まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

3月10日について

2013年03月08日 23時10分46秒 | Weblog
3月10日 暮らしを紡ぐネットワーク 春の集いがありますが・・・・。
各地で反原発デモがあります。

たまたま友人に電話で「集いにくる?」と尋ねるとデモと迷っているとの返事で気づきました。
私はデモに参加すればと勧めました。


暮らしを紡ぐネットワークを代表して原発に対しての考え方です。

暮らしネットの活動では原則反原発、脱原発の活動はしません。
私自身個人的には反原発の意志はありますが、デモには参加しません。


社会に現れる現象は結果であり、今は過程です。
私たちが、どう今という過程を過ごすか?今という時間が豊かであるか?が今後の現象として現れるという考えです。


訴えるというのは社会を変える一つの方法です。
ですが訴えるという行為は豊かな時間だと私は思えません。
どこかに敵を作ってしまうからです。

訴えるという方法・運動は過去、失敗に終わっています。
そして分離を生みました。


暮らしを紡ぐネットワークでは推進も反対も無関心も、関係なく共に話ができる場です。




社会問題というのはそれぞれ一人ひとりに原因と結果があるということを自覚し、日々の行動として行うことに解決策があるのでは?と考えています。

全国で100万人デモを行うなら、100万人自然エネルギーが整うまで電気を極力使わない生活にシフトすれば大きな運動となるのではないでしょうか?
例えばです。
運動とは自分の身を持って行うことだと考えています。


その提案が暮らしを紡ぐネットワークの活動です。
自分を信じ、未来を信じ、生きる強さを身につける場です。
恐怖と怒りとは対を成します。




都会でも田舎でも人が豊かに暮らす方法があります。
オール電化でもハンバーガーを食べても人は豊かに生きることができます。


反対に自給自足のような暮らしをしていても苦しんでいる人がいます。


どちらが良いか?と言われればオール電化でもハンバーガーでも豊かに暮らしている人が多いほうが良い。
どんな暮らし方をしていても豊かだと思う人が多いほうが良いと思うのです。


目に見えている現実と心の真実は違います。

原発が無くなったら世の中が良くなるということではありません。
ただ、原発があるということは多くの犠牲者を生むという現実は知らなければいけません。


豊かな人が増えれば、豊かな社会であれば、緩やかに良い方向へと進むと信じています。






味噌作り

2013年03月03日 22時11分58秒 | Weblog
(お知らせ)
「暮らしを紡ぐネットワークの春の集い」のお知らせ

3月10日に集いをします。
ただただ集まって話す場なのですが、ちょうど始まって1年の区切り、今年初めの集いなので、これから1年のこの集まりについて話しましょう。


日時  2013年3月10日(日)  
    10:00~
持ち物 マイおにぎりと持ち寄りおかず又はおやつ一品

会場  まつなが畑 作業小舎 
     (奈良県御所市僧堂113-2)


 
バスでお越しの場合は近鉄御所駅道を挟んで向いのガソリンスタンド奥の1番のりばから特急新宮駅行き9時47分発のバスで船路駅で下車ください。下車後道を渡り山側に徒歩3分です。
(バス停が分かり難いのでお尋ねていただくことをおすすめします。)
 
参加費 無料 
お申し込み matunagahatake@goo.jp 
      車でお越しの場合のみお申し込み下さい。前日までお申し込み頂けます。






今年の味噌作り。

作業小屋で火を熾し、豆を炊き、臼で潰す。




去年までは自宅でガスを使って豆を炊き、フードプロセッサーで潰して作っていたが、今回こんなにも違うものか?と驚いてしまう。

「今までは味噌作りをしていなかったなぁ」と思うほど心地よい作業だった。
すべての作業が体が覚えているかのようにストレスなく進む。


農業でも感じることだが、喜びって日々の行いにある。

5年農業をしていると、段々農作業に新鮮さが無くなってくる。作業が楽しいと思うのも1,2年ぐらいのもので「この作業しんど。どうしたら楽にできるかなぁ」なんてことを考えるようになる。
でも、いくら効率化しても土の上である限り農業ってハイテクにはならない。
そんな、まだまだ原始的な道具を使って耕す農業は人の心に訴えかけるものがあのかもしれない。

