あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

被爆体験の継承「本当は甦らせたい」

2006-07-31 20:38:16 | 日記
眠らない日が続きました。でもきっと、今日が最後。
まだ印刷所にいるのですが、今夜は自分の気持ちいいガーゼ布団でグースカ寝られるのだ!

さて。
この日記でも告知しましたが、7月25日に「戦後・被爆61年 継承とわたし」という企画をやりました。

被爆者の平均年齢が73歳を超える中、しかし核兵器はなかなかなくなりません。
被爆者の話を聞き、被爆の実相を記録する「継承」活動を、今どしどしやろう、という企画です。

スピーカーの一人、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)事務局次長の岩佐幹三さんの話(かなり大要)を紹介します。
初めてお会いしたのですが、とても胸に残る話でした。

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岩佐さんは現在77歳。
「あの日」、広島の空はまさに真っ青だった。「今日も暑いなー」

空を見上げたとき、飛行機がバラバラと飛んできた。いつもの米軍機の音と違ったため、日本の飛行機だと思った。
「飛んできたなー」と思ったその瞬間、バッと飛ばされた。

バットで殴られたような衝撃だった。岩佐さんはやわらかい地面に叩きつけられたので助かったが、爆風で飛ばされ、地面に叩きつけられて即死した人はたくさんいた。

ようやく立ち上がってふと周りを見たら、目の前はガレキの山。何が起こったのかわからない。原爆が落ちた瞬間に、一瞬で町が消えた。
「こんなこと、想像できますか?」

家に母がいることを思い出した。呼びかけると、「ここよー」と母の声がした。目から血を出し、仰向けに倒れている母が、小さな穴から見えた。
町全体がやられていることがわからない母は「なぜ消防が来ないの?」
「もう火が来てるんだよー」
母は岩佐さんに「逃げなさい」と言い、般若心経を唱え始めた。

ずっと岩佐さんは、このとき母は死を覚悟したのだろうと思っていた。
しかし広島の各地で助けを呼ぶ声がしていたことを聞き、最近になってもしかしたら母は「何とか助けて、神様、仏様」と思っていたのかもしれないと思うようにもなった。でも本当のところはわからない。

翌日、おばの元へ行くことができた。「お母さんを殺しちゃったよー!」と泣き叫んだ。「おそらくこうしたことは、広島の町でたくさんあったのだろう」と、岩佐さんは言う。

一ヵ月後、妹を探しに爆心地近くを歩いた。帰ったら体が重く、赤い斑点、鼻血、のどの痛みが襲った。おばが医者を探し出し、毎日注射を10本くらい打って、何とか助かることができた。
現在、岩佐さんは皮膚がん、前立腺がんを患っている。「私なんか軽い方」と言う。

戦争があるために核兵器が開発され、使われる。核兵器の脅威を、まだ背負わされている。誤りを正すには、核兵器が使われたら人類がいなくなる、核兵器はいらないのだと世論を広げることだ。
継承とは、自分の頭で考えること。自分が体験したらどうするか、自分だったらどう伝えるか、…。想像することだ。

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岩佐さんの話はとっても悲しく、それでいて力強いものでした。「被爆者」とカテゴライズするものではありませんが、でも被爆者の方ってスゴイと思える人が多いです。

岩佐さんの話の中で、私も共感し、悲しかったのは次の言葉です。

「本当は家族をよみがえらせたいんだ。
 そして抱き合いたい。
 あんな死に方、許せないんだ。

 この叫びを、詩人の峠三吉は『人間をかえせ』に込めてくれた」

ううーーん

2006-07-31 02:15:01 | 日記
弱音は白米
違った
吐くまい。

なんてウッソー。

吐きます。
弱音というよりグチ。いじけ言葉かな。

先週から猛烈に忙しい、というか時間が足りなくて、夜なべ続きで実につらい日々です。
どうせおかしな時間の使い方してますよ!
どうせ私の仕事じゃなかったんですよ!
とか思ったりもしつつ、今日まで来ました。

きっと明日が終われば気持ちもラクになる。
私がヘンに責任を感じていた仕事も、実は役割分担すべきものだったとも気づき、心持ちが軽くもなりました。

そしてたった今は平和新聞を作成中。
眠いけど楽しかったりもします。

少し調べ物をしようと思って本を読むと、おもしろくなって関係ないところまで読み出してしまいます。忙しいときは特に。

今号では、「南京虐殺」について少し扱っています。
あと、中国で人を殺してきた元日本兵の自らの罪行を証言する活動についてなど。
中帰連」という雑誌があるのですが、とても貴重です。
機会があれば、ぜひ読んでみてほしいです。
中国でいかに人を殺したかとか、いかに女性を強姦したかとか、信じられないほどにひどい話を、自らの贖罪として証言を続ける人々がいるんです。

