あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

子育ては自己満足

2008-10-29 00:56:20 | 日記
熊野から東京に帰ってきた翌日、学生時代からの友人夫婦宅にお邪魔しました。
お子ちゃんの写真はピンボケ。
(見てますかー。特定できませんよねー)

そこで大いに感心した名言が出ました。

「子育てなんて自己満足だよ」

これはまもなく2児の母になる友人のことば。

もちろんこの夫婦はお子ちゃんを愛してて、子育てに奔走してる(ように見える)んだけど、その上でこの母は上記のように言い放ったのであります。


このことば、教育学の権威、大田尭先生のことばに通じます。
大田先生に一度取材して話を聞いたことがあります。

いろんな生きものに共通するのは、「自ら変わる」ということ。
脱皮にしろ、治癒にしろ、再生にしろ、生きものは変わる力を持っている。そうして生命を続けている。

人間が他の生きものと違うのは、「自らの選択」によって変わることができるということ。
自分で選び、「その気」になって、進む道を決め、自分自身を変えながら生きている。

教育は、ある人の人格を形成したり、ある人を変えること自体ではない。
ある人が自らの選択によって自分を変え、成長していく環境を整えること・演出すること。に過ぎない。


友人は、地でこの思想を得ていたのでした。
彼女は子どものために懸命に働きかけをしながらも、それによって子ども自身がどう成長するかは自分の思うとおりにはならないということをすでに自覚している。

かなりの感銘を受けました。感服。満腹。

熊野古道をテクテクテクテク

2008-10-28 01:41:33 | 日記
楽しい夏休みを大満喫しました。
ちょっと前になりますが、10月初め。

今年は熊野古道へ。
和歌山から入り、中辺路を歩きました。
まさに歩いたのだ。歩きまくりました。歩いた歩いた。

トレッキングシューズとウィンドブレーカーも買ったのだ。

楽しすぎました。
楽しすぎたのでダラダラ日記です。書ききれないのが残念であります。

平日だったためか、人がいない。
たまに会ったけど。
あまりに人がいないので、2、3組の歩く方々と知り合いになりました。
というか抜きつ抜かれつ、連帯していた。

まずは夜行バスで和歌山市に入り、
特急で紀伊田辺へ。
駅前の観光案内で歩くのを止められ(女性一人が危うそうに見えたのか)、そんなぁーーと思いつつもバスで中辺路に入るスポット滝尻王子へ。
そこで改めて茶屋のおじさんに「歩いてもいいかな」と相談すると、「ぜひとも歩いてください」と勧められ、やはり徒歩決行。
正午から夕方6時ごろまで、近露王子目指して歩く歩く。
約17キロ。


いきなり険しい山道だったりで大変でしたが、それを乗り越えればやや険しいのみで済みました。というかあまりに最初がハードだったので、その後の道のりは気分的に楽でした。

近露で一泊。
民宿のごはんがゴージャスで、近所の温泉もたいへんよきものでした。

2日目は近露からちょっと近道。
朝6時半に民宿を出発し、民宿の人に少し観光案内してもらいました。すごいおじさんだった。

中川王子から熊野本宮大社へ。
民宿で用意してくれたお弁当めはり寿司を発心門王子でいただきつつ。
この日は約24.5キロ。
途中、民家が並ぶ道も。ヘンなからくり人形。


大斎原の大鳥居が見える展望台から。

そして靖国神社の鳥居をしのぐ日本最大の鳥居を拝みつつ、日本最古の温泉「湯の峰温泉」へ。バスで。

ここも民宿泊。ごはんおいしかった。そしてお湯がとっても気持ちよかったです。

翌日は川の古道と言われる、熊野川を新宮市に向けて川くだり。
1時間半かけてゆっくりゆっくり。


新宮市に昼に着き、速玉大社を見、神倉山を上りつつ、ぐるぐるしながら勝浦に向けて歩きました。
ここは唯一、海岸沿いの古道。


なぜかガンバルヨ。


15キロくらいは歩いたのでは。
勝浦に泊まり、名物マグロを食べる。

翌日は那智大社へ。那智駅からてくてく歩きました。
たいていの人は途中までバスで行くので誰にも会わず、しかし前日からの顔見知り夫婦に大社で出くわしたりもしました。
長い階段を老夫婦がせっせと上っていました。