「しんど」と思う行いの中には喜びが存在し、鍬を振う行為は豊かなのだろう。



人が生きる中で行為ってどれだけ大切かと実感する。



黒豆の味噌を先に仕込む。

臼で潰すのは力がいるが、フードプロセッサーよりも圧倒的に効率がいい。
意外ときれいに潰れる。

何より、自宅の狭い空間で汚れることを気にしながら、何度もフープロにかける行為は私は好きにはなれない。





気づけば道具も揃っている。
望めば集まってくるものだ。





茹でたての豆は格別。
ついついつまみ食いしてしまう。







空ちゃんも手伝う。









麹も臼の中へ入れて混ぜる。
結構な力仕事。

でも一気にできるから早い。

乾燥豆5kで三回潰し、混ぜ、丸めて投げる。
茹でるのも釜戸とストーブで2個に分けて一回で茹でれた。
4時間暇かな?と本を持ってきたが意外と火の番は気が抜けない。吹きこぼれないよう火の面倒は目が離せない。これがまた楽しいのだけど。



そして、空ちゃん飽きる・・・。







丸めて…



投げる!



杉樽なら最高。
どこか余っていないかなぁ。。



自宅では大変というイメージも、作業小屋でするとこんなに楽なものか・・・豊かな時間だった。
これ
皆さんにも是非と思う。

今年は初めてということもあり、来年は出来るよう準備進めます。
来年はみんなで味噌やりましょう。



農業をする中で、味噌作りが負担になってきて去年は嫁さんに任せた。
随分大変だったと・・・。


こんな農業に疑問と葛藤があった。
そして、釜戸を作り、廃材を集め・・・最近は農業をする中に暮らしを望む方向へと時間を割いた。

今回の味噌作り、生活費を稼がなければ農業は続けられないが、この行いは時間を割いてでもするべきだと感じる。
人がこれからも世代を超えて豊かに暮らす為に必要な行為を今続けなければいけない。









森田料理教室

2013年02月21日 22時25分56秒 | Weblog
今回のブログを書き始めて随分時間が経ってしまいました。
風邪気味が続いたり、義姉の結婚式があったりと、少しバタバタ・・・。
昨日は味噌を仕込みました。またアップします。

一番下に暮らしを紡ぐネットワークのお知らせがあります。よろしくお願いします。





森田久美さんの料理教室に空きが出たと開催日の2日前に連絡が入る。


森田さんご夫婦とは作業小舎の改装を考えているとき、畑に来て頂いてから、お付き合いさせて頂いている。
あの時、ここに来ていただいたことに深い感謝を・・。


その後、旦那さんの徹さんに作業小舎の改装の設計をお願いし、ここに人が集い始めた。




一度、久美さんの料理教室に参加したい。

長年の気持ちが届いたのか?
もともと森田料理教室の生徒さんであり、今、まつなが畑の野菜のお客さんでもある方からお誘いのご連絡を頂いた。





一度、久美さんの料理を見てみたい。そんな望みもきっと良いタイミングで訪れたのだろう。

そして、
今回、料理教室に一日参加してとてもよかった。



久美さんの料理は、とても美しく、透き通った味。
野菜、素材への敬意の払い方は人一倍丁寧に、その扱いには誰もがグッとくるものがある。

すべてに理屈があり、現実的であるにも関わらずファンタスティック。
思考する料理と言われる通り、頭が一杯になる。
日々私たちの料理とは逆側の考えかもしれないが、だからこそ共通する部分と学ぶ部分が多く引き寄せられるのだと思う。


