あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

韓国水曜デモ1000回目

2011-12-14 19:45:25 | 日記
14日、東京で「韓国水曜デモ1000回アクション・東京」が行われました。
アジア・太平洋戦争において、日本軍による戦時性暴力の被害にあった女性たち、つまり日本軍「慰安婦」とされた人たちが日本政府に謝罪等を求め、ソウルの日本大使館前で毎週水曜にデモを開催してきました。それがついに今日、1000回を迎えてしまった。

1992年からどんな悪天候の日も体調の悪い日も、元「慰安婦」や支援者たちは、毎週水曜に大使館前に立って問題解決を訴えてきました。訴えを無視し続けてきた日本政府は、国連などの勧告やアジア、アメリカ、EUの決議をも無視しまくっています。

国内では解決を求める議員連盟も結成され、立法など解決の努力がされているものの、期待された民主党政権の対応はちっとも進展しません。

そうした中で1000回を迎えてしまった今日、韓国内はじめ全国、世界で一斉の共同アクションが取り組まれているのです。

東京では、昼は外務省を囲む「人間の鎖」行動、1300人もの人が集まりました。スゴイ。


ちなみに右翼もいっぱいでした。

やや萌え声のシュプレヒコールがあったり。でも聞くに堪えない罵倒も繰り返されました。

午後は院内集会。

水曜デモを行ってきた20年、取り組む側にも意識の変化があったとの報告がありました。
すなわち「補償金がほしいのではない。日本軍『慰安婦』問題を解決してこそ、今も起きている戦時下の女性への暴力をなくすことができる。そして戦時性暴力をなくすことでしか、この問題の抜本的解決はない。そう目覚める20年だった」と。

元「慰安婦」の宋神道(ソン・シンド)さんは、戦後宮城に住んでいましたが、3月の震災で被災。今は東京で暮らしています。ソンさんも参加され、「二度と戦争はしちゃいけない!」と豪語されていました。
参加していた国会議員の福島瑞穂氏に対し、檄を飛ばすと同時に「あんたの顔キレイだねー」なんて言ったりして、笑わせてくれました。やるねえ。

韓国水曜デモ1000回アクション

地位協定の抜本改定を求める院内集会

2011-12-14 19:15:13 | 日記
13日、沖縄から「與儀功貴君の遺族を支える会」が上京して、日米地位協定改定を求める署名7万4000人分を持って玄葉外務大臣らに要請しました。

これにあわせ、私が勤める平和委員会が院内集会を開催しました。



支える会の共同代表の皆さんや、さらに彼らをサポートする地元議員の皆さんなどが発言しました。

與儀さんを死に至らしめた犯人の米軍属は、当初日本側が第一次裁判権を放棄。これに対し、検察審査会が母親の申し立てを受けて「起訴相当」と判断したのを受け、日本政府は地位協定の「運用改善」という形で、犯人を起訴することにしたのです。

すなわち、在日米軍に勤務する軍属による「公務中」の事件・事故で、日本人被害者が死亡またはそれに類する被害を受けた場合、日本側の裁判権行使の要請に対し米側が「好意的考慮」を払うとする日米地位協定の運用改善を行うことを先日確認したのです。

この中途半端さに対し、求めているのは「地位協定の抜本改定だ!」として、今回はるばる上京してみえました。

発言されていたのは、「(被害者の)母親が声をあげなければ「運用改善」すらもなされない。起訴については評価するが、政府がその先へ進まないことについては批判せざるをえない。市民の力をもっと大きくし、声をあげ、政府の尻をたたきたい」。

また、国会議員の井上哲士さんは、この間の司法制度改革を通して検察審査会制度が変わり、それによって今回の起訴へも結びついた、と解説。運用状況を点検するうえでも検察審査会が武器になるとのお話は、なるへそーでした。


