あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

ピースエッグ2007in大阪

2007-02-26 08:28:15 | 日記
今年のピースエッグは9月22日(土)~24日(月・振)に、大阪にて開催します。

日本平和委員会と現地実行委員会が毎年力を合わせて開催するものです。
すべての若い方(みさき推定によると35歳辺りまで。でももうちっとイケルかもしれない)が対象です。

小グループに分かれ、学んだりディスカッションしたりするのであります。

そいで第一次のチラシを作ってみました。

ここに貼るのはとっても軽い画像データです。
ご活用いただける方、興味のある方には直接本物データ(PDF)をお送りしますのでご連絡ください。


ちなみに懐かしい去年の愛知エッグのメルマガはこちら。

ジョーについて~スーパーケンポウ・9・ジョー~

2007-02-20 11:41:56 | 日記
私の心にかなりヒットする歌を発見してしまいました。
憲法メディアフォーラムで紹介されていました。

オリジナル曲です。

皆さんも聞いて、いつか合唱しましょう。

==
ごろんぴーの音楽研究室というサイトより。
歌詞を転載させていただきます。

ジョーについて
 ~スーパーケンポウ・9・ジョー~

作詞・作曲 ごろんぴー

1.
スーパーケンポウ・9・ジョー
ジョーの拳法世界一

パンチもしなくても
キックしなくても
ジョーは強いぞ 
戦わなくても勝てる

試合が始まるその瞬間
気合
「9・ジョー・9・ジョー」
ジョーが叫ぶ時

行くぞ
「9・ジョー・9・ジョー」
ジョーが見つめる時

相手は自分の弱さ気づく

2.
スーパーケンポウ・9・ジョー
ジョーの剣法世界一

剣や刀を振らなくても
ジョーは強いぞ
戦わなくても勝てる

試合が始まるその瞬間
気合
「9・ジョー・9・ジョー」
ジョーが叫ぶ時

行くぞ
「9・ジョー・9・ジョー」
ジョーが構える時

相手は自分の負けを悟る

3.
スーパーケンポウ・9・ジョー
ジョーの武道は世界一

戦わずして勝つことできるんだ

ジョーは真(まこと)の武道家
けんかの弱い俺たち守る強い味方

どこかで殴り合いが始まる気配
誰か「9・ジョー」叫ぶと
ジョー現れ
話し合いだけで解決

世界のみんながジョーを呼んでいる
これからもジョーの力 必要だ
世界に羽ばたけ ジョー

==

ジョーについて ~ジョーの窮状~」という歌もある。

ガイサンシーとその姉妹たち

2007-02-17 22:01:35 | 映画
友人の結婚を祝う会に参加しました。
やーよかった。
ああやって互いに思いやるって、私には実感として経験したことがないので奇跡的にも思えるけど、ステキだと思いました。


そいで祝う会の前に、ちょっくら映画を観ました。
ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち」。
今、話題の映画。一部でかもしんないけど。

旧日本軍によって性暴力を受けた、中国人女性の証言などで構成するドキュメンタリー映画です。
元日本兵の方々の証言も織り交ぜています。

丁寧な、よい映画でした。

中国残留孤児の帰還に尽力した国友忠さんは、「従軍慰安婦は存在しなかった」と言う。

一度だけ輪姦に加わったと言う近藤一さんは、当時は罪の意識を感じなかったが、家庭を持って初めて後悔の念にさいなまれた。
この近藤さんは、去年愛知で開催したピースエッグで話をしていただきました
映画の近藤さんは今より数年前の映像なので、去年の9月にお会いしたときよりもしっかりした口調と体つきでした。

被害者の女性たちの証言は、耳を疑うようなことばかり。
この人たちは、戦後何10年、笑ったことがあるのだろうかと心配になります。
もしかしたら、本当に心から笑ったことなどないのかも。
表情がものすごく固い。

タイトルにもなっている「ガイサンシー」は、山西省の美人を意味する言葉で、候冬娥(コウトウガ)さんのこと。
彼女は映画には出てきません。絵でのみ登場します。
強姦による心身の後遺症に苦しみ続けた彼女は、病気で動けなくなり、戦後50年近く経って自殺をしました。

実はこのエピソードだけ聞いたとき、なぜそんなにも時を経て自殺など、と思いました。
今さら、的な。
でもおそらく、それほどの時間を経過してもなお鮮明な記憶として体に刻み付けられたのだろうと思うと、言いようのない気持ちになります。