この料理法を通して、受け取り方は人それぞれだと思うが、
久美さんの生き方そのものであり、
私たちの暮らしへ取り入れていくべきこと、学ぶことは多い。







また、森田久美さんという人の魅力に改めて触れられた時間でもあった。

森田さんご夫婦はどこまででも深い、ご夫婦。
今回は徹さんは留守でお会いできなかったけど、またお会いできるときを楽しみに。




とてもいい時間を過ごせました。
参加できて嬉しかったです。

ありがとうございました。





〈お知らせ〉

「暮らしを紡ぐネットワークの春の集い」のお知らせ

3月10日に集いをします。
ただただ集まって話す場なのですが、ちょうど始まって1年の区切り、今年初めの集いなので、これから1年のこの集まりについて話しましょう。


日時  2013年2月10日(日)  
    10:00~
持ち物 お弁当

会場  まつなが畑 作業小舎 
     (奈良県御所市僧堂113-2)


 
バスでお越しの場合は近鉄御所駅道を挟んで向いのガソリンスタンド奥の1番のりばから特急新宮駅行き9時47分発のバスで船路駅で下車ください。下車後道を渡り山側に徒歩3分です。
(バス停が分かり難いのでお尋ねていただくことをおすすめします。)
 
参加費 無料 
お申し込み matunagahatake@goo.jp 
      車でお越しの場合のみお申し込み下さい。前日までお申し込み頂けます。


セット定期便のお客様へ

2013年02月20日 22時29分18秒 | Weblog
21日ご注文のお客様へ。
野菜セット内容にゴマ、ポップコーンと書いてありますが、入れるのを忘れてしまいました。

来週もご注文あるお客様には次回入れさせていただきます。
大変申し訳ありません。

また、その他のお客さまには直接対応のメールをさせていただきますのでよろしくお願いします。

廃材

2013年02月13日 20時17分56秒 | Weblog
先日、実家の前の家の一部を解体するということで廃材をもらいに行った。

解体業者が入っていて、貰える隙を見て現場に入る。
手伝えるところは手伝っていると柱や梁を長く残してくれるようになった。

その廃材を釘を抜いたり、打ったりして使えるようにするのは結構な手間がかかる。


今、作業小屋にしている家は廃材を使って建てられている。
昔は木が貴重だったので丁寧に解体して再利用していた。今は使えるように取るのはコストが掛かるので、すべて重機で潰し、切り刻みゴミになる。
今回の解体した家は出てくるのは木と土と釘。
すべて、自然にもどるものだ。


取ってみると十分使える材があるし、虫食いがあるものや、短く建材にならないものは薪として使える。

解体屋と現場に入って思うのは、非常に危険で重労働であるということ。
どれだけ、楽に時間を掛けずに潰せるか?を何時も頭に入れて仕事をしている。

私の頭には勿体ないがよぎるが、これが今の社会の流れ。

廃材を貰っていると聞いた近所の人が「私のところも貰ってくれないか?」と声が掛かる。




なぜ住むという家がこういう形の在り方になったのだろうか?
生き方と共にある家。

昔の人の生き方を祖母や母に聞いて、築100年の実家を見てみる。
その構造がどういう意味を持っていたのか?想像してみる。

今の時代、これからの時代を見据えてどういう家の形が良いのか?

農家の家も現代農業と昔とでは変わってきているはず。
私たちの生き方を映し出すように家も変えていきたい。



一時期、作業小屋で使っている薪が無くなり、欲しいなと周りに声を掛けていたら、どんどん集まってきた。
今の生活では多すぎるぐらい。
今日もホームセンターの安い薪ストーブに火を入れ料理をする。
こんだけ贅沢に薪を使えるのも今の時代だから。
昔は、もも太郎の「おじいさんが柴刈りに」のように落ちている枝や、下草を刈ったり、笹を刈ったりして焚きつけの燃料としていた。
豆柴と言って豆の叩いた後の残渣も柴にしていたり、藁も風呂焚きに使ったと祖母に教えてもらった。

今は燃料にも溢れている時代。
柴を拾えば山がきれいになると喜ばれ、間伐材も豊富にある。ゴミになっている廃材も探せばいくらでもあるのだから。


私たちはこれからどこへ向いて生きればいいのだろう?