要請の様子について、琉球新報が報じています。

外相、早期改定に否定的 遺族支える会要請に
2011年12月14日
 【東京】2011年1月に米軍属の被告が運転する車両による交通事故で死亡した男性=当時(19)=の遺族を支える会が13日、玄葉光一郎外相を訪ね、米軍人・軍属の公務中・公務外にかかわらず日本が第一次裁判権を行使することなど日米地位協定の抜本改定を要請するとともに、県内外から集まった日米地位協定改定を求める7万4千人余の署名を提出した。玄葉外相は「日米同盟関係を深化させる中で改定も検討していく」と述べ、当面は運用改善で対応し、直ちに改定交渉に入ることには否定的な見解を示した。
 要請では、男性の友人の新垣翔士共同代表が「戦後66年、復帰後39年がたっても、県民は米軍基地から派生する事件で苦しめられている。県民の悲しみに心を傾けるべきだ」と早期の改定を訴えた。
 同代表によると、玄葉外相は米韓地位協定など、米側が他国と結んでいる地位協定で裁判権は米側にあることなどを示し、整合性の観点から日米地位協定の早期改定に否定的な見解を示したという。新垣代表らは要請後、「(男性の事故で)起訴できる新たな枠組みができたことは評価したいが、やはり地位協定の改定に取り組んでほしい」と述べた。
 要請団は首相官邸に斎藤勁官房副長官を訪ね、同様の要請を行った。要請団によると、斎藤副長官は「野田佳彦首相にしっかり伝えたい」と述べたという。そのほか、川端達夫沖縄北方担当相にも地位協定改定を要請。川端担当相は「皆さんの思いをしっかり受け止めて実現できるように頑張りたい」と述べた。

皆既月食

2011-12-11 21:27:01 | 日記
昨夜はいいものを見ました。



私の携帯ではツブにもなりません。

道で口を開けて上を見上げていたら、通りすがりの男女二人組が「何か落ちてくるんですか?」と言ってきたので「月食だよ」と言ったら、「昨日だと思ってた!」などと言って一緒に見ることに。4人でオーオーと歓声をあげて見ていました。

自宅に戻ってからは我が家のNikon D300sで頑張って撮影しようとしましたが、三脚も持たずだったので道(川沿いの歩道)に寝転がって息を止めて試みました。が、難しいもんでした。
案の定、今日の新聞には美しい写真がたくさん載っておりました。

矢臼別演習場の真ん中

2011-12-03 20:44:31 | 日記
沖縄から帰り、東京で1日ぼーっとした後、北海道は別海町の陸上自衛隊矢臼別演習場へ行ってきました。仕事でしたが、それ以上の日程をとってのんびりしてしまった。
日本は狭いが、気候はまことに多彩ですな~。風邪をひくこともなく、沖縄を懐かしみながら厳寒を楽しみました。

行った先は、矢臼別演習場の真ん中にある民有地に住むお宅。かつて川瀬氾二さんが住んでいた土地です。

戦後、開拓民として岐阜からやってきた川瀬さんはじめ多くの農民がようやく切り拓いた土地を、自衛隊は買収し、日本一広い矢臼別演習場をつくりました。しかし川瀬さんは買収に応じず、結果として川瀬さんともう1軒のみが、演習場に囲まれて酪農を営みながら暮らすことに。

「ぐうたら」「時速4キロの歩み」などと自分を表現した川瀬さんは、「憲法の申し子」などと言われることもあります。なぜなら、一人の暮らしを守ることが憲法の目的であり、川瀬さんは憲法を盾にしてその暮らしを営んできたから。さらに、条文に従えば、自衛隊は憲法違反であるのは明らかで、そのことも一貫して発し続けていました。

川瀬さんは09年に亡くなりましたが、その後を継いで暮らす渡辺さんにお世話になりました。3泊も。
むろん取材はまじめに行いましたが、あとはご飯を食べて牛をいじって犬に吠えられて演習場内を散策しておしゃべりをして観光に連れて行っていただきました。私の滞在中は、幸いにも(?)演習はありませんでした。
 





ジンワリと刺激を受けた滞在でした。
自分で開拓した土地で、ただそのまま生活しただけのこと。でもそのためには、憲法を高らかに掲げないと実現できなかった。そうして数十年守り続けたことで、矢臼別が憲法または平和の砦ともなった。
暮らしを守る、土地を守ることが初めの出発なのだが、今となってはそれだけではない意味を持つようになった。ここを守るために、温泉を掘るなどいろんなアイデアもある。

普通に暮らすことと、それを守るためには時に奮起する必要があること。矢臼別という土地の魅力と、便利さや「人寄せ」とのちょっとした葛藤。やはり私は訪問者なのかなーとかとか。

染みいる方々とも会いました。その土地の魅力をつくるのも人なのだ。


川瀬氾二さんと矢臼別については以下。
「矢臼別の馬飼いと自衛隊」川瀬氾二著
「北の反戦地主川瀬氾二の生涯―矢臼別演習場のど真ん中で生ききった!」布施祐仁著 高文研