監督の班忠義さんがガイサンシーがいた村の村民に聞き取りをする中で、彼女が「慰安所」から戻されたとき、彼女のお腹が風船のように膨れ上がっていたとの証言がありました。
それで彼女の母親がお腹を少しずつ押して、中のものを出したら洗面器がいっぱいになったと。
何が出たのかと監督が聞くと、「日本人が出したものだ」と答える。
その周りで、聞いていた人々が笑っていました。

映画を観ていて、お腹が膨れ上がったという話だけでも私までお腹が痛くなるような気になってきましたが、一方でこの笑いはなんだろうと思いました。
君たちはどんな感覚の持ち主なんだ!というようなことではなくて。

班忠義著・「ガイサンシーとその姉妹たち」という題名の本も出ています。

そしてこれから全国で上映されます。

ピカソ発掘

2007-02-14 23:13:38 | 日記
本日、いろんな仕事を投げ出して、朝から事務所の倉庫一掃整理をしました。
割ぽう着を着、手ぬぐいをかぶり、マスクをし、軍手をはめて。

倉庫を借りる経費を節約するために。
倉庫にはお宝満載だとの伝説に期待をしつつ。
そして倉庫なのに浸水してお宝がいつの日かお宝でなくなることを懸念して。

掘り出してみたら、すでに無惨な姿のかつてのお宝の数々。

ピカソ。
日本の平和委員会のために、なのか、日本の平和運動のために、なのか定かではないのですが、とにかく平和運動に積極的であったピカソ。
の絵!
は実物ではないが、複製にナンバーが振られたもの。
それにエンピツ(に見える)でピカソの直筆(に見える)のサイン!

他に永井潔という画家の絵も。
これは確実に本物と思われます。
この作家は、私はとても尊敬している人です。
芸術論についても多々述べている。

他にもいろんな絵やら、資料やら。
ざくざく。

かもしれない。

近々鑑定。するかもしれません。

他にも楽しいグッズが満載でした。
お皿や色紙などなど。
これは売ったり、ほしい方にあげたりするかもしれません。

その他、たくさんの資料は捨てます。
必要なものだけ残して。
日米安保について学びたい方は、いまのうちに事務所に来ればたくさんの資料を差し上げることができます。

バレンタイン・イブイブ「へいわカフェ」

2007-02-12 22:58:23 | 日記
ときどき開店へいわカフェというのを、友人が主宰してます。
東京は代々木公園辺りで、原爆パネル写真やらを広げつつ、ピースメッセージを書けるでっかい紙を広げつつ、おいしいおやつを食べつつ、遊びつつ、まったりするピースアクション。

これを2月12日にやりました。イン代々木公園。
写真はおやつをむさぼる友人ら。

メッセージを書く人々↓


バレンタインの由来はこちら

あー楽しかった!
おいしいおやつだらけでした。
私は茨城産の干し芋。
いろんなチョコや豆腐やチーズケーキや抹茶やワインやら。
ピースなメッセージもたくさん集まりました。
バドミントンもやった。
またやりまーす。

百里初午まつり

2007-02-11 22:24:24 | 日記
自衛隊基地の真ん中で、憲法九条が祭られたほこらを背に、おいしい豚汁やらお酒やらをいただいてきました。
そしてお土産に米も買ったし干し芋も買った。

2月11日、イン茨城県小美玉(おみたま)市。
にある、航空自衛隊百里(ひゃくり)基地にて。旧小川町。

まつりでは茨城農民バンド・ヒューマンファーマーズが歌っていた。=写真

▼百里基地には長い平和運動の歴史があります。
詳細は百里基地反対運動のホームページをご覧ください。

基地には滑走路へとつながる誘導路があるのですが、これが真ん中で「く」の字に折れてしまっています。
開拓農民の土地を無理やり奪おうとした時の日本政府に対し、地元民や支援者が守り抜いた土地があるためです。
この土地を平和公園と名付け、日本国憲法九条をまつってしまっています。
このナイスなセンスが、私は大好きなのです。

誘導路というのは、いざ「有事」になれば二本目の滑走路として戦争に活用されるものです。
これが曲がっているということは、百里基地は実戦には使えない、未だ不完全な基地であるということです。
皆さんは、このことをどう思うかな?
農民の「エゴ」なのかな?
ここに九条を置いてしまうことの意味って何であろう?