実家は冬でも半外のような板の間で食事をしていたという。
食べるところが無い家は立って食べていた。
そんな話を聞いて、「昔の人はどこで寛いでいたのか?」と聞くとそんな寛ぐ時間はなく働いていたという。

テレビを見て横になるこの時代。
一世代でこれだけ変わってしまったが、この先を案じるのは私だけだろうか?



仕事ということをよく考える。
農業という仕事が、経済を、お金を追うようになり少し疑問が出てきた。
生きる為の仕事が生活のため、お金のため、に変わってきたからだ。

畑作業が遅れてもいいから廃材を優先させたのは、そんな想いがあったからかもしれない。

木材を買う為に働く時間と、廃材を貰う為に働く時間。
どちらが豊かなのか?と考える。



農業から見る世界は面白い。
経済の波にさらわれないように生きるのはとても難しいことだが、農業から見る世界観や感覚は経済を超えた生き方を示してくれる。






義叔母の葬式

2013年01月26日 21時54分47秒 | Weblog
先日、義叔母が亡くなり、葬式に出席する。

ブログに書こうか悩んだが、記録として残すために綴りたい。

3年前癌宣告を受け、それ以来玄米菜食の食事を中心にストレスのない生活を心がけ、病院には通わなかった。
うちの野菜をとって頂いてたお客さんでもあった。
病気と向き合うのはホント難しい時代であるように思う。どの時代もそうなのかもしれないが・・・。
選択を迫られるこの時代。
情報が溢れ、考えもまた多様な時代。
その人の生き方そのものが選択となる。

病気にも折れず、真っ直ぐ向き合い、闘った、義叔母の姿があった。


葬式のあり方もまたそうだ。

葬式の形は義叔母が生前自ら考えた。

結婚式はキリスト教、葬式は仏教、クリスマスもして初詣も行く。
いわゆる無宗教で節目では宗教を選択し利用する。
そんなことに疑問を抱いていたのかもしれない。

義叔母さんは最期まで正しさを追い求め、その固い意志を通した。

葬式には祭壇は無く、お坊さんも来ない。
進行を旦那さんが務め、身内しか集まらない。
歌い、語り、泣いて、笑う。

私は集合写真を頼まれ、戸惑いながら、その葬式を撮った。

誰もが初めての経験だった。


だが
その仕来りのない自由な発想の葬式は誰もが深く真っ直ぐに義叔母のことを想うことができる時間であったのではないか。
生前に残した肉声の録音の中には母への謝罪と感謝の言葉、姉たちや子供、甥、姪への感謝の言葉や、旦那さんの2回目のプロポーズの言葉に答える姿があった。

悲しみの中に愛に満ち溢れた、結婚式のような空気がそこにはあった。


生前、何度か私たちの家と畑を訪れてくれた。
子供たちを孫のように可愛がってくれ、私にも分け隔て無く喋ってくれた。
その深い愛情に感謝が尽きない。

自らの死を持って問いかけたものをしっかり受け止め、また自らの死を考えたい。

嫁さんが最後のお見舞いに行ったとき聞いてきた言葉。

「これが私の生き様・・・」

その強い意志と愛はいつまででも私たちの心に残るだろう。
それが魂であり、何時まででも共に生きているのだと感じる。


千の風になって



学ぶを忘れた社会

2013年01月08日 22時09分21秒 | Weblog
年末から何度かブログを書こうと文章を作るも、これが私の心を書き写しているのか?自信が無くアップせずに今日まで・・・。

毎年書いていた、年末最後のブログも、年始のブログも書かず・・・これは重症だぁ。。
と思いつつ、無理して書く必要も無い。
と、決め込んでいる。


自分のことは自分でも分からない。
人生というのは自分を分かるための旅、その為にこの肉体が存在する。
私はそう捉えている。


宗教がなくなった今の社会。
学ぶという事が本当に難しい。


宗教は本当は知っている。
人間社会は滅びると。だからノアの箱舟は一つの希望を示したのかもしれない。

全てが滅びなくなる事をどの宗教も伝えない。
それはきっと人間が作り出す文明が少しでも長く続かせる為の配慮であり、仕組みではないか?