そして那智の滝はベリーきれいでした。水ものが大好きです。


この日は和歌山市内へ。
ナント取材を仕事を入れてしまった。いいのだ。取材をしたのでした。
夜ご飯をごちそうになりました。

和歌山市の特に面白みのないビジネスホテル泊。

翌日は和歌山城へ。
でかい。和歌山空襲で消失した天守閣を、市民の力で再建してから今年は50周年らしく、行事が目白押しでした。いいもんです。

そして紀三井寺へ。
ピンクリボン運動の一環で、お堂(?)にどでかいリボンをつけていました。


そして紀三井寺から歩いて和歌浦へ。てくてく。ここでお泊まり。
釣り人がたくさんいて、イカ釣りしている人としゃべったりなどしました。
お寿司を食べて楽しかった。

そいで翌日はさらに仕事。取材の続きをしてしまった。
エライ。

そいで帰りは初めてのスターフライヤーで帰ってきました。
お土産をたくさん買ってしまった。


旅は道連れ。
旅の恥はかき捨て。
縁は異なもの味なもの。

原爆症訴訟、国が控訴

2008-10-04 02:12:18 | 日記
本日というか昨日3日ですが、厚生労働大臣は原爆症認定集団訴訟の札幌地裁判決に対し控訴しました。

あーーびっくらした。
というほどでもないけど、ヤフーニュースで知ったときは愕然としました。

先月出された札幌地裁判決は、この間ずっとたたかわれてきた原爆症認定訴訟の流れをくみながら、さらに一歩前進させて原告勝訴を勝ち取りました。
原告とは被爆者、彼らが抱える病気が原爆によると認めなさい、という裁判です。

ずっとずっと原告被爆者の勝ち続き、国は負け続き、しかし国は認めようとしない。
その間に、集団提訴して原告のうち60人近くが亡くなっています。


今日の昼、厚生労働省前で宣伝行動をしました。
全国からもたくさんの被爆者や支援者が来ていました。

今日は秋晴れで本当に気持ちのよい天気でした。

でも大臣の態度は全然さわやかではありません。

すでに政治決着がすすめられようとしているさなかです。
前に大臣との面会が実現したとき、舛添大臣は被爆者に「朗報を待ってください」と言いました。

今日、東京の原告団長の山本さんもスピーチしていましたが、「控訴が朗報なのか?!」
被爆者が死に絶えるのを待っているんじゃないか。

本当にそう疑ってしまいます。

でも被爆者は今も私たちとともに生きているのだ。
いろんな思いと病気を抱えながら、一緒に座っているのだ。
この意味が、大臣にわかるのかな?


私もマイクをわたされ、厚生労働省前で話しました。
あまり得意ではないのですが、しかしマイクを持って話し出したら何だか怒りがフルフルと湧き上がる感じでした。

GWだー

2008-10-01 01:59:11 | 日記
ゴールデンウィークは、来年から2回あるらしい。
祝日法の改定により、9月にも国民の休日なぞ入れ込み、大連休になっていました。
そしてこの最中に、平和委員会的な大イベントを入れ込もうと画策中。


でもここで言うGWはジョージ・ワシントンのこと。
アメリカの原子力空母が、本国以外では初めての配備です。
常駐するっちゅうことです。
横須賀に。
動く原発のようなものが、でっかい原子炉が、海にぷかぷか浮いています。
事故があれば、首都圏一体が放射能の被害に。

そんな危険なものをなぜ横須賀へ、と言うと、
アメリカにとって地球規模の戦略図を描いたときに重要拠点となるからです。

アメリカがやっていることと言えば、イラク戦争みたいなこと。
自分の勝手な論理を作り上げ、本国と遠く離れた土地を戦場にして戦争すること。
戦争って人殺しなのだ。
そいで石油を手に入れたいのだろうか。

このアメリカを支えるのが日本なのだ。

原子力空母という危険な船を置かせて国民を危険な目に遭わせながら、同時に自らの国を戦争拠点にする。

こえーよー


横須賀市民の7割が配備に反対してます。
麻生太郎は「日米安保にとって重要なこと」とか何とか言って、GW配備を大歓迎しています。

市民が反対しても配備されが強行されてしまう、この国の政治はひどすぎる。
市民はそらーあきらめたくもなります。

しかしここで持つべきは怒りなのだ。
プンプン!


早いとこ、GWはアメリカに帰ってもらわねばなるまい。
というか、日米のこの戦争推進勢力を本当にどうにかしたい。