、見事な「想夫恋」の調べが。
その音のするほうに向かうと、粗末な小屋に小督が隠れ住んでいました。
作品はこの小屋に向かう仲国と小屋で琴を弾く小督が描かれています。
秋草が生い茂り、満月が優しく粗末な小屋を照らしています。
美しくも切ない景色。
この後、仲国は小督とこっそり宮中に帰りましたが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまいました。
能の演目にもなっている悲恋です。
左隻は東晋の文人、王子猷が友人の載安道に会いに行く場面。
雪夜の月光に趣を覚え、船に乗り会いに行くのですが、途中で興味は尽き、会わずに帰ってしまいます。
王子猷は船上から月を眺めているのですが、その月は右隻の満月。
なかなかおもしろい趣向です。
色彩も美しく雰囲気もあって、この屏風はかなり好き。
狩野尚信「叭々鳥・猿猴図屏風」
六曲一双の金地の屏風。
右隻には大きな柏の葉と猿が描かれています。
猿の顔が愛嬌があってかわいらしい。
こちらもふわふわの感じがぼかしで表現されています。
左隻は叭々鳥と雪をかぶった柳。
柳の木の周りには胡粉の雪が軽やかに舞い、儚く美しい情景を描き出しています。
狩野尚信「双鷺図」
こちらは二幅の掛け軸。
それぞれ鷺が描かれています。
右は蓮池に舞い降りる鷺。
左は雪の茂みに佇む鷺。
静と動の対比です。
幻想的で美しい作品。
鷺の顔がちょっと間抜けな感じもして可愛らしいです。
狩野探幽・尚信・安信「山水花鳥人物図巻」
3人の合作の絵巻物。
展示されていたのは安信による竜虎図。
安信は安定した表現力が評価されていたとか。
そういわれると竜まで真面目に見えてきます。笑
《Ⅲ章 やまと絵への熱意 -広がる探幽の画世界》
狩野派は、中国の宋・元・明時代の絵画などを手本とした漢画派といえますが、日本古来のやまと絵にも学び、独自の様式と作ってきました。
探幽は、30代後半頃から、やまと絵に深く傾倒。
土佐派に学んだ精緻な細密画法を駆使したり、屏風作品には流麗な筆描を応用するなど、さらなる可能性を示しました。
狩野探幽「源氏物語 賢木・澪標図屏風」
源氏物語第十帖の賢木から。
光源氏が六条御息所をたずねる場面。
秋の草木が寂しい印象を与えます。
金雲と極彩色で目にも鮮やかな優美な作品。
狩野探幽「新三十六歌仙図帖」
三十六歌仙を絵画化したもの。
大名家の姫君の婚礼品として作られた可能性があるとのことです。
これも紙などの細かいところから美しく作りも丁寧。
雅な生活が伺えるかのようです。
狩野探幽「探幽縮図 鳥獣戯画等絵巻」
長尾家旧蔵の「鳥獣人物戯画」の模写です。
鳥獣戯画はやっぱりかわいい。
生き生きと描かれています。
追いかけるウサギ、逃げるサル、取っ組み合うカエルとウサギ……
かわいい。
本当にかわいい。
《Ⅳ章 写生画と探幽縮図 -写しとる喜び、とどまらぬ興味》
ここでは探幽の写生画を展示しています。
探幽は公的な御用画事とは異なる場面にも目を向けていました。
狩野探幽「白鷴鳥」
"はっかん"という鳥の雄雌が描かれています。
雄は色も鮮やかで透き通るような白い羽毛、胸から腹は黒い羽毛。
黒いところは群青を重ねるなどして光っていました。
雌は茶と黒で小さめの鳥。
細かく丁寧に描かれていました。
鳥って雄が派手なのが多いですがこの鳥もそのようで。
狩野探幽「富士山図」
探幽は富士山を20数作あまり制作したそう。
この富士山は濃淡の外隈によって表現されています。
手前には村落、その向こうに山道。中腹の山々とあり、遠くに雲かかる富士山。
これはちょっと、、いやかなり欲しい。
富士山の表現がやわらかく美しいです。
この近くにあった「黒楽不二茶碗 銘 餘光」がすごく素敵でした。
楽の手の優しさを感じる器に白く浮かび上がる富士山。
シンプルながらにその美しさが光っていました。
狩野探幽「探幽縮図 草花生写図巻」
これは植物をスケッチしたもの。
御用画事ではなく、資料としての意味合いのほうが強そうです。
でもこれらのスケッチが作品にも影響を与えていたんだろう、と。
しっかりしたスケッチがあるからこそ作品も作れるんだろうな。
様々な植物が丁寧に細かいところまで描きこまれていて、画力の高さを感じます。
狩野常信「波濤水禽図屏風」
色も艶やかな六曲一双の屏風。
波が渦巻く海とその波をかぶる岩。
付近をとぶ百合鴎。
百合鴎は細い毛まで丁寧に描かれています。
金箔や金砂子、明るい彩色でめでたい印象を受ける作品。
《Ⅴ章 京狩野VS江戸狩野 -美の対比、どちらが好み?》
ここでは江戸に進出せず、京に留まった京狩野の作品もありました。
京狩野は、装飾性豊かな画風を代々継承。
江戸、京を比較するように展示されていました。
狩野永納「遊鶴図屏風」
永納は京狩野三代目。
六曲一双の屏風です。
水辺に鶴、尾長鳥に松に牡丹に芙蓉と吉祥のものばかり。
花は写実的ですが、岩肌や松の樹幹は強い輪郭線で描かれていました。
画趣は濃密です。
狩野安信「松竹に群鶴図屏風」
こちらも六曲一双の屏風。
金地に若竹、若松、笹、そして鶴とこちらもめでたい感じ。
そして未来を示しているような印象。
こちらは余白の美、ともいうべきか、余白が多くとられています。
優美な印象です。
狩野探幽「飛鶴図」
これは中国、元~明の文正筆「鳴鶴図」の一部を模写したもの。
これは反転した状態で上の安信の作品にも描かれています。
こういったもので勉強し使っていたと分かるもの。
これは代々受け継がれていたと推測されています。
優美な作品に囲まれ、楽しい時間が過ごせました。
いいですな~、日本画。
これが出光美術館、年内最後の展示です。
1年間ありがとう。
来年は「板谷波山展」からスタート。
こちらも楽しみにしています。
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