続くことに意味があり、この肉体が滅びようと文明が続く事に希望があり、安心してこの世を生きることができる。

だが、教えを忘れ継承されない文明では滅びの一途をたどることになる。
今の社会では解決されない問題が山済みだ。
ゴミ問題、放射能問題、エネルギー問題・・・。
どれも解決される事無く随分長い間、次の世代へと繰り越されている。

ゴミは燃やして埋めるという原始的な方法は今も続いていて、そのダイオキシンは少しづつ私達を汚染しているが、何れ果てしない大きな問題として私達に突きつけられるだろう。
放射能のように。

放射能もまた、最終的には埋めるという単純発想でしかなく、科学の進歩ってなんだろう?
もしくは戦争をしてばら撒く。
今の日本はどちらかと言えばそちらに向いているのかもしれない。


エネルギーは無くなることを前提にした開発でしかなく、太陽光発電にしろ、風力、水力、地熱・・・どれも資源が無ければ作り出せない。
何れなくなるもの、文明が続く間は石油が湧いていてほしいものだ。。

これらの問題はさらに何世代まで引き続けなければいけないのだろう。
最期まで解決されないかもしれないという事は誰も信じていない。



学ぶ事を忘れた私たちはこの文明を変えることはできないだろう。

もう教える人が神がいないのだから。


「風の谷のナウシカ」(映画ではなく、漫画)著者 宮崎駿は希望を否定し、人類が滅亡する事を示した。ただ唯一の望みは自分自身にあり、生きる強さ、自身の心だったように思う。





最近、私の周りでは色々な重大な問題を抱えた人が多いことに気付く。
体、心、夫婦関係。
これが現代かと・・・
突きつけられた。

私たちはどう生きたら良いのだろう?
今、必要なのは、
理想論ではない。
現実論だ。


自分自身の罪を知り、感じ、その感覚から希望を見出そう。
考えと言うものは、変るものであって育つものではない。
育てるものは感覚であって感性。
生き方、暮らし方によって育つもの。

私の思う現実論は日々の行ないで示したい。









今年の晩ご飯

2012年12月30日 07時35分17秒 | Weblog
年を越す前に・・・
溜まっていた料理の写真、
一気に出します。



ある日の餃子。






息子 太陽の餃子。なかなかやるなぁ。





残った生地は麺にして、ラーメン、餃子セットに。
最近B級グルメにハマっている。

市販の皮は薄すぎて、少し厚めに作ってプリっという食感が好み。
自家製は好みに作れるのが醍醐味。








最近我が家の冷蔵庫に牛乳はないのだが、久しぶりにあったので牛乳と豆乳でシチューに。
小麦粉と油でルーを作って、今回はバターなし。
市販のルーもバターは入っていないだろうから、
これで十分美味しい。


ナツメグを効かせる。
オーガニックのナツメグを卸して使うのだが、粉にしたものとは香りが断然違う。
私が好んで使うスパイスだ。

ライ麦パンとが、またおいしい。








蛸の無いたこやき。
野菜丸焼き??

ダシをしっかりとって野菜を沢山入れて自家製ソースや醤油で食べる。

日本酒と良く合う。
カメラの購入と交換条件に禁酒中の私。。(自分では買わない)
嫁さんとお使いのお酒を買いに行った時、
そっと「我が家にも1本…」と。

相談の結果、嫁さんが買ってくれるというのでありがたく頂く。。
(自分では買わない)

御所のお酒は美味しい。
蔵元が何件かあって、酒造りが盛んな地でもある。
今回は千代酒造の篠峰。

大阪人で良かった。
御所で良かった。
と思う瞬間だ。



年の瀬

2012年12月27日 23時38分41秒 | Weblog

くらしを紡ぐネットワークの報告も出来ず、バタバタと日が経ってしまった。
またまた文字を書きたくない症候群に・・。

そんな時は無理して書く事も無い。
そう決断している。3.11以降。
見てくださる方を意識せず、内面を書き写し、記録として残すこのブログ。

と言いつつですが、

見て下さっている皆さま、ありがとうございます。そして、更新少なくすみません。

この1,2週間、今年最後に会うべき人に会えた時だった。
色々と想い、考え、悩んで。
いつの間にかこんなにも沢山の人が心通わせお付き合いさせていただいている。
一年以上お会い出来なかった方ともお話する中で心で繋がる強さを感じる。