朝が近づくなあ…


写真は眠気対策の眠眠打破とするめ。眠眠打破に新たに抹茶味が加わりました。コーヒー味もともにまずいです。

【企画お知らせ】継承とわたし

2006-07-19 11:25:28 | 日記
企画のお知らせをしてしまいます。

61年目のヒロシマ・マガサキ(8月6日、9日)が目前ですが、かつての戦争体験・被爆体験を継承することは今の私たちにとって切実な課題です。
企画「戦後・被爆61年 継承とわたし」は、この「継承」について学び考える一つの場です。
ヒロシマ・ナガサキを、年中行事の一つとしてではなく、私たちの体に染み込ませる時間をかけた(それでいて時間がない)課題としてとらえたいところ。

こぞってお越しください。

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【戦後・被爆61年 継承とわたし】

《とき》7月25日(火) 午後7時~9時(6時30分開場)
《ところ》南大塚地域文化創造館〈JR大塚駅南口から徒歩5分〉

《なかみ》
◇岩佐幹三さん(日本原水爆被害者団体協議会=日本被団協事務局次長)
◇形岡七恵さん(Jazzシンガー、世界平和フォーラムinバンクーバーに参加)
◇前川史郎さん(日本原水協事務局)
以上3人の方によるパネルディスカッションです。

◇フロア交流
☆豆乳または豆腐(国産大豆)販売あり(かも)

《主催》継承とわたし実行委員会

学校Ⅱ

2006-07-15 02:57:03 | 映画
同居人が借りてきていた山田洋次監督「学校Ⅱ」(ビデオ)を、私も借りて観ました。

まずは昨日。
夜も遅かったので、半分に分けて二夜にわたって観ようと思ったのですが、ついおもしろくて全部観てしまいました。
しかもそれで終わらず、2度観。
…をしようと思ったのですが、さすがに遅かったので(それでも)初めの30分くらいを観たところでグッと我慢をして止めました。

ほいで今夜、続きを観たのでした。
まだ観たいです。


以前にも観たことはありましたが、これほどいい映画だったかと驚くほど、今回は胸に染み入りました。

しんみりと心に染み入り、一晩経たのち、結局
「有意義な人生を送ろう」
と思ったのでした。

自分の語彙の乏しさが残念ですが、おそらくこんな言葉で表してよいと思います。

なんていうか、いろんな職業がある中で、私は自分の選んだ職をまずはしっかりと全うしよう。とか。
かっこつけマンなところが多分にある私ですが、自分にばかりこだわらずに生きることは可能なんだろうな、とか。


印象的な場面やセリフはいくつもあります。

中村富十郎扮する校長が、「学校はこんなことが起こるんです」と言ったり、「学校なんてそんなもんだよ」と言ったり。
前者の言葉は、生徒同士が互いに刺激し合ってそれぞれが変化(成長)を遂げたことを受けて、後者は学校外の貴重な体験が生徒に大きな影響を与えたとき。

いしだあゆみの「ちっとも」というセリフ。2回言うのですが、それぞれ言い方が印象的。
あとは西田敏行が教育を受けることを「権利」と主張したり、永瀬正敏の葛藤だとか。鮮明なメッセージがたくさんあります。
吉岡秀隆が言葉を発する場面、ジレンマを吐露する場面。この人の演技は圧巻でした。ヤー、すごい。
などなど。

マンガ「どんぐりの家」を思い出し、さらに深みを増したのかもしれません。

グッドラック&グッドナイト &和ちゃん

2006-07-13 00:15:10 | 映画
心に余裕なく、日記書きをさぼりました。
なぜ余裕がなかったかと言うと、平和新聞「核兵器問題特集号」作成のために、仕事は遅々として進まないのに気持ちばかりに重い足かせが…あったためです。

しかしそれもようやく終わりました!
平和新聞7月15日号はおもろいですよ!