▼この百里基地、東京にあるアメリカ空軍・横田基地とも近く、米軍にとっては大事な場所の一つなのかもしれません。

米軍再編が自衛隊とセットに着々と進められる中で、沖縄の米空軍嘉手納基地のF15戦闘機の訓練の一部を、この百里でやろうとの計画があります。
F15とかいう戦闘機が恒常的に訓練しにやってくるかもしれない。

百里基地周辺の騒音は、本当にものすごいものです。一度だけ聞きましたけど。
地元民は更なる騒音がやってくるのか、だとか、米兵が街にやってくるのか、などの不安を抱えています。

▼まつりついでに、自衛隊にこの訓練移転の件で申し入れをしました。私は聞いてるだけだったけど。

「訓練そのものが移転するということは、単に戦闘機がやってくるのではなくて、部隊として給油機やら何やらもやってくるだろうから、騒音やその他の被害もさらに大きくなることを懸念しているのだよ」

「航空自衛隊が、『本土防衛』の建前を逸脱し、イラクへ行くような米軍に近い軍隊になるのではないかと心配しているのだよ。米軍と一緒では危なくて仕方ないし、世界の人からも嫌われるよ」
等々のことを話していました。

応対したのは第7航空団司令部渉外室基地対策班長の職員さん。
久間防衛大臣に伝えます、だって。


▼まつりの最後、みんなで「がんばろう」という私は大好きだが若い人の中には一般的には知られていない歌を歌いました。
最後は「オー!」で締める歌。
基地の真ん中でこんなことしてるのだ。


原爆症認定集団訴訟・国が控訴→厚労省へ

2007-02-09 22:25:43 | 日記
▼原爆症認定申請を却下された全国の被爆者が、自分の病気は原爆のせいであると認めてほしいと、全国で集団訴訟を起こしています。
原爆症認定集団訴訟の詳しい中身・推移はこちら

愛知では1月31日、名古屋地裁で4人のうち2人を原爆症と認定する判決が下されました。
これに対し、国は8日控訴したのです。
国は去年5月の大阪地裁、8月の広島地裁の判決に対しても控訴しています。
いずれも国が敗訴したもの。そうしているうちに、被爆者はどんどん亡くなっています。

▼そいで翌9日の昼11時半~13時、厚生労働省前で抗議行動をしました(=写真)。
「控訴するな」の行動のはずだったのですが、急きょ「控訴を取り下げろ」の行動に。
名古屋から、原告の被爆者と弁護士の方が駆けつけていました。

私も突如マイクを渡され、スピーチ。
東京で被爆者の方々を少人数で訪ねてじっくり話を聞いていること、そこで感じたこと、そして厚労省の職員にお願いごと、などを話しました。

▼東京でも裁判が行われており、現在57人が提訴しています。
うち、すでに11人が亡くなりました。
すでに結審が終わって3月22日に判決が出ます。

原爆が何をもたらすのかを体験者の証言から学びつつ、被爆者の死を待っているとしか思えない厚労省の被爆行政をどうにか改善させるためにも、この裁判を追っていきたいと思います。
今この裁判に関わるというのは、歴史にとっても自分の人生にとっても、必ず有意義なものになると思います。
たくさんの若い方々に触れてほしいのだ。


▼当面は下記のイベントがあります。

【原爆症認定集団訴訟サポートライブコンサート】
3月18日13:30~ 上野水上音楽堂

<会場までのアクセス方法>
・JR上野駅・営団地下鉄上野駅(地下鉄上野駅3番出口)より徒歩7分
・JR御徒町駅・営団地下鉄仲御徒町駅・都営地下鉄上野御徒町駅(地下鉄仲御徒町駅3番出口)より徒歩5分
※駅からの丸幸ビルへの行き方は、地図参照

中国残留孤児―替え歌・棄てないで(三乗)

2007-02-07 01:03:04 | 日記
2月6日の夜、「2・6市民フォーラム 『残留孤児』の支援策はどうあるべきか」に参加しました。

▼1月30日、永住帰国した中国残留孤児が起こしていた訴訟で、東京地裁で判決がありました。
「早期帰国の実現や、帰国後に自立支援する義務を怠った」として国に賠償を求めていのですが、東京地裁は請求を棄却。
理由は「国に早期帰国実現や自立支援の法的義務があるとは言えない」「国策は本来、司法審査の対象外。国家賠償法施行前の戦前の行為は賠償責任がない」というもの。
孤児の被害に対し、「戦争被害」だから受任せよ、と言っているのです。