魂で繋がっている感覚。
身体や目に見えるものを越えた世界。

生と死の理解は難しいけれども、私に纏っている肉体はいつか返さなければいけないもの。
肉体があるからこそ感じる事が出来る魂。

あらゆる形や仕組みを越えて。

生を知ろう。






今月のお便り。
「経済的理由から来年セット定期便の値上げを考えている」と長々理由を付けて書く。
すると、お客さんからは沢山の応援のメッセージを頂く。
とても嬉しいことである。
そして、情け無いことに書いた事に少し後悔をする。


農業は孤独だ。
新規就農をして3年はそう思い続けていた。だからこそお客さんの存在は大きく、感謝も尽きない。継続の原動力でもある。

で、
5年目に入りもうすぐ6年目になる今、私の周りには沢山の人が集い賛同してくれる仲間が出来た。
けれども、気付くのは孤独。

ここから抜け出す為には経済的自立か私を必要としてくれる人の意思。


これが経済活動、商売なら話が早い。
しかし、社会活動、社会運動とするなら・・・。
出来るだけ中道を行きたい。



まつなが畑の形は改めてお客さん中心だと気付く。
投げかけ、返って来るその言葉によって、私がどう舵を切るかを決める。
ここの野菜を食べている人は90%以上がお客さんなのだから当然かもしれない。
私は管理人に過ぎないのである。
皆が納得する形で継続したい。


私は切り開くタイプの人間ではない。
我慢のタイプで孤独は性質とも言える。

孤独=不安は私の闇の部分である。だからこそ光を見る事ができる。
包み隠さず、向き合いたい。











明日 火曜日 援農に来てくださるみなさまへ

2012年12月24日 18時33分07秒 | Weblog
洋子です。

明日の援農お昼ごはん、ごはんとお汁 炊きまーす。

(おにぎりなくても大丈夫です)


くらしを紡ぐネットワーク 冬の集い お知らせ

2012年12月02日 18時36分30秒 | Weblog

くらしを紡ぐネットワーク 冬の集いのお知らせです。

冬の集いは秋の集いからの活動報告をします。
年4回、四季の集いは意見交換や顔合わせ今後の活動方針などを決めています。
ゆっくりの活動で皆、負担の無い形でやっています。

お話中心の集まりです。

とても寒い時期です。
作業小屋も寒いので、寒さ対策しっかりして来て下さい。
靴下2枚以上、タイツは必須、部屋の中でもジャンバーを!


日時  2012年12月9日(日)  
    10:00~
持ち物 1品持ち寄り おにぎり 水筒

会場  まつなが畑 作業小舎 
     (奈良県御所市僧堂113-2)


バスでお越しの場合は近鉄御所駅道を挟んで向いのガソリンスタンド奥の1番のりばから特急新宮駅行き9時47分発のバスで船路駅で下車ください。下車後道を渡り山側に徒歩3分です。
(分かり難いのでお尋ねていただくことをおすすめします。)
 
参加費 無料 
お申し込み matunagahatake@goo.jp 
      車でお越しの場合のみお申し込み下さい。前日までお申し込み頂けます。

しめ縄

2012年11月29日 20時32分13秒 | Weblog

先日実家へ玉ネギを植えに行った時、援農に来ていた方がしめ縄を教えて欲しいという事で、空いた時間で祖母に教えてもらいました。



藁を叩いて、藁をキレイにして、
手を摺り合わせて縄をないます。
この一つの手仕事から皆思い思いに想像を膨らませるのです。

昔は夜なべをして一人蔵で縄をなっていた父親の話を祖母から聞いた事があります。
米作りは採れる米もとても大切な事でしたが、その藁も暮らしにはとても重要なものでした。
米を保存する俵や草履。