「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんインタビューや、核兵器の「今」を解説する見開きページも。

ちなみに私が苦しんでいたのはこの見開きページ作りです。
親子で学ぶ核兵器問題、なんていう予告をしてしまったので、まずはキャラ作りから入り、わかりやすい言葉でしかし大事なことは外さず…とか何とかやっていたら、結局長い文章になってしまいました。

キャラは、ベタ?に平 和(たいら・かず)ちゃんという高校生が主役。
デザイン会社に頑張って指定を出し、描いていただきました。
こちらってなもんで。


ほいで、こちらが今号の表紙です。


ほいでもって、今号は大・普及版です。
友人の皆さん!(通りすがりの方も)
たっぷり刷りましたので、どしどしご応募ください(お試し読みを)。


そして今夜は話題の映画「グッドナイト&グッドラック」を観ました。

赤狩りが猛威を振るう1950年代初めのアメリカで、多くのマスコミが報復を恐れ沈黙する中で、主人公のエド・マローは自身のニュース番組で議員の策動を報道する。

「テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。…今のままでは歴史から手痛い報復を受ける」
マローの言葉は、まるで過剰な監視社会を築くアメリカを告発しているよう。そしてこの今の日本までをも、予告・告発しているかのようです。

エド・マロー役のデヴィッド・ストラザーンがとってもかっこよく、しびれました。

も…萌えわかり自衛隊 《大事なのは命日》

2006-07-03 00:53:00 | 日記
今日(2日)というか明日(3日)にかけては悲しみの日です。
母の8回目の命日です。

今まで法事があるとき以外は、特に何かをしたことはありませんでした。何か宗教的儀礼を身に付けているわけでもなく、そもそも母をしのぶために何かすること自体に抵抗を感じていたような。
しかし今年から!母をしのぶために次のことをやろうと決めました。
カリー作りとヒマワリを飾ること。
ともに母が好きだったものです。
これくらいなら苦労せずにできるし、なんだか楽しい。しかも夏らしい。

というわけで写真はそのもよう。
さらに同居人がゴージャスなケーキ(高野フルーツパーラー)まで買ってきてくれました。
華やかな命日! ス・テ・キ。



それなのに、タイトルはちょっとふざけています。
いや、ふざけているのではなくて、本日このタイトルの本を購入したのでした。

萌えわかり! 自衛隊ビジュアルガイド」(06年1月、モエールパブリッシング)〈←この発売元の会社名すら何かあやしい〉という本です。

朝雲」という自衛隊の活動などを伝える新聞がありますが、以前そこで紹介されていたのを見て気になっていたのでした。

要は、萌えキャラ?のかわいい女の子たちを主人公に、マンガや写真を織り交ぜつつ自衛隊の成り立ちや装備、制服などについて解説しています。

「萌えわかり」って意味がわからんし、出てくる女の子は胸がものすごく大きくて憂い目がちだし(それが萌えーなのかな?)、自衛隊が米軍と一緒に海外で実際に何をしているのかを書かずに「カッコイイ」自衛隊を演出しているばかりだしで、けっこう不愉快なのですが、軍事問題初心者としてはこういうのを活用して勉強しようと思うのでした。

多彩な表現方法で伝えよう、というのは平和運動でも模索しているところ。
でも萌えわかり!日本国憲法9条…なんて言う本はきっと生まれないでしょう(あっても何だかイヤ)。
萌え文化と軍事モノは、なぜ融合されやすいのでしょうか。ギャップがウケルのかな?

南京事件生存者・夏淑琴さんの話

2006-07-02 02:47:43 | 日記
7月がいつの間にやら始まりました。暑いはずだーー。

そいで文月壱日の夜、南京事件の生存者である夏淑琴さんの証言を聞くつどいに参加しました。「南京への道・史実を守る会」主催です。

南京大虐殺事件とは、1937年12月、南京を占領した日本軍が中国軍の兵士のほか一般市民や難民に対しておこなった虐殺、女性に対する陵辱、略奪、破壊などの残虐行為のことです。

南京事件を否定し、夏さんはニセモノの証言者だと主張する東中野修道氏らと出版社に対し、夏さんは中国で名誉毀損の裁判を起こしていました。これに対し東中野氏らは名誉毀損の事実はないとして、日本で夏さんに対し訴えを起こしています。
今回の夏さんの来日は、東中野氏が起こした裁判で意見陳述をすることが目的でした。

東中野氏は、夏さんに会いに来たこともないし中国での裁判に出席したこともありません。夏さんは「私は正面からたたかおう」と、東中野氏の裁判にも立つ決意をしたのですが、肝心の東中野氏は昨日の裁判に顔を出すことはなかったそうです。

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夏さんは1929年5月5日生まれ。
1937年12月の寒い日、9人で住んでいた家に、日本兵が乱入してきました。銃剣の先に日の丸がついていたことを覚えているそうです。

