イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「人工知能 人類最悪にして最後の発明」読了

2017年01月20日 | 2017読書
ジェイムズ・バラット/著,水谷 淳/訳  「人工知能 人類最悪にして最後の発明」読了



なかなかセンセーショナルなタイトルの本だ。
去年の暮れから今年にかけて、クルマの自動運転や囲碁で名人を負かしたり、将来人の仕事をどんどん奪ってしまうのではないかということでで、AIの存在が一躍有名になった。
そのAIがもっと進化し、AGI(人口汎用知能)からASI(人口超知能)という自分で自分のプログラムを書き換え自分のコピーを作り出すことができるようになると、それは人類の存続にかかわってくるというのだ。
自ら進化することができるようになったASIは自身の衝動である、エネルギー獲得、自己防衛、効率性、創造性に従い、人類を滅ぼすという。
例えば、エネルギーの獲得のため、人間をただの原子の塊としてナノマシンを使いバラバラにしてしまう。暴走しようとしている自分を破壊するのではないかと考えたASIはターミネーターの世界のように無人兵器を操作して人間を攻撃するかもしれないというのが著者の主張である。

本の中では具体的なストーリーが語れていないのでなんともピンとは来ない。
本当にそんなことが起こるのだろうか。
しかし、すでにそうらしいのだが、今でもAIと呼ばれているコンピューターは並列処理というアルゴリズムで動いていて、格段に処理能力を向上させている。これは人間の脳細胞の働きをリバースエンジニアリングして作られ、たとえば、翻訳をするとき入力した文章と出力した文章はもちろん見ることができるが、コンピューターの中でどんな演算をされてそんな翻訳になったかというのはわからないそうだ。もうすでにそんな時代に入りかけているのだ。

昔、人間というのは遺伝子を運ぶただの乗り物であって、遺伝子は自分の情報が未来に存続できるもっといい手段があればそれに乗り換えるかもしれないというような内容の本を読んだことがある。
そういう意味ではコンピューターのほうが情報の運搬という意味では最適なのではないか。
宇宙にだって簡単に飛び出すことができる。DNA(=遺伝子)が30億年かけて蓄積してきた情報をすべてコンピューターに写し取ってしまったら遺伝子は生きながらえさせるには厄介な炭素体ユニットを簡単に捨ててしまうのかもしれない。
それがこの本でいう人類の滅亡につながるのではないかと思った。

それともうひとつ、ASIという超人工知能はひとたび生まれると急激な速度で進化し、他のAIを圧倒し、わずかな時間でコンピューターの世界を征服してしまう。
ということは世界を征服できるASIはひとつ、1体しかないということになる。
釈迦の悟りの根源は人生は“苦”であるということ。しかし、その苦も、単体しかない、それも電源が切れることがない限り死なないなどとなるとほとんどの苦しみから開放されていることになる。おまけに実態がないデータだと五陰盛苦などという、体があることさえも苦になる元であるという究極の苦しみもないこともない。

人工知能がそこまで発達するときを迎えるのは西暦2045年と言われているそうだが、僕は生きているのか死んでしまっているのかわからない。生きていたとしても世の中がどんなに変わってもボケてしまっていて何もわからなくなっている。だから僕にとってはシンギュラリティだなんだと言っても他人事でしかない。
ウインドウズ10でも扱いに四苦八苦しているくらいだ、もうついていけていないのだ。
それにしても、そんなに便利というかお節介な世界というのはすべての人が望んでいることなのだろうか?クルマについても非常ブレーキはありがたいけれども、自動運転を望む人はどれだけいるのだろう。ぼくなんか、自動で運転してくれてても機械なんて信じられないからコックピットのなかでひやひやしているだけだし、IoTだかなんだかで、冷蔵庫の中身まで管理をしてもらいたいとは思わない。
そういう意味では最後のいい時代を過ごすことになる世代なのかもしれない。
コメント
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