ゾウリは草を履くですね。
日本人の深いところに根付いているものです。



私達の日々暮らしの中での行いは、自分そのモノであること。
そのことに気付いている人は少ないように思います。

知識を得ること、本を読む事、勉強すること、学問を学ぶ事。
大切かもしれません。
でも、無くても生きていく術はあるのでは?いや、無くても人は生きてきたのです。


行いは人を作る。
頭ではなく、手を動かす、体を動かす。
すると心が動いて頭が動き出す。

創造とはこういう中から生まれてきたのではと感じます。
行いから感性を育み、創造へと繋がるように思います。

進むべき道は行いからだと感じた、しめ縄作りでした。



皆の作ったしめ縄。
個性があって面白い。






ジャム

2012年11月25日 20時10分45秒 | Weblog


さおりさんのジャム。
先日、援農にお越しいただいたときに沢山持ってきて下さいました。



おいしい頂き物は本当うれしい。



援農に来ていた皆一同歓声です。
なかなか皆の興奮が治まらない・・・。

子どもたちも、色とりどりのビンの中身に興味津々。





果物を食べているようなあっさりした感じの贅沢なジャムでした。

桃とワインのジャムがホント美味しかったぁ。
色々と合わせたいと沸々と。

生クリームやチーズがこのあっさりした感じと良いだろうな・・・。スコーンに添えて。
我が家ではどちらも超贅沢品だから。。

こう頭をよぎる私は「欲望のかたまりだなぁ」とつくづく・・。



お知らせ

2012年11月23日 12時23分39秒 | Weblog
毎週火曜日は援農日ですが、27日の火曜日はお休みさせていただきます。
よろしくお願いします。

四国2泊3日の旅

2012年11月20日 07時22分21秒 | Weblog

私達家族、研修生家族、お客さんとその息子さん。
計9人大所帯での旅でした。

宿泊は研修生のご実家、香川で泊めていただくことになりました。
今回の目的は

松見歯科

廃材天国

TOEC



松見歯科では歯から食事、健康などトータルにお話を聞く事ができました。
食生活が変り、歯がどうなったか?トラブルの多くは食事の変化が大きいようです。
松見歯科では、料理教室もされていて歯の治療だけではなく未然に防ぐための提案をしています。



その後に訪れた廃材天国は面白い場所でした。
居候5名を抱えた大家族で住まれていました。
廃材だけで建てられたその家。。大きい!

廃材で家を建て、燃料にして料理、風呂、暖房にする。

自力で生きる力を感じます。



日々忙しい中、訪れる方が多いようで私たちは作業のお手伝いをさせて頂きました。
男性は木材の切れ端を整理、適当な大きさに切り揃え、燃料として使えるようにしました。
女性陣は枇杷の葉エキスのビン詰め、玄米珈琲、料理。

美味しい夕食を頂きながらお話しました。



3日目に自然体験型フリースクールのTOECのお祭りに。


合間に讃岐うどん、徳島ラーメンを食べ、帰って来ました。



今回の旅も色々と想う事が多かったです。

それぞれの空気があり、またそれぞれが信念を持って活動されていました。



廃材天国の大人と対等に話す子どもたちを見て、
大人が子供と対等に存在できる関係を、生活の中に作っていきたいと感じます。

自分を主体に物事を判断する感覚は、自分の役割を理解し、必要とされることを感じたとき生まれるのでは無いか?それは大人も子供も同じように思えます。

この子たちを見ていると学校教育での学問というのは全ての土台ではないことに気付くのです。
私たちの可能性は決して一般的な常識の範囲ではなく、もっと広いもので、多様性に満ちているのでしょう。



大人が子供と対等に生きるというのは、そう簡単な事ではないでしょう。
生きる為に暮らしがなければ、すぐ大人は自分達の世界を作り上げてしまい、子どもたちを見下してしまいます。

子どもたちの生き方は親の私達の生き方そのものなのです。
見下せば必ず私達親に返って来るものではないでしょうか。