夏さんは肩、脇、背中の3ヵ所を刺され、気絶しました。
目が覚めると、一人の姉はベッドの上で裸にされて死んでいる、もう一人の姉は机の上で死んでいる。外へ行くと母は裸にされて死んでおり、2歳の妹は地面にたたきつけられて死んでいた。
9人家族のうち祖父母、両親、姉2人、妹1人の7人が一瞬のうちに殺され、庭を共有していた隣家の4人も全員殺された。

その後夏さんは苦労の人生を送ってきました。
なるべく思い出したくない、平凡に暮らしたいと思ってきましたが、二度とこの歴史を繰り返さないためにこの悲惨な経験を語ることが必要だと感じ証言をしました。
しかし東中野氏らに「ニセ」と決め付けられ、体の被害のみならず精神的な被害を受けているのです。
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つどいでは、私の母校・都留文科大学教授の笠原十九司先生も話をしていました。歴史学が専門で、南京事件についての第一人者でもあります。

私はこの先生の授業を1コマ(1年)だけ受けたことがあるのですが、密かにものすごく尊敬しています。
人間に寄り添う歴史学者って、本当にステキ。
事実関係に疑わしいことがある場合、それを外から傍観者的に(さも客観的立場にあるかのように)つらつらと指摘するのではなくて、なぜ複数の証言者があえて自身の被害体験を語っているのかを決して見逃さず、自らの足で調査してきたのです。

笠原先生が最近出した本に、「体験者27人が語る南京事件 虐殺の「その時」とその後の人生」というものがあります。

南京事件否定論の中に、被害者総数の違いを指摘するものがあります。例えば笠原先生が指摘するような20万人という数字に対し、5万人しかありえない、というような。
20万人の根拠にはいくつか挙げられているのですが、しかしそこでばかり論争を進めると、誰がどのように生き、どのように殺されたのか、生き残った者はその後どのような人生を送ったのかという、リアルな戦争被害の本質が見失われることがあります。

以下、著書の「はじめに」の部分を引用してしまいます。

「私がそのような方法を採用したのは、被害者の事件現場の体験を知るだけでなく、彼らの生涯にとって南京事件がどういう意味をもったのかを知ることによって、被害者一人ひとりに寄り添って、事件の残酷性、悲劇性を改めて理解することができるのではないか、何よりも、被害者が単なる人数ではなく、一人ひとりが顔を持ち、人格を持ち、名前を持ち、人生をもっていたこと、被害者それぞれのかけがえのない家族と生活と人生が日本軍の暴力によって踏みにじられ、犠牲にされたことが、いかに残酷で悲劇的であったかを理解できるのではないか、などと考えたからである。」

天皇ヒロヒトの映画―太陽

2006-07-01 02:42:52 | 日記
シネスイッチ銀座にて、「プルートで朝食を」という映画を観ました。

今週はタイミングがよく、映画をいくつも観ることができました。ゼイタクな気分。なるべく安く観られる方法を探りつつ。

1970年代のイギリス、IRAの活動が活発になる中、アイルランド出身の主人公の「キトゥン」が母親を探すためにロンドンへ旅に出る。男として生まれたが、幼いころから化粧やドレスに興味を持つキトゥンは変わり者扱いされながらも明るく振舞う。それは寂しさの裏返しだったのかも、と後から振り返る場面も。

笑いを交えつつ、ノリの良い音楽でおもしろいのですが、しかし私にとっては特に心に響くものではありませんでした。残念。


さて映画館でチラシを物色していたら、天皇ヒロヒトが主人公の映画チラシを発見。
その名も「The Sun 太陽」。
ナント、イッセー尾形がヒロヒト役。
アレクサンドル・ソクーロフ監督。
ロシアの映画。なのかな?

「天皇ヒロヒト―彼は、悲劇に傷ついた、ひとりの人間。」
と、チラシ表にあります。

1945年8月、戦況は逼迫していたが彼は戦争を止められなかった。彼を神の子孫だと言う侍従たちに、天皇は、「私の体は君たちと変わらない」と笑った。焦土となる東京、失われる多くの命を目の当たりに、苦しむ天皇。やがてマッカーサーとの会見の日、彼はひとつの決意を胸に…

って、こんな感じの説明でした。
戦勝国主導の東京裁判でもなぜか免罪された、大元帥・天皇ヒロヒト。

いやーーいったいどんな映画なのでしょう。
観なきゃ中身はよくわかりません。
露骨な昭和天皇礼賛の映画でないことを期待したいところ。


写真は、私の部屋でサッカーを観戦している同居人とそのカレ。私はまったく興味ないのですが。たった今、ドイツが勝ったもよう。