▼実は判決の翌日の31日、原爆症認定集団訴訟の名古屋判決があり、この問題で私は厚生労働省前にいました。

そこで中国残留孤児訴訟のある原告の方も一緒に訴えていたのです。
その方の怒りといったら、本当にすごかった。
日本にすでに何年も住んでいるのですが、しかし帰国したのは4、50歳代。もちろん中国語の方がよく話せるし、日本語は不得意です。
その原告の方は厚労省前で、中国語でずっと話していました。

その後、簡単に通訳をしてくれたのですが、どうやら中国に置いてけぼりになったら「中国鬼子」と差別され、つらい人生を送ってきた。日本への帰国もようやく果たしたが、暮らしのすべがなく、保障はほとんどなかった。
あまりに非情な判決だ、というような感じ。

▼6日のフォーラムは、東京や全国の原告が数十人参加していました。

構成劇「わたしたちはなにじんですか?―国に翻弄される人生」(=写真)で、原告の方自身が中国での差別、日本での差別、これまでの暮らしをまとめたものを朗読していました。

改めて、戦争は国家対国家の仕業ですが、被害は国籍を超えるものだと感じました。

▼フォーラムで、千昌男の大ヒット曲「北国の春」の替え歌「棄てないで(三乗)―中国残留孤児は三つの棄民に耐えて訴える―」が紹介されました。

北国の春」って、
しらかばあーーあおぞおらーみぃなぁみぃかあぜー(白樺 青空 南風)で始まり、「あのふるさとへ帰ろかな帰ろかな」で終わる歌。
若い人、わかるかな?
これは確かに名曲。泣ける。

その替え歌。(鐘黒冬さん・橋本左内さんによる、とある)
長いが転載しちゃいます。
口ずさんでみてください。

==

1 コウリヤン 夕焼け 秋の風
声も無く行く あの大陸の ああ「満州」平野
寒さと飢えとに 力もつき果て
流れる母さんの 冷たい涙
ああ棄てないで すてないで すてないで!

2 凍てつく 冬空 雪嵐
あかぎれの 手足がしばれる ああ東北の冬
日本鬼子(りーべんくいつ)と いじめられながら
それでも私は れっきと生きてきたの
なぜ棄てたのか すてたのか すてたのか!(戦時死亡宣告)

3 ようやく祖国に たどりついたのに
わらべ唄さえ よく分からない ああ故郷の冬
兄貴もおやじ同様 言葉に不自由で
仕事もおつきあいも できずに籠ってる
この故郷に 棄てないで すてないで!

4 あなたも私も 日本の民だから
差別なく ホラ みな平等に ああ故郷に居たい
三度も棄てられた 心のトラウマを
やさしい人たちと 自然に包まれて
この故郷で 癒したい 笑いたい!

核兵器廃絶を求める署名とANDY

2007-02-06 17:07:21 | 日記
6日に、核兵器廃絶を求める「すみやかな核兵器廃絶を」の署名を集めたりピースなメッセージを集めたり、マイクで話したり、などする宣伝をしました。
昼に上野公園にて。
いわゆる6・9行動(ロッキュー行動)です。
全国津々浦々にて、6と9の付く日に行われています。スゴイ。

そこではロール上のドでかい白い紙にメッセージや絵などを書いてもらう、ROCK行動(ロック行動)なるものもしています。
原水爆禁止日本協議会、略して日本原水協の仲間を中心に。

そいでぽかぽか日和、制服を着た中学生もたくさん行き交う中、のそりのそりと近づいてきた、あるおじいちゃん…!

今、1945年3月10日を中心に起きた東京大空襲の被害者・遺族らが、国に責任を求めて訴訟を起こそうとしています。
その原告団の副団長のAさん。
ていうかこっそりANDY(アンディー)と呼びたい。

足が悪いのですが、杖を置いて紙の前に座り込み、ものすごく一生懸命に描くその絵は車寅次郎。
私も大好き。相当に好き。

時々離れて全体を見直したりしながら、色をグリグリと懸命に塗っている。

その作品